④ 黒雷降臨
気づけば、目の前に古い友人がいた。見覚えのある背丈のままで、真っ直ぐ目が合う。
彼はこちらを見ても表情を変えず、後ろ向いて歩いて行ってしまう。
それを引き留めようとして、思わず手を伸ばしかけた。
しかし、それを静止する声、こえ、コエ……。
「お前、まだ分かってないのかよ。バッカじゃねぇ?ウケるっ!」
「キャハハっ、あんたは裏切られたんだよ、んで見捨てられたの」
「そりゃそうだ。何の価値もないお前なんかと、一緒に居る意味なんかねーもん!」
「なのに、いっつも偉そうにして何様のつもりなの?馬鹿なの?死ぬの?」
見覚えのある非社会的でやんちゃな連中と、元同級生達に罵倒される。
「良いように利用されてたのにも気づかないで、もしかして友達だと思ってた?ざ~んねん、そんなこと思ってたのはお前だけだよ。バーカ!」
「そうそう、ちょっと勉強ができるからって、偉そうに。クソ真面目ちゃんが一番バカなのに、気づいてないんだもん!ギャハハハッ!!」
必死に言い返そうにも、誰も味方してくれるやつなんていない。
そこにいるのは、みんな敵だった。
人を蔑み、嘲笑い、利用して要らなくなったら切り捨てる。
そんな風にしか生きられない醜い動物、人間の群れ。
他者が異質だと思えばそこを攻め、陥れ、軽蔑し、阻害する。
自分が如何にも正しいんだと威張り、その強者からの報復を恐れ、それに倣う弱者。
くだらない、実にくだらない。人間とは、なんと醜き穢れた生き物なのか。
そして、自分もまたその人間であることを酷く痛感し、頭を抱える。
もう嫌だ、こんな自分は…、こんな世界は…もう……。
―――壊れてしまえ!
悪夢にうなされ、目を覚ました。偶に見る嫌な夢だった。
頬を伝う濡れた感触を覚え、どうやら、少し泣いていたことに気づく。
「ご主人様っ、大丈夫ですか…?もうあれから丸一日寝てしまわれていて、それにさっきから酷くうなされていたようで…」
すぐに涙を拭うと、ベッドの横で看ていたエスカモアに作り笑いをして誤魔化す。
「っ、だいじょうぶ。ちょっと変な夢を見ただけだから…」
「そんなわけないでしょ、将也がそんな風にしてるの初めてみたわよ」
エルシーはベッドに腰掛けると、身体を起こした俺をそっと抱きしめた。
彼女の女性らしい独特の良い匂いと、柔らかな母性に包み込まれる。
「ねぇ、将也。折角だから、この機会に話してくれない?あなたが抱えているもの、そしてこれから目指す先を」
暗雷竜との戦いを前に、主である俺の真意を知りたいのかもしれない。
本当は、あまり話したいことでもないんだが――。
薬の副作用で弱っているのか、すべてを吐き出して楽になりたいと思ってしまった。
それと同時に、夢の中と同じ自分の弱さを呪う。
「……わかった。リミとサニーも呼んでくれ。みんなの前で話そう」
「えぇ、すぐに呼んでくるわ」
真剣な眼差しで受け止めたエルシーは、確かな足取りで部屋を飛び出していった。
「あの…、ごめんなさい。あの薬の反動で、ご主人様が丸一日寝込んでしまうなんて…」
「…いいよ、別に。気にしてないから。暗雷竜が出てくるのは、えっと…明日だっけか?」
「そうですね。今日は安静にしてるとして、明朝向かえば大丈夫だと思います」
それだけ答えるのを聞くと、お互いに沈黙する。
二人きりの静まりかえった部屋は、やけに雨音が大きく聞こえた。
「…揃ったな」
食事の用意をしていたらしいリミとサニーを引き連れ、エルも部屋へ戻ってきた。
ようやく目を覚ました俺を見て、二人ともホッとしている。
「あの、マスター。身体の方は大丈夫なの?」
「…そんなに大したことはない。ちょっと疲れただけだ」
「なにか、食べます?」
「腹は減っているが、丸一日食べてないとなると、胃に優しいものの方が良いか」
「確か、ゼリー的な栄養補給食があっただろ。あれ、取ってくれるか?」
「うん、すぐ取ってくる」
心配していたリミは、甲斐甲斐しく動いてくれた。
「そろそろ…、それ食べながらでもいいから、本題に入ってくれる?」
エルシーは、すでに俺の身体の心配よりも、そっちの方に気が向いているようだ。
その煽りを受け、リミはキッ!と一瞬エルを睨んだ気がした。
一方、そんな様子を見守っていたサニーとエスカモアはそわそわしている。
どちらも気がかりで、どうしていいか分からないといったようにも見えた。
「わかった。面白い話でもないんだが、…さて、どこから話そうか」
ベッドのシーツをギュッと握ると、改めて自分と向き合いながら話を始めた。
「……俺さ、人間嫌いなんだ」
いきなり確信をついた言葉に動揺することなく、4人とも真剣に耳を傾けている。
「昔、幼少期の頃から仲の良い友達が何人もいたんだ。当時の俺は、ガキ大将みたいにリーダー気取りでいたからな」
「今思えば、その時が一番生き生きしてて、楽しかった気がする」
「…それは置いといて。その友達の中には、家庭の事情で引っ越すことになる奴がいてさ」
「小学校に上がるときに一人、3年で一人、4年の時にもさらに一人、引っ越して会えなくなったんだ」
「その中には、今までで一番喧嘩したけど、一番仲が良かったって思えるやつもいたよ。ふっ…知ってるか?喧嘩ってのは、同じレベルの者同士じゃないと起こらないだってさ」
「俺に親友と呼べるような相手がいたとすれば、それはきっとあいつ以外にあり得ないんじゃないかって今でも思うよ」
「でも、俺はそんな相手に酷いことをしちまった。取り返しのつかない、酷いことだ」
「あいつが引っ越す前に、最後にちょっとしたパーティーみたいなお別れ会を自宅で開くっていうから、招かれたんだけど…その日は塾があって、行けなかったんだ」
「親友みたいに思っていた相手と別れることになるってのに、最後の見送りも出来ずに終わっちまったんだぜ…。ハハッ、俺はバカだ」
「そんな塾なんて用事は放り出して、一番に駆けつけてやるべきだったと、あいつが目の前から消えてから何度も何度も自分を責めたよ」
「そして、そんな俺にもう一生親友なんてものはできないだろうと痛感した。俺が自分からダメにしたんだ。あいつとの関係を…今までの全てを」
「それでも、数年後に親の元へ連絡が来た。仕事で親と一緒に近くまで来てるから、時間があるなら会えないかって――でも、俺は自分にはもう会う資格なんか無いと思って、結局それから一度も会うことは無かった」
「もうどんな顔をして会えばいいのか、分からなかった。そして、あいつがなんて言うか怖かった」
「何て言われても仕方がない。自分はそれだけのことをしたんだ――そう思っても、受け入れられるだけの器は無かった」
「罪に罪を重ねて、もうあいつからなんて慰められても、許されたとしても、俺は自分を許すことが出来ない」
「でも…いつか、謝らなければいけないと、ずっと心に戒めている」
自然に溢れてきた涙が何度も頬を滴り、袖で拭った。
「あいつに限らず、仲の良い友達ばかり離れて行って、そういう運命なのかと思ったよ」
「また気が合って仲良くなれた友達がいても、いつかは俺から離れていくんじゃないか…ってな。そう感じたし、そう考えて悟ったんだ」
「子供の頃は一緒でも、いつかはそれぞれ恋人なんか出来たりして、次第に遊ばなくなって、年を重ねたらいずれ家庭を持って、ろくに会わなくなるんだろうって」
「そう悟ったのは、わずか10歳ちょっとの5年生くらいだったかな…」
「いつかは別れて悲しむくらいなら、最初から仲良くなんてしなくて良いと思ったんだ」
さっきから喋り続けて乾いた口に、飲み物を流し込んで一旦潤すと、話を続ける。
「あと…そうだな、これは俺の考え方を大きく変えた話だ」
「小学生の頃、ある日友達とその友達でカードゲームして遊んでいたことがあったんだ」
「でも、途中でクラスメイトの女が一人乱入してきて、急に「3人でバトルして、負けたヤツ罰ゲームね」って勝手に言い出した。自分はやらずに、外野で見てるだけの癖にな」
「なぜか、その話を2人も面白がって受け入れて勝負を始めた。1対1対1の勝負。誰だって負けたくないよな、罰ゲームだなんていわれたら…余計にな」
「気づけば1対2の状況に追い込まれて、早々と負けてしまい、俺が罰ゲームを受けることが決定した」
「その後、友達は用があるっていって帰ってしまったが、仲良くもない二人に延々と罰ゲームをさせられた」
「公園の周りを走らされて、最初は5周って話だったのに、遅いからもう1周、文句を言ったからもう1周って具合にな」
「もう意味が分からなかった。なんでこんなことになったんだろう。なんでゲームに関係なかったこいつから、罰ゲームを受ける羽目になってるんだ――って」
「まず、そんな勝負を受けなければ良かったと思うし、その当時、資産力・情報力共に欠けていた自分では勝てなかったのが悪い」
「金があれば、情報があれば、1対2でも勝つことは不可能ではなかったはず」
「結局、今まで持っていたプライドをズタズタに引き裂かれて、復讐の炎を燃やすだけで終わってしまった」
「ふっ…。今思えば、真面目にそんな罰を受ける俺もバカなもんさ。変に根が真面目だから、さっさと逃げ帰ってしまえばいいのに、愚直に指示へ従っていたんだからな」
「少し話が脱線したりしたけど、大まかにはこんなところかな。他にも無くは無いが、これ以上細かいことをあげればキリがないから」
「親しい人間は俺の元を離れ、ろくでもない人間ばかりが周りにいる環境で、そういう辛いことや腹立たしいことが積み重なって、俺は徐々に人間嫌いが加速していった」
「人間の醜さ、汚さ。誰もが自分の為だけに他者を蔑み、嘲笑い、利用して、不要になったら投げ捨てる」
「もう誰も信じられないし、偽善者なんて真っ平ごめんだ」
「そして、何より…自分自身が一番嫌いなんだ」
「心の弱い自分。チカラのない自分。他者をからかって、ようやく自分を保持できるなんて、アホらしい」
「愛想笑いを浮かべたり、機嫌を窺ったりして…何もできない自分が嫌だ。口先だけで、結局何もできない自分が…嫌なんだ」
「だから、俺はチカラが欲しい。誰もがひれ伏す圧倒的なチカラが――」
「そう、チカラさえあれば、俺を馬鹿にしてきた、嘲笑ってきた連中を葬り去れる。あの忌々しい連中を」
「そのためなら、友人なんていらない。上辺だけの付き合いだなんて以ての外」
「それに、人間だけじゃない。助けてくれないのは、神も運命も同じ。あいつらも同罪だ」
「もう誰の助けもいらない…何者にも屈しないチカラが欲しい。ただ、それだけだ――」
長い長い一人語りを終えた。
心の整理がうまくできていないまま、感情に流されつらつらと話し込んでしまった。
今まで利用されてきたと知った彼女たちは、どう思ったのだろうか。
こんな俺に呆れて、離れてしまうのではないか。
そう思うと、彼女たちの表情を窺う勇気はなかった。
「所々よくわからなかったけど、だからあの時…簡単に人を殺せと命令したのね」
彼女と出会った日のことを言っているのだろう。
リミニスと会ったあの日、様々な思惑を抱いて、店にいた数人を虐殺させた。
他人が死のうが、どうでもいい。俺には関係ない。
「ねぇ、将也。厳しいこと言ってもいい?」
他の者たちが何も言い出せずにいても、エルシーは物怖じせずに発言した。
「わたしたちはあなたの嫌っている人間ではなく、似て非なる別の生き物よ」
「だけど、わたしたちは人間より、むしろもっと酷い存在だと思うわ」
「特に闇の世界ではね、チカラこそが全て。欲望に忠実な住人は、そのチカラを手に入れるためなら、どんなことだってする連中がほとんどよ」
「でもね、そんな存在であっても、わたしたちは自分が認めた主を――あなたを裏切るような真似は、絶対にしないわ」
彼女の声から感じられる剣幕は、真剣そのものだ。
だが、それが真実であるとは限らない。演技である可能性もゼロではないのだ。
「そんな言葉だけで、信じられるとでも思うのか?今まで散々な目に遭ってきて、今更…」
もはや、俺は他人を心から信じることなど不可能なほど精神的に参っている。
「はぁ…」
「でも将也さん。現にこうして一緒に居たり、身体を許したりもしてるじゃないですか」
「そんなこと許すのは、単に契約を結んだからじゃないんですよ!将也さんだからです!」
確かにインサニアの言う通り、あのデバイスと例のアプリ――『ADUMA's contract』には、契約に関して特に強制力があるわけではない。
「ご主人様。先日言いましたよね、わたくし」
エスカモアも身を乗り出して、俯いた俺の前に寄って来る。
「わたくしはご主人様から温もりを頂けたおかげで、寂しさを埋められたのです」
「それだけでなく、わたくしの心も身体も随分と満たされたのですよ」
「そして今、ご主人様がそのように荒んで苦しんでいるようでしたら、今度はわたくしがご主人様を少しでも癒して差し上げたいのです」
「ですから、わたくしたちを信じて、受け入れて頂けませんか?」
――嘘だ。
そんな筈はない。そんな都合の良いことが、起こる筈がない。
彼女の思いは理解できなくはない。とはいえ、全てを信じられるわけではない。
体のいい嘘を吐くな。俺を騙してるんだ。さあ、本性を現せ――その言葉の裏で、みんな俺の事を嘲笑っているんだろう!?
「そんなこと言って、どうせイケメンとか権力者には嬉しそうに尻尾を振るんだろ!」
「そんなことない!そんなこと言わないでっ!!」
リミニスがこれほど感情を昂らせて声を荒げ、涙を流しながら想いを爆発させるなんて姿を見るのは初めてだ。
「私たちは、ずっとあなたの――マスターの傍にいる」
「マスターの剣となり、盾となり、そして…永遠にマスターと共に居て、マスターを支えるチカラになる」
「それは他のどんな人間でも、どんなに強いアダマが相手でもすることじゃない」
「確かに、偶然出会って、デバイスを介して契約したのがきっかけではあったけど、マスターのことを気に入っているから――好きだからこそ、そうしたいし、そうするの」
「それでも信じられないなら――好きに使えばいい、好きなだけ犯せばいい、好きなだけ暴力を振っていい。マスターの欲望とストレスの捌け口にしてかまわない」
「私たちは、それでもみんな喜んで受け入れるから」
「だから信じて…。他の何も、誰も信じなくても良いから。私たちのことだけは、どうか信じてください、マスター」
恐る恐る顔を上げると、リミニスの熱い想いへ賛同するように、他の三人も同じ表情で真摯に見つめている。
――そうか。彼女たちは昔の俺と同じような立場にあるんだ。
ここで、俺が彼女たちの手をとらなければ、俺が彼女たちを裏切ったことになる。
信じていた者に裏切られ、見捨てられてしまうのは哀しいもんな。
彼女たちに同じ苦しみを与えることは、俺にはできなかった。
俺は同じ苦しみを味わわせたいわけじゃない。こんな思いをするのは、俺だけでいい。
そして、こんな俺でも、信じてくれるというのなら、それに答える他ない。
「将也さん!」
「将也っ!」
「ご主人様っ!」
「マスターっ!」
これで最後にしよう。
もう他人を信じるのは――これっきりだ。
「こんな頼りない…情けない俺でも、ついてきてくれるか…?」
一同は迷いなく頷くと、飛び込んできたサニーを皮切りに、みんなが寄り添ってくる。
感極まってまた泣いてしまっているリミを撫でながら、彼女たちの重みを知った。
他の誰もいなくてもいい。彼女たちさえ一緒に居てくれれば、それでいい。
邪魔するものは、すべて排除する。
普通の恋や愛とは違った、歪な愛。その歪な愛で結ばれ、5人の絆はさらに深まった。
そして、その愛を――絆を阻むものを排除するため、更なるチカラを求めて暗雷竜イビル・サンダーストームへ望む決意を新たにした。
自分の内に秘めた闇を曝け出して彼女たちに受け入れて貰えたあの日は、その後も甲斐甲斐しく世話をされて過ぎていった。
少し気恥ずかしかったが、厳しくも優しく受け入れてくれた面々から何から何まで施され、まるで王様にでもなった気分すら味わえたので、そう悪いものばかりではなく、彼女たちとの関係が終わらずに済んで良かったと再認識することとなった。
そして、決戦の日である翌日を迎える。
「さすがに、このでかいベッドでも、5人はちときついな」
朝、目が覚めてまず最初に思ったのは、そんなことだった。
他の部屋にもベッドはあるし、使える状態でもあるのに、昨日の今日では誰も俺から離れようとせず、一緒のベッドで寝ようとした結果だ。
「私はマスターとくっついていられるなら、どっちでもいいわ」
「はぁ…、危機感のないものね」
エルシーは、呆れた様子で身体を起こす。
「でも、それで良いのかも。わたしたちは、勝ちに行くんだから」
そう豪語するエルはナチュラルハイになっているようで、随分目がギラついていた。
「よーし、準備ができ次第早速向かうぞ~!」
「「「「おーっ!」」」」
エルシーだけでなく、朝から元気な俺たちだった。
支度を終えた一行は、サニーを残してデバイスの中で待機させ、彼女の飛行能力を当てに目的地まで一直線に飛び立った。
暗雲の立ち込める薄暗い中なら見つかりにくだろうという判断の下、楽した結果である。
空から眺めると、一段と目立つ禍々しい半球状のディメンション・ヘミスフィア。
そして、その上空はさらに暗く怪しげな暗雲に覆われている。
普段から、こんな状態になっているわけではない。
だからこそ、ヤツが来るのだと確信させる。
「来るわよ…っ!」
その瞬間、全員が息を飲んだ。
真っ黒な半球から姿を現した、禍々しい竜。
黒い二つの角が生えた頭部には、レモンイエローの鬣が風になびいている。
強固な鱗に覆われた身体の所々には、鋭い銀色の装甲を着けており、さらに禍々しさが増している。
深い菖蒲色をした大きな瞳は見る者を恐怖させ、猛々しい牙の生えた口からは荒ぶる瘴気が溢れ出している。
そして、その大きな大きな翼をはためかせ、ゆっくりと地上に舞い降りた。
これが、闇の世界で伝説ともいわれるほどの竜――暗雷竜イビル・サンダーストーム。
「……っ」
その圧倒的な存在と威圧感の前に、ただの人間である俺は当然のように委縮してしまう。
本能が畏怖しているのだ。恐るべき強者を前に、敵う相手ではないと――。
「将也、行くわよ!」
しかし、エルシーの掛け声と共に、4人は立ち向かっていく。
そうだ。俺も弱腰ではいられない。
例え、レーダー上であの竜を10と示していても、それは高が10されど10。
インサニアが8と最も近く、この数字の指針でいえば、たった2しか変わらないのだ。
そう思い直して、なんとか心と身体を奮い立たせる。
「作戦通りいくぞ。お互いにフォローし合える距離を保ちながら、注意しろ!」
今回は、人数が増えたことで、4人で戦う新たな戦術を立てることができた。
アプリが指し示した強さの水準を基に、打点力の高いインサニアとエスカモアの攻撃を通すため、リミニスとエルシーが引き付けて、確実にダメージを与えていく算段だ。
特に、サニーは翼のおかげで機動性が高いので、我が軍勢のエース的な役割になる。
皆で話し合った結果、4人で協力し合えば、なんとか倒せるはずという見解だった。
まず、リミがナイフを抜き、暗雷竜めがけて投影する。
その巨体は的も大きく、確実に足に刺さったものの、大した傷を負った様子ではない。
だが、さらにその背後から、エスカモアが攻撃する。
「出し惜しみなんてしていられませんわ、魂の昇華!」
空中を舞うエスカモアのランタンから勢いよく炎が放たれ、暗雷竜を燃やしていく。
「ぐぁぁあぁ、貴様らぁぁぁ!」
少しは効いているようで、醜い呻き声を漏らし、怒りを撒き散らしている。
暴れ出した暗雷竜に対して、次はエルがトランプで牽制する。
「舐めているのか!?」
だが、いともたやすく叩き落とされ、届かない。
「どりゃぁぁっ!…っくっ」
すかさず、死角からサニーが攻めようとすると、今度は尻尾で薙ぎ払われそうになった。
巨体のわりに、反応も動きも早いから、あしらわれてしまう。
何とか動きを止められれば…。
「…あっ、アレだ。エル!鍵だ、ロックしろ!」
「わかったわ、やってみる!!」
サニーを捕縛する際に使った鍵を使い、暗雷竜の動きを制限しようとする。
「狂った空間!」
しかし、その間に陽動と強襲を重ねる三人へ反撃するために暴れまわるのも合わさって、うまく狙いを定められず、時折掛かってもうまく効果が出ていないようだった。
「くぅ…悔しいけど、相手が強すぎてうまく働かないみたい。一瞬掛かっても、すぐ拘束から逃げられちゃうわ」
どうすればいい、次はどうしたら……。
迅速な判断が求められる中、場違いな騒音が辺りに響いた。
「ご覧下さい!東京のDHから、また新たなアダマが襲来した模様です」
報道ヘリが上空にやってきて、少し離れた所から中継しているようだ。
しかも、それだけでなく、何重にも響くサイレンが近づいてきて、パトカーが押し寄せ、一台が近くに止まると、警官が車の窓を開ける。
「きみ!この辺りは避難指示が出ているぞ!一刻も早く避難するんだ、危ないぞ!!」
一方的に叫んで、真っ直ぐ暗雷竜に向かう警官を乗せたパトカーは実に何十台もの数だ。
さらに、自衛隊までやってきて、上空には迷彩色の大型ヘリが数機集まり、地上ではガタガタと地面を踏みしめながら戦車が連なってやってきた。
「どうする、マスター?こんな邪魔が入ったら、上手く戦えないわ」
他の人間が暗雷竜の目を引いているうちに、リミは一度近くまで戻ってきていた。
「あいつらに横取りされるわけにもいかないが、かといって…ああ、くそっ!」
人間は、どこまで俺の邪魔をするというのか。
招かれざる客の襲来で、作戦も何もない。
焦り悩んでいると、警官や自衛隊が攻撃し始めたようで、次々に銃声が響き渡る。
「ぐぅああぁぁぁっっ!!」
かなり着弾したように見えたが、それだけで倒すには至らず、逆に暗雷竜の逆鱗に触れてしまい、竜は悍ましい光を放つ。
「邪魔だぁぁ、貴様らぁぁぁっ!まとめて排除してくれるわ!!」
竜が唸りを上げると、暗雲がさらに増え、辺りがより暗くなる。
「降り注ぐ死の光!!」
「…ハッ!まさかっ!」
近くにいたリミが何かに気づき、一目散にこちらに向かってくる。
「マスター、逃げてえええぇぇぇぇ!」
そして、悲鳴を上げたまま俺を突き飛ばし、ほとんど同時にナイフを上空に投げ飛ばす。
次の瞬間、目の前が真っ白になった。
ピッカァ!ピッシャァ!ゴロゴロゴロッ!
聞き覚えのある音が耳を襲う、…そうこれは雷だ。
その雷が目の前で光り、鳴り響いた。数多の悲鳴をかき消すように。
白闇から解放された俺の前には、見たくもない現実が待ち受けていた。
そこには酷く焼け焦がれ、全身やけど状態のようなリミが倒れていたのだ。
「おい、リミ!大丈夫か、しっかりしろ!」
その声が届いたのか、他の3人も事態を察し、攻撃を躱しながら急いで近づいてくる。
息も絶え絶えしい瀕死状態のリミは、震える手をゆっくりとこちらに伸ばしながら言葉を絞り出した。
「マス…タぁ…、よかった。無事、だったんだね…」
顔へ伸ばしたその手を、しっかりと握り締める。
「ああ、俺は大丈夫だ。でも、リミ、おまえが…」
「マスターが…無事なら、それでいいの…。でも、約束果たせそうにない…みたい」
「約束したばかりなのに、こんなことになっちゃって…ごめんなさい」
「リミぃ!逝くな!俺と一緒にいるんだろ!勝手にいなくなるだなんて、許さねえぞ!」
「…あのね、マスター。……最後のお願い、聞いてくれる?」
今にも儚く散ってしまいそうなリミの手を、さらに強く握った。
「最後だなんて言わなくても、なんだって聞いてやるよ…」
「んふっ、…ありがとう」
リミは俺の頬をそっと撫でながら、チカラなく話し続ける。
「私を、倒したあの竜。あの竜に、仇討ちはしちゃダメ…」
「あれだけのチカラを持ったアダマを、マスターは手に入れなきゃいけないんだから…」
「私は…、もうチカラになれそうもないけど、どうか…マスターのために……」
「わかった、わかったよ。何がなんでも手に入れてみせる!」
「……んふ、それでこそ、私の愛するマスター」
こんな状況で、こんな状態になっても、主である俺のことを最優先に考えてくれている。
そんな彼女の姿を前に、涙を流さずにはいられなかった。
「…マスター。あなたと、もっと、…ずっと、一緒に居たかった」
「あなたの理想とする世界を、一緒に見たかった……」
「リミ、リミぃぃ!!」
涙で視界が霞む。
目を閉じると、リミと出会ってからのことが脳裏に過ぎった。
初めて出会ったあの日、面白くなさそうな顔をしながらも、行動を共にしてくれたリミ。
惨劇を犯すことに躊躇することなく、実直に命令を聞いてくれた。
そして、俺と初めての夜を共にした。
奥手な俺に健気に尽くしてくれた、幼い見た目のわりにエッチで可愛かったリミ。
次の日には、デートみたいに二人で街を歩いて、下着を一緒に見に行く羽目になったり、ポシェットを買ってあげたら、とても喜んでくれた。
その後には、エルシーのいたメイド喫茶に行ったっけ。
そんでもって、エルと協力してインサニアと戦ったりもした。
それから、それから――。
次々に、思い出と涙が溢れ出てきて、止まらない。
彼女は、俺の全てを受け入れてくれたんだ。
「エルシー…、インサニア…、エスカモア…。マスターのこと、よろしくね……」
「えぇ、任せなさい。あなたの為にも、全力で守ってみせるわ」
「…うん。……マスター、短い間だったけど、楽しかった」
「あなたと出会えて、本当によかった…。だから、…ありがとう」
「……私の、永遠のマスター」
そう言い終えると、彼女の手からフッとチカラが抜け、ピクリとも動かなくなった。
「おい、嘘だろ…。ほらっ、ドッキリとか言ってみろよ…。ハハッ、笑えねえぞ……くそぉ、なんでだよ。なんでなんだよっ!?」
「ご主人様、彼女はもう…死んだのです」
エスカモアは、あえて現実を突きつけた。
「どうして、こうも親しくなった奴らから、また俺の目の前から姿を消していくんだ…」
「将也、これはもう戦争なのよ」
「誰が死んだっておかしくない。誰かが犠牲になっても、不思議じゃない」
「そういう道を進もうとしていたのよ、あなたは!」
「辛いのはわかるけど、受け入れなさい。そうしないと、彼女も浮かばれないわ…」
戦争。確かにそうだ。
片っ端から要らないものは排除しようとする俺たちと、それを阻む人間とアダマ。
お互いの命の奪い合いだ。今俺がしようとしているのは、そういうことだったんだ。
今更ながら、痛感させられる。
奇しくも、仲間の――最愛の彼女の犠牲を以って、思い知らされた。
だが、頭ではそう理解し始めていても、感情がついていかない。納得できないのだ。
怒りに駆られた心が吠える。無念を晴らそうと、爆発する。
「ふざけろよ…。このっ、くそがああああああああああああああああああっっっ!!!」
カラダが怒りを纏い、目の前が真っ赤になる。
そして、身体中からチカラが溢れ出し、新たな自分を作り上げる。
背中や頭部から、特に違和感を感じた。
「ちょっと将也!…えっ、なんなのよこれ?」
「わかりません。わたくしも、このようなことは見たことも聞いたことも…」
「あたしみたいに翼が生えてきた…。しかも、あたしのよりも大きな漆黒の翼…」
怒り狂う俺を見て、三人は驚きを隠せずにいる。
やがて、真っ赤な世界から解放されると、その手には大きな鎌を持っていた。
一見、重そうで鋭く切れ味が良さそうな大鎌だったが、大して重みは感じなかった。
それに、背中に翼が生えているようだ。後ろに、今まで感じたことのない感覚がある。
「はぁ、はぁ…どうなったんだ、これ」
怒りの衝動に駆られていた間に起こった変化へ戸惑いながら、三人の方に向き直る。
「紅い瞳に、漆黒の翼。人間に、こんなことが起こり得るの…?」
彼女たちも戸惑っていたが、自分の中にチカラが満ち溢れているのを感じた。
「すごい…っ!すごいですよ、将也さん!…あたしもやらなきゃ、狂気を解放してでも」
けたたましい叫び声と共に、インサニアは変幻していく。
出会った時の狂気に満ちた姿だ。目の色が真紅に煌めいていて、まるで印象が変わる。
しかし、今はその狂気さえも、コントロール出来ているようだった。
「でも、きっとこれであいつを倒せるな…」
どこにも根拠のない自信が、自らの内側から湧き出てきた。
「キヒヒィっ…。倒せますよぉ!ぜェったいにねェ!キィャーハッハッハッハ!」
「行きましょう、ご主人様!」
「あぁ、行くぞ。あいつを手に入れる!」
再び対峙する黒き竜。その周りには、煙を上げたパトカーが団子状態になっていて、上空を飛んでいたヘリも全て落下して燃え盛っている。
どうやら、雷が落ちたのは俺の近くだけだったわけではないらしい。
数多の焼け焦げた跡があり、まさに雨のように雷が降ってきたと言っても過言ではない。
この有様を見る限り、報道記者だけでなく警官も自衛隊員も、生存者はいないだろう。
先程の落雷の反動か、銃撃が効いたのか、暗雷竜は動きが鈍くなっているように見えた。
漆黒の翼で飛び上がると、思いもしないほどスピードが出た。
翼の動かし方なんてわからないはずなのに、カラダが勝手に動く。
「懲りないヤツらだ!まだ立ち向かってくるかぁぁっ!」
またも竜の身体が輝きだし、落雷攻撃がきた。
高位のアダマともなれば、天変地異さえ引き起こせるというのか。
しかし、高速で動く相手を仕留めるのは至難の業のようで、全員それぞれ躱していた。
「行くわよぉ!はぁっ!」
エルが少し距離を取って、出来うる限り注意をひきつけ、そのうちに、それぞれ左右からサニーとエスカモアが畳み掛ける。
「喰らいなさい!アタシたちの邪魔をする竜よ!キャーハハハッ!!」
「やあぁぁっ!魂の昇華!!」
サニーが紅く染まったクローで切り裂き、エスカモアがランタンから炎を放って、両サイドに傷を負わせる。
「グガアアアアアアアアアアアアァ!」
「まぁだだああぁぁぁ!くらええええええぇぇっっっ!!」
怯んで仰け反った隙に、正面から大鎌を振い、腹部を思い切り抉るように切り刻む。
その一撃は、内部にあった核をも傷つけた。
「ギィャアアアアアアアアアアぁぁっっっっっ!!」
「将也、今よ!」
「もらったああぁぁぁっっ!」
深手を負わせたその時を狙い、例のアプリを用いてカメラに収める。
そして、巨大な竜は一瞬にして姿を消した。
― Contract success ―
with 暗雷竜イビル・サンダーストーム
「やったのか…」
張っていた気が散ると、携えた大鎌が消失してカラダも元に戻ってしまう。
「やりましたね、将也さん!」
翼を無くし落ちていく俺を、すぐにインサニアが拾い上げた。
もうすでに狂気に満ちた状態ではなく、落ち着いた様子のサニーだ。
「契約、できたんだよな…」
現実味が無く、半信半疑でデバイスを見ると、確かに暗雷竜が登録されていた。
「……よかった。契約できたんだ」
地上に降りると、リミの元へと走り出し、サニーも後に続く。
「リミ、やったぞ!ちゃんと暗雷竜と契約したんだ。ほらっ…」
彼女にも見えるようにデバイスを目の前に向けて、約束を果たしたことを報告した。
「……」
だが、彼女の瞼は開かず、口も開く様子も無くて返事がない。
全く動かない彼女を前に、虚しさだけが募る。
「…嬉しくねぇよ、ぜんっぜん嬉しくねえ。リミの命を代償に得たチカラなんて…くっ!」
虚しさを通り越して憤った気持ちが、拳を地面に叩きつけた。
しかし、痛みも然程感じず、赤くなって傷口から血が流れ出ても、気にも留めなかった。
「ご主人様、さっきのチカラは一体…?」
「わからねぇ。突発的にカラダ中からチカラが湧いたんだ。でも、もう出来そうもない」
「きっと、火事場の馬鹿力ってヤツさ、多分な…」
そんなことは、正直どうでもよかった。
最初からチカラがあるなら、それを使えれば、リミがこんなことにならずに済んだのに――そう思わずにはいられなかった。
悔やんでいる俺の傍にエルシーがやってきて、その場に座り込んだ。
そして、目の前にいる見るも無残な姿になってしまったリミに両手を伸ばす。
聞き取れない何かを呟くと、リミの身体から瑠璃色と滅紫色が混ざった小さな卵のようなものが浮かび上がった。
「将也。わたしには、こんなことしかできないけど…」
「これは、彼女のコア。記憶であり、心でもある。魂と言い換えてもいいかもしれない。彼女を形作っていた核、また同時に生きた証とも言われているわ」
「これがあれば、彼女を蘇らせられるかもしれない。あくまでも可能性の話だけど…」
「なん…だと…?」
人間の常識でいえば、死者を蘇らせるなんて芸当は、古より試みられていた禁術で、それでも未だ確立されていないオカルトめいたものだ。
だが、それは人間の培ってきた歴史や常識でのこと。
彼女たち、闇の世界の住人からすれば、まだ手が残されているというのか。
「だから、これは…将也、あなたが大事に持ってなさい。再び会えるその日まで」
「あぁ…、わかった。預かろう」
エルシーが大事に取り出したコアを丁重に受け取ると、思わずそっと抱きしめる――が、何故かそのまま俺のカラダに吸い込まれ、その姿を失ってしまう。
それと同時に、リミの身体は塵と化して、天へ舞い上がった。
「…え?どうなってんの、これ」
「将也、一体何したのよ」
「いや、特にこれといって変なことをしたつもりじゃないんだけど…、あれ?」
身体の中に彼女の――リミニスの存在を感じた気がした。
「今、ここに…っていっても、よくわからないんだけど、リミがいる気がする」
「俺の中で、リミはまだ生きてる」
「もう、わけがわからないわ…」
「あたしにも、さっぱり…」
事態は、エルシーとインサニアの理解も及ばない方向に進んでいるようだ。
「ご主人様、他に身体の異常は感じませんか?どこか痛むとか」
「…そういうのは、特にない」
「それなら、まぁ良かったのでしょうか…」
「どっちにしろ、もっと詳しいヒトに聞きに行くしかないわね」
「一体、誰に聞くのさ?」
「死の類に一番精通しているのは、おそらく闇の世界の住人でしょうね」
「そして、その世界で一番知識がある、偉いヒトたちといえば――」
「七大悪か」
先日会ったルクスリアが、そんなことを言っていたのを思い出した。
「そう、その通り。問題は、どこにいるのかだけど…」
「あぁ、それなら…この間、名刺を置いていったぞ。ほれ」
財布に入れていた、ピンク色の派手派手しい名刺を取り出す。
「七大悪、色欲担当ルクスリア。あの女ぁ…どこまでふざけてるのかしら」
ご丁寧に住所が書いてあったのを見つけて、指を差す。
「六本木ヒルズ森タワー、48F。こんなところまで占拠してるのか」
「ここへ向かうしかなさそうね」
暗雷竜イビル・サンダーストームを苦難の末、契約することができた。
だが、まだまだやるべきことは山積みだ。
前途多難なことに不安を覚えつつ重い腰を上げると、ふと思うことがあった。
「なぁ、これから七大悪の本拠地へ向かおうとしてるわけだろ?」
「そうじゃないんですか?」
翼を広げて、また飛んで行く為の準備していたサニーが首を傾げた。
「このまま向かって、大丈夫かな。実質、闇の世界のトップのところに行くわけなんだし」
「念のため、戦力を確保しておきたい。ということですわね」
エスカモアが言いたいことを察して、深く頷く。
「暗雷竜を存分に使えるようにしておいた方が、確かに安全ですわ」
「七大悪は変わり者が多いって聞くし、話がどう転ぶかわからないからね。一理あるわ」
エルシーに続き、インサニアも険しい顔をしたまま頷いた。
「とりあえず、一度出してみるか。いきなり襲いかかってくるかもしれないけど…」
「一応、警戒しておくわ。サニーとエスカモアも、いいわね?」
一同が再び頷くと、ドキドキしつつも、デバイスを手に持ち、契約者の一覧を表示する。
確かに追加された暗雷竜の枠が燦然と輝いているのに対し、灰色に変わっていたリミニスの枠には、使役などのボタンも表示されていない。
状態を示す表示も、いつもは『待機』とか『召喚中』と書かれていたのに、『不明』という不確かな書かれ方をしていた。
歯痒い思いはあるが、今は胸の内に感じる彼女の気配を信じ、暗雷竜を解き放つ。
ビカンっ!と激しく光が輝くと、先ほどの巨大な竜が姿を現した。
「ぐっ、うぅぅ……」
よく見れば、腹部に受けた傷などのいくつかの傷が治りきっていない状態だった。
次第にその姿は霞んでいき、やがて消えゆく。
しかし、その真下には、同じような雰囲気で奴を連想させる恰好をした一人の女がいた。
「あれは…」
「あー、なんてザマだ。マナ不足とはいえ、我がこのような醜態を晒す羽目になろうとは」
あの竜と同じ禍々しい瘴気を醸し出すその女は、ゆっくりとこちらへ向かってきた。
「貴様か。こちらに現界する際に、かなりマナを消費したとはいえ、我を倒した小僧は」
「もう何百年も、この姿になることなぞなかったものを、よくもやってくれたわ」
「えーっと…もしかして、あなたが暗雷竜のイビル・サンダーストームさん?」
突拍子もない出来事に頭が追い付かず、彼女の愚痴は右から左へ通り抜けてしまった。
「そうだとも。我こそが暗雷竜イビル・サンダーストーム。…尤も、今はマナを消耗し過ぎて、竜の姿を維持できんのだかな」
彼女の言い分を聞く限り、この目の前にいる女こそ、あの竜の本体ってことらしい。
彼女が嘘やハッタリを言っている可能性もあるが、確かにその雰囲気はそのままだ。
黒い角や翼、尻尾は竜の時に比べれば小さくなったものの、インサニアのものとはそれぞれ形状が全く異なる。
レモンイエローの胸の辺りまで伸びた髪は鬣と同じ色だし、目の色も同じだが、人間のものとは少し変わった形をしている。
手足や女性らしく膨らんだ胸と局部を鱗と似たような材質の鎧で覆っており、あの竜の面影はどこかしこに残されていた。
しかし、まさか暗雷竜が女だったとは、思いもよらなんだ。
リミの憎き仇でなければ、素直に喜べたのに、なぜその相手が美女なんだと運命を呪う。
「何を呆けている。仮にも、我を屠った者だというのに」
「あぁ、そうだ小僧。貴様に言うておくことがある」
一体なんだというのか。もうこれ以上何が来ても、驚かない自信がある。
目と鼻の先までやってきた彼女は、敗者ながら堂々と声を上げた。
「誠に遺憾ながら、どんな状況・手段であれ、お主は我を倒し契約させた」
「闇の世界で生きてきて、この数百年、負けることなんぞ滅多になかったというのに、お主らはたった5人でそれを成し遂げた」
「闇の世界では、勝った者――即ち強者こそが全て。負けた者は、すべてを失う。それが、闇の世界における、たった一つの古からの仕来り」
「ならば、我もその闇の世界に住まう者として、その仕来りに従おう」
竜女は恭しくその場に跪き、首を垂れる。
「小僧。貴様を我が主、マイロードとして認めよう」
誇り高き竜は、意外にも素直に降伏した。
人を小僧を呼ばわりしながら、案外簡単に平伏すのだから、それは不思議な光景だった。
「マイロード、これからは我を好きに使うがよい。ロードが望めば、我はなんでもする」
「え?なんでも?」
慣れない呼ばれ方より気になった単語の所為で、つい心の声が出てしまった。
「そうだ。誰かを殺すなら、チカラを貸そう。何かを壊したいなら、その全てを滅しよう」
「我が憎いのなら、自害しよう。もしこの姿が気に入ったのなら、好きなだけ抱いていい」
「我の身も心も、全てをマイロードに捧げよう」
「……」
彼女の言葉を聞いて、まず最初に感じたのはデジャヴだった。
そう。これは先日、リミニスが俺に言ったことに似ている。
でも、この女はリミじゃない。
「その気持ちは受け取った。だが、…えぇと、…何て呼べばいいんだ?暗雷竜?」
「呼び方など、ロードの好きにすればよい」
「じゃあ、そうだな…。暗雷竜…あんらい…あんら…あんな…。うん、アンナにしよう」
角や翼、尻尾が無ければ、一見西洋人にも似た容姿をしている彼女にはお似合いだろう。
「これから、七大悪の本拠地に向かう。だから、アンナ…お前のチカラを貸してほしい」
今はリミを助けるために、こいつのチカラも必要なんだ。
だから、例え仇であっても殺しはしない。それがリミとの約束だ。
「それはもちろん。…しかし、我は先程からマナが不足していると、再三言っておったのは聞いていたな?」
現界した際にもかなり消費したとか言ってたし、さっきの戦いでも消耗したんだろう。
今の大きく露出した生身を見ても、脇腹や腹部に生々しい傷跡が残っている。
「そのマナさえ十分に補充できれば、この傷も癒え、チカラを振るうこともできるのだ」
「だから、ロードのその満ち溢れたマナを我に与えてくれぬか…?」
またも、デジャヴを感じる。あの時と同じだ。リミと出会った日の出来事と似ている。
これは、何の因果なのか。答えのない疑問を頭の中で繰り返す。
でも、今は…リミのことが最優先だ。
彼女の犠牲を元に得たこの強大なチカラを手放すわけにも、腐らせるわけにもいかない。
だから、苦渋の決断を下した。
「わかった。これから、お前のマナを補充する。それでいいな…?」
「イエス、マイロード」
降伏したはずのアンナは一礼した後、その鋭い眼差しでこちらを見つめ続ける。
本来、食物連鎖おいて上位に位置する彼女が、下位の人間に食われようとしているのだ。
しかし、それに対する恐怖どころか興味も感じられず、ただジッと見つめている。
「我にその猛りを向けるといい。その想いが強ければ強いほど、潜在マナの純度が上がる」
「将也、わたしたちは近くに誰か来ないか見張りに行くわ。…二人とも、行きましょ」
エルがいち早く理解し、すぐに背を向けて行ってしまったが、わずかに見えたその横顔は、悔しそうな表情を浮かべていた。
サニーとエスカモアも後ろ髪を引かれながら、それぞれ別の方向に散っていった。
もうこの場には、俺とアンナしかいない。
あれから、応援の部隊すらやって来ず、死屍累々の惨状は今もなお放置されたままだ。
生き延びた人間が立ち上がるよりも、ゾンビが這い上がってくる方があり得そうだと思えてしまうくらい、辺り一帯は妙な静けさに包まれていた。
「あの建物にベッドがあるな。あそこへ行こう」
地獄と化した辺りを見回して、少し崩れているものの、お誂え向きの建物を見つけた。
「マイロード、少し失礼する」
歩き出した俺を小脇に抱えて軽くジャンプすると、一蹴りでそこまで着いた。
アダマの身体能力がすごいのは、今に始まったことではない。
深く気にすることなく、ベッドへ向かう。
「早速だが、アンナ。その鎧を脱いで、ベッドに横になれ」
「イエス、マイロード」
「ちなみに、これは鱗を変異させたものだ。だから、こうして簡単に無くすこともできる」
要らぬ補足を行いながら、彼女は秘部を露にしていく。
特に羞恥心もないようで、裸を見られても動揺の一つもない。
一方、俺は無駄にスタイルの良い彼女の身体に苛立っていた。
鋭く光る深い菖蒲色の瞳はともかく、綺麗なレモンイエローの髪は稲妻を描くように毛先がくねっていて、女性らしい膨らみはエルやエスカモアよりも、さらに大きく実っている。
その先っちょが黒ずんでいるわけでもなく、透き通るような白い肌としなやかにくびれた腰に、スラッとした手足。
まるで、一流の海外モデルのように整ったプロポーションをしていた。
これが仇でなければ、素直に喜べたのに――と改めて感じる。
「さあ、ロード。我に、その内に秘めた欲望を、遠慮なくぶつけるといい」
生意気な竜に、マナを与えるという名目の元、俺なりのお仕置きを与える。
彼女の苦しむ姿を顧みず、その身を以って償え、贖えと念じ続けた。
お前はそれだけのことをしたのだ。
行き場の無かった虚しさや怒りが矛先を見つけると、それはとめどなく溢れて、全て彼女にぶつけられた。
それでも、彼女は全てを受け止め、主を受け入れた。
「はぁ、はぁっ、はぁ…。やはり、ロードも雄で、強者なのだな…」
出し得るマナを注いだ後も、全てを受け止めた彼女の真意が不明瞭で腑に落ちなかった。
だから、同じベッドで寝ていた彼女の背中に向かって、俺は思わず問いただした。
「お前は…、一体何なんだ?」
「言っただろう。我はロードのモノだと。弱者は強者に平伏すのが道理だ」
「だから、ロードに全てを尽くし捧げると」
「まだ我は身体が裂けるように痛むが、ロードは快感に酔いしれていたのだろう?」
「男を知らぬ女の身体は、格別というではないか。だから、それで良いのだよ」
「我の身体で、存分に悦楽に浸ると良い。我は、そのおこぼれでマナが貰えれば十分だ」
こちらに身体を向けた彼女は、未だ残る苦痛に時折顔をしかませながら微笑んだ。
「……できねえよ、そんなこと」
ゴメン、リミ。
数百年物の初物を躊躇なく捧げ、自身の痛みも気にせず、俺が愉しめる様に振舞って、純粋に尽くしてくれた彼女を怨み続けることは出来そうもない。
お前の仇と、快楽に浸ってしまったことを許してくれ。
こんなダメな俺を、許してくれ。
「お前は、確かにリミの仇だ。だけど、献身的に尽くしてくれたことに変わりはない」
「だから、そんな無下には扱えない…。次は、一緒に気持ち良くなろう、アンナ」
誠意を見せるため、自分から穢れた彼女の唇を奪った。
本来なら、絶対にしないよう心掛けていることだが、今回だけは特別だ。
「ぷはっ、…物好きだな、マイロード」
「竜人の我なんぞと好き好んで、まぐわろうとは…。だが、嫌いではないぞ。ちゅぅっ…」
にやけたアンナからお返しをされ、妙な味が口の中に入ってきて、悶絶する。
「うげぇ…。一生知りたくなかった味を知ってしまった気がする……」
「自分のマナの味は知りたくはなかったか。それは失敬、今後は気を付けるとしよう」
偉そうな言い回しをして、豪胆な性格をしていても、やはり俺に従う姿勢を見せた。
「とはいえ、マナも十分すぎるほど貰ったし、これで大丈夫そうだの」
「ちなみに、我は好きな味だったぞ。濃厚で美味であった」
「…ちょっと癖が強すぎて、飲み込みづらい点は致し方ないな」
その味を思い出したのか、しゅるりと舌なめずりすると、恍惚とした表情を浮かべた。
「んぅ…、もう少しだけ味わいたいものだ…。どれ、少し拝借…」
「あっ、おい…」
制止も聞かない竜は、疲れた俺の身体を舐め回して、最後の一滴までマナを口に運んだ。
「んっ…んぅ、ごっくん…。はぁ…美味美味」
満足した様子の彼女を見てしまえば、もう何も文句は言えなかった。
疲労感に苛まれる中、お互い後処理をしていると、気づけばもう辺りが暗くなっている。
いつからか、時間の感覚が麻痺していたようだ。
「そろそろ見回りに出ていた女共を呼ぶとするか。我が変態すれば、すぐに来るだろう」
自分で呼びに行く気力もなかったので、彼女の提案に乗って任せることにした。
アンナが静かに目を瞑り、身体中が稲妻と瘴気に満ちていくと、その姿は見えなくなり、代わりにあの巨大な竜が姿を現す。
「キシャアアアアアア!」
そのまま、ただ一度咆哮を上げただけで、その姿はまた消えていく。
目の前には、人間の女の姿をしたアンナが人の悪い笑みを浮かべて立っていた。
「これで、何事かと慌てて来るだろうよ。…ほれ、言ってる傍から来おったようだ」
エルシーとエスカモアが、それぞれ血相を変えて駆けてくる。
そして、一足先に別方向からインサニアも飛んできた。
「将也さん、またあの竜が…ってあれ?」
「やはり、呼ぶにはこの方法が手っ取り早かったようだな」
「もう、余計な心配をかけさせないでよね!」
「結局、この方とは…うまくいったんですか?」
それは、俺が言うよりも彼女に言わせた方が良いだろうと思い、アンナを促す。
「あぁ、これからは我もロードに尽くすことを改めて誓おう」
その言葉を聞いて、エスカモアはようやく一息ついて安堵を漏らした。
「はふぅ。良かったですぅ…ご主人様」
「それじゃ、いよいよ目的地に向かい――たいが、今日はこの辺で休んでからにしよう」
「はーい」
元気よく返事をしたのは、サニーぐらいだった。
もうこの場に人間が来る様子も無いので、半壊した建物が並ぶエリアで無事な施設を適当に使い、シャワーや食事を済ませた。
シャワーも浴びたことで、どっと疲れが押し寄せてきて、早々とベッドに潜り込んだ。
生憎、アジトとは違ってベッドが狭く、もう一人一緒に寝るのが精一杯だったので、女性陣は公平な勝負でその席を争ったらしい。
もう既に寝かけていた俺が、そのことを知ったのは翌日だった。
ただ、眠りに落ちる直前に聞いた声は――。
「あらっ……。お疲れ様でした、ご主人様…。どうか良い夢を…」
と言っていたことだけは、辛うじて覚えている。
柔らかな感触と花の焼けるような匂いに包み込まれ、眠りへと導かれていった。