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ADUMA's contract  作者: 天一神 桜霞
闇の世界編
4/6

③ 紅き月と忍び寄る影

 目が覚めると…今日は、特に何もされておらず、平穏な朝を迎える。

 俺はリミを抱くように寝ていて、その背中にはそっと寄り添うようにエルが眠っていた。

 周囲の探索でいろいろ歩き回っていたから、疲れもあったのだろう。

 昨日のように朝から求められるのは夢のようだったが、その代償として睡眠不足や朝から疲労感を伴うことになるので、毎朝されるのもいかがなものか。

 そう思えるのは、そんな立場にある人間だけが感じられる幸せで贅沢な悩みである。

 やや遅れて二人も眠りから醒めると、朝の弱い面々は揃ってシャワーを浴びに向かった。

 しばらくしてその二人が着替えまで終えて戻ってきたところで、いよいよアダマの捜索へ出かけることになった。

「今日はどこ行くの?」

「そうだな…。ちょっとだけ足を延ばしてみようか」

 禁止区域を抜けて東側へ向かい、近くのコンビニに立ち寄って、朝食を済ませる。

 これまでは秋葉原や神田周辺を探索していたが、事件が報じられている秋葉原を避けて、別の区画を探そうという目論見だった。

「ここから電車に乗るけど、二人は初めてか?」

「いいえ、わたしは何度か利用してるわよ。ほら、この通り」

 しかし、エルは電車運賃も払えるICカード、通称『Melon』まで持っており、この世界への馴染みっぷりを遺憾なく発揮した。

「私は初めて」

「そうだよな。むしろ、それが普通だと思うぞ」

 人間社会に馴染んでいるエルの方が異端なのだと言い聞かせて、リミの頭を撫でる。

「それなら、リミにこいつをやろう」

「あ、同じの」

 切符が売っている多機能券売機で新しいMelonを買って、彼女に手渡した。

 心なしか嬉しそうなのは、仲間はずれから脱却したと思っているからだろうか。

「無くさずにちゃんと持ってろよ。電車の乗り降りに使うから」

「うん、分かった」

 まるで、誕生日プレゼントを貰ったような雰囲気だが、喜んでもらえたのなら何よりだ。

 もしかしたら、闇の世界ではプレゼントをあげるような習慣が無いのかもしれない。

 ついでに、どこで降りるか分からないので、自分の分にもチャージして備えをしておく。

「将也。あの…わたしのにも、入れて欲しいんだけど?」

 下手に出た女の子から物欲しそうに見つめられると、邪な考えが浮かんで仕方ない。

「おいおい、こんな公共の場で何を言って…」

「あっ、もうバカ!そういう意味じゃないわよ!」

 途中で俺の意図に気づいたらしく、食い気味に罵倒して最後まで言わせてくれなかった。

「好きなくせに…」

「むぅ…。将也は、時々意地悪よね」

 むくれた表情も絵になるもので、これではつい揶揄いたくなるのも仕方ないだろう。

 しかも、否定はしないということは、つまり…そういう事だ。

「悪い悪い。かわいいから、つい…な」

「もう、また調子のいいこと言って…。そんなことで誤魔化されないわよ」

「へぇ、そうなんだ。じゃあ、今度からそんなことを言うのは、もう止めにしよう」

「べ、別に止めろなんて言ってないわよ…。将也の心が赴くままに、感じたことをその都度言えば良いじゃない」

 ニヤニヤしながら彼女の言い分を聞き届けると、リミまで同じようにほくそ笑んでいる。

 エルにばかり感けていると、拗ねてしまうかもと危惧していたが、杞憂だったようだ。

「はいはい、分かったよ。それで、話を戻すけど、あんまり手持ちに余裕が無いのか?」

「ええ。実はあまり…」

 日払いの金で生活していたと言っていたし、裕福に過ごせていたわけでは無さそうだ。

 罪悪感を感じて気落ちしていそうなので、そんな心配は無用だとばかりに明るく振舞う。

「それなら仕方ないさ。なぁに、気にすることは無い。ちゃんと身体で払ってもらうから」

「か、身体で払うって…またそんなこと…」

「ああ、色んな意味でな」

 頬を真っ赤に染めた彼女がどういう意味で捉えたのかは敢えて聞かないでおいたが、どちらにせよ近いうちにその意味を知ることになるだろう。

「ほら、Melon貸しな。入れてやるから」

「あ、お願いします」

 彼女は可愛らしいパステルカラーのメルヘンな財布からMelonを取り出して渡してきたが、そういうところにお金を使っているから無くなったのではないかと察した。

「へぇ、なかなか洒落た財布使ってるじゃないか」

「あら、将也もこの財布の良さが分かります?これ、一目見て気に入ってしまって、つい衝動的に買ってしまったんです」

 まあ、大半の女子及び女性は、オシャレや流行りといったことにお金を使う傾向にあると思うので、そういった小物を買って消費してしまうのも、人間とそう変わらないと感じる。

 財布に関していえば、奮発して買ったはいいが、中に入れてる金額の方が財布自体よりも安い、なんて笑い話もあるので、彼女も似たような事態になっていそうだ。

「ほらよ。これで、しばらくは大丈夫だろ」

 温かい懐からお札を取り出して、エルの分のMelonまでチャージすると、売り出されていた彼女の小玉メロンに挟んで返した。

 わざと深めに挟んだので、やや手も触れてしまったが、それくらい許してくれるだろう。

「あんっ…、もう、またそんなところ触って…。素直にお礼が言いにくいわ」

「礼なんて言わなくていいのさ。もう貰ってるから」

「えっ?何のこと?」

 キョトンとしている彼女たちが居なければ、こうした悪ふざけすらそうそうできないような生きにくい世界なのだから、それだけでも価値がある。

 ただ、それを彼女たちが理解するのは、少し難しいようだった。

「さぁ、行くぞ」

 一同はMelonを片手に持ち、揃ってすぐ近くの改札口に向かうと、ひっきりなしに電子音が鳴って、人が往来しているのがすぐに分かる。

 朝のラッシュから時間も経っているので少しはマシだが、都内は特に人通りが多い。

「リミ、分かるか?ああやって、改札を通る時は、そのカードを翳してから通るんだ」

 フムフム、と頷いているリミの視線は釘付けになっていた。

「エル、先行ってくれ」

「ええ。お手本を見せるから、しっかり見ててね」

 別に普通に通ればいいのに、ちょっとしたモデル気分で歩き、やや気取ってこなれた通り方をする必要があったのかは謎だが、一連の流れは迷いが無くスマートなものだった。

 その後も、通行人の邪魔にならないように隅の方へ移動して、様子を見守っている。

「あんな感じだ。行けそうか?」

「もう分かったから、大丈夫よ」

 リミは、ほんの少し口元を緩めて笑った。

 そして、そのまま人の波に乗って、改札口へ向かっていく。

 自分が初めてMelonを使った時のことを思い出し、子を見守る親の気持ちになったような錯覚すら覚えて、彼女の行く末を見守った。

 しかし、いざタッチする時こそおっかなびっくりしていたものの、ピピッと音が鳴って目の前を塞いでいたゲートが開くと、落ち着いた様子でエルシーの元へ歩いて行った。

 無事に合流した二人が何か話しているようだったが、ここからではよく聞こえなかった。

 でも、振り返った彼女が、ドヤぁと誇らしげな顔を見せたのは微笑ましいものだった。

 二人が小さく手を振って俺を呼ぶので、さっさと改札口を抜けて彼女たちに駆け寄る。

「大丈夫だったみたいだな」

「あれくらい平気よ」

「わたしは、初めての時ドキドキしたのを覚えてるわ」

 それが彼女の強がりかは不明だが、エルシーが慌てふためいている様子は目に浮かぶ。

「その時の痴態を見てみたかったな」

「なんで、痴態って決めつけてるのか不満だけど、期待に沿えなくて悪かったわね」

 俺が一旦Melonをポケットにしまうと、それに倣ってリミもポシェットへ入れた。

「それで、ここからどこ行くの?なんか、いっぱい書いてあるけど」

 東京駅や新宿駅、それと使えなくなった品川駅なんかの何本も線路が入っている大きな駅に比べたらまだ分かりやすい方だが、駅に来るのが初めてでは混乱するのも無理はない。

「そしたら、こっちに行こう」

 改札口からすぐ近くにあるにあるものの、太い柱が何本も立っていて視界が悪く、登り口が改札口と逆の方向にあるため、少しわかりずらい階段へ彼女たちを誘導する。

「なんで階段を先に歩かせようとするのよ?あっちにエスカレーターもあるのに」

「ほら、誰か見てるか分かんないからさ。俺がしっかりガードしてやろうと思って」

 二人の膝上丈のスカートを触ってみせると、言いたいことも伝わったようだ。

「それは良い心掛けだけど、将也のことだから、真っ先に自分が覗いてそうなんだけど」

「確かに」

 この短い付き合いの間に、二人はそこまで俺を理解してくれたらしい。

「えぇー、いやーそれは心外だなー」

「すっごい棒読みじゃない。絶対確信犯ね」

「でも、誰とも知らない人間に見られるよりは、マスターの方がマシだわ」

「まあね…。というか、将也は裸も見てるのに、今更パンツの一つも見たいの?」

「いやー、そんなこと言ってないでしょー。あと、こんな場所でそんなこと言うな」

「あ、そうでした…」

 急に真顔で指摘したら、エルはバツが悪そうに周りを気にした。

「ほら、分かったらさっさと行くぞ」

「あぁもう…。仕方ないわね」

 せいぜい大人三人が横並びになれる幅の階段を彼女たちに先導させて、後に続く。

 降りて来る人がいれば迷惑なことだが、二人を横に並ばせて階段を上る様を眺める。

 本来、指摘されれば駅員やポリスメンを呼ばれ、豚箱行きが待っている行為だが、これは彼女たちの許可を得てやっている合法なので、万が一の事態に陥っても弁明の余地がある。

 それに、相手は人間ではなくアダマなのだから法律の適用外だ。というような言い訳を何重にも頭に浮かべ、背徳感と共にスリルを味わう。

「視線を感じるわ」

「ええ、すごく」

 カントントンと随分遅れて上りながら、さり気なく上に目を向けて、歩く度にヒラヒラと誘っているように揺れるスカートから、何か別の色が見えないかしきりに気にしていた。

「うーん…意外と見えないもんだな。つまらん」

 思わず小さな愚痴が零れてしまった時に、ついにその瞬間は訪れた。

「みえ…っ」

 太くはないが肉付きの良い太腿の付け根に、水色の下着が見えた気がする。

 ついでに、普段広がったスカートの中に隠している黒くて短い尻尾も目に映った。

 何なら後でこっそり捲り上げて、もう一度確認したいほど一瞬の出来事だった。

「おほぉっ…」

 かと思えば、今度はリミの紺色のワンピースの中から、対照的な白い物が見えた。

 思わず目を見張ったが、すぐに振り向いた彼女と目が合って、不敵な微笑で返される。

「ふふっ…」

「どうしたの?」

「ううん、何でもない」

 目でものを言うだけで、特に罵倒されるようなことは無かったが、これは哀れな子羊を蔑んでいたのか。それともまさか、彼女なりのサービスだったと受け取っていいのだろうか。

 上りきった彼女たちに追いつくと、3番線の乗り場に並ぶ。

「ちゃんとガードしてくれてたんでしょうね?」

「ああ、もちろん」

 疑いの眼差しを向けるエルシーに、胸を張って答えた。

 俺以外に彼女たちの後ろを歩く人間がいなかったのだから、嘘ではない。

「…ちなみに、何色だと思う?」

「水色と白」

「ふんっ!」

 しかし、つい誘導尋問に引っ掛かってしまい、手痛い仕打ちを受けた。

「いでぇっ!…ヒールで踏むなよ。ローヒールでも、痛いのは変わらないだからな」

「あなたが悪いんでしょう?全く、自業自得だわ」

「へいへい」

 自分がスカート丈の短い服を着ているのは棚に上げて、すっかり俺が悪者なのだから、全く以って男女の平等など無縁のものだ。

 とはいえ、全人類の女がスカートを履かなくなってしまっては、こうした面白みも無くなってしまうのだから、こうして反省したフリでもしておくしかない。

「リミも、何か言わなくていいの?」

「私?私は別に無いわ。マスターが愉しめたなら、それで良いんじゃない?」

「はぁ…?わたしには、そんな風に考えられないわ」

 背丈は小さいが、こうして澄ましている姿をみると、エルシーよりリミニスの方が大人びているのかもしれない。

「そろそろ、呆れて何も言わなくなる可能性ならあるけど」

「それはそれで、つまらないな」

「はぁ…。大変な人間についてきてしまったものだわ」

 地方の電車と違って、都内かつ23区内の電車は次々とやってくるので、こんな話をしているうちに次の電車も例に漏れず来ていた。

 緑色が印象的な山手線である。

 ただ、DHとそれに伴うアダマの発生により、品川駅が使えなくなったことを受けて、山手線も従来のものとは通る駅が少し変わった。

 現在の山手線は環状線では無くなっており、都内をぐるっと一周することは無い。

「リミ、行くぞ」

「ええ」

 一応彼女の手を引いて乗車したが、そもそも乗る前から人で溢れているのがわかる状態だったので、ほとんど押し込んで入ったと言っても過言ではない。

 エルも俺たちに続いて乗っては来たものの、隙間が無いほどぎゅうぎゅうに押し込まれて、あちこちから圧が掛かる。

「大丈夫か?」

「ちょっと苦しいけど、平気よ」

「わたしも、なんとか…」

 走り出した電車の中では、向かい合う彼女たちの間に俺が挟まれているので、少し苦しくともお腹や背中の辺りに感じる彼女たちの柔らかな感触が癒してくれる。

 彼女たちには不憫な思いをさせて悪いが、しばらく我慢してもらうとしよう。

「それで、どこで降りるつもりなの?」

「ああ。それなんだが、こいつを当てにしようかと思ってな」

 手も自由に動かすのが難しい混雑した中でデバイスを操作し、サーチモードを起動する。

「なんですか、それ?」

「ん?そうか、エルは見るの初めてか」

 背後から横へ身を乗り出して、不思議そうに眺めるエルシーへ簡単に説明した。

「じゃあ、今ここに映っている赤い点がわたしとリミなのね」

「ああ。でも、二人の位置まで常に出ていなくていいんだよな」

 画面上に常に赤い点が出ているのと、不意に出てくるのでは、パッと見た時の分かりやすさが全然違い、重なった点に三人目がいたとしたら恐ろしいので、設定を見直す。

 隅にあった歯車のアイコンを押すと、設定画面が出てきて、いくつか項目が並んでいる。

 その中に、契約したアダマの表示についての項目があったので、OFFへ切り替えた。

 すると、予想通りレーダー上での表示が無くなり、赤い点は一つも無くなった。

「都内をほとんど一周回るこの電車の中で確認して、反応を見つけたら近くで降りるぞ」

「なるほど。歩いて回るより、効率が良さそうね」

「…変なことばかり考えてないで、普段からこれくらい冴えてると良いんだけど」

「聞こえてるぞ、エル」

「あら、ごめんなさい」

 小さな声で呟いても、耳の近くで言われたら、誰だって気付く。

 一応謝っただけの声からは謝罪する気持ちがほとんど感じられなかったが、より胸を押し付けてくるのは身体で示そうという表れなのだろうか。

「でも、体勢的にわたしもずっと見ているのは、大変なんだけど」

 理由を察してしまうと、期待した傍から裏切られ、少しだけ切ない気分になる。

「気配で分かったりしないのか?こっちは俺が見てるから、周囲に気を配っててくれ」

「分かったわ」

 途端に背中からの圧が減り、温もりまで離れていってしまったような気もしたが、今はそれより注意を向けるべきことがある。

 駅と駅の感覚が短く、動いては止まり、発車しては停車することを繰り返して、それに伴って乗客も少しずつ入れ替わっていく。

 何度も人を降ろし、そして迎えては、走行距離を伸ばしていた。

 悪くない発想だと思ったのだが、何の反応も無いと時間を経過するごとに不安になる。

 ウゥーン…、ガタンゴトン、ガタンゴトンという音が響く電車に揺られ、いくつもの駅を通って行ったその時、不意に二人の様子が変わった。

 ピクッ、と同じように反応して、目の前にいるリミが目を細めた。

「多分、この次の駅辺りにアダマがいるわ」

「ええ。わたしも感じたわ」

 小声で話す二人は、先程までのふざけた雰囲気が嘘のように緊張感を持っている。

「こっちにも、映ったぞ」

 レーダーの範囲が結構狭いらしく、よっぽど彼女たちの感覚の方が、研ぎ澄まされて当てになるかもしれない。

 赤い点は画面の端っこから表示され、徐々に近づいているのが分かる。

 そして、その点の中には8とも書かれており、さらに強いアダマであることを示した。

「もう暴れ始めているみたい、嫌でも感じるわ」

「ってことは、街もちょっと荒れていそうだな。どう転ぶか分からないが、行ってみるか」

「次の駅で降りるぞ」

「「了解」」

 次の駅を告げるアナウンスが流れ、あっという間に到着すると、すぐに電車を降りる。

 一見、日本人離れした美少女二人を連れて歩く様は多少周りの目を引いていたが、改札口を抜ける頃には、それ以上に駅の外から逃げるようにして構内へ走っていく人が目立った。

 電車の走行音による騒音以上にギャーギャー喚き、血相を変えて逃げ惑っているので、只事ではない様子なのは、火を見るよりも明らかだ。

 慌てふためいている所為で、足がもたついて転んでしまっている人までいる。

 こんな光景を見るのは、もう何度目だろうか。

「あっちみたいだな」

「ええ、行くわよ」

 人波の流れに逆らうように駆け出して、渋谷駅の外まで出た。

「どうなってんだ、こりゃあ…」

 駅から出ると、すぐ異変に気づいた。

 普段から、待ち合わせの人々で溢れかえっていることで有名なハチ公前。

 しかし、昼間にもかかわらず外は薄暗く、どこかおぞましい雰囲気に満ちている。

 その原因と思われるのが、日蝕に近い状態の月。

 だが、その月は普通の日蝕とは違い、暗がりの中で紅く佇む。

 電車から降りて、急激に変容して見えたその景色は、異様でしかない。

「紅い月…。まるで、闇の世界のようだわ」

「懐かしんでる暇はなさそうだぞ」

 遠くから、さらに多くの悲鳴が聞こえた。

 遊園地の絶叫アトラクションで聞く悲鳴とは危機感が違う、本物の恐怖による悲鳴だ。

「あっちよ」

 二人に先導されて、悲鳴のした方角に向かう。

 すれ違う人の中には、傷ついて血を流している者もいるが、誰も気に留めず、我が身可愛さに必死で逃げ惑っている。

 かくいう俺たちも他人のことなど気にせず、以前半壊してしまった601のビルのあるスクランブル交差点を過ぎ、道なりに進んでいく。

 信号など気にしている場合ではない緊急事態なので、誰かれ構わず信号無視するものだから、ピーピーとクラクションを何度も鳴らしている者もいた。

 阿鼻叫喚の事態に陥った渋谷で逃げ惑う民衆を掻き分け、さらに先へ進む。

 進むごとに人だかりは減っていくが、その代わり血の臭いと狂気が色濃くなっていく。

「マスター。次の角、右に曲がったところにいる」

「よし。気を付けろよ」

 すでに二人が戦闘態勢に入っているのを確認すると、覚悟を決めてその角を曲がる。

 そこにいたのは――漆黒の翼が生えた吸血鬼だった。

 数人の女が血だまりに伏しており、今もまた少女が吸血されている真っ最中のようだ。

 さすがに無事な人間は既に逃げたようで、この場には俺と彼女たちしかいない。

 喉を鳴らし、少女の血をゴクゴクと飲み干しているアダマも、また少女のようなシルエットをしている。

 だが、彼女には背中に大きな黒い翼があり、頭にも同じような小さな翼が生えていた。

 腰の辺りまで伸びたラズベリーの長い髪を振り乱し、悪魔といわれて連想するような尻尾までついている。

 その身に纏うのはビキニアーマーとでもいうべき独特な鎧で、一部を除けば露出が高い分防御力は低そうだ。

 そして、極めつけは真紅に輝く瞳に、吸血鬼特有の鋭く発達した犬歯。

 それは、あまりにもリミやエルとは異なる『戦闘特化』ともいえるアダマだった。

「ごくり……」

 紅き月に照らされた辺り一帯は、紅い狂気に満ちて、生きる者に死の恐怖を植え付ける。

 覚悟はしていたものの、想像以上の恐ろしさに足が竦んで身動きが取れなかった。

「いい、将也?殺るわよ」

「……」

 返事をしようにも喉からうまく声が出ず、代わりにゆっくり頷くことで同意を示した。

 そんな状態を察して、エルとリミは俺を庇うように前に立ち、殺気を昂らせる。

「マスター、これ預かってて」

 リミニスは大事にしていたデジカメの入ったポシェットを俺の元に投げ捨てた。

「わたしが距離をとって牽制しつつ、援護する。その隙に、うまく懐に入って攻撃して」

「了解。…マスターには、指一本触れさせない」

 次の瞬間、エルシーはどこからともなくトランプを取り出した。

 そして、それを何枚も投げつけて攻撃する。

 確かに、紙切れ一枚でも皮膚を切ってしまうことはあるので、トランプの一枚一枚でも切れないわけではない。

 しかも、そればかりではなく、トランプを投げたとしても、なかなか思い通りに真っ直ぐ飛ばないものだが、彼女はいとも容易くそれを成し遂げていた。

「っ!」

 先程までこちらに気づかず吸血を続けていた少女だったが、その殺気に気づいてしまったらしく、吸血対象を放り捨て、飛んできたトランプを腕の装甲で弾いた。

 その動作の裏で、背後から忍び寄ったリミがナイフで突き刺そうとする。

 しかし、それさえも読み取ったのか、足を回してリミごと蹴り飛ばして防いだ。

「ぐっ…」

 壁に叩きつけられたリミは、痛みで顔をしかめている。

 エルシーが再びトランプを投げて狙うも、警戒して空へ逃げられ躱されてしまう。

「キャハハッ、キハハハハ!」

 ただ飛来して逃げたわけではなかったようで、不気味な笑い声を発しながら、地上3階ほどの高さまで上がると、身体を翻して狙いを定め、一気に急降下してくる。

 彼女の真っ直ぐ見つめる紅い瞳の先に映る狙いは、エルシーのようだった。

「くっ」

 エルは慌ててトランプを投げ、反撃を狙いつつ俊敏に走って致命傷を避ける。

 相手も空中でくるりと回転して、エルの牽制を避けていた。

 攻撃後、再び上昇する吸血鬼に対し、リミはビルとビルの壁を蹴ってジャンプすることで高さを補い、ナイフの切っ先を向けた。

 だが、それも髪の先を掠る程度で、また攻撃の届かない上空へ逃げられてしまった。

「まずい…」

 二人の息は、そこそこ合っているように見える。

 だが、その二人掛かりでも、ろくにダメージを与えられない。

 リミはナイフでの近接攻撃、エルはトランプを使った中距離攻撃が主な攻撃手段で、相手はその範囲外まですぐに逃げられる機動力を持っている。

 幸い、遠距離から攻撃する術を相手も持っていないようで、鎧と同じ金属でできた鋭い爪での近距離攻撃がメインらしい。

 しかし、機動力を活かしたヒット&アウェイの戦法は有効な故に厄介で、確実に俺たちを苦しめていた。

――何か手を考えないと…、このままでは殺られてしまう。

 しかし、相手がそれを待ってくれるはずもなく、再度急下降しながら次の狙いを定めた。

「キャーハハハハハ!」

 リミは壁蹴りで位置を捉えられなくしようとしているのか、俊敏に動いて攪乱するが、足場の壁ごと攻撃されてじり貧になっている。

 吸血鬼が落下の勢いも乗せて拳や蹴りで攻撃した場所は、次々に大きなひび割れが生じて、ミシミシとビルの悲鳴を上げさせた。

「あんなに動かれると、こっちも狙いが定められないわ」

 パラパラと外壁の細かい破片が落ちゆく中、エルは攻撃しようにもフレンドリーファイアを恐れて距離を取っての攻撃ができず、文句を言いながら距離を詰め始めた。

 事態は完全に空中戦に持ち込まれ、それを見上げる俺の目には、激しいぶつかり合いと共に彼女たちの秘部を覆い隠す布もチラホラ目に入るが、悠長に眺めている余裕はない。

 健闘を見守る中、リミの誘導により、うまく相手の背後を取れたエルが斬り付ける。

「くししっ、くしししし、キハハハハハ!」

 鎧の合間を縫って直接肌に斬撃を与えられたものの、その傷は浅く、相手の様子を見てもあまりダメージは無いようだった。

「そんなっ…。っ、しまった!」

 さらに悪いことに振り向いた相手から反撃され、回し蹴りを食らったエルシーがこちらに向かって吹き飛ばされてくる。

「エルっ!」

 咄嗟に身体が動いて、自分がクッションになるようにエルシーを抱えて受け止める。

「っ、ぐぅっ!」

 運よく路地に並んでいたゴミ袋にぶつかり、背中に少し痛みがするくらいで済んだ。

 なんとか持ちこたえて視線を戻すと、さっきの攻撃後の隙にリミがうまくやったのか、片翼にナイフが突き刺さり、そのまま地に伏した吸血鬼ごと地面にめり込ませている。

「大丈夫か、エル」

「えぇ、なんとか…」

 深手は負わなかったようだが、こちらを見る目が少し困惑している。

「あの、将也?さすがに今は…。わたしの胸を触っているその手をどけてもらえません?」

「え?あっ、ホントだ。夢中で気づかなかった…、道理でなんか柔らかいと思ったんだ」

 背中から飛んでくるエルを受け止めた際に、ちょうどそんな位置に手が伸びたらしい。

 偶然とはいえ、心の片隅で惜しいと感じてしまい、ついついもう一揉みして手を放す。

「んっ、…それにしても、あの子ちょっとおかしいわね」

 解放されたエルは立ち上がって一歩離れると、砂埃を払うようにスカートを叩いた。

「くししっ、キィハハハハッ!!」

 痛みをもろともせずに不気味に笑う吸血鬼は、自らの筋力とナイフが刺さった翼も強引に動かして拘束を解除すると、慌てて転がった死体に飛びつき、再び吸血を始める。

「色々おかしすぎて、俺にはわからないが…」

「あの子は狂気の悪魔といわれているアビスデーモンの一種よ。確か名前はインサニア」

 吸血の隙を逃さずリミが攻撃しても、初撃は腕の装甲であしらい、二撃目が来る前に雄叫びを上げて応戦した。

 捨てられた被害者の少女は、ピクリとも動かず、もうろくに出血もしていない。

「…もしかしたら、マナが枯渇してるのかもしれない」

「それって、要は腹がぺこぺこで食料を求めて暴れてるってことか?」

「ええ。彼女は吸血鬼でもあるから、人の血を啜ってマナを得ていると思うの」

「それに、彼女は所謂二重人格みたいな感じで、普段はわりと大人しい子なんだけど、何かが引き金になって狂気に侵されたら人が変わるって聞いたことがあるわ」

「待てよ――もしその引き金がマナの枯渇なら、その原因を取り除いてしまえば、元の状態に戻る可能性もあるってことか?」

「ええ、まあ…可能性は少なくないと思うわ」

「それなら、俺たちがわざわざ戦う必要は無いんじゃないか?このまま放っておいて、そこら辺の人間が犠牲になれば、いずれ正気に戻るはず」

「確かに、それも一つの手だけど、それだと彼女を仲間に引き入れることは難しいかもしれないわよ。先に対処されてしまうかもしれないから」

「うーん…。それは惜しいな」

 これだけ戦力になりそうな人材を逃して、武力行使で排除されてしまうのは勿体ない。

 しかし、この騒ぎを聞きつけて、警察がやってきて、それでも手に負えなければ、自衛隊の戦力が押し寄せてくるのは間違いない。

「いや、逆だな。それを利用しよう」

 赤い地面に散らばった死体を眺めて、ふと思いついた。

「どういうこと?」

「いいか…」

 エルの耳に妙案を吹き込んで、作戦を伝える。

「…それで上手くいけばいいけど、人間の所業じゃないわね」

「あぁ、リミにも似たようなこと言われたな」

「本当に…、あなた一体何者なの?」

「さぁな。そう言われても、俺には分からんぜ」

 外道だと罵られて人間味を疑われてしまうが、彼女もそれで見放すような柄でもない。

「全く、とんだご主人様ですわ。フフッ」

 メイドカフェでバイトしていた時には、絶対に客へ見せなかったであろう不敵で狡猾な笑みを浮かべると、彼女も闇の世界の住人である由縁が窺い知れる。

「なら一旦引く必要があるけど…、わたしのチカラだと数秒動きを止めるのが精一杯だわ」

 エルシーは初めて会った時から首からぶら下げていた鍵を握って、意味深にそう告げた。

「その鍵がなんか関係してるのか?」

「この鍵のチカラで、小さいけれど行動を封じれる空間を作れるわ。それも、複数ね」

「だから、うまく両手足をその空間で抑えられれば…」

「ただ、動き回られると狙いが定められないから、なんとか一瞬…いえ、3秒動きが止まったところなら狙えると思う」

 あれだけ攻撃を躱し、さらに羽ばたいて空中へも移動できる吸血鬼を3秒止める――これは、中々の難題だ。

 でも、もうその答えを見たような覚えがある。

 そう、あれは――吸血中の時だ!

 あの時、彼女は血を吸うことに夢中で、一生懸命に吸い出そうとしていた。

「吸血中を狙おう。それなら、なんとかいけそうだ」

「なるほど。でも、さっきの女はもう使えないわ。新しく誰かが囮にならないと…ん?」

 リミが激しい接近戦に身を焦がすのが見えているが、後ろで少し騒がしい声がした。

「どうやら、お茶会に紛れ込んだお客様がいるみたいね」

 どうも、さっきからリミとエルが戦っていたところを見に来ていた野次馬がいたらしい。

 好奇心に駆られて未だ死を恐れずに、のこのことやってきたのは、男が二人に女が一人。

 物陰から、スマホを向けて覗いているのが分かった。

――まさか、この状況をLIVE配信していたわけではないだろうな。

「飛んで火にいるなんとやらだ。エル、あれを使え」

 俺の視線を追って、『エサ』を視認したエルには、もはやメイドの面影は無い。

 客を冥土送りにする殺戮者の顔をしていた。

「どちらにしろ、俺たちの姿もハッキリ見られている。全員殺していいぞ、できるな?」

「愚問ね。5秒あれば十分よ」

 ニヤリと顔を歪ませると、一瞬にして標的へ距離を詰め寄って視界から消えてしまった。

「えっ、なんだ…、や、やめろ…!うわぁぁぁぁ!!」

「きゃあああぁぁぁ!う、うそでしょ…。マジヤバいって…。冗談て言ってよ…」

 物陰から、叫び声と共に血が勢いよく迸ってきたのは見えた。

 だが、それもすぐに消え、静かになった三人を引きずりながらエルシーが歩いてきた。

「これで問題ない?」

 少し返り血を浴びて汚れているが、澄ました顔をしている。

「あぁ。それじゃ、そいつらをその辺に放置して一旦隠れるぞ。リミ、下がれっ!」

 大声でリミを呼び戻しエルが三人を放り投げると、近くのビルの入口まで下がった。

 ビルの中は人気が無く、もはや勝手に入っても咎める者はいないだろう。

「はぁ、はぁ、マスター。これはいったい?」

 タイマンで格上と戦い続けていたリミは、所々に傷を負って一部服が引き裂かれていた。

「無理させて悪かったな、ここから先は任せろ」

「うん。ごめん…少し休むね」

 息を整えようとする彼女の声を遮るように、サイレンの音が聞こえ始める。

「来たか」 

「こっちも、かかったわよ。狂った空間マッドロック!」

 エルシーが両手を前に翳して叫ぶと、吸血しようとしていた標的の両手両足首を黄色の小さな箱のような半透明の空間が覆う。

 インサニアも違和感に気づいたが、もう後の祭りで手足は動かせずいるようだ。

「やったか!?」

「いいえ、まだよ」

 それでもごり押しで抜けるつもりなのか、両翼を大きく羽ばたいて飛び立とうとする。

「エル、翼だ。翼も抑えろ!根元ならぶれずに狙えるはずだ!」

「はいっ!」

 覇気のある返事をした後、さらに2つの同じような空間が翼が生えている背中付近の根元を覆って動きを封じた。

「キシャアアアアアアアアア!!」

 吸血鬼は動けなくなっても反抗を続け、暴れ狂う。

「今がチャンスよ!」

 リミのいうことは尤もだった。

 反撃もできない大きな隙が生まれた今、彼女を殺すにはこれ以上ないほどのチャンスだ。

「エル、リミと一緒に中へ!」

「将也、あなたは!?」

「俺はまだやることがあるっ!」

 リミをエルに任せて、俺は一目散に走った。

 そして、エサとなった三人の血が飛散した場所に着くと、彼らのスマホを見つける。

 血で汚れているが、それも構わず拾い上げると、録画状態になっていることを確認した。

「配信してはいなかったか。これは、後で処分しておこう」

 すぐに録画を止めると、そのまま持ち出して急いで二人の元へ帰る。

 途中、チラっとインサニアの様子を見れば、まだその場から動いていないようだったので、この機にビルへ滑り込んだ。

「マスター、どうして?」

「今、説明してやる。それより、少し上に行くぞ」

 合流したリミから当然の疑問を問い掛けられたが、その前に移動を試みる。

 エレベーターで2階へ上がって、彼女の動向が見やすい位置に行こうとしていた。

 ところが、この場の緊張感に不釣り合いなチーンという拍子抜けするような音が2階に着いたことを知らせると、まだ人が疎らに残っているのを発見する。

 どうやら会社のオフィスのようで、作業用のデスクもあり、皆一様にスーツを着ていた。

「うわっ、なんだなんだ!?」

「大変っ!傷だらけじゃない!」

「え?この子たち、さっき戦ってた子じゃない?」

 どうやら、逃げ遅れた連中らしく、今の戦闘を見ていた者もいるようだ。

 異様な来訪者を前に、どう対処していいのか分からず、戸惑って誰も近づこうとしない。

「エル。こいつらも邪魔だから、殺っちまって良いぞ。放り出してエサにしまえ」

「了解」

 まだ動けるエルシーに命令を課すと、静かに頷いた彼女は容赦なく血祭りを開催する。

 トランプを用いて行われたなんでもない日のパーティーは、海外のトマト祭りやカジノに行っても決して見ることができない余興だっただろう。

 一方で、俺はその間に開きそうな窓を探して開けておいた。

 ふと振り返れば、もう立っている人間はおらず呻き声が錯綜している。

「仕事の早いメイドさんだこと。あとは、ここから捨てて様子を見よう」

「ええ。ゴミ捨てならお任せください」

 掃除をしても自らの服を汚すことなど無かった一流のメイドさんは、ゴミの生死も問わず軽々と持ち上げて次から次へとダストシュートしていく。

「リミはこの辺座って休んでな」

「そうさせてもらうわ」

 痛々しい生傷を負った彼女はソファで休んだが、もうこの後戦うことは難しいだろう。

 ゴミ捨てを終え再び窓を閉めてから外の様子を窺ってみると、エルの拘束を逃れたインサニアが転がった人間の首筋へ一心不乱に噛みついて血を啜っている。

 次々とエサが降ってくるので、一人吸い尽くしてはまた一人…と転々と動き回っていた。

 しかし、食事に夢中なようで、俺たちを探す素振りは見せても追うような気配は無い。

「あとは、待ちね」

「ああ。上手くいってくれればいいがな」

「人間の考え方からすれば非人道的っていうらしいけど、勝算はあると思うわ」

「だといいけど…お、そんなことを言ってたら、お出ましみたいだぞ」

 サイレンの音が大きくなって、赤い路地に青い服の警官がたくさん押し寄せて来た。

 警官がインサニアに向かって何か言っているようだが、さすがに聞き取れず分からない。

 そして、彼女も警官に気付くと、雄たけびを上げて突撃した。

 対する警察も容赦なく銃を向けて、パンパンと銃声が聞こえる。

 しかし、小さな装甲を盾に突撃した彼女は、弾丸を掠めても致命傷には至らず、お返しとばかりにその爪で切り裂いて、次々に命を奪っていく。

 痛みをもろともしない狂人を相手にすれば、生身の人間は恐怖し、畏怖を覚える。

 警察も例外ではなく、何人も仲間が殺られ倒れていく様を目の当たりにすれば、尚更だ。

 恐怖は人を支配し、手足もろく動かせなくなり、銃を握る手が震えて狙いも定まらない。

 悲鳴と断末魔の協奏曲が奏でられる中、心が折れたり腰を抜かして逃げようとする者もいるが、やはり足もろくに動かず恐怖に凍り付き、やがて死を与えられる運命を辿った。

「エル。お前なら、警察相手にあそこまで一人で戦えるか?」

「フフッ、冗談はやめてよ。あんな芸当、アダマでさえ誰にでもできるわけじゃないわ」

「そうだよな…」

 一騎当千の武将というものがかつて存在したのなら、きっとこんな感じだったのだろうと想像しながら、惨劇を見守っていた。

「それにしても、惨い作戦ね。駆けつけた警官に戦わせて、エサにしてしまおうだなんて」

「ははっ、自分で戦うだけが戦いじゃないのさ。せいぜい、あいつらには俺たちの為に生贄となってもらおうじゃないか」

「全く…色情魔かと疑っていれば、これだもの。一体心の中にどんな悪魔を飼ってるのよ」

「…本当に、あなたを敵に回さなくて良かったわ」

 彼女は親し気に微笑むと、俺の脇から手を差し込んで腕を組み、一歩近寄って身を寄せた。

 そんなエルと一緒に高みの見物を決め込み、彼らの奮闘の一部始終を眺める。

「しかし、意外だな」

 ふと、あることに気付き、声を漏らした。

「フフッ、またエッチな話?」

「ん?いや、アダマが出没したことへの対処の仕方さ」

「銃や警棒での応戦はもちろんだが、今は警察にもアダマを使役している奴がいるはずだ」

「だから、アダマにはアダマを――ってぶつけてくるかと思ったんだが、姿が見えない」

「言われてみれば、確かに。今回はハズレだけど、もしいたらどうするつもりだったの?」

「そりゃあ、あのインサニアってアダマ諸共、デバイスごと奪ってやろうってな」

「死んでしまえば、デバイスを奪うだけでアダマが手に入るから、それも狙っていたのね。でも、そう考えるといくつか不安要素があるでしょう?」

「なんだ?」

「一つは、もう既に契約して使役されているアダマを将也のデバイスで契約できるのか」

「次に、契約済みのアダマをデバイスごと奪っても、そのアダマが素直に命令を聞くのか」

「そして、最後は…将也が狙われてしまうことよ」

 彼女の目が特に三つ目を気にしているように訴えてきた。

「俺がこれを開発した人間に聞いた話では、二重契約はできないと言っていた。つまり、他のデバイスで既に契約しているアダマは俺と契約できない」

「次に…これはエルも自分の事だから、勘づいているかもしれないが、このアプリには強制力は無い。だから、デバイスごと奪っても、相手を納得させるか力づくで従わせるしかない」

「そして、最後。もし、俺がこれを奪われてしまえば、以降の操作ができなくなるから、出し入れはもちろん新たな契約を結ぶことも出来なくなる」

「一応ロックは掛けているし、今言った通り、強制力があるわけではないから、奪われてもすぐにお前たちの意識を乗っ取って、俺に牙を剥くようなことは無いだろう」

「この弱点を見抜いた相手が、俺を集中的に狙ってくるのは、致し方ないとしか言えない」

「なるほど…。分かったわ」

 理解はできるが、納得はできないといったような表情だ。

「つまり、わたしたちは将也の剣であって、盾でもあるということですね」

「まあ、そうなるかな。俺が死んだ後のことを何も言うつもりはないし」

 エルはギュッと腕に力を入れると、さらに身を寄せて密着してくる。

 さっきから肘の辺りにナニか柔らかいものが当たっていても、お構いなしだ。

「でも、それだと飼い犬に手を噛まれることもありそうよね」

「んぅ…確かに。使役したアダマに襲われたって話は聞いたことないな」

「俺が使っているのは、あくまで独自開発した改良版だから、もしかしたら、元の方にはある程度強制力があるのかもしれない」

 だとしたら、なぜそれを排除してしまったのか疑問が残るが、その部分に容量が割かれていた所為で、数を従えられなかったとも考えられる。

 数が増えれば、その分比例して制御するのも難しくなると想像するのは容易なことだ。

「まだ色んな謎や問題が多いのね」

「まあ、そもそも契約して使役している原理すら、よく知らないしな」

 博士に尋ねてみたこともあったが、きっと理解できないだろうと一蹴された覚えがある。

「さて、そろそろみたいだな」

「ええ」

 見下ろしていた通りの動きが無くなって、さらに赤黒く染まっていた。

 どうやら、インサニア一人で全ての警官を倒してしまったようだ。

 ようやく静かになったので、倒した人間を片っ端から吸血して自らの血肉に変えている。

 一体どれだけの血を吸ったのか分からないが、献血で採る健康を害さない程度の量が多くて400ccなので、その何倍もの量になるだろう。

 人間の常識を逸脱する存在に対して、人の物差しなど当てにならないと思い知らされる。

「あっ…」

 あらかた吸い尽くした頃に、様子が急変した。

 翼は動かず垂れ、全身が脱力しきっているように見える。

「正気に戻ったみたいね」

「よし、いくぞ」

 2階くらいの高さからなら、飛び降りてもそこまで問題は無い。

 先に窓からエルシーに降りてもらって、それに続いてリミを降ろし、最後に俺が降りる。

「ふぅ…」

 分かってはいても、少しばかり勇気がいる行動を終えて、思わず安堵の溜め息が出た。

「何してるの?行くわよ」

 改めて近くで見ても、先程までの殺気や狂気を感じない。

 そこで、脱力しているインサニアを振り向かせて様子を窺うと、頭の翼はさらに小さくなっていて、尖っていた犬歯がやや小さくなり、目が暗っぽい青紫色になっていた。

「うっ……あ、あたしは、いったい…」

 どうやら作戦はうまくいったようで、彼女は目論見通り正気を取り戻したようだった。

「二人とも、増援が来ないか周りを見ていてくれ」

「「了解」」

 それと時を同じくして、さっきまでの紅き日蝕ともいえる不可解な現象が消えていく。

 日が出てきて、少し空が明るくなった。

「大丈夫か?」

「えっ…あの…。もしかして…」

 彼女は辺りを見回して、自身の身に何があったのかを一つ一つ確認していく。

「えと、この惨状は…あたしが?」

「あぁ…、覚えてないのか?」

「その、漠然としか…」

 素に戻った彼女は先程とはまるで別人のようで、その時の記憶も朧気らしい。

 こんな女の子がこれだけの殺戮をしでかしたのかと思うと、不思議なものだ。

「あ、あの…。あたし、ここ数日ろくにマナが補給できてなくて、それで…」

「身体が危険だと判断するくらいマナが尽きてたのかな。強い吸血衝動に駆られて、いつの間にか気を失って…」

「少しずつマナが補充されていたのはわかったんですけど、それでも全然足りなくて…とにかくマナが欲しくて…」

「それで、ようやくある程度補充できて、なんとか意識を取り戻したんです」

 たどたどしくも足早に説明をされたが、エルの予感が当たっていたということらしい。

「もう飢えは収まったのか?」

「はい、一応。…あの、怒らないんですか?あなた、人間ですよね?同胞を殺して、マナを吸い取ったあたしが憎くないんですか?」

「不思議とそうは思わないんだよな。同じ人間とはいえ、赤の他人だからかもしれない」

「そ、そうなんですか……よかった」

「それより、腹も膨れたみたいだし、人間の血ってのは美味かったか?」

 親しみを込めて頭をポンポンと撫でてみれば、彼女も満更では無さそうに話した。

「えっと…はい。一番美味しいのは、若い女性の血なんですけど…」

 彼女の視線が横たわった大勢の青い服を着ていた人間を追っていた。

「あぁ、ほとんどおっさんだったからな。まあ、質より量ってことで」

 あっけらかんと話す俺を改めて見た彼女は、奇怪な目で見つめる。

「不思議な人ですね…」

「そうかい?」

「あっ、あたしインサニアっていいます。よければ、お名前を伺ってもいいですか?」

「ああ、俺は氷室将也だ」

「しょうや…将也さんですね」

 こんな状況で暢気に自己紹介するのがすごく場違いに思えたが、彼女は至って普通だ。

「将也さんは、アダマを恐れたりしないんですか?こっちの世界では、あたしのようなアダマを快く思っていない人ばかりだと認識していたんですけど」

「その認識は間違ってないよ。ただ、俺が異質なだけ、かな」

 血まみれの殺戮者に手の伸ばすような物好きは、そうそういないだろう。

「あはっ、そうなんですね。そんな人、初めて会いました」

「でも、それじゃあ、とっても貴重な縁で出会ったことに…」

 一人で勝手に盛り上がって地面と同じように赤く頬を染めているが、一体彼女には俺がどういう風に映っているのだろう。

 まさか、運命的な出会いと感じて、心をときめかせるほど夢見がちな女子でもあるまい。

 疑問も解決せぬまま、二人が身振り手振りで急かしてくるので、一気に話を進める。

「時間が無いから単刀直入に聞くぞ。俺と来てくれないか、インサニア?」

「え?ど、どういうことですか?」

 混乱する彼女には悪いが、この後の増援が来ようものなら、逃げるのも難しいのだ。

 さらに詰め寄って、彼女からの返事を促す。

「お前が欲しいんだ」

「しょ、将也さん…。あたし、そんな大胆に言われたの、生まれて初めてです」

「でも、あたし…ほら、こんな格好してるし、他の女の子よりいっぱい食べますよ?」

「それがなんだ。マナなら、俺がいくらでもくれてやる」

「将也さん…」

 ジッと青紫色の目を見つめて問い詰めれば、恋する乙女のようなうっとりとした瞳に変化し、表情も柔らかくなっていた。

 もはや、俺を恐怖させた吸血鬼の面影はどこにもない。

「分かりました。その話、お受けいたします」

「あと、サニーって呼んでください。親しい人には、そう呼ばれることが多いですから」

「ああ。サニー、ありがとう」

 彼女の手を握って感謝を示すと、すかさずデバイスを取り出す。

「…ん?そちらの方達は、将也さんのお知り合いの方ですか?」

「あぁ…。心配しなくていい、サニアに害を為す存在じゃないから」

 これ以上余計な詮索をされる前に、例のアプリを開いて契約の為にカメラを構える。

「ほら、こっち向いて」

「ん?」

 パシャリ。

 声を掛けて振り向かせた瞬間にシャッターを切ると、彼女は一瞬で消え去った。

 もちろん、契約が完了しただけなので、一覧にも新たに表示されている。

「今ので大丈夫なの?出てきた後に殺されても、知らないわよ」

 どうやら、会話の内容は丸聞こえだったらしい。

「大丈夫だろう。嘘は言ってないし、お腹も膨れれば、細かいことは気にならなくなるさ」

「マスター、確保したならすぐ移動しましょ」

「そうだな。もうここにはもう用は無いし、さっさと退散しよう」

 こうして、なんとか3体目のアダマを確保したのだった。


 ― Contract success ―

 with 狂気の悪魔インサニア



 無事に事が済んだまでは良かったが、すでにみんな疲弊しきっている。

 だが、悠長にしている暇はない。

 次なる増援、日本の国防戦力の要である自衛隊がやってきては非常にまずい。

 万全の状態でも勝てる見込みが少ない上に、こんな状態で自衛隊の軍事戦力と彼らが従えるアダマと戦うことになれば、敗北は目に見えている。

 なので、一刻も早くこの場を立ち去り、リミの手当やマナの補給を急がねばならない。

 しかし、アダマを病院に連れて行くわけにもいかず、服や身体も血を浴びて赤黒く染まりかけ、さらに煤けている。

 この状態では、どこを歩いても目立ちすぎる。

 エルはやや服が汚れているものの、まだ許容範囲内だろう。

 幸いなことに、俺は遠くから見守っていたことも多かったので、ろくに汚れずに済んでいた。

 迅速に行動するためにも、早期に結論を下す。

「俺一人でもいいが、念のためエルは一緒についてきてくれ。リミは今の格好だと目立ちすぎるし、一旦デバイスに戻って休ませる」

「インサニアも、今はとても出せる状態じゃないだろう。一度アジトに戻ってからでも、改めて話をしないといけないだろうからな」

「そうね」

 二人はその判断を受け入れ頷いた。

「よし、それじゃあ…」

 ピクッ…。

 デバイスを操作し、二人を戻そうとすると、近くで何かが動いた気がする。

 振り返ってみると、血塗れの一人の少女が意識を取り戻しかけているようだ。

「さっきの吸血された女か。顔も見られているし、生き残られると困るんだよな。殺れ」

「イエス、マスター」

 彼女は迅速に動き出し、愛用のナイフでその首を刎ねて最後の一仕事を終えた。

 その身体は再び返り血を浴びて、さらに血の色に染まる。

「あ、ついでに…いや、やめておくか」

「どうしたの?」

 リミにポシェットを返してデバイスへ収容する傍ら、横たわった人間たちからまた金品や拳銃を徴収しようかと思ったが、今回は断念した。

 ただ、それは悪魔の所業に躊躇したわけではなく、時間が無いのと、血が付着したバッグや財布を触って持ち出し、余計な手掛かりを残してしまうことを危惧したからだ。

「何でもない、行くぞ」

 エルに合図を出して誰も来ないうちにその場を立ち去り、迂回して渋谷駅を目指して走る。

 狭い路地を何本か通り抜け、また鳴り出したサイレンを聞きながら、なるべく警察を避けて大通りへ出ると、通行人に交じって駅へ侵入する。

 今頃、第二陣が血塗れの現場に到着して、同僚たちの無残な姿に驚いていることだろう。

 何食わぬ顔をして電車に乗り、神田駅まで戻ってきた。

「ふぅーっ、なんとかなったか」

「ええ。でも、もうちょっと移動手段をどうにかしたいものだわ」

「そうだなぁ…。俺一人くらいなら、サニーに抱えてもらって空を飛べるかもしれないけど、結構目立ちそうだ。使うにしても、夜の方がいいか」

「人型のアダマが多いのも、こういう時は困ったものね」

「嫌味にしか聞こえねーぞ」

「あえては言わないわ」

「そうかよ」

 しかし、一安心するのも束の間、今度は別の問題に頭を悩ませることになる。

 サニーは狂人化が解けても鎧はそのままだったし、リミも来ていた服が随分切り刻まれてボロボロになってしまったのだ。

 あれだけしっかりと翼が生えていては、もはや人間だと誤魔化せないサニーを街中で呼ぶつもりは無いが、いつまでもあの鎧でいては色々大変だろう。

「あぁ…、エルもそうだけどリミとサニーの分、また服買わないとかなぁ……」

「あら、男は甲斐性…って言うんじゃなかった?」

「はぁ…仕方ないか。それにしても、一体誰にそんなことを吹き込まれたんだよ、お前は」

「さぁ?誰だったかしら。もう忘れちゃったわ」

 結局、必要に駆られて彼女たちの衣服を見繕う為、また洋服店に入る羽目になった。

「いらっしゃいませー」

 以前リミの服を買った店とはまた違う店だが、今度はエルも同伴してるのでそれほど気まずさは無いし、心なしか店員の視線も痛くない気がする。

「お勘定は将也に任せて良いのよね?」

「…どうせ、お前大した金持ってないんだろ?電車乗る時もそんなこと言ってたし」

「その通り。じゃあ、値段も気にせず、お買い物できそうね」

 早速エルは浮かれて服を選びだしたが、よく考えたら女の子に奢ってあげるような風潮通りに事が運んだ場合、二股などしていなければ普通なら一人分で済むものだが、今やサニーも増えて実に三人分。

 比例して消費も三倍となれば、金なんていくらあっても足りないと悟った。

「うーん?これがいいかしら、でもこっちも捨てがたいわ…。ねぇ、将也はどっちが似合うと思う?」

「どっちも似合いそうだけど、強いて言えばそっちかな」

 定番の質問が来たと思いながら、優劣を決めきれず邪な考えを元に答えを返した。

「ふーん。なんとなく理由は察したけど…一応、どっちも試着してみようかしら」

 ジトっと睨まれるのも、もう慣れたものだ。

「まさかとは思うけど、覗かないでよ?」

「さすがに、ここでそんなことしないよ」

「…その言い方だと、場所によってはしそうに聞こえるんだけど」

 ただスカートの丈が短いという理由だけで選んだ俺を蔑んだエルシーは、結局二つとも持って試着室へ消えていく。

「この時間が一番辛いんだよな」

 ただ待っているだけなのも手持ち無沙汰なので、デバイスを取り出して例のアプリを開いた。

 一度、サーチモードでレーダーに何も映らないことを確認してから、契約したアダマの一覧に目を通す。

「そういえば、サニーのはどうすればいいんだ?…うぅん、聞いてみるか」

 迷った挙句、対話トークのボタンをタップしてサニーに連絡を試みる。

「サニー、聞こえるか?」

「はい、聞こえてますよ」

 傍から見れば、電話しながらショッピングしているような感じに見えているだろうが、きっと周囲が想像する相手とは全く違う。

「お前に服でも買ってやろうかと思ってさ」

「え?ホントですか?わぁ、嬉しいです」

「あぁ…。ただ、好みとかサイズとか分からないから、聞いておこうと思ってな」

「サイズは…なんて言ったらいいか分からないですけど、背中に大きい翼があるので結構着る物が限られちゃうんですよね」

「ああ、そうか」

 エルシーにも小さな尻尾があるが、サニーの場合それだけでなく服で覆い隠せない大きさの翼があるので、そこを留意しなければならないのだ。

「はい。なので、背中がおっきく開いてる服でお願いします。あとは、かわいい感じで」

「あ、ああ…分かった」

「んふっ、楽しみにしてますね」

 胸や腰回りのサイズが分からねば難しい気もするが、そこは同じアダマのアビスデーモンという種族でもあり、同じ女性でもあるエルシーに相談してみるとしよう。

 というかサニーの場合、翼が邪魔でブラジャーを着けられない気もする。

 戦闘中は見ている余裕が無かったが、落ち着きを取り戻してから話している時に近くで目にした限りなかなか大きかったので、あれでノーブラというのも――うん、悪くない。

 あのビキニアーマーの下に何か着ていたのかは分からないが、あの硬く冷たい鎧よりは人間の作った服の方が色々とマシだろう。

 そもそも、悪魔か何かのコスプレにしては翼や尻尾の出来が良すぎる彼女が人目についたところで言い逃れできない気もするが、まあいつまでもあの格好をさせておくよりはいいはずだ。

「しかし、大雑把なオーダーだな」

 対話を終えた彼女はどこか期待に満ちている声色をしていたので、余計困ったものだ。

 女の子の服を見立ててあげたことなどつい最近初めて経験したばかりで、女物どころか自分が着る男物の服にも大して詳しくないというのに…。

「あ、将也そこにいたの?どう、これ?似合うかしら?」

 知らぬ間に着替え終わったエルシーが現れて、自らの身体を見せびらかすようにポーズを取った。

「ああ、良いんじゃないか」

 白と青を取り入れるのはマストのようで、雰囲気はさっきまでと然程変わらない。

 それに、尻尾を隠す為にスカートも外せないのだろう。

 清楚な装いの下に悪魔の尻尾が隠れているというのは、何ともギャップを感じる。

「ふぅん…、じゃあ次のも試そうかしら」

 良いと言ったのにも関わらずあまり反応は芳しくなくて、また試着室へ戻って行った。

「何なんだ…?」

 女心がイマイチ分からない俺には、彼女の機微を察することができなかった。

 気を取り直して、また彼女が着替える間に今度はリミにも話を聞くことにした。

「もしもし、わたしよ。追手はどう?」

「そっちは大丈夫そうだ。今、また服を買いに来ててな。エルの奴が試着室に籠ってるんだ」

「そう。ごめんなさい、マスター。せっかく買ってもらった服を台無しにしちゃったわ」

「いいって、気にするな。ファッション的には、ああいう風にわざとダメージ感を出したり露出させたりするのがオシャレって見方もあるんだし」

「…でも、見えちゃいけないとこまで見えてるのは、さすがにどうかしら」

「まあ、それは…外には着て行けないな」

「ふふっ。その言い方だと、外や人前に出なければ着ていて欲しそうに聞こえるわよ」

「あっはは。やっぱ分かる?」

「ええ、もちろんよ。だって、マスター…エッチだもの」

「ひっでえの。でも、その通りだから反論しようが無いな。…それで、またリミの分も服を買おうかと思ってるんだけど、どういうのが良いとか希望はあるか?色とか雰囲気とかさ」

「そうね…。じゃあ、マスターにおまかせで」

「あぁ…そうくるか。なかなか難易度の高いミッションだな」

「そう?またマスターが私に似合いそうな服を買って来てくれれば良いだけよ?」

「簡単に言ってくれるぜ」

「ふふっ。じゃあ、楽しみに待ってるわね」

「あいよ」

 無茶難題を押し付けられたが、そんなに悪い気はしていない。

 また彼女に似合いそうな自分の趣味を押し付けてやろうと画策すると、自然に笑みがこぼれた。

「なぁに、その顔…またやらしいこと考えてたんじゃない?さっきまであんな状況にいたのに、随分暢気なものね」

「すっかり服選びに夢中になってるお前には、言われたくなかったな」

 また違う服に着替えてきたエルシーが登場するや否や、耳の痛いことを言われてしまった。

「むぅ…。デート中に他の女と電話なんてしてるんだもの、普通の女の子だったら張り倒されてもおかしくないんだからね」

「おっ…おう」

 口の減らない彼女の方に視線を移した途端、返す言葉が無くなってしまうほど魅入られてしまった。

「ぅん?どうしたの、急に大人しくなって…。ああ、大方わたしの胸に見惚れていたんでしょう?将也は好きだもんね、これ」

「ほぉぉ…」

 胸元が大きく空いた服の上から自身の武器をたゆんたゆんと弾ませると、それに釣られて視線も上下してしまう。

「フフッ、お猿さんは分かりやすいわね。でも、仕方ないから、これにしてあげようかしら」

 打って変わって気分を良くした彼女の服は、さっきの物とは色合いこそ似ているが露出度がまるで違う。

 鎖骨も見えて胸元は空いているし、スカートの丈もさらに短くなっている気がする。

 扇情的ではあるが、かといって誰にでも着れるものではない。

 エルシーのように豊満なバストを持ったスタイルの良い人でないと、胸がスカスカして物悲しい悲惨な末路を辿ってしまう代物だ。

 これを着た彼女がまた見られるというならば、高い金を払っても文句は言うまい。

「さて、エルのはともかく、あとはリミとサニーのだな」

 リミに関しては一度買ったこともあればバストサイズまで聞いてしまったので、おおよその見当はつく。

 サニーはどういうものが似合いそうかと思案しながら、商品を眺めていた。

 幸か不幸か、背中が大きく空いたトップスという時点でかなり幅が狭まり、選択肢はそう多くない。

 これからやってくる夏場はともかく、冬場はどうするのかと先の心配をしていると、元の服に着替え直したエルシーが買い物カゴにさっきの服を入れてやってきた。

「はい、これお願いね」

 手渡された物の重さは彼女の信頼に伴うものか、あるいは責任か。

「…。サニーは背中が空いてるのじゃないと、っていうんだけど」

「まあ、あの体格ではそうでしょうね。だとすると、こういうのになるんじゃない?」

 彼女が手に取ったのは、細い肩紐が付いて胸元から腰あたりまでしか布地が無い所謂キャミソールという物だった。

「確かに背中は結構空いているが…、あの翼だと着るの大変そうだな」

「ん~?翼は関係ない気がするけど」

 自分でも着る姿を思い浮かべてみたエルシーは、頭を傾けて意見の食い違いに違和感を感じていた。

「あっ!もしかして、上から着ると思ってない?」

「え?違うの?」

「別に下から着ればいいじゃない。そうすれば、肩紐を通すだけで済むでしょ?」

「あぁ~」

 そう言われてみると、確かにその通りだ。

 男の目線でいえば、上半身に着る物は上から着て、下から履くのはパンツとズボンくらいなものだから、完全に盲点だった。

「ただ、そうすると伸縮性の無いピッチリした服は難しいけどね」

「ケツでつっかえるからか」

「そうだけど、デリカシーが無いわね…」

「俺にそんなものを求めるだけ無駄なのは、もう分かってるだろ?」

「それを自分で言われてもね」

 やれやれ、と呆れた素振りで見られてしまった。

「これならブラジャーのカップが付いてる物も売ってるから、一枚でも良いでしょうし。肩や胸元は露出していてセクシーでもあるけど、デザインとしては可愛い物も多いから気に入る物もあるんじゃない?」

「そうだな。かわいい系の要望を貰ってるし、サイズはどれくらいか分からないが…」

「うーん、わたしとそんなに変わらないんじゃない?それか、少し大きめの物かゆったりしたものを選ぶとか」

「うん、それならありだな」

 サイズの参考とかこつけて、エルに試着させて辱めるところまで含めて、ありだ。

「あとは、こういうホルターネックの物とか、どう?」

 彼女が手にしたのは、要はさっきの肩紐を首に回して結んでいるような服で、確かに背中ががっつり空いているが、どれもかわいいというよりはセクシーな印象の物が多い。

 サニーの要望とはかけ離れている気もするが、こういう服も似合いそうなので一着買ってみて彼女の反応を見てみるのも悪くない。

「ふむふむ。しかし、こうしてみると女物はホント色々あるな」

「そうね。いろいろあって迷っちゃうけど、それも楽しみの一つだわ」

「今はちょうど夏物を取り扱ってるみたいだから、特に背中が空いたこういう服も多くて助かったわね」

 アダマであっても女である故に、彼女も人間と同じようにファッションを楽しんでいるようだ。

「ああ。これで上はこの辺から選んで、大体決まったようなもんだな。下は…まあ特に言われてないし、要望に沿って選べばいいか」

「要望って、さっきかわいい系って言ってましたっけ?」

「そうそう」

「まさか、スカートにしないでしょうね?しかも、膝上までの丈が短いミニスカートとか」

「え?まさかぁ…?」

「あのねぇ…。あの子は特に飛べるんだから、スカートなんて履いたら見えちゃうでしょ!ちょっとは考えなさいよ」

「ほぅ、それをお前が言うか?リミもそうだが、さっきも気にせずひょいひょい三角跳びしてたじゃないか。ははっ、おかげで良いもんが見れたぞ」

「ぐぬぬ、あんたねぇ…。あの時は、そんなことを気にしてる余裕が無かったからでしょう?」

「じゃあ、今度からそういう時に備えて常にパンツスタイルに変えるのか?がっかりだぜ」

「それは…。わたしはあまりスカート以外は履かないけど、あなたが見なければ問題無いわ。それに、この世界には見せパンというものが…」

「それは許さん」

「え?」

 彼女たちに忌むべき文化を浸透させるわけにはいかないと思った時には、真顔で彼女に詰め寄っていた。

 けれども、突然様子が変わったことについていけず、エルシーは額に汗を浮かべて困惑している。

「許さん」

「ええっと…」

「許さんぞ」

「あ、はいぃ…」

「あれは、男のロマンを奪う異端者だ。絶対に手を出してはいかん」

「は、はぁ…?」

「分かったな」

「…はい」

 凄みに負けて折れたエルシーは、確かに頷いた。

 そして、ようやく身に迫る圧が無くなると、一呼吸おいてから忠告を告げる。

「将也。あなた、そのうち女の敵と言われても知らないわよ」

「何を言っている。既に人類の敵だよ、俺は」

 無用な忠告を払いのけ、ある程度目星も付いたところで彼女に一つお使いを頼んだ。

 それは、男が選ぶハードルが一番高い下着である。

 無論、それ故に逃げたからではない。

 女性用のパンツ(下着類パンティー目)というのは弁当と同じで、予め中身が分かっていると蓋を取った時に「ああ、そうだった――」と心なしかがっかりするように、面白みに欠けるからエルに任せたのだ。

 やはり、スカートの中からチラリと見えた時に初めて目にする方が、断然楽しめる。

 もちろん、エロ下着を買い与えて、恥ずかしがりながらも着用している姿を拝むのもありだ。

 なお、異論は認める。

「じゃあ、探してくるけど…あんまり変なもの選ぶんじゃないわよ」

「お前もなー」

「わたしがそんなことするわけないでしょ!」

 若干ぷんすか言いながら下着コーナーへ去って行くエルを見送って、サニーの分を見繕う。

 要望通り、かわいい系を選んだキャミソールは彼女の似合いそうなローズレッドがベースで、胸の辺りにリボンが付いていたり裾にはフリルもあしらわれたデザインだ。

 それに合わせるのは、もちろんスカート。それも、膝上までしか丈が無いミニのやつ。

 なぁに、見張りのいない今のうちにカゴへ入れておけば、何の問題もない。

 小さくてカラフルな水玉模様の入ったの黒いプリーツスカートは、きっと彼女が空へ舞うことでもっと鮮やかに映るだろう。

 どうせなら、そのままパンクっぽく仕上げる為に、アクセサリーとして腕や太腿に付けるハーネスベルトのクロスデザインの物も左右不揃いで買ってしまおうとカゴに入れていく。

 もうこうなってくると、ゲームでキャラエディットやキャラメイクを楽しんでいる感覚だ。

 ゲームのキャラクターではあれこれ着せてみても感想はもらえないが、実在する女の子に買い与えて着てもらえば自ずと感想も貰えるだろうから余計楽しみになってくる。

 それ以外にも、もう一着ホルターネックのワンピースが目に留まって、背面の様子を確認してからカゴに入れた。

 そちらは打って変わって上品に大人びたセクシーな装いで、ボルドーのような薄っすら赤みがかった黒い色合いをしている。

 胸元こそ開けて谷間も拝めそうだし背中も先程選んだキャミソールよりもさらに広く露出しているが、下は裾が広がっていないタイトなスカートとなっている。

 エルシーに着せるぐらいのつもりでサイズを選んだ上に生地自体が伸縮性のあるものなので、これならば問題無かろう。

 本人が恥ずかしがって着ないという事態にならなければ…という話ではあるが、吸血鬼といえば貴族的なイメージもあるので、こういうハイクラスな物も似合うだろうという見立てだ。

 似たような物を買ってもどちらも気に入られずに共倒れするよりは、趣向の違うものを選んでどちらかが生き残れば良いだろうという合理的な考え方はリミの時と同じである。

「将也、こっちは決まったけど、そっちはどう?」

「あぁ、大体決まったよ」

 お使いを済ませて戻ってきたエルシーは、選んできた下着をサッとカゴの下の方に潜り込ませた。

「あっ、ちょっと…わたしの分も入ってるから、あんまりじろじろ見ないでよ」

「へいへい」

 テレビで見た覚えのある通り、子供にお使いを頼むとなぜか余計な物まで買ってきたりするのと同じように、自分の分まで追加で買っているなんてちゃっかりした女である。

「彼女の分は下だけ選んだけど、ちゃんとその辺も配慮してくれた?」

「それなんだが、試しにこれを着てくれないか?サイズ感を一応確認しておきたくてな」

 そういって、先程のホルターネックのワンピースを渡した。

「まあ、仕方ないわね。ちょっと試着してくるから、待ってなさい」

 疑いの眼差しが拭いきれないエルを見送ると、着替えている間にリミの物も忘れずに探しておく。

 サニーがパンク寄りであるならば、リミの場合はゴシック寄りの雰囲気で考えていた。

 ズタボロにされてしまった物もそうだが、彼女の容姿や雰囲気に似合う上に一度買ってみて気に入ってくれてたようなので、その路線を外さずに似たような服を探す。

 ふと手に取ったものは紺色というより真っ黒に近い色合いだが、よりダークな印象が彼女を引き立ててくれるだろう。

 オタクという言葉が廃れた代わりに不名誉な言われ方として陰キャとも揶揄されるが、そういった類の俺みたいな男は黒を選びがちなのだ。

 黒を安易に選んでもしっくりくる気がしてしまうことをオシャレ上級者からいわせれば鼻で笑われてしまいそうなものであり、そうでなくとも黒を身に纏っていると落ち着くと言った時には友人にも若干引かれた覚えがある。

 しかし、それでも流行り廃りや他人からの言動・影響に流されて主体性を失うようなことを俺は良しとせず、こうして突き抜いているわけだ。

「将也、ちょっと…」

 わりと簡単にリミの分を決めてしまったところで、試着室のカーテンの隙間から顔を覗かせるエルに手招きして声を掛けられた。

 どんどん重たくなる買い物カゴを持って彼女の下に向かうと、その姿をマジマジと見つめる。

「おう、ピッタリ合ってそうだな」

「サイズは確かに合ってるけど…これ、大胆過ぎない?ボディラインはくっきり浮き出てるし、背中なんて…ほら」

 くるっと半周回って背を見せてくれたエルは、ほとんど肌色だ。

 肩紐も無いので、首に回された布地があるばかりで背中はがら空き。

 肩甲骨どころか腰のすぐ上まで見えているので、随分と露出度は高い。

「でも、これくらい空いてれば、あの翼があっても邪魔にならないだろう」

「それはそうだけど…。まあ、わたしが着るわけじゃないから、いいのかしら」

 もう一度正面を向き直った彼女は、どことなく恥ずかしそうだ。

「何言ってるんだ。エルだってこれだけスタイル良いんだから、良く似合ってるよ」

「ま、まあ…それほどでも、あるけど」

 エルシーなら色味としては赤よりも青が似合う気がするので、そこはちょっと違和感があるものの全体的なシルエットとしては上出来である。

 スラっと伸びる色白のおみ足と丸みを帯びたお尻から細く締まったくびれ、そしてワンピースを押し上げる豊満なバスト。

 さらに、色気を引き立てるようにわざと谷間を見せる位置に作られた穴からはむっちりと押し寄せる雌肉が男を誘うので、ついつい指を入れてしまった。

 すると、両側からむにゅむにゅと張りのある柔らかな感触に包まれて、至福の喜びを感じ得る。

「ちょ、ちょっと!こんなところでやらないでよ!」

「おっと、つい」

 残念ながら瞬く間に桃源郷から追い出されてしまった。

「全く、つい…じゃないわよ。ほら、もう良いでしょう?着替えるから、あっち行ってなさい」

「せっかくだから、見ててやろうか?」

「お・こ・と・わ・り・し・ま・す!」

 一度ならず二度までも裸を見た仲であっても、着替えを見られるのは嫌らしい。

 笑顔の引き攣ったすごい形相で断られ「何がせっかくなのよ、もう…」とブツブツ文句を言っているのさえ聞こえる。

「さて、これであらかた済んだかな」

 問題は、請求額であろう。

 一つ一つも数千円するというのに、それが幾重にも重なっているのだから考えたくはない。

 男は甲斐性だとエルにも言われてしまったが、今の俺には困った時のクレジットカードくらいしか頼みが無いのだ。

 もうこれも止められてしまっていそうだが、これが使えなければあっという間に財布は軽くなってしまう。

 使っても使えなくても、後の無い背水の陣に追い込まれている気がした。

 なので、また近いうちに金策を用いなければいけない日が来るだろう。

「ふぅ…。はい、これ。でも、ホントに買うの?」

「ああ、そのつもりだ」

「…わたしの分はあなたに任せずに済んで良かったわ」

 エルはもはや他人事のように遠い目をして黙認した。

 数々の品物を持ってレジへ向かい会計を済ませたが、今までこんな額の買い物をしたことも無いほど聞くだけで恐ろしい金額だった。

 大人になればこういう大きい買い物をすることもあるんだろうなとぼんやり思っていたのに、それを早くも体験する羽目になって戦々恐々としている。

 例によって他人のクレジットカードで支払えたのは良かったものの、いよいよこいつに頼るのも限界だろうと処分を視野に入れていた。

「ありがとうございましたー」

 ようやく買い物を終えて店を出ると、なんとなく解放された気分になった。

 今回は前回ほど針の筵という痛々しい空気に晒されたわけでもなくちょっとは楽しめたのでまだ良かったが、客観的に見るとやはり怪しく映ったのではないかと心配してしまう。

 身体能力が人より優れているアダマに荷物を持たせる方が合理的なのだが、彼女に大きな紙袋を持たせて俺が手ぶらでいてはまた周りの目が鋭く刺さるので渋々自分で持つことにした。

 だが、改めて必要になるものは衣類に限った話ではない。

 そこで、次は食料品を買う為に別の店へ向かった。

 スーパーマーケットが近くにあったので、そこへ寄って4人分の食料を調達する。

 キッチンが使えるようになったので、食材を買っていけば調理することもできるし、電子レンジも使えるので冷凍食品のようなお手軽な物も視野に入る。

 久々にパスタでも食べるか…という気分だったので、冷凍食品のパスタや乾麺、電子レンジで温めるだけで済む簡易パスタソースなんかも買い込んでしまう。

 確か炊飯器も見かけた覚えがあったが、今回は数キロの米まで持って行くのは不可能だと断念し、同じ理由でドリンク類もほどほどに努める。

 他に出来合いの物や日持ちする物も買い足して、会計を済ませた。

「随分と買い込んだわね」

「人数も増えたんだから、仕方ないだろ」

 周囲からの見栄えはあまり良くないが、さすがにエルにも荷物を持ってもらってアジトのある禁止区域へ向かう。

 普段大して運動していない身体を酷使させ、重たい荷物を持ってやっとこさ帰ってこれた。

 もうホテルを目の前にした頃になって、禁止区域に入ったあたりからでも二人を呼び出して手伝ってもらえば良かったのではないかと気づいたが、すでに後の祭りだった。

「将也、何かいるわ」

 ホッと一息つく間もなく、急に張り詰めた空気を醸し出すエルが異常を知らせた。

 しかし、静まり返った屋内には、他の人気は感じられない。

「なにかって…、もしかして幽霊的な類ですか…?」

「違う、そうじゃない」

 この辺りで死んだ者も多そうなので、自分で言っておきながら、そういう者がいてもおかしくないと今更ながら感じてしまった。

 とりあえずロビーに荷物を下ろして、エルは『何か』がいる場所へ向かう。

「お、おい。俺を置いていくなよ!」

 階段を上って廊下に差し掛かると、ある一室の前で立ち止まる。

「多分、この中にいるわ」

「ここって…。いつも使ってる部屋じゃないか」

 201と書かれた扉は、間違いなくここ数日俺たちが寝泊りしていた部屋のものだ。

 急いでデバイスを取り出して確認しようとしたのだが、彼女にその手を止められる。

「もう向こうも気づいてるかもしれない。悠長にしている暇はないわよ」

「…わかった」

 ドアノブに手を置き、深呼吸すると彼女に目で合図を送る。

「行くぞ!」

 恐怖を拭い捨て、扉を強く開け放つと、そのまま部屋へ入ろうとした――。

「きゃっ!」

 だが、そこには勢いよく開いた扉に驚いている先客がいた。

「っ!?」

 ゆるふわなアメジストの長い髪に、似た色のヘッドドレスとピンク色の薔薇の髪留め。

 ゼニスブルーの透き通った瞳をした色白の整った顔立ち。

 深い紫を基調とした、オシャレなデザインの優雅なパニエスカートのドレス。

 ふくよかな胸を覆うドレスは、胸元どころか肩まで大きく露出しており、振り返る前に背中まで大きく空いているのも窺えた。

 他にも、艶やかな色合いのチョーカーやフリルの付いたアームカバー、背中にも大きなリボンをしている。

――綺麗だ。

 ただ、純粋にそう思った。

 しかし、目の前に立つ彼女の手には、なぜか煌々と輝くランタンが掲げられている。

 そして、俺たちを認識した瞳は、警戒を表すようにシャルトルーズイエローに変わった。

 そう、彼女は――アダマだったのだ。



「びっくり致しましたわ。急に入ってくるなんて」

 予期せぬ来訪者は、優雅な仕草でこちらを眺めている。

「わたくし、鎮魂の悪魔と呼ばれております、エスカモアと申します」

 ドレスの裾を持ちながら礼をした彼女の自己紹介の仕方は、まるで貴人のようだった。

「…俺は氷室将也だ。こっちはエルシー」

 生憎、一般家庭で育った俺には、そんな上品な作法は身に付いていない。

「どうやら、エルシーさんを従えているアダマ使いのようですが…」

「もしかして、貴方ですか?ここ最近、禁止区域であるこの場所を使っていたのは」

 物腰は柔らかで高圧的ではないが、底知れぬ何かが透けて見えるような感覚がする。

「あぁ、そうだが…」

「そうでしたか。先程戻ってきたら、違和感がありましたので、気になっていたんです」

「時々、ガラの悪い人間が屯っていることもありますし…」

「あっ、まだ説明してませんでしたね。わたくしはここのような廃墟や禁止区域を転々と回って、死者の霊魂を弔ったり、その場所の管理をしているんです」

「それは、誰かに言われてやっている仕事なのかい?」

「いえ。これは、お仕事ではなくて、わたくしの性分ですわ」

「へえ…。悪魔っていうよりは、天へ還す天使みたいなことをしてるんだね」

「…そう言われてしまうと、一介の悪魔としては、あまり一緒にして欲しくないような気も致しますけど、少し似ているかもしれませんね」

「管理っていうのは、もしかして…ここの水道や電気が通っているのも?」

「ええ。わたくしがやっておきました」

 どうやら、知らぬ間に彼女の恩恵を多分に受けていたらしい。

 素直に感謝しておきたいところだが、この先の展開次第ではそうもいかないだろう。

「それで、その管理人さんは俺たちも追い出すつもりなのかな?」

 デバイスを握り締め、いつでも二人を呼び出して戦えるように用意しておく。

 もちろん、すぐ傍にいるエルも警戒を怠っていない。

「わたくしは行き場を失って彷徨う悲しき魂を放っておけず、遺族の方々に代わって弔っているだけです」

「残された者として、彼ら彼女らの意向を汲んで、住んでいた場所、思い出の場所を残す為に管理しているだけですから、特に追い出そうとは思っていませんよ」

「ただ、もし力づくで来ようというのなら、わたくしもそれなりの対応をさせて頂きます」

 こちらの殺気に対し、真っ向から立ちはだかるエスカモアは、先程まで薄っすら感じていた闇の部分を前面に押し出して、さらに恐ろしい空気を放った。

「いや、ここを使わせてもらえるなら、それでいい。それに、キミみたいな綺麗な女性を傷つけるのは本望ではない」

「あらっ…そうですの」

 返事を聞いて戦意を喪失したのか、スッと嫌な感じが消えた。

 おべっかを言ったつもりもなく、本心からの言葉が響いたのなら幸いだが、とにかくもう彼女から敵意は感じられない。

「さて、それじゃあ…こっちも、こっちの用を済ませるか」

 早速、リミとサニーを呼び出すと、やはりリミの衣類がボロボロなことに目がいく。

 彼女の肩にはポシェットも携えられていたのを見て、よくよく考えたらアダマ本体だけでなく、身に付けた服なども一緒に出し入れできることに気づいて驚いた。

「リミ、傷はどうした?」

「ん?それなら、中に収容されてるうちに、マナを使って回復できたわ」

 さも当然のように言われてしまい、更に疑問が浮かぶ。

「そんなことが出来るのか?」

「言ったでしょ?マナは、つまり生命エネルギーよ。生命力の塊であるマナがあれば、ちょっとの怪我くらいならすぐに治せるわ」

「まあ、致命傷とかは無理でしょうし、その分マナはたくさん消費するけどね」

「そうか。治ったなら良かった」

「うん、身体の方は大丈夫。ただ、汚れちゃったからシャワー浴びてくるわ」

 なんだかマイペースなリミは、確かに黒く変色した血があちこちに付着したままなので、気持ち悪いというのは理解できなくもない。

 俺の心配と買ってきた薬が無駄になった気もするが、無事に越したことは無い。

 しかも、敵意の無いエスカモアのことすら眼中にないらしく、颯爽と駆けていった。

 一方、サニーはエスカモアの方をキョロキョロと気にして、落ち着かない様子だった。

「あの、ここは…?それに、大丈夫なんですか?」

 彼女からすれば、契約して閉じ込められたのも当然で、解放されたかと思えば、また知らないアダマが近くにいるのだ。まあ、その反応も無理はない。

 今はアジトについての簡単な説明だけして、彼女を安心させた。

「へぇ、こんなところに住んでるんですね」

「でも、悪いな。さっきも言った通り、アダマの存在を晒すわけにもいかないから、サニーの場合、翼が目立つせいで、街中では出せない時が多いと思う」

「だから、せめてこのアジトでは、ゆっくり羽を伸ばしてくれ」

「あ、はい。でも、そんなに気にしなくてもいいですよ」

「そう言ってくれると助かる」

「あっと、そうだ。さっき聞いた通り、服を見繕ってきたんだ。…ほら、これ」

 買ってきた紙袋の中を探して、要望に沿ったトータルコーディネートを見せる。

「これなら、背中ががっつり空いてるから翼があっても着れるだろ?」

 自分でも着れるキャミソールとミニスカートを受け取った彼女は、目を輝かせて喜んだ。

「わぁぁ…。将也さん、ありがとう!」

 喜びのあまり勢いよく抱き付いてきて、鎧がボディにぶち当たる。

「ぐはっ。…わかったから、お前もシャワー浴びてこい。まだ血で汚れがついてるぞ」

「シャワー?あっ…はい、そうします」

 一度詰まらせた言葉を改めて飲み込んだサニーは、頬を赤らめて頷いた。

 そのまま新調した着替えを持って、嬉々として部屋を後にする彼女を見送る。

「……」

 もう、これで奥の手も無くなった。

 今彼女に襲われたら、エル一人では対処が難しいだろう。

 しかし、俺には彼女が行動を起こすようには思えなかった。

 あんな表情をしてリミたちを見つめていた彼女が、そんなことをするはずが無いと。

「そのデバイスは、一体…」

「ああ、これ?」

「えぇ、デバイスはアダマ1体にしか使えないはずでは……?」

「その疑問は尤もだ。でも、これはキミが思っているようなデバイスとは少し違う。俺たちの手で、複数体使役できるように改良された物さ」

「なるほど。では、それを手にした貴方の目的は何なのでしょう?」

「闇の世界担当ってことになってるから、ゆくゆくはこの辺り、関東の制圧になるのかな」

「…それは、建前でしょう?」

 ぐっと顔を近づけ、花の焼ける匂いと共に近寄り、真っ直ぐに目を見て言及される。

「貴方の『本当の』目的は…、一体何ですか?」

 傍で聞いていたエルシーも、その言葉に耳を傾ける。

 目の動きをしっかりと把握すれば、嘘を見破れたり動揺が見て取れるという。

 こちらの反応を見逃さないように注意している彼女だが、それはこちらも同じ。

 真っ直ぐにこちらを見つめるその目に映るのは、おそらく好奇心。

 アダマを複数連れているという、前代未聞の人間に対する興味だろう。

 残念ながら、こういう場合の真実は得てしてつまらない結果だったりする。

「うーん…、内緒」

「えぇ~っ、それはあんまりですわ」

 適当に誤魔化すと、心底残念そうに見つめ返してくる。

 アップに耐えられる顔というのは、彼女のような顔のことをいうのだろう。

「知りたい?」

「是非」

 焦らすように聞くと、今度はニコっと良い笑顔で返してくる。

「俺と一緒にくれば、わかると思うよ」

 我ながら、酷い手を使うものだと言った傍から感じた。

「それは、貴方のアダマになれってことですわよね?」

「ご名答」

 正直、勝算は高くないが、飛んで火にいる美少女アダマを逃したくもなかった。

 彼女は、再度胸の内を探る様に見つめてくる。

「……っ!」

 そして、一瞬何かを見つけたようにハッとすると、改めて口を開いた。

「……わかりました。同行させていただきます」

「貴方という人間に興味が湧きました。一緒に、行く末を見届けさせてもらいますね」

 内心ホッとして、ひゃっほーい!と思わず叫びたくなる衝動を抑え、カメラを向ける。

「貴方はもしかしたら…、いえ思い過ごしでしょう」

「これから、よろしくお願いしますね、…将也さん」

 パシャリ。

 何やら気になることを言い残していたが、感極まって早々に契約を完了する。

 無事に天幕を迎え、エルシーが違和感を咎めるように首を傾げた。

「こういうのをなんていうんだっけ?怪我の功名?違うわね、確か…」

「棚から牡丹餅、か?」

「そう、それね」

 こうして、一日で2体のアダマを確保したのだった。


 ― Contract success ―

 with 鎮魂の悪魔エスカモア



 インサニアとエスカモアというアダマ2体を、見事(?)手に入れたことで、大幅に戦力を充実させることができたといえるだろう。

 アプリで確認したところ、彼女たちの強さを数値化すると、リミニスが3。エルシーが5。インサニアが8に対して、エスカモアは7だった。

 まだ二人しかいなかった時と比べると、数字でいえば2倍以上のもはや3倍に近い。

 今日の苦労の甲斐もあって、俺は予想以上の収穫にホクホクと浮かれていた。

「将也、わたしもシャワーを浴びてくるわ。もう危険はなさそうだし」

 もう護衛の必要はないと判断したエルシーは、悠然と部屋を後にした。

 一人きりになったところで、改めて今日の収穫第2号であるエスカモアを呼び出す。

「あっ…将也さん」

「おう。さっきぶり、だな。こっちに座ったらどうだ?」

「では、お言葉に甘えまして…」

 ベッドに腰掛けた俺の隣へ来るように促せば、素直に受け入れてやってきた。

 その所作の一つ一つが優雅で上品なので、ついつい見惚れてしまい脳が甘く痺れる。

 隣に腰掛けた途端、花の焼けるような独特な匂いが香ってくるが、悪い気はしない。

「どうだ、今の心境は?契約といっても、強制力があるわけじゃないから、変わらないか」

「そうですね。でも、わたくしの中では、少し変化はあったと思います」

 敵意の欠片も無い様子で微笑むと、そっと俺と手を重ねる。

 しっとりと滑らかな、温かい女の手だ。

「ほぅ…。それは、俺にとっても喜ばしい変化かもしれないな」

「マスター、またアダマを増やせたのね」

 戻ってきたリミに、仲睦まじい様子を目撃されてしまったが、その声色は明るいものだ。

 しかし、その視線は間違いなく二人の繋がれた手を見つめている。

「あぁ、そうだよ。うまくいって良かった。いつかは、ここでアダマと遭遇するかもしれないと思ってはいたものの、まさかな」

 禁止区域に乗り込んだその日に会わなかっただけ、まだマシだろう。

「改めてご挨拶を…。初めまして、エスカモアと申します。以後お見知りおきを」

「ご丁寧にどうも。私はリミニスよ。同じマスターのアダマとして、よろしくね」

 アダマ同士の挨拶をしっかり見たのは初めてだったが、人間と何ら変わらない気がした。

 エルシーの時に少し火花を散らす展開もあったので、何か嫌な転び方をしないかと思う部分もあったのだが、彼女は特にそれ以上何も言わず、友好的に接していた。

「…あのね、マスター」

「ん、なんだ?」

 リミはエスカモアとの挨拶も早々に切り上げると、人懐っこく近寄ってくる。

 しかし、その姿はバスローブを一枚巻いただけの格好で、さっき買ってきた服を渡していなかったことを思い出す。

「あ、着替えを渡してなかったな。悪い悪い、この中に…」

「ううん、それはいいの。それより、今日はインサニアとの戦闘でいっぱいチカラ使っちゃったから、マナの補充をして欲しいの…」

 話というのは至極単純で、また俺からマナを得る為に誘っていただけだ。

 うっとりとした表情で熱のこもった視線を向けられると、その期待をひしひしと感じる。

「あぁそうか、そうだよな。…ってことは、エルも結構ヤバいのかな」

 そのまま雪崩れ込むように抱き着いてきたリミとしたいのは山々だが、さらにエルともするとなると――これは、今夜は眠れそうもないな。

 俺も疲れはあるが、頑張った二人にはそれに見合ったご褒美をあげなければなるまい。

「よし、ヤ――」

「将也さん、話は聞かせていただきました」

 いざ決意表明をしようとした矢先に、いつの間にか戻ってきたサニーが立ち入ってきた。

 着替えた姿は、可愛すぎずダークな印象も残しており、見立て以上によく似合っていた。

「是非、あたしにもあなたのマナを…貰えませんか?」

「え?リミはともかく、サニーは意味分かって言ってるんだよね?」

「ん?だって、マナをくれるんですよね?まだお腹も空いてますし、貰えるものなら貰って、たっぷり補充したいです」

「それに、将也さん言ったじゃないですか。マナならいくらでもくれてやるって」

「まあ、お前さえ良ければ、俺は吝かではないが…」

 色んな女の子に求められるのは嬉しい限りだが、さらに状況が悪化してきた。

「一度に三人か…。夢のようだが、実際身体が持つかな…?」

 困った俺の視線は、自然と残りのエスカモアに助けを求めるように動いた。

 そして、何を思ったのか、彼女は懐(魅力的な谷間)から見慣れない小瓶を取り出した。

「うふふ。そんな時のためにこんなものがありますよ、将也さん」

「兎印の超強力精力剤、『ミナギールL』です」

 自然と脳内にファンファーレが鳴り響く俺に、如何にも怪しい赤紫色の液体が詰まった小瓶をこれでもかとアピールしてきた。

 小瓶には、目がギラギラと血走った白い兎の顔が描かれている。

「これを飲めば、EDもたちまち治って絶倫になるって噂の代物ですよ。どうします?」

 まだ成人も迎えていない10代にして、早くも薬に頼らなくてはならないのか――と、男としての威厳に関わる問題に頭を悩ませる。

 しかし、俺とて可愛い子に求められた以上に、彼女たちを可愛がってヤりたい。

 それも際限なく、さらに複数の女の子とできるというのなら――。

 そう考えると、多少の危険やプライドを差し置いても、その小瓶に手が伸びてしまった。

「えぇい!ままよっ!!」

 思い切って煽ると、そのまま一飲みしてしまう。

 今まで味わったことのない、苦いような甘いような妙な味。

 これは口にしてもいいものなのかと脳が違和感を覚えるほどだったが、時すでに遅し。

 全て喉を通り越して、もうすでに胃袋に放り込んでしまった。

 胃から熱を感じると、次第に身体中が熱くなり、チカラが満ち溢れている感覚さえする。

「あ…、言い忘れてましたけど、この薬って確か副作用で性欲が高まり過ぎて、性格が変わってしまうこともあるらしいんです」

「飲んでからいうんじゃねーよ!」

「あぅ、すみませんでした…」

 エスカモアは素直に首を垂れて謝罪したが、俺の目にはその姿勢のせいで、さらに強調された胸しか映っていなかった。

 それを引き金に、下半身にもチカラが集約する。

 痛いほど熱く滾ったチカラは、目の前の雌たちを標的に捉えた。

「すごく、おっきい…です」

「マスターっ、すごいわ」

 俺の下半身に目が釘付けになったリミとサニーが恍惚とした表情で視界の片隅へ消えていき、俺がエスカモアへ迫ったのを最後に意識は混沌と化した。



 次に気が付いた時、俺はベッドに横たわっていた。

 隣には、裸になったリミとエスカモアの姿もあったが、辺りを見回すと酷いものだった。

 部屋中に充満する雌の匂いと鼻につくイカ臭さ。

 ベッドで休んでいる4人は、あちこち白濁液が付着していてぐったりしているが、皆一様に満たされたような表情をしている。

 服は脱ぎ捨てられ、狂乱の宴が催されていたと察するのは容易い。

 俺の身にも、下半身に少し疲れはあるが、同時にまだ収まりがつかない気配もある。

「あははっ、もうお疲れ?次はワタシが相手してあげるよっ♪」

 ベッドに伸びたまま一周ぐるっと見ている間に、どこからか現れた痴女がいた。

 服を着ている意味がほとんど無いほど丈が短い黒のミニスカートを一応履いているが、へそや腰回りは隠す気もない。

 極小さなジャケットを羽織って張り裂けそうな胸の先っちょを隠してはいるが、胸の輪郭はほとんど見えてるし、あとは髪と同じ色の縁取りがされたマントを翻してるだけ。

 それなのに、手に触れた鮮やかなマゼンタの長い髪はサラッサラのツヤッツヤで、手入れが良く行き届いているのが分かる。

 一目で痴女だと察したが、髪だけでなく肌も透き通るように綺麗な色白の美肌で、しなやかにくびれた細いウエストとは対照的に、この場にいる誰よりも豊かな胸を揺らしていた。

 頭には、山羊のような角が2本生えていて、クリムソンの瞳がジッと俺を見つめている。

 全体的に見てグラマラスで扇情的な彼女は、なんとも色っぽくどんな男でさえも虜にしてしまえそうに思えて、俺は彼女がただの痴女ではなく何者であるのかを悟った。

――彼女は、アダマサキュバスなのだと。

「ワタシは闇の世界を統べる七大悪の一人、色欲の悪魔ルクスリア」

「用事を済ませて近くを通ったら、良い匂いがするんだもん。きちゃった♪てへっ♪」

 色欲の悪魔がいう良い匂いとは…、性的なものだろうか。

「そういうわけで、ワタシの身体を舐め回すように見ているキミに相手してもらうよっ♪」

 こちらのことはお構いなしにグイグイ迫ると、覆いかぶさって自身の身体を擦り付けた。

「あはっ♪いい反応ぅ♪いっぱい出したのに、まだまだイけそうだねっ♪」

「キミはオッパイ好きそうだから、ワタシの自慢のオッパイで気持ち良くしてあげるね♪」

 俺の動向を窺っていた彼女は、男の胸板に「の」の字を指で描くと、一旦立ち退いた。

「そこらへんの女とは、わけが違うってこと…思い知らせて、ア・ゲ・ルっ♪」

 舌なめずりして艶美に笑うと、はだけた胸を寄せ、興奮を隠しきれない俺を包み込んだ。

「うぁっ…っ!」

「ふふふっ…。たっぷり可愛がってあげるね」

 妖艶な淫魔に魅入られた俺は主導権を取られ、さらにマナを搾り取られることとなった。



「はぁ…はぁ…、もう…ダメだ……」

 ルクスリアの腰に回していた手を離し、脱力する。

「はぁ…あぁっ…。あはっ、スゴイ量のマナ。うふふっ♪」

「えっ?それにこの感覚…なんだか懐かしいような…。気のせい、かな…?」

 馬乗りしていた彼女が腰を上げると、垂れてきた白濁液を掬い上げて口に運んだ。

「んっ、…ごっくん♪」

「濃ゅ~いマナがいっぱいっ♪それに、この感じ…やっぱり、あの薬飲んでるねキミぃ」

 そう言われて思い出したのは、エスカモアから貰ったあの小瓶だ。

「ミナギールL、あれはワタシが開発したんだよ♪あっ、ちなみにLっていうのはワタシ、Luxuriaの頭文字のLなんだよっ♪えへへ~、すごいでしょ~♪」

 色欲の悪魔故に成しえたことなのか、お互いの体液で汚れた胸を張って自慢気である。

「あ~ぁ、萎んじゃった…」

「薬の効き目も切れちゃったみたいだし、今日はこれくらいで勘弁してあげる♪」

 散々マナを絞り尽くすと、頬にキスをしてから、ツヤツヤした笑顔で後始末をし始めた。

 なんとも自由奔放な女だ。

 これで、誰よりも男を満足させられる身体をしているのだから、手に負えない。

「それにしても、その目…あのヒトにそっくり♪でも、なんで人間が魔眼なんて持ってるのかしら?」

「まぁいいわ、これも何かの縁ね。もうちょっとだけ、サービスしてあげよっと♪」

 気になるワードが聞こえた気もするが、俺はもう身体を動かす気力も体力も尽きていたので、視界が白んでいく中、ただ事の成り行きを見守っていた。

「ごっくん。…そぅだ。少しは愉しませてもらったお礼に、いいこと教えてあ・げ・る♪」

 最後の一滴まで余すことなく俺のマナを舐め取ると、上機嫌で不敵に笑う。

「キミ、ただアダマのハーレムを作るために仲間を増やしてるわけでもないでしょ?そんなキミに朗報ですっ♪」

「え~っとね、確か二日後に近くのディメンション・ヘミスフィアから、伝説ともいわれるあの暗雷竜あんらいりゅうがこっちに来るみたいよ♪」

 その単語を聞いて、アダマたちは一斉にビクッと身体を反応させた。

「彼女たちはさすがに知ってるみたいだけど、キミは詳しく知らないのかなぁ?」

 動くのもままならない身体でなんとか頷き、返事をする。

「そっかぁ。まぁ闇の世界での話だからしょうがないかな~」

「簡単にいえば、実質闇の世界の権力のほとんどを握ってるワタシたち七大悪と同等か、それ以上のチカラをもつっていわれてる、すっご~い強いアダマなんだ♪」

「それが、いよいよ来るって話。あんなのを手に入れられたら、ワタシも見直しちゃう♪」

「暗雷竜イビル・サンダーストーム。まぁキミが使役できるかはわからないけど、どっちみちこの世界に強襲をかけることには変わらないからね♪」

「せいぜい頑張りなよ、キミぃ♪んふふっ、じゃねっ♪」

 言いたいことだけ言って、身支度を終えた淫魔はご機嫌な様子でさっさと出てしまった。

 すでに意識が微睡み始める中、彼女から貰った情報を整理する。

――ここらで一発、大型アダマも欲しいところだな。

 人型のアダマは徐々に増えつつあるが、圧倒的な火力や大きさを持つアダマが不足しているように感じ、ぼんやりそう考えた。

「あの…、将也さん。まだ起きてます?」

 すでに疲れて眠りについた3人を見渡して話しかけてきたのは、エスカモアだった。

「……ぁぁ、起きてるよ、なんとか」

「…わたくし、将也さんと一緒になれて良かったです」

「長い間、一人で廃墟や禁止区域を旅してきて、その…少し寂しかったみたいです」

「人肌恋しかったといいますか…、えぇと…」

「その寂しさを…埋められたのかな、俺」

「はいっ。ちょっと痛かったですけれど、抱きしめられてすごく心が温かくなりました」

「将也さんも、わたくしを情熱的に求めて下さいましたし、それにキスも…。わたくしを見てくれている、傍にいるんだって感じましたよ」

「……そっか。良かった」

「えぇ。これからわたくしも…将也さんの傍で、貴方の為に尽くすことを誓いますわ」

「ですから、またいっぱい愛してくださいね、…わたくしのご主人様」

 その言葉を聞いたのを最後に、返事もできぬまま、意識は深い闇の底へと落ちていった。

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