② 次なるアダマを求めて
翌朝、ふと目を覚ますと、見慣れない天井が目に入る。
そういえば、昨日は禁止区域にあるラブホの一室に泊まっていたのだ。
横を見れば、隣で少女が静かな寝息を立てて眠っていた。
目を覚ました時に誰かが隣にいるというのは、慣れない事ではあったが、不思議と穏やかな感覚で決して悪いものではない。
むしろ、こんなかわいい子としちゃったんだ――と、昨夜の情事を思い出して、思わず顔がニヤけてしまう。
でも、彼女は人間ではなく別次元未確認生物、アダマなのだ。
デジカメの件で、人々を襲い淡々と殺していった時の姿を思い返し、考え深いものを感じつつも、その安らかな寝顔は、やはりかわいいの一言だ。
それに、間接的とはいえ俺が殺してしまったも同然。
自分が犯罪者の一人ということを考えれば、もうすで共犯者であり、人間もアダマもあまり変わらないのかもしれない。
もう俺は、アダマだとか人間だとかそういうものに拘る必要はない、と思い始めていた。
傍で静かに眠る彼女の前髪をそっと掻き流し、頭を優しく撫でる。
「んっ?んんっ……。すぅ…すぅ…」
むしろ、数多の三次元女よりも、綺麗な(妄想の)二次元の女に近い異世界の少女。
こっちの方が、よっぽど良い。
「…んんっ、んっ…。んぁっ?」
どうやら、起こしてしまったらしく、起き抜けの眠そうな寝ボケ眼でこちらを見ている。
「おはよぅ、ございます…、ますたぁ…。…んちゅっ」
甘えるように抱き付かれ、軽く口づけを交わした。
たった一日で、出会った時の関係から、ここまで進歩したことは驚くべきことだ。
もちろん、かわいい女の子に懐かれ、甘えられるのなら、男として望むところである。
「んっ、おはよう、リミ」
慣れない行為に照れくさくなりながらも、お返しに額へキスをする。
「んもぅ、どうして口にしてくれないんですか、…もういいです。私がします。ん~っ」
「んふっ、ちょっと憧れてたんです。おはようのキッスっ。えへっ」
てへぺろ、とはにかんだ少女の顔は、なぜか見ていてちょっとほっこりした。
ようやくベッドから起きると、自分も裸だったことを思い出し、少し焦りつつ服を着る。
リミもそれに倣って、ベッドの反対側でのんびりと着替え始めた。
「それで、これからどうするの?」
お互いに着替え終わり、俺がトイレを済ませてくると、ベッドに座った彼女と向き合う。
ベッドの上でそんなこと言われると、ナニをするのかと思ってしまうのですが…それは。
過度の妄想はともかく、起き抜けのふにゃっとした雰囲気が消えて、少し残念に思った。
闇の世界の住人というだけあって、朝が苦手なだけだったのかもしれない。
もちろん、クールな普段の彼女も魅力的なので、どちらかを選ぶことは難しい。
気を取り直して、冷蔵庫からお茶を取り出し、軽く飲んでから彼女の問いに答える。
「もちろん、新たなアダマを求めて街を捜索だ!」
「でも、そのデバイスって、アダマ1体しか使役できないって聞いたことあるけれど…?」
「無問題。この新型スマートデバイスがあれば、大丈夫」
「この新型デバイスには、最大50体まで契約できるようになっている(らしい)」
「だから、一人よりも二人。二人よりも三人。そして、いずれは…ってな」
ニヒルに笑う俺とは反対に、彼女は羨望の欠片もないジト目を向けている。
「もしかし…なくても、エッチなこと考えてない?」
「ギクっ、そ、そんなこと…」
あっけなく図星を刺され、目が泳ぐ俺に対し、彼女はキッ!と目力を増して睨みつける。
「ない…、こともない…です、はい」
どちらに軍配が上がるかなんて、言うまでもなかった。
まるで、浮気を問い詰められる彼氏の気分を味わっているようで、気が気ではない。
「はぁ…。口振りから、そんな事だろうと思ったけど…」
「私のことも、ちゃんとかまってくれるなら、認めてあげなくもないわ」
上目遣いで見つめる彼女は、飴と鞭を巧みに使い分けており、俺はもうたじたじである。
「…わかってるよ。リミのことも、ちゃんと大事にするから」
頭を撫でながら約束すると、この審問は終わりを迎えた。
出かける前に、彼女の要望でベッドの上で並ぶ二人の写真を撮って、出来栄えを眺めた。
昨日は彼女一人の写真だけだったので、二人の思い出を残しておきたいという話だった。
そうこうしているうちに支度を終えると、仮宿を後にして街へ向かう。
昨日とは違い、人間に見える彼女を隠す必要も無いので、今日はリミも連れ立っている。
「ん~、ふふっ。さあ、行きましょ」
ちょっぴりオシャレした彼女にギュッと腕を組まれて、胸を押し付けられる。
「うほっ」
かわいい恋人と一度はやってみたかった憧れの状況だったが、それよりも彼女が昨夜と同じ服を着ているから、余計その時の艶姿を思い出してしまい、それどころではなかった。
「昨日はあれだけだったから、腹減ったな」
立ち入り禁止区域を抜けると、途端に緊張感が薄れて腹の虫が鳴る。
昨夜はあまり気にならなかったが、人間何もしなくても一丁前に腹が減るものだ。
悩んだ末、色んな種類が置いてあるからということで適当にコンビニへ寄ることにした。
なんせ、東京ならどこへ行っても、すぐに見つかるのだから、便利なものである。
ただ、きっとこんなだから、今までも女の子にモテることなく、男ばかりに囲まれたむさ苦しい人生を送ってきたのだろうと悟った。
いくつか交差点を抜ければ、適当に歩いていても、やはりコンビニにぶつかる。
気の抜ける入店音を他所に店内を物色していくが、運悪くあまり充実していなかった。
「タイミング悪いなぁ」
この安易な選択を悔いている中、どれにしようか悩んでいる様子のリミに話しかける。
「わりとお腹すいてるの?」
「ううん。昨日いっぱい食べたから、あんまり」
「あ、あぁ、そうか。じゃあそうだな…これなんかどうだ?」
わりと定番なBLTなどの色んなパターンのサンドイッチが置いてある棚を指した。
「うんっ、それくらいでいいかも」
なんだか嬉しそうなリミを他所に、自分は目ぼしいものがなく、決めあぐねていた。
しかし、彼女を待たせるのも悪いので、結局はおにぎりに落ち着いて適当に2つ取った。
続いて、ドリンクコーナーに寄ると、お茶を適当に一本カゴに放り込む。
飲み物は迷わないんかーい!と突っ込まれそうだが、ある程度歳を重ねれば、大抵人によって好みのペットボトル飲料のお茶は決まっている。
「リミも、なんか飲むか?」
「私もそれでいい」
彼女の返事を聞いて、同じものを取り出そうとすると、その手を静止させられる。
「あっ、そうじゃなくて。一本で良いから、一緒に飲みましょ」
「ケチケチしなくても金はまだあるし、遠慮しなくていいぞ」
これは持論だが、懐が豊かなうちは、人は大概寛大である。
そんな寛大な俺に耳を貸せと、彼女は身振り手振りで伝えた。
「あなたと一緒が良いの。はむっ」
背の低い彼女の高さに合わせるように屈めば、耳たぶを甘噛みされて、物言いを受けた。
そこでようやく察した俺は、飲み物は一本しかカゴへいれずにレジへ向かった。
「ありぁとーあっしたー」
もはや、何と言っているかわからないような店員の声を背に、外へ出る。
この程度の金額なら、わざわざリスクを負ってカードを使うまでもなく、現金で払った。
あの時の客の中に、おそらく現金主義と思われる懐の温かいおじさんがいたおかげで、カードを使わずともまだまだ余裕はある。
「近くに公園か何か、落ち着いて食べられる場所があれば良いんだけど…」
コンビニによっては、イートインスペースが設けられている店もあるが、個人的にはあまり心休まるものでもなければ、さっきの店には無かったので、適当な場所を探すしかない。
その間も、リミは相変わらず俺と腕を組みながら歩いていた。
きっと、以前の俺がそんな輩を見かけたら、「昨夜はお楽しみでしたね、ペッ!」と憎悪と共に吐き捨てていたことだろう。
「あ、そこで良いんじゃない?」
偶然小さな公園を見つけ、他に人がいない静かな中、ベンチに座って食べることにした。
木々が風になびいて自然の音を奏でるのは良いのだが、周りが高いビルに囲まれていては、自然の景観が台無しだと思うのは俺だけだろうか。
一部アダマやDHの所為で機能を失っていたりしても、さすがは大都会の東京である。
「は~むっ、もぐもぐ、はむっ」
俺が風情を説いていた間に、隣に座った少女は包装を外してサンドイッチを食べ始めた。
小さな口で一生懸命食べている姿は、小動物的な可愛さを魅せる。
しかし、その一方、昨夜はあんな小さな口で、ナニをしゃぶってたんだと改めて思うと、身体が熱くなる――が、今は深く考えすぎず、おにぎりを食べることに専念した。
ド平日の昼間から、こんな風に女の子と食事をしているのは、毎日馬車馬のように働いている社会人からすれば、奇怪な目で映ることだろう。
しかし、これが今の現実であり、紛れもない世の中の一端なのだ。
俺が高校に入学して間もなく、アダマという災害に見舞われた所為で、校舎は倒壊した。
治安が少し落ち着いた後に、希望者は転校扱いで被害の無かった別の高校へ移ることができるという措置が下されたが、それどころではなかったので、一緒に進学した友人共々その誘いは辞退していた。
それから、避難生活を送りつつ、地元の瓦礫の撤収作業を手伝い、それもようやく落ち着いてくると、バイトを探して日銭を稼いで暮らしていた。
その頃、デバイスを拾い、未来を照らす光が見え始めて、やっと今の状況へ繋がる。
真に未来を望むのであれば、真っ当に働くだけが人生ではないのだ。
そんな考えを繰り広げていたら、いつの間にか手元の食料は底を尽きていた。
「ごくっ、ふぅ…。思ったより美味しかった」
「それなら良かった。女の子には、もうちょっと良いものを食べさせてあげたいんだけど、俺あんまりそういう店行かないし、知らないからなぁ」
「それは、あくまで普通の女の子の話でしょ。私は、あなたから貰えればそれでいいし」
彼女の熱っぽい視線は、俺の下半身に注がれていた。
「じゃあ、大丈夫だな。また近いうちに、いっぱいあげるさ」
「んふふっ。それに、美味しいものがどうとかより、本来の目的があるんでしょ」
「そうだな。よし、そろそろ行くか」
飲み食いして出たゴミを捨て、街中へさらに足を進めるのだった。
「あっ、そういえば、昨日は突貫で服選んで買ったけどさ…」
「うん。…もしかして似合ってないの?」
俺が急に変なことを思い出したので、脈絡もなくいきなり問いかけると少し不安げな表情を見せた。
「いや、似合ってるけどさ。そうじゃなくて…服しか買ってないんだよね、確か」
彼女は足元から順に上に向かって、改めて自分の姿を確認する。
しかし、どうにもわかっていないようなので、言いにくいことではあるが確信に迫る。
「その…下着、あんまないんじゃない?」
「う、うん。今まで替えの服も下着もなかったから…」
確かに出会った時の服装はお世辞にも綺麗とは言い難かったし、もっといえば貧相に見えるような格好だったので、その言葉に真実味が増す。
アダマとはいえ、女の子であればオシャレや身なりに気を遣うこともあるだろう。
ここは、彼女の為に経費を下ろすとしようか。
もう、俺にとっても全く関係ない話ではないからな。
「…買いに行く?」
恥ずかしそうに俯く少女だったが、これを機とみたかのように力が入る。
「うん…。えと、じゃあ、選んで欲しい、かな」
そ う き た か。
嬉し恥ずかしのシチュエーションだが、恥ずかしいのはお互い様か。
ここは思い切って、男を見せてやらねばなるまいて。
「よ、よーし。ばばばバッチリ似合うの選んでやろうじゃねーか、てやんでぃ!」
頭の回路は壊れて、なぜか江戸っ子路線だった。
「は、はい。よろしくお願いします……」
お互いに顔を見れなかったが、どちらも真っ赤だったに違いない。
というわけで、やってきました洋服店。
昨日来た店とは別の店だが、今度はまるでデートのような雰囲気で来店し、あまつさえ彼女の下着を選ぼうという暴挙。
男一人でそんなとこうろついてたもんなら即通報まで怪しいところだが、女の子同伴だからきっと大丈夫。そうきっと。
ハッキリ言えば――不安です。落ち着きません。
開店時間からそんなに時間が経っていないせいか、客は疎ら。
来店してから、さら~っと二人で服を見ているような感じで通り抜け、いざ下着売り場へ。
見たこと無いような柄や装いの物から、定番といった感じのシンプルなデザインの物まで多種多様。
今までは洋服店やデパートなんかで、こういうあからさまに女性下着を売っているエリアがあっても、見て見ぬふりをして不審者でないとアピールするように素通りしていたが今日はそうもいかない。
必要以上に白さを強調して清楚で清潔な雰囲気を演出する店内の装いと、煌びやかな下着の数々で彩られた空間は如何に男というものが場違いであるかを物語っているようで居た堪れない。
化粧臭い匂いも女の園に迷い込んでしまった気分にさせて、俺の身体をじわじわと侵していく毒のようだ。
ここでじっくり下着を吟味し過ぎるのも変態に見えそうなんですが…、そこんとこどうなんでしょうか。
「ねぇ、ねっ、こういうのはどうかなー?」
「え?ど、どんなのさ…って、うぉっ!」
リミが持ってたのは、下着としての仕事をまるでしないようなエロ下着とそれに近いような淫靡な色やレースのついた物だった。
大事なところが隠れているようで隠せてないし、もう一つは開けっ広げである。
気合の入れすぎた下着を見せると逆に男が引いてしまうというのは、まさにその通りだと感じた。
一体これで何が守れるというのだろうか。甚だ疑問に思う。
こんなものを付けるのはキャバ嬢や風俗嬢だけで十分だと思いながら、お前にはまだ早いっっ!――と思わず言いたくなるのを堪え、近くにあった似た色の物で今着ている服と合いそうなデザインの下着を指差す。
「こ、こっちの方が似合うんじゃないかな…」
「そっ、そうかなー。でも、ちょっと地味じゃない?」
「そんなことないよ、今着てる服にも合うし、良いんじゃないかな…」
しかし、さっきから見ていると見た目やデザイン以上に気になるのが、それに付いている値札だった。
男の下着に比べたら、やたら値段がすごいんだが…。
特に、リミが持っている一番防御力が低そうで卑猥な下着は、文字通り桁が違う。
なぜ布地が減るのに値段が上がるのかと疑問に思うばかりだが、いやはや女物は恐ろしい。
「そう?じゃあ…似たようなので、もうちょっとカワイイこっちなんかは?」
「さっきのよりは良いかな」
彼女なりに拘りがあるようで、じっくり選んでいるのは…まあ一先ず置いといて、何かを忘れていないかと問い掛ける。
「ところで、ブラの方は良いのか?」
先程から彼女が手に取っているのは下に履くものばかりで、胸を支えて隠す大事なものが眼中に入っていない気がしたのだ。
「ブラって…ああこれ?私、今まで着けたことないもの」
「え?そうなの?」
成長の早い子だと早ければ小学生の頃から着け始めるというのは耳にしたことがあるが、実際はどうなのだろうか。
彼女の場合見てくれは確かに幼く見えるものの、胸はしっかり育っているので服を押し上げている確かな膨らみがある。
なので、必要かどうかでいえば、必要な基準に達していると思うのだが…。
「ええ。そもそも、私のいた世界には無いものだから」
この世界の常識と彼女達のいた世界の常識が異なることを忘れていた。
「そういうことか。それなら、一度ちゃんと図ってもらって、サイズを確認した方がいいな」
「ちょっと窮屈そうだけど、見た目は悪くないし…。あなたがそういうなら、そうしましょう」
下着選びの途中だったがブラジャーまで買うならセットで買う選択肢も出てくるので、結局は選び直す可能性がある。
リミは俺に言われた通り女性店員に声を掛けて、すぐに把握した店員に試着室へ連れられて行った。
さすがに同行するわけにもいかなかったので一人針の筵に置き去りにされてしまい、ますます居場所が無い。
どこを見ても奇怪な目で見られてしまうこの時間をどう切り抜けるべきか考えた末に辿り着いた答えは、平然を装ってスマホそっくりの新型デバイスへ視線を向けることくらいだった。
特に何も用はないが、何かをしているように見せてただひたすらに時間が過ぎ去るのを待つばかりである。
「お待たせ」
一秒を何倍にも思える時の中、ようやく彼女が戻ってきた時には安堵の溜め息すら出てしまうほどだった。
「えっとね、Dの65を選べばいいって」
「へぇ、Dの…ディー?」
全く隠そうともせず、かっけらかんとサイズを教えてくれたので余計驚いた。
そうか、Dカップだったか。どうりで…。
「うん。確かトップが84で、アンダーが…」
「あぁっ、待て待て!それ以上言わなくていい」
「そう?ちゃんと図っておかないとって言ったのは、あなただったと思うけど?」
「俺はいいから。自分で分かっててくれればいいんだよ…」
頼むから、これ以上周りの女性陣からの印象を悪くしないでくれ。
よしんば、兄妹だったと思われていても、妹のバストサイズまで把握しているような変態兄貴だとは思われたくない。
恋人であっても、同じようなものだ。
「俺も下着選びのサイズ表記まで知らないから、その辺は自分で見て判断してくれ」
「はーい」
もう、既に俺のメンタルはボロボロだ。
華やかな店内とは対照的に、全く心が休まらない。
普段はスカートがちょっと捲りあがるだけでも下着が見えるのを期待してしまう悲しい男の嵯峨を抱えているのに、いざ女性用下着に囲まれても全然嬉しくなかった。
「ねぇ、これなんてどうかしら?」
しかし、そんなことなど気にしていないリミは、意気揚々と下着選びを再開したのだった。
………。
……。
…。
この調子で下着選びは続き、俺の体内時計では何時間もかかったように感じた。
俺がこの件で得るべき教訓、それは――アダマであっても、女は買い物が長い!
心底、そう感じたのだった。
結局、散々迷った挙句、最初に俺が勧めた物のもう少しオシャレに飾られた物を含んだ何着かを購入することにした。
ちなみに、水玉より縞パン派の俺としては白黒のコントラストが美しいものも強く、そしてさりげなく推しておいた。
会計が終わると、リミは購入したものを紙袋ごと持ったまま早速履き替えると言い残してトイレに駆け込んだ。
――脱いだ方はどないするんや…。一緒に持っててええんか…。
いらん心配をしつつ、そう遠くないうちに縞パンを履いた姿が拝めるよう淡い期待を抱きながら戻ってきた少女と店を後にする。
そうそう、購入は例によって他人のクレジットカードで済ませた。
だって、高いんだもん。
それから、デジカメを携帯する為に小さめのバッグも買ってあげたりしているうちに、気づけばお昼時を過ぎていた。
「このあたりに、なんか良い店はなかったかな」
未だ秋葉原周辺を散策してると、『ワンダーゾーン』と看板が掲げられた店を見つける。
確か、度々アニメやゲームとコラボをしており、そこそこ名の知れたメイドカフェだ。
しかし、今まではこういう店に初めて一人で入るには敷居も値段も高いことがあり、勇気が必要でなかなか踏み出せなかった。
だが、メイドカフェなんてこの辺りでは有り触れていて、さらに昨今カップルで行くことも珍しくないというニュースを、いつだったか観た覚えがある。
ならば、今こそ行くべきかっ!?と謎の緊迫感に追われ、何かを試されている気がした。
そうして、俺が一人禅問答をしているうちに、少女もそれに気づく。
「ここ行くの?」
値踏みするようなリミニスさんの表情は険しい。
彼女がこういった店は嫌だと言えば、惜しくも大人しく引き下がるしかないだろう。
「う~ん…、いいわ。行きましょう」
心の中で喜ぶ俺を気にもせず、彼女はスタスタといかにも普通に入店していく。
置いて行かれないように、その後を追う姿は、何とも情けないものだった。
「お帰りなさいませお嬢様、ご主人様。お席へご案内します」
頭に大きめのリボンを結び、首元にも大きなリボンとフリルを着けていて、肩口から胸元まで大きく空いた服を着たメイドさんが会釈をし、席まで案内してくれた。
そのメイドさんは結構胸が大きいようで、会釈の際にこぼれそうなおっぱいと深い谷間を拝むことができ、つい目が奪われてしまったのは内緒だ。
胸元から下は紺色のコルセットにフレア状のミニスカート。スカートには、申し訳程度のエプロンのフリルがついている。
さらに、白いニーハイソックスを着用し、絶対領域まで演出していた。
全体的に見ても、ここの店の衣装は露出が高く、鎖骨辺りの他にも腕はほぼ隠れてない。
俺は悟った――この店は、レベルが高いと!
そんな中、リミは初めてのメイドカフェに興奮し息巻いている俺をスルーして、店内の様子をあちこち探っている。
ついメイドさんに見惚れてしまうのは仕方ないとはいえ、確かに初めて訪れたメイドカフェの雰囲気がどんなものなのかは気にしてしまうものだ。
この店は、その名の通り全体的にメルヘンな彩りで飾られている。
男からすると馴染みが無い感じだが、こういう雰囲気なら女性受けも良さそうだ。
「こちらの席になりま~す。後ほど、ご注文お伺いに来ます。それでは」
リミと向かい合うように座ると、メイドさんはメニューを置いて去ってしまった。
着席したことで視線が下がったのもあって気づいたが、この店ではコルセットのあたりに名札が着けられているようだ。
ついでに、他の客との応対を見ていると、主な客層であるお一人様の男性客は、過度に緊張している者や鼻の下を伸ばしている者、それに親し気に話しているのは常連だろうか。
どの客を見ても不愉快なもので、客観的に見れば自分もああいう風に見えるのかと思うと、急にげんなりしてしまう。
所謂オタクという言葉が認知され始めたのも昔の話で、今はその言葉自体が風化しつつあるが、そのオタクがオタクであることを辞める原因の一つとして挙げられるのが、これだ。
人の振り見て我が振り直せというように、自分はこんな奴と同類なのか――と心底嫌気が差して、それと同時に今まで好きだった物にさえ、その気持ちを失ってしまうという。
これはオタクに限った話ではないが、俺の考えとしては、自分が好きであるものを、他人の所為でその気持ちを蔑ろにされてしまうのは勿体ないと思っている。
要は、自分がそれを好きなら、他者を気にせず、好きな事を誇らしく思えということだ。
これを実行し、維持し続けるのは難しいことではあるが、他人に振り回される人生を送るより、その方が遥かに充実しているのではないかと思う。
「…来たわ」
一人小難しい話を頭の中で繰り広げている間も、先ほどから黙り込んでいたリミがようやく口を開いたかと思えば、何やらさらに険しい表情をしている。
「来たって、何が…?」
訳も分からない俺に対して彼女は手招きして、耳を貸して――といっているようだったので耳を近づけると、周りに聞こえないようにこう言った。
「アダマよ。さっきから、店の奥でアダマの気配がしてたんだけど、出てきたみたいね」
まさか、お昼を食べに休憩がてら寄ったこんな場所で遭遇することになるとは…。
「……あっ、ホラッ、今出てきたあの子」
リミが目を向ける先にいたのは、確かに先程までホールにはいなかったメイドさんだ。
他のメイドさんと同じように青いリボンをしており、杏色に染まった長い髪をふわりと下ろし、毛先を内側に巻くようにして靡かせている。
そして、遠目から見てもわかる巨乳っぷりは、店内のメイドの中でも随一の迫力を誇る。
彼女のグラマラスなボディに合うサイズが無いのか、もう少しで先っちょまで見えてしまいそうなほどで、ちょっとしたきっかけがあれば、ポロリとこぼれてしまいそうだ。
それ以外で他のメイドと一線を画す大きな違いが、胸の谷間に下半分が挟まれている首から下げた大きめのカギ。
あれを、どのような意図があって下げているのかはわからない。
ただ、色々と人間離れしているのは事実だ。
「あのカギをぶら下げた子か?」
「そう。彼女は…」
リミに確認を取り、近くを通ったその例のメイドを再び見て、名札を確かめる。
そこには、こう書かれていた。
「『エルシー』よ」
「で、エルシーって強いのか?」
予定外のアダマの遭遇に対処するため、まずは相手の戦力を探ろうとする。
こっそり新型デバイスを取り出して、サーチモードのレーダーで確認してみれば、リミニスの3に対して、彼女は5と強さの表示が映し出されていた。
「闇の世界の尺度でいえば、強いというほど強くはないわ。わりと平凡な強さよ」
「でも、リミは正面から戦っても勝てないんだよな?」
あまり言いたくないものだが、ここで遠慮して後の失態に繋がることは避けたかったので、敢えてハッキリ聞けば、少女は少し申し訳なさそうな顔をしつつも、正直に答える。
「馬鹿正直に真正面から殺り合えば、基本的にはそこに表示されてる数値の大きい方が勝つと思っていいわ。そのための参考に数値化してるわけだし」
「でも、実際は相性や色んな要素に影響されるし、時には運も絡むから絶対とは言えない」
「それに、現状は無理だけど、こっちが複数のアダマで戦う場合はまた変わってくる」
「戦術次第でもあるけど、数の分があれば多少格上の相手でも倒すことは可能だと思う」
「今回でいえば、積極的にバトルに持ち込むのは得策ではないが、最後の手段としてバトルすることも有り得る。って具合か」
「そうね。エルシーの能力は分からないし、単純な力がこっちよりも上でしょうから、私としてもその方が嬉しいわ」
アダマにはそれぞれ固有の特殊能力があり、それがさらに強さを裏付けるものであったり、個性を引き立てるものになっているという。
戦闘に特化した能力から、非戦闘用の能力まで千差万別らしいが、これは闇の世界のアダマに限らず、別の世界のアダマでも持っている者がほとんどらしい。
「出来れば話が通じる奴で、和解に持っていければいいが…」
「相手がヘルビーストのような野獣だったら、まず通じない考えだけど…彼女も、私と同じアビスデーモン。少しは見込みがあると思うわ」
「なんとか、やってみるしかないか」
「念の為、いつでも動けるようにしておいてくれ。……最悪、契約できなくても構わないから、迷わず殺せ」
「イエス、マスター」
お互いに覚悟を決めると、相方の目を見て静かに頷いた。
「ちょっと、そこの、え~っとエルシーちゃん?注文いいかな?」
「はーい、少々お待ちくださーい」
人間を装ってメイドとして接客する彼女は、軽い足取りでこちらの座席までやってきた。
改めて間近で見ても、人間と相違ない。ただ、他の人よりも少し浮くほど美人なだけで。
「ご注文でしたね、オーダーをどうぞ」
「あ、その前に、ちょっといいかな?」
「は、はい」
ジェスチャーで耳を貸すよう促すと、躊躇いながらこちらに耳を傾けた。
「ねぇ、キミさ、ここで働いて長いの?」
「ええっと、大体2か月ぐらいですけど…」
表情に曇りが見え始め、彼女はスカウトか何かと窺っているようだった。
「へぇ、じゃあさ…なんでこんなところで働いてるの?…アダマなのに」
突然核心を突く質問と、『アダマ』という単語を聞いてビクッと身体を反応させた。
「ど、どうしてわかっ…て、あっ、あのっ」
きっと、途惑う彼女の頭の中では、どうして見抜かれたのか。あるいは、自分が何かヘマをしたのか。そして、バレてしまった以上、これから自分がどうなってしまうのかと様々なことが駆け巡っていることだろう。
ちなみに、補足しておくとアダマが働くということは、まず無い。
そもそも、アダマを使役するためにはデバイスが必要で、そのデバイスは自衛隊など極一部の人間しか持っていない所為でもある。
なので、精々働いていても、自衛隊によって使役されているアダマが、筋力・体力面や移動目的で扱われることがほどんど。
サービス業である飲食店、しかもメイドカフェで働いてるアダマなんて例外中の例外だ。
「えっと、お店には内緒にしてるので、これ以上込み入ったお話しをするにも、ここだとちょっとマズいですから、お店を出てから裏口の方へ回ってもらえますか?」
「わかった、そうしよう」
少し狼狽したものの、すぐに立て直し、営業スマイルで放った言葉は、まるで「後で屋上な」と言っているようだったが、何にせよ、交渉の余地はあるらしい。
店にはアダマであることを隠して働いているというのは、交渉のための一つのカードにそうだし、この誘いが口封じでなければ、不可能ではなさそうだ。
「リミ。とりあえず、飯にしよう」
「それじゃ、俺はこのメイドさんの愛なんとかたっぷりオムライスで。リミは?」
「同じので良い」
「はーい、オムライス2つですねー。ドリンクの方はよろしいですか~?…はい、かしこまりました。もう少々お待ちくださ~い」
注文をさっさと終えて、まずは第一段階を潜り抜けたと思い、少し気を緩める。
そんな中、オーダーを確認し終えたエルシーが席から離れようとしたが、一旦立ち止まるとこちらへ振り返いた。
「お二人とも、殺気を飛ばし過ぎでしたよ。フフッ。特にそっちの彼女」
いつから、見抜かれていたのか。
コバルトグリーンの鋭い眼光は負けじと殺気を飛ばしてきて、全くと言っていいほど、この店の雰囲気に似つかわしくない。
やはり、ああ見えて彼女もアダマ。侮っていては、足元を掬われるやもしれん。
メイド喫茶、あるいはメイドカフェといえば、定番の料理であるオムライス。
この店でも、やはり定番の呪文的なものが催されていたが、今の心境では楽しめるものではない上に、シャイボーイの俺には向いてないなと実感した。
一方で、そんなことを平然とやってのけるメイドさんたちのメンタルには感心する。
せめて、あの恥ずかしい呪文が、運気が上がるおまじないにでもなってくれれば幸いだと思いながら、スプーンを片手に食べ始めた。
しかし、味の割に高いというのがこの手の店ではお約束の通り、大した味ではなかった。
というよりも、この後の事を考えて緊張感が高まっていた所為で、そもそも味がよく分からなかったのである。
「リミ。どうだ?美味しいか?」
「うーん…強いていうなら、普通ね」
彼女からしても、特別美味しいというほどではないようだった。
そもそも、日本人と海外の人でも、育ってきた食文化の違いから一般的な好みが違うといわれているので、別次元世界から来たアダマの彼女であれば、その傾向は全く窺い知れない。
「うっぷす…」
「ご馳走様」
値段も高いし、残すのも勿体ないという貧乏性の考えの下、黙々と口に運んで平らげた。
でも、こんな調子でいては、勝てる勝負も勝てなくなると思い直し、店を出る前にメイドさんたちの働く様子をしばらく眺めて気分転換を試みる。
「お呼びですか、ご主人様?」
「お帰りなさいませ、ご主人様。こちらへどうぞ」
歩く度に豊かな胸がぽよんぽよん揺れたり、前屈みになった時にスカートから何かが見えそうになる様をチラチラと窺っていれば、健全な男子というのは自然に元気が出るものだ。
「はぁ~ぁ…、こんな時に暢気なものね」
他の女に鼻の下を伸ばす様子を見れば、リミも呆れて肩の力が抜けたようだった。
「ショウヤは、ああいう服装が好きなの?それとも、あんな風に甲斐甲斐しくお世話してくれる従者自体が欲しいのかしら?」
「うーん…それは、難しい質問だな」
「何言ってるの。結局は、女の子とイイコトしたいって考えてるだけでしょ?」
「まあ、否定はしない」
「もう…そんなに好きなら、後で私が一肌脱いであげるわよ」
「お?いいねぇ」
「だから、絶対上手くやりましょ」
「ああ、そうだな」
士気を高めた一方で、程よく緊張感の抜けた俺たちは、いよいよ席を立った。
テーブルに置かれていたレシートを片手にレジへ向かうと、その様子に気付いたメイドさんがいち早く動いたが、エルシーが彼女を引き留めて、私が行くからと制していた。
そのまま、ぶるんぶるん暴れるいやらしい身体を振り乱して早足でやってくると、人目もあるので一応まだメイドとして接してくる。
「お勘定の際は、席を立つ前にお申し付け下さって良かったんですよ」
「あ、ああ…そうなんだ。知らなかった」
「次からは、そうしてくださいね。…次があるかは、分かりませんけど」
他の客に聞こえない程度の小声で皮肉を言うメイドに、素っ気なくレシートを手渡す。
「はい、合計で2600円になりまーす」
こちらのミスもあって、彼女から余裕が見てとれるのが、余計不愉快な気分にさせる。
割高の値段も然ることながら、わざわざ金を出して不快な思いをする羽目になったことを遺憾に思いながら、財布から現金を取り出して支払った。
「それでは、外までお見送りしますね」
一応ご主人様とメイドの関係をロールプレイしている類の店なので、最後に客を送り出すシステムらしいが、ついて来られると後ろから刺されそうな予感がして、嬉しくはなかった。
店の外まであと一歩、という所まで来て振り返ると、エルシーは目で合図を送った。
「それでは、ご主人様・お嬢様、いってらっしゃいませ」
メイドさんからの「いってらっしゃいませ」という送り出しが、『逝く』という違う漢字で言っているようにも捉えられて、まさかこうも嬉しくないものだとは思わなかった。
エルシーも見た目は良いだけに、できれば次はもっと心躍る気持ちで聞きたいものだ。
一先ず無事に店から出ると、彼女に言われた通り裏口の方へぐるりと回って向かう。
そこはあまり日が差さない細い裏路地で、あまり人気のなさそうな薄暗い場所だった。
「今度こそ決着が着くだろう。どっらに転ぶかは向こう次第だが、気を付けろ」
寄り添うプラチナブロンドの少女は、黙って頷いた。
長い沈黙の中、表の通りから聞こえる喧騒が遠くに聞こえる。
刻一刻と進む時間がひたすら長く感じられて、今か今かと彼女を待ち侘びていた。
もちろん、このまま退散してエルシーから逃げるという手もあった。
しかし、可能性があるのであれば、1体でも多くのアダマと契約を交わして戦力を増強させたい。
それに、ここで逃げたところで、どのみちリミニスが圧勝できる程度の相手でもなければ、同じようなことになるだけだ。
結局、いつかは立ち向かわなければならない時が来る。
前向きに考えを抱いていたところに、程なくして裏口のドアからエルシーが顔を出した。
「少し空いてきたからって、休憩貰ってきたんですよー。わざわざ時間を作ってあげたことに、感謝して欲しいです」
俺たちを待たせたことに対して詫びる様子もなく、彼女は飄々としていた。
メイドであれば、主人を待たせるなど言語道断だが、もう今の彼女と俺たちの関係はそうではなくなったとハッキリ分かる物言いだ。
「悪いね。早速、さっきの質問に戻りたいんだが」
「え~っと、なんでこの店で働いてるのかー、でしたっけ?」
「あぁ、そうだ」
すぐに戦闘へ持ち込もうという雰囲気ではなかったことに安堵し、主導権を握られないように注意しながら、話を促した。
すると、見定めるように視線を飛ばした後、やれやれと言いたげな様子で口を開く。
「偶然この辺を通った時に、この店の制服かわいいなって思って、思い切って店長に相談したら、バイトとして雇ってもらえたんです」
「…アダマであることを伏せて、ですけど」
「随分と、大胆なことをするもんだ」
「あはは…。まあ、今改めて考えるとそうですよね」
エルシーは、少し気恥かしそうに頬を指で掻いた。
働くに至った動機としては、そこらの女子校生と大して変わらないだろう。
そして、売り上げを伸ばすのに一役買ってくれると睨んで、採用されたのが目に浮かぶ。
俺が店の経営者でもそうしただろうし、あわよくば…という淡い期待をしなくもない。
「じゃあ、今度はこっちから質問して良いですか?」
「そうだな。ここは対等に、交互に質問しあった方が良いだろう」
アダマとはいえ、随分理性的でこちらとしては助かる一方だ。
「単刀直入に聞きますけど、わたしを殺すつもりですか?」
その言葉を発した途端、彼女から今までの笑顔が消え、鋭い表情を見せる。
おそらく、ここで答えを間違えたら、もうどちらかが血を見るまで終わらないだろう。
途端に口が重くなるが、変な誤解を招かぬよう誠意を持って正直に答えることに努めた。
「いや、出来ればそうしたくはない。どちらかといえば、仲間になってほしいんだ」
「なかま…?、ですか。でも、あなたは既にアダマを持っているでしょう。ほら、そこにいる彼女。確か、デバイス1つにつき、使役できるのは1体のはずなのでは…?」
「次は、こっちが質問」
「くっ、そうだったわね」
すぐに問いただしたいが、歯痒い思いをしているのが丸分かりだ。
馬鹿正直に相手のペースに乗る必要も無いはずなのに、わざわざ付き合ってくれるのは、アホなのか。あるいは、誠実である故か。
「バイトは2か月くらいやってみて…どう?楽しい?」
「そうですね…。最初のうちは慣れないことでも新鮮でしたから、楽しかったですけれど」
「他のバイトの子とかとうまくいかなかったりで、正直今はあまり…」
同じ人間であっても、人間関係が問題で辞めたり転職する者は昔から多いと聞いた覚えがあるので、常識すら違う存在であれば、それは尚更なのだろう。
アダマが人の中に溶け込むのは、色んな面で大変そうだ。
「では、次はこちらのターンですね」
「そちらの彼女は、あなたの使役しているアダマでしょう?でも、あなたはさらにアダマを使役しようだなんて、デバイスを複数持ち合わせてるとでもいうんですか?」
「お察しの通り、リミニス――いや、リミは俺が契約した俺のアダマだ」
うんうん、とエルシーは自分の推測が間違っていないことを確認するように相槌を打つ。
その一方で、リミはすぐにでも飛び掛かることが出来るように臨戦態勢を取っている。
「だが、後半は似ているようで違うな」
「俺が持っているのは、普通のデバイスとは違う。独自で改良した新型のデバイスだ」
「こいつなら、1体なんてケチくさいことはいわずに複数体のアダマと契約できるのさ」
「…なるほど、そういう事でしたか。デバイスにアダマと契約できる技術がある以上、遠くない未来にそういったものが出てくると危惧していましたが、随分と早かったんですね」
どや顔で説明した俺を全く気にしていなかったが、彼女の疑問は解消されたようだ。
なかなか頭も働くようだし、やはりここで逃がすのは後々厄介になる可能性がある。
なんとしても、契約しなければ。
「じゃあ、こっちから、最後の質問」
深く深呼吸をして、運命の瞬間を迎える。
「バイトを辞めて、俺と来ないか、エルシー」
「……ちょうどバイトの件でも息詰まっていましたし、良いですよ」
――んんっ?
想定外なほどあっさりと許諾されて、思わず耳を疑う。
気のせいか?俺は、てっきり戦う覚悟までしていたのに、一転して友好的な雰囲気を醸し出す彼女からは、もう敵意が感じられなくなっていた。
「お店で見た時も思いましたが、あなたから何か大きくて強い野望や野心を感じました」
「闇の世界の住人としての嵯峨で、そういった強いものに惹かれることがあるんです」
「だから、良いですよ。わたしも、あなたのチカラになりましょう」
何が起こったか理解できず呆けていたうちに理由を説明されると、人間の都合の良い解釈によって、彼女の住んでいた世界では、そういうものなのかなと納得しかけた。
「そのデバイスを持つあなたは、今後この世界でのジョーカーになる気がするんです」
「だから、未来を見据えた上で考え出した、先行投資みたいなものですよ」
「なるほど、それが本音か」
「えぇ、まあ」
なんだか、煽てられているような気さえする話だった。
しかし、この大胆さに決断の早さ、まるであの有名な童話に出てくるアリスみたいだ。
「ちなみに、他にもその改良されたデバイスを持っている方はいるんですか?」
「ああ、俺以外に3人。それぞれ別の地方で、別の世界のアダマと対峙してるだろうけど」
「なるほど、そうですか」
他にもいると聞いて、掌を返すかと思ったのだが、意外とすんなり受け入れたようだ。
それより、腕を組んだことで、さらに強調された胸の膨らみの方が気になって仕方ない。
旗色が良くなったことで、俺も余裕を取り戻してきた兆候なのだろうか。
「それにしても…俺がジョーカー、ね」
「まあ、今のあなたは、どちらかというと…スペードのAって感じですけど」
訂正した彼女の真意は定かではないが、その例えは案外的を得ているのかもしれない。
「それで、仲間にしてくださるのかしら?」
「もちろん」
危惧していた戦闘も回避して、2体目のアダマを確保できるなら願ったり叶ったりだ。
果たして、この先エルシーの言うようになるかはわからないが、今の戦力を補強できることは大きいし、彼女にも協力してもらおう。
「俺は氷室将也。で、こっちはリミニス、普段はリミって呼んでる」
「将也、ですね。それでは、わたしも改めまして…エルシーです。これからよろしく」
「ああ、こちらこそ」
この店一番の見目麗しいメイドさんの写真を収め、新たなアダマとの契約に成功する。
こうして、急遽行われた第2回アダマ契約作戦は、意外にもあっさりと終息を向かえた。
― Contract success ―
with 不思議の悪魔エルシー
契約が完了したアナウンスを見て、やっと今まで張りつめていた気を抜くことができた。
「ふぅ…、疲れた。リミも休んでいいぞ」
「結果的に、何もしないで済んだから良かったわ、ホント」
その場に座り込むと、殺気が消え去った彼女も隣に腰掛けて、安堵の息を漏らした。
「あぁ、お疲れ様」
彼女の肩に手を回し、お互いの無事を祝すと共に、抱き寄せて労った。
リミは嬉しそうに声を漏らすと、俺の肩に頭を乗せるようにして寄り添う。
「…デバイスに戻って休むか?」
「ううん、このままでいい」
まるで、恋人のように身体を預けて甘えてくる。
おかげで、先程の緊張から来るドキドキが、違うドキドキに変わりそうだった。
思えば、女友達なんてものは皆無で、放課後や休日に女の子と出かけたり遊んだりすることすらなかったから、さらに親密な関係で起こり得るこんな体験は絵空事でしかなかった。
女の子に甘えられるのは嬉しいが、気恥ずかしくもあり、ついつい周りを窺ってしまう。
しかし、こんなところに来るのは店の人くらいなものらしく、実際誰が見ているわけでもなかったが、それ故にこっそり逢い引きしているようで、それはそれで胸が高鳴る。
「さて、さっさとずらかるか」
とはいえ、ここでゆっくりしているわけにもいかないので、改めてエルシーを呼び出す。
すると、リミニスの時と同じように、眩い光と共に目の前にエルシーが現れた。
姿かたちどころか、服装までそっくりそのままなので、相変わらずメイド服を着ている。
「きゃっ…」
そこに、間が良いのか悪いのか、フワッと風が吹いてスカートを少し揺らした。
おかげで、スカートの裏地以外の白いものときれいな太ももを一瞬見ることができた。
「あのぅ…、なんの御用で呼び出されたのでしょう…?もしかして、この一瞬のためですか!それとも、リミニスさんとのイチャイチャを見せつけるためですか!?」
突然呼び出されて醜態を晒されることになったエルシーの表情は、それはもう怖かった。
不慮の事故とはいえ、怒るのも無理はない。だが、敢えて言おう――風よ、ありがとう。
「ち、違うって偶然見えただけだし」
「へぇ…。ホントですかぁ?」
実際弁明の通りなのだが、圧が強い疑いの眼差しが襲い掛かってきて、冤罪をかけられそうな一抹の不安が過ぎる。
迫り来る大きなバイオームならぬパイオーツは歓迎するが、高圧的な視線はお断りだ。
「あ、アレだよ。すぐに出かけたいからさ、エルシーは他に何か持っていくものがあるんだったら、バックヤードに取りに行ってこいって言いたかったんだよ」
「…そうでしたか、わかりました。すぐに持ってきますね」
渋々引き下がった彼女は、顔を引き攣らせながら、裏口から店へ戻っていった。
ちょっとパンツが見えたくらいで大袈裟な気もするが、大抵の女子はそんなもんだろう。
その辺は、人間でもアダマでも共通認識らしい。
「ところで、なんでさっきから俺の腕を抓ってるんですかね、リミニスさん」
メイドさんの魅惑の三角州を覆う白い物が見えてから、隣人はずっと拗ねた様子だった。
さっきまで、もっと良い雰囲気だったはずなのに、天国と地獄は表裏一体である。
「…ちょっと嬉しがってたでしょ」
「えっ、…あぁ、今のラッキースケベ的なあれ?ま、まぁ少しは…ってイタい、痛い」
正直に答えたのにも関わらず、さらに力を加えられた。
「勘弁してくれよ……」
「お待たせしました」
なんとかリミの機嫌が直った頃、少ない手荷物を持ったエルシーが戻ってきた。
「っておい、その格好のまま行くのかよ」
そう、彼女は未だ先程と同じメイド服を着ていたのだ。
「お店は飽き飽きしてたけど、この服はこの服で気に入ってるからいいんです!」
平然と来ている彼女は、服に罪は無い――とでも言いたいようだ。
街を歩くには目立つが、目の保養の意味を含めると、差し引きゼロだと考え良しとした。
「わかったから、好きにしていいけど。店の方にはなんて言ってきたんだ?」
「な~んにも」
「そか。なら、見つからないうちにさっさと行こう」
立ち上がって尻を叩くと、リミの腕を引いて、歩き出す。
「それで…行くってどこに?」
エルシーも遅れないよう俺たちに続くと、左側に並んで歩き始める。
一緒の道を歩くことになった彼女は、大きな胸をボインボインと揺らしていた。
「そりゃ、仮宿だよ」
アジトへの帰り道がてら、今日は忘れずに食料の調達をして行った。
外食で済ます手もあったが、そもそも俺自身あまり外食をする習慣がなく、好まない。
また、高くつく上にあまり落ち着かないので、いつの間にか自然と嫌厭していた。
しかし、自炊も手間なので、料理上手の可愛い女の子に作ってもらえるのが一番良い。
エルシーが働いていた店の周辺では、人通りもそこそこ多く、彼女の格好と美貌故に目立っていた気がするが、アジトのある禁止区域に近づくと相変わらず清閑としている。
政府から見放された立ち入り禁止区域は、まるで別世界のように静まり返って薄暗闇に覆われており、電光が明るく照らす賑やかな商業地区とは正反対の印象を受けた。
一方で、闇の世界の住人であるリミニスとエルシー、そしてその彼女たちを従えた俺には、まるでお似合いではないかと思うほど、昨日よりも足取りは軽く、気分も穏やかなものだ。
どこもかしこも同じように並ぶ瓦礫の山を避けながら、先導するリミニスの後を追う。
彼女の足には迷いが無く、アジトまで一直線にひょいひょい飛び進んでいる。
それに続くエルシーも、メイドの見た目とは裏腹に身軽なもので、改めてアダマの身体能力を見せつけられているようだった。
そして、すっかり日も落ちた頃、ようやく先日から使っていたアジトへ辿り着いた。
思えば、禁止区域に監視の目も無いので、他の被災者やホームレスがいる可能性はある。
とりあえず、昨日も使った部屋に入ると。買ってきた食料品を冷蔵庫に入れておく。
まだ暑い季節ではないからいいが、冷凍庫が無いのでアイスが保管できないのは問題だ。
「ふぅ…」
帰ってきてから、少し休息を取って足を休ませる。
「ちょっと中を見てきても、いいかしら?」
「ああ、あんまり遠くまで行くなよ」
子供に言い聞かせるようなことを言ってしまったと地味に後悔しながら、ポシェットから取り出したデジカメを持って出かけるリミを見送った。
そういえば、まだこの建物も全部調べたわけではなかったと思い直すのと同時に、帰ってきたばかりで探索に出かける彼女の元気さに目を見張る。
「ここが、アジトですか…。ホテルみたいなところですね」
「まあ、元はホテルだった場所を勝手に使ってるだけだからね」
アジトに来てから、彼女はしばらく辺りをキョロキョロ見回して様子を探っていた。
「でも、ここ禁止区域でしょう?一体、いつからこんなところに…」
不安に思うところはあるようだが、まさか人間の女の子と同じように、ホテルへ連れ込まれたことを心配しているわけではないだろう。
過去には人間の暮らしていた街であっても、とても人が住むような環境ではなくなったこの地に住まうことを信じられないのかもしれない。
「いつって…昨日からさ」
「えっ、昨日?それは、また随分と最近のことですね」
「ちょ~っと訳ありでね。アダマと寝泊りするところを探してて、ここに行き着いてさ」
「もう他のアダマはうろついてないみたいだし、しばらく使おうってことになったんだ」
「そうだったんですか」
「そ。ところで、エルシーは寝泊りとかどうしてたんだ?身分証明とか、厄介だっただろ」
「そうそう。確かに、最初はすごく困りまして。野宿だったりこういう空き家を探しては、勝手に使わせてもらっていた時期もありましたね」
「でも、あの店でバイトをするようになってからは、店長さんがご厚意で家を紹介して下さったり、給料を日払いで貰ったりしてなんとか過ごしていましたわ」
やはり、アダマがこの世界で普通に暮らすというのは、なかなか難しいようだ。
「なるほどね。さて、そろそろ俺も風呂行こうかな。エルシーも、適当に使っていいから」
そう言い残すと、今日一日の疲れを癒すためにシャワールームへ向かう。
「あ、はい。電気とか水道は通ってるんですね。それなら、わたしも入ってこようかしら」
「なら、この部屋のやつ使っていいよ。俺は隣の部屋で入ってくるからさ」
「あら、いいんですか?では、お言葉に甘えて」
欲をいえば、一緒に入りたい気持ちもあったが、ここのシャワールームはホテルという例に漏れず、トイレも一緒に収まっている3点ユニットバスで、二人で入るにはかなり狭い。
せめて、洗い場と浴槽が別であればまだしも、これでは身体を密着せざるを得ない。
女の子との入浴であれば、それはそれで望むところなので、また別の機会にあればいいなと心のどこかで思いつつ、隣の部屋へ移動してシャワーを浴びることにした。
隣の部屋も、問題なくシャワーが機能しているのは予想通りで、冷蔵庫も生きていた。
今頃、エルシーもシャワーを浴びているのかと、いらぬ妄想を巡らせながら身体の隅々まで念入りに洗うと、湯船に浸かってのんびりと寛いだ。
人であれアダマであれ、善人であれ悪人であれ、休息は必要であり、特に風呂は格別だ。
風呂から上がって、元いた部屋に戻る途中、廊下でリミとばったり遭遇する。
「どこ行ってたんだ、リミ」
「このホテルのいろんなところを撮ってたの」
「へぇ、なんかいいものは撮れたかい?」
「ううん、特別綺麗なものとかはなかったの。でもね、ここであなたと過ごした時間を記録しておきたくて」
そういえば、今日も出先のあっちこっちでシャッターを切っていた気がする。
「そっか。…ところで、そろそろ夕飯食おうと思っていたんだが」
「ん?もしかして…それってつまり、昨日みたいなことをしようってこと?」
深読みした彼女は、俺の心を見透かしたようにニヤニヤしていたが満更でも無さそうだ。
「あ~、今のはそうじゃなくて、普通に食事しようかって意味だったんだけど」
「あら、そう。残念」
「今日はちょっとな、別の考えがあって」
「ふ~ん…」
それから一緒に部屋に戻ったが、彼女は少々拗ねてしまい、そっぽを向いていた。
二人きりの静かな部屋の中で水音が鳴り響いており、未だ入浴中であることを知る。
「エルシーはまだみたいだな。…先に食べてるか」
「そうね」
女の風呂は長いと相場が決まっているので、買ってきた食料を適当に漁る。
ファストフードや出来合いの物を中心に買ってきたので、昨日よりは余程満足感がある。
またも女の子が入浴中の傍らで食事することになったが、それほど意識せずに済んだ。
もちろん、それはもう一人の監視の目があったから、というだけではないはずだ。
そんなリミは割と小食なのか、大した量を食べずに食事を終えた。
そういえば、昨日アダマは人間よりも燃費が良いとか言っていた気がしないでもない。
それにしても、元がラブホなだけあって、キッチンがないのがネックだった。
コンロはともかく、せめて電子レンジがあれば…と思わずにはいられない。
まだしばらくこの場所を使うつもりでいるので、なんとかならないかと思案を巡らせる。
「そういえば、そのポシェットの使い心地はどうだ?」
「ああ、これね。そのまま持ち歩くより、ずっといいわ。ふふっ、ありがと」
思いの外喜んでもらえたのなら、買った甲斐もあるというものだ。
「でも、それで良かったのか?もっと大人っぽい物もあったし、似合いそうだったけど」
「あら、そう?確かに迷ったけど、こっちの方が良いかなって思ったの」
「ふーん。まあ、気に入ってるならいいか」
不思議なことにリミニスは外見こそ幼い少女のようだが、中身はわりと大人びているように思えるので、見た目に合わせればかわいい系、精神年齢に合わせればシックなポシェットが似合いそうだったので、どちらを選ぶのか興味深かった覚えがある。
結局、今のキャラクター物のような可愛らしいポシェットを買ったわけだが、俺としては、革製の黒や茶色の物を選ぶと思っていたので、かなり意外だった。
「ふぅ…、いいお湯でした」
食べたものから出たゴミを片付け終えた頃、エルシーがシャワールームから出てきた。
しかも、その身に白いバスタオルを巻きつけただけの、何とも無防備な姿だ。
火照った様子の彼女は、お風呂上りな所為か、余計に肌がツヤツヤして綺麗に見える。
そんな情欲をかき立てる姿を見せられては、こちらも相応に答える他あるまい。
「俺たち、先に飯食っちゃったんだけどさ…。エルシーもご飯欲しい、よね?」
意味深な言い方をしたことで、リミはハッと気づいたが、当人はそうではなかった。
「そうですね。しばらくは普通に食事を摂っていただけですし、出来れば欲しいですけど」
彼女の答えを聞いて、思わずニヤけてしまった。
「じゃあ、俺のマナをあげるよ。その代わり、ちょっと手伝ってもらうことになるけど」
「えっ、それって…」
今の言葉でようやく察したのか、エルシーは身の危険を感じて一歩引き下がる。
その様子を見守るリミも、やはり…と察していたが、止めようとはしなかった。
この場には他の誰も目もなく、何をしても咎める人間はいない。
人間を縛る法律も、アダマ相手では意味をなさない。
となれば、もう誰も俺の欲望を押し留めることはできず、律する必要の無くなった理性はあっけなく彼方へと飛んでいった。
「こういう事だよ、エルシー」
彼女を逃がさないよう詰め寄ると、それに合わせて彼女も下がろうとして壁にぶつかる。
「将也…」
逃げ場のなくなった彼女は、期待半分不安半分の目で俺の様子を窺っていた。
そんな彼女の瑞々しい唇を奪い、さらに身体を密着させようとすれば、真っ先に豊満な胸が胸板に当たってふにょんと押し広がる。
「んっ…ちゅっ…んんぅ……。将也って、意外と大胆なんですね」
「エルシーほどじゃないよ」
これでビンタでも食らおうものなら笑い者だが、どうやら彼女も満更ではなかったようで、突然のことに驚いたものの受け入れてくれた。
もう彼女から不安は感じられず、期待の籠った眼差しを向けられる。
「ねぇ…、将也。せっかくだから、わたしのこと『エル』って呼んでくれませんか?」
「分かった、エルだな。今度から、そう呼ぶことにしよう」
「んふっ、嬉しい…んっ、ちゅぅ……」
愛称で呼ぶことを許されたのは、さらに親密な関係を築けているようで嬉しかったが、その喜びも束の間、今度は自分からキスしてくれたことに、もっと大きな喜びを感じていた。
「エル…」
「将也…。マナの補給は、これだけで終わりじゃないですよね?」
「ああ、もちろんさ」
自然と豊かな膨らみに手を伸ばし、期待を孕んだコバルトグリーンの瞳に答えた。
「私の事も、忘れないでよね」
二人を見つめるもう一人の少女もまた、期待の目を向けていた。
意外と簡単に事が運んだことに驚くも、彼女が俺を受け入れてくれたことを嬉しく思う。
というか、アダマというのは見初めた相手に身体を許すのが早いのだろうか。
日本と海外でも貞操観念の考え方は違うと聞くので、お国柄ということだろう。
それにしては、初めてだったのだから、やはり意外である。
どちらにせよ、俺は良い思いができるし、彼女たちは力の源であるマナを補給できるので、お互いに利がある関係なのだから、何も問題はない。
「ふぅ…」
「将也…」
「マスター…」
後始末を終え、皆一様に裸でベッドに寝ると、彼女たちはさらに身を寄せて寄り添う。
左右どちらを向いても、それぞれの艶めかしい姿が艶然とした表情と共に映る。
両手に花とは、まさにこの為に生まれた言葉だろう。
より肉感的な体付きをしているのはエルだが、リミは機嫌を損ねなければ、『マスター』と呼んでくれるのが定着し始めており、一応主として認められたようで嬉しい限りである。
「二人とも、お疲れ様」
主に身体を張ったのはエルだったが、助力したリミにもボディタッチを含めて労った。
もう二人が手を払う心配も無いので、遠慮なく手を伸ばせるというものだ。
「あぁん。マスター、またそこばっかり触って…」
リミなんてこの通り、慣れたもんだ。
「あっ、もう…将也ぁ。でも、将也もお疲れ様。あんなに激しく…いえ、いっぱいマナをくれて…わたしのナカが満たされてるのを感じる」
「マナの供給もそうだけど、こんなに気持ち良くて、心地良いなんて…、癖になりそう…」
下腹部を擦ってうっとりと答えたエルは、中々のご満悦だ。
一夜を共にしたことで口調も砕けて、より親密な仲になったことも窺い知れる。
どうやら、随分気に入ってくれたらしいので、これは今後も期待できそうだ。
「心配するな。またいくらでもくれてやるよ」
「んふふっ…楽しみね」
「今度は、私にもお願いね」
「分かってるって」
恍惚の表情を浮かべる二人を抱き寄せると、疲労感やお互いの体温に身を任せ、眠りに落ちるのだった。
翌朝、下半身に違和感を感じて目が覚めた。
昨晩張り切り過ぎた所為かと嬉しい悲鳴を上げながら、視線を下に移して確認する。
そういえば、何も着ないまま寝てしまったことを肌色率の高い景色を見てから思い出したが、どうやらそれどころではなさそうだ。
「あなたは昨日散々可愛がってもらったでしょ?今日は私がマスターとするの」
「いいえ。昨日してもらったからって、今日は譲らなければいけない理由にはなりません」
当人の与り知らぬところで、いつの間にか麗しい二人が火花を散らしていた。
どうやら、どちらが寵愛を受けるかということを巡って、舵を取り合っているらしい。
「何やってんだ、お前ら」
身体を起こすと、まだ二人も裸のままで目の保養になるが、とても良い雰囲気ではない。
「朝一番のマスターのマナを貰おうとしたら、この子が割り込んできて…」
「ちょっと!あなたが抜け駆けしたんでしょう?わたしも濃厚な一番搾り欲しいんだから」
いいですか?あくまで、マナの話をしてるんですよ、みなさん。
きっと、朝一に搾りたての牛乳が美味しいのと同じような感覚なのだろう。
「ねぇ、マスター。また私のナカに、いっぱい注いでほしいな」
さらにエスカレートしたリミニスは幼い顔立ちながら、しなを作って男を誘っていた。
それを見たエルシーも、負けてられないと奮起して、自分の武器を最大限利用する。
「ほら、将也はこういうの好きでしょう?フフッ、昨日もいっぱい触ってたし、今日も好きなだけ触っていいのよ?」
立派に育った女性的な膨らみを俺に押し付け、スリスリと擦って情欲を煽っていく。
「うぅっ…、堪らん…!」
かわいい二人に求められるのは、男として願っても無いことだ。
しかし、この状況はいただけない。
2体目のアダマであるエルシーを仲間に引き入れて、さらに美味しい思いまでできたかと思えば、もう修羅場を迎えているではないか。
俺を慕う二人が言い争いになるのは、是としない。
「この際だから、今のうちに言っておこう。今はリミとエルだけだが、今後色んなアダマと契約して戦力を増やしていくつもりだ」
「当然、二人のように人型の女アダマを手に入れることもあるだろう。そうしたら、俺はまた二人の時と同じようにマナを供給するね。これは断言できる」
「しかし、その度にいちいち取り合いになったり、争いが起きるのは本望ではない。それはわかってくれ」
「それに、俺の使役するアダマ同士、今後は戦闘で協力することも視野に入れているから、お互いがお互いの足を引っ張り合う無様なことは勘弁してほしい」
「難しいだろうが、譲るときは譲れ。でないと…俺のハーレムができないじゃないか!」
少しの静寂の後、手を止めて聞いていた二人は、お互いに顔を見合わせてから口を開く。
「よーくわかったわ」
「えぇ、私も」
そして、意気投合して頷いた。
「「あなたがエッチなことしか考えてないってことがね!!」」
「そりゃそうだ。そこいらの人間の女よりも、よっぽどカワイイお前らと好きなだけヤれるんだぞ。むしろ、男ならそのくらい考えて当然だ」
無駄に誇らしげな俺を前に、女性陣は揃って呆れた顔をしている。
「まぁ英雄色を好むっていうし…、英雄って感じじゃないけど」
「そうね、どちらかといえば魔王に近いかしら?」
「ええ、そっちの方がしっくりくるわ」
酷い言われ様だが、正義のヒーローのような英雄として祀り上げられるよりは、よっぽど性に合っている気もした。
「それで、どうするつもりだ?二人ともお預けか、二人で協力するか、決まったか?」
「はぁ…。分かったわよ」
「これ以上のお預けは勘弁してほしいもの、仕方ないわ」
双方が折れる形で、無事に和解が成立した。
しかし、実際お預けを食らったら、一番辛いのは俺だった気もする。
裸の美少女二人を前に、何もされずに放置されては、生殺し同然なのだから。
「まあ、最初はそれでいい。あとは、一緒に過ごしているうちに自然と仲も深まるだろう」
「仲良くなるには、裸の付き合いが一番ってな、ははっ」
「それは、こういう意味じゃなかったと思うけど」
二人を抱き寄せて、それぞれの頬にキスすると、彼女たちも満更では無さそうだ。
「ほっぺじゃなくて、口にしてくれて良かったのに」
「じゃあ、わたしたちからもお返ししましょうか…。ちゅっ」
エルがかわいく拗ねたリミに同調すると、二人は同時に左右から頬へキスを返した。
「そうそう、これこれ」
甘い香りとぷるんとした感触が押し寄せ、思わずにんまりと頬が緩む。
「もう、調子良いんだから」
「でも、だらしない顔はともかく、確かに悪い気はしなかったわ」
両脇に侍らせた美少女たちは、自然と再び俺の舵を取ると、今度は協力して動き始める。
「今度は二人で」
「気持ち良くしてあげるわ」
「へへっ、そう来なくっちゃ」
魅惑的な誘いを受けたこともあり、朝も早よから彼女たちと戯れることに精を出した。
ふと目を覚ますと、両サイドに二人が姿があり、安らかな寝息を立てて眠っている。
疲れに身を任せて先に寝てしまったが、リミとエルの二人も一緒に寝てしまったらしい。
朝から散々搾り出されて疲れる羽目になったが、そのおかげもあって結果的には二人の仲を険悪にせずに済んだので、これからの協力体制も問題なさそうだ。
まさに一石二鳥な出来事に大いに満足して、眠りについたのを覚えている。
「無防備な寝顔しちゃって…」
なんとなく手が伸びて、寝ている彼女たちの頭をそっと撫でた。
「ふぁぁ…。それにしても、眠いな。シャワーでも浴びてくるか」
二度寝してしまった分、体力は回復したが、どことなく気怠い感じが尾を引いていた。
とりあえず、二人を起こさないようにベッドを抜き出ると、シャワールームへ向かう。
人間の女の子との経験がないので比べようは無いが、それにしても、彼女たちアダマの女の子の食欲(?)は底知れないと改めて思った。
こちらの衝動に身を任せてヤっていたつもりが、いつしか向こうからも求められていた。
この調子で増やしていくと、遠からず体力的な問題にもぶつかるだろう。
物事が上手くいくのは良いが、それはそれで困ってしまうところだ。
ろくでもないことを考えながらシャワーを終えて戻ると、渦中の二人も既に起きていた。
二人ともシーツで肌を隠して身体を起こしているが、そんな姿で出迎えられたら、却って男は皆一様にヤる気を見せるだろう。
俺も散々搾り取られていなければ、また彼女たちの世話になるところだった。
「マスター、おはようございます、でいいのかしら?」
「いいんじゃない?おはよう、将也」
「リミもエルも、もう昼だけどおはよう」
スマホの代わりにデバイスで時刻を確認して、もうお昼まで時間が回っていたことに驚くが、確かに一度起きてイチャイチャしてから寝直したのだから、それもそうかと思い直す。
しかし、そう認識した途端にお腹が空いた気になってしまった。
「二人はなんか食べるか?」
「私は、さっきマスターにいっぱいもらったから平気。それより、シャワー浴びてくる」
自身の下腹部を擦りながら微笑むと、リミはとてとてとシャワールームへ向かった。
「そ、そうね。今日も将也にたっぷり貰ったから、わたしも特には…」
エルは今更思い出して気恥ずかしくなったのか、少し頬が赤く染まっていた。
その時は夢中でも、改めて思い返して恥ずかしくなるのは、人間もアダマも同じらしい。
「そうか。じゃあ、俺はなんか適当に食おうかな」
朝食兼昼飯を求めて冷蔵庫に手を伸ばした途端、ふとあることを思い出した。
「あ、そうだ。二人とも…」
そして、すぐに呼び止めた時には、リミがシャワールームへ入る寸前のところだった。
「この後、改めてこの周囲を探索してみよう」
「キッチンに洗濯機とか、そういうものが見つかると良いんだがな」
「そういう事なら、わたしもシャワーを浴びて、支度しないと」
ベッドから立ち上がったエルシーは、そのまま着替えを持って、ドアの方へ歩き出した。
俺も出かける支度をしようと、まずは二人がシャワーを浴びている間に服を着た。
自宅でも裸でうろつくことは無かったのに、今や裸でいても違和感がないのが恐ろしい。
しばらくすると、部屋のシャワールームからだけでなく、隣からも水音が聞こえてきた。
しかし、それも気に留めないで、冷蔵庫に保管しておいた10秒でチャージできそうなエネルギーゼリーを口に入れる。
ほのかなリンゴ味が口に広がると、あっという間に喉へ吸い込まれて、胃に収まる。
あまり食った気はしなかったが、栄養はそれなりに入っていた気がする。
さくっと食事を終えた後、今度はデバイスを触って軽くニュースを漁った。
先日、リミニスを手に入れた時の件で報道されているかどうかを確認したかったのだ。
少し探してみれば、それはわりと早く見つかった。
要約すると内容はこうだ。
大きいカメラ屋にて5Fフロアの人間が全員殺されており、一部商品と金品が盗まれた。
しかし、監視カメラが壊されていたこともあり、その犯人は不明。
ただ、アダマの線でも追っているらしく未だ捜索中――ということらしい。
顔がバレてないだけ良かったが、念の為あの近辺に行くのはもうやめた方が良いだろう。
それから、例のアプリで周囲の様子を確認しているうちに、二人も着替えて戻ってきた。
ちなみに、周囲に他のアダマの反応は無かった。
「準備できました」
「わたしもオッケーよ」
ポシェットを肩にかけたリミと、初めて見る私服に着替えていたエルはやる気満々だ。
ちなみに、エルシーの私服というのは――。
青を基調としたワンピースに白いエプロンドレスといった如何にも『アリス』といったイメージ感じだった。
ただ、胸元は大きく空いていて相変わらずご自慢の谷間が見えていたりと、なんとも眼福な素晴らしいものであった。
「それじゃ、行くか」
残念ながら、このホテルでは洗濯機すら見当たらず、他を当たるしかなかった。
営業時は、おそらくベッドシーツの交換をクリーニングで済ませていたと考えられる。
「とりあえず、この近場で利用できるのが最良だから、ここの近所から探そう」
「「はーい」」
彼女たちの暢気な返事を合図に、静寂に包まれている禁止区域の中、探索は開始された。
夜の禁止区域は明かりも乏しいので、眠らない街といわれた東京の中に、ぽっかりと暗黒が生まれたような様だったが、昼間となればまた雰囲気が違う。
とはいえ、瓦礫が散乱している無法地帯なので、それが見てとれる惨状となっている。
高層ビルやマンションなど高い建物は悉く壊されていて、少なくとも半壊していた。
これがまた厄介で、地に足の付いた部分は吹き抜けて瓦礫の山になっていたり、そうでなくとも何かの拍子でまた崩れてしまう危険性があるので、立ち入るのは危ない。
そして、倒れてしまった上部は、近隣の家屋を押し潰して二次被害を拡大させている。
こうした光景がビルの数だけあるといえば、その悲惨な状況が少しは理解できるだろう。
「それにしても…どうやったら、あんな風にビルが真っ二つにされちまうんだ…」
「わたしには、あんな芸当無理だわ。もっと強くて大きなアダマでもいたんでしょうね」
フィクションでしか見たことの無い痛々しい傷跡を目の当たりにして、言葉を失う。
「将也。ボーっとしてないで、行くわよ」
「あ、あぁ…」
改めて周囲の現状を鑑みると、今使っている場所はよく無事に残っていたものだ。
「さすがに、隣近所には無かったか」
「でも、大きい建物に被害が集中してるから、小さい建物は無事なものもありそうよ」
リミの言う通り、小さな商店のような建物はそのまま残っているものも見受けられる。
とはいえ、それも僅かだが、彼女に続いて道なき道を歩くと、健在な家屋を見つけた。
壁にひび割れもなく、中の様子を窺っても瓦礫で埋まっているわけではなさそうだった。
「ここは…定食屋かなんかか」
店先の看板は剥がれ落ちてしまって店名は分からなかったが、店内の壁に貼られているいくつものメニューの紙を見てそう判断した。
当然、店には他に誰の気配もなく、以前の活気ある雰囲気を思わせるどころか整然としている。
一人も客のいない店ほど寂しいものは無いが、営業する人も居なければ客が来ることも無いこの場所ではこの有様でも仕方ない。
今頃、ここの店主は逃げ果せて、心機一転新たな店を営んでいるのか。はたまた、既に死んでしまったのか。俺にそれを知る術は無く、実はそこまで興味も無かった。
興味があるのは、この店の機能が生きているかどうか。
奥の厨房へ回ると、まず目に入ったのがガスコンロだった。
「ガスか…。一応、試す前にボンベの方を見ておこう」
仮にガス漏れしていても、もう3年くらい前の話なので既にガスが抜けきっていると考えられる。
なので、火を付けた途端にドカンと爆発するとは考えにくいが、念の為だ。
二人を残して裏口のドアから裏へ回ると、4本連なって置かれたプロパンガスボンベの様子を隈なく調べる。
これで穴でも開いていようものなら、あのコンロはもはや飾りにしかならないだろう。
しかし、俺の調べでは、幸いなことに大きな傷は無いと判断した。
充填期限と書かれた日付もまだ先のようだし、問題なさそうだ。
これで何かの間違いでコンロの口を捻った途端に爆発したら笑えないので、内心ちょっとドキドキしながら店に戻る。
「あ、マスター。どこ行ってたの?」
厨房に行こうと思っていたら先にリミが立っていて、もう既に火を付けていた。
一瞬、驚いてぞわっと冷や汗が出る思いをしたが、青い炎は規則的に燃え盛り正常に動いているように見受けられる。
「いや…そのコンロを使うために、燃料のガスを調べていたんだが…」
まあ、無事に使えるならそれでいいかと胸を撫でおろした。
「そうだったの。それなら、この通りちゃんと使えるみたいよ」
あまりにも平然と答えるので、万が一の事態を予想できない無知とは怖いものだと思い知らされる。
確認もできたリミは一度火を止めると、話を聞きつけたエルもやってきて能天気に口を開く。
「あ、キッチンは使えそうね?わたし、オムライスなら作れるわよ。バイトで作ってたこともあるから」
「へぇ。じゃあ、そのうち作ってもらおうかな」
アダマの味覚を疑うわけではないが、少しだけ不安はある。
日本国内でも関東と関西で味付けや好みが変わってくるので、別世界の住人ではどんな味付けになるか予想もつかないからだ。
とはいえ店で出していたのなら、あまり気負う必要も無さそうか。
「問題は材料ね。こっちの冷蔵庫に何かあればいいけど…うっ、臭い…」
キッチンに置いてあった業務用の大きな冷蔵庫を開けた途端、異臭が一気に拡散した。
エルは咄嗟に冷蔵庫の戸を勢いよく閉めて、鼻を摘まむ。
しかし、一度外に出てしまった臭いは、無慈悲にも俺たちを巻き込んでいく。
「くしゃい…」
「くっせ…。中身全部外に捨てちまえ。どうせ、食えそうなもんは無いだろ」
ずっと冷蔵庫が動いていたとしても、3年もの間放置されていたのだから中身は確認せずとも全滅しているであろうことは容易に想像できる。
つまり、この臭いの原因は腐臭だった。
であれば、中のゴミを取り除いて綺麗に掃除すれば、また使えるようになるだろう。
アジトにも冷蔵庫はあるが、いかんせん小さくて飲み物やちょっとした食べ物を入れるくらいしかできないので、この大きな冷蔵庫があれば保管量は数倍に跳ね上がる。
「きちゃない…」
「うぅっ…強烈…」
「酷い匂いだわ…」
三者三葉に文句を言いながら、なるべく息を止めて腐った物を店の外へ放り出していった。
これでダメなら臭い物には蓋をしろという通り、どこか別の所に隔離するか、あるいは埋めてしまおうと算段を立てていた。
「はぁ…だいぶ、マシになったわね」
「そうだな」
幸い、窓を開けて換気し全て放った後、ドアや窓を閉め切っていればそこまで異臭は気にならない程度だった。
そのうち、烏か何かの鳥が処分してくれることを祈りつつ、そのまま冷蔵庫の掃除を行う。
「じゃあ、ここはエルに任せて、俺は上を調べてこようかな」
「そうしましょ。私も行くわ」
「ああっ、ちょっとっ!」
半ばエルシーに押し付ける形で、逃げるように裏口へ回った。
掃除は女性がやるべき――という概念に囚われたわけではないが、ともすれば吐き気を催しそうな気がしたので辞退した結果である。
また、一般の家庭に置いてあるような冷凍庫より少し大きいとはいえ、人手は三人も必要ないだろうと思ったことも含まれる。
「ちょっとエルシーには酷だったかしら?」
「まあ、大丈夫だろう。それより、こっちを探そう」
先程裏口に回った際に玄関のようなドアの別の入口を見つけていたので、一緒についてきたリミと共にそちらへ向かう。
玄関を抜けてすぐ階段があり随分年季の入った階段を上がると、どうやら2階は住居スペースになっていたらしく浴室などもあるのに加えてさらに部屋が広がっている。
テーブルの上や居間の辺りが特に物で溢れかえって散らかってはいるが、生活感がある程度であり足の踏み場は確保できているので問題無いだろう。
「こっちにもキッチンがあるけど、下が使えるなら特に必要なさそうね」
「いや、そうでもないぜ」
リミの言いたいことは尤もだが、店では使わなくとも家庭で使うような物もある。
「お、あったあった」
特に一人暮らしでは重宝する電子レンジを見つけ、早速適当にボタンを押して動作を確かめる。
もちろん、最新の機種であるはずもないが、そこまで年季の入った古い物でも無さそうなので操作性もそう変わらない。
「これ、なぁに?」
「そうか、リミには馴染みが無いか」
カメラの事もあまり知らなかったくらいなので、きっと闇の世界にはこういう人間が築いてきた文明の利器が無いのだろう。
でも、今後使うことを考えると、リミにも説明をしておくべきだ。
「ものすごーく簡単に言うと、この中に入れたものを、僅かな時間で温める機械だ」
「へぇ…?」
「まあ、そういわれても実感が湧かないっていうか、よく分かんないよな。どれ…」
手近な場所にあった耐熱性と思われる空の湯飲みを拾うと、一度彼女の手に持たせる。
「ん?」
「それ、熱いか?」
「全然。普通ね」
「そう、それでいい。それをレンジにかけると、どう変わるかってことさ」
彼女の手から湯飲みを受け取ると、蛇口から水をある程度注いでから電子レンジに放り込んでピッポッパと操作して温め始める。
すると、ヴゥーンと聞きなれた音が聞こえてきて、リミは中の様子をガラス越しに窺う。
「…何も起こって無いみたいだけど?」
一見すれば、確かに何が起こっているのか分からないだろう。
ターンテーブルのタイプではなかったので、尚更動きが全くない。
人間の目でも遠赤外線や電波は認識できるものではないので、その認識は間違っていない。
それどころか、俺を含めどういう原理で温まるのかなどよく知りもしないのだ。
「まあ、そう見えるよな。それより、途中で開けるなよ」
「開けたらどうなるの?」
開けるなと言われると途端に開けたくなる衝動に駆られる彼女の素朴な疑問に対し、ニヤリと口元を緩ませて答える。
「ドカンと爆発する」
「嘘っ…」
「ウ・ソ」
ちょっとだけ驚いた顔をしたのを見て満足すると、すぐにネタばらししてしまった。
「もう…変な嘘吐かないでよ。信じちゃうところだったじゃない」
「ははっ、悪い悪い。実際は勝手に止まるだけだから、大した問題は無いよ」
「そうなの。でも、変なとこをエルシーに見られてなくて良かった。いえ…むしろ、今度は私が彼女にやり返してあげようかしら」
「残念だが、それは多分無理だな。あいつは、もう何度も使ったことありそうだから」
「どうしてそう思うの?」
「エルに会った時に行った場所あっただろ?」
「ええ。あなたが店員のメイドさんたちに鼻の下を伸ばしていたお店よね?」
「あ、ああ…。ああいう店にはここの1階みたいに厨房があって、おそらく電子レンジも置いてあるはずだ。それなら、しばらく働いていたエルも、それに触れる機会はあったと思うのが自然だろ?」
「うん、なるほどね」
妙な覚え方をされているのは心外だったが、その説明でおおよそ納得できたようだ。
確かに世間的に見れば色物のような店であり、その料理の質は年々上がってはいると一部の界隈では言われていても、実際はメイドさんが作るような事はほとんどなく、裏でおっさんが調理していたり予め作っておいた物を温めて出すだけということもあるのだろう。
そうすると、必然的に電子レンジが必要になるので、当然置いてあっても不思議ではなくなる。
先程、エルはオムライスなら作れるって意気揚々と話していたので、厨房周りの仕事もしていたと裏付けできる。
なので、この推理はそう間違ってもいないはずだ。
チンっ!と合図が響き、歓談していた間にレンジが仕事を終えたことを告げる。
「ちゃんと動いていたなら、温まってるはずだが…あっ、と」
30秒くらい温めれば十分だと思ってはいたが、分かりやすくする為に1分動かしていたので、じっくり持つのは躊躇われるほど温まっていた。
「火傷するほどでもないが、気を付けて触るんだぞ」
「ええ」
半信半疑の彼女に温めた湯飲みを触るよう促すと、リミは然程恐れずに手を伸ばしてスッと持った。
「あっ…確かに、温かくなってるわ」
素直に感心して言葉を漏らした彼女は、そのままゆっくりと湯飲みを戻した。
「触ればわかるが、中の水も温まってるはず…だけど、今はまだ飲むなよ。数年ぶりに動かした水道から出た水となると、飲めたものかは怪しいからな」
「へぇ、そうなの…」
「あぁ…それはともかく、これで温めればすぐ食べられるようなものも売ってるし、レンジがあると何かと便利だからな。2階を調べ終えたら、コンセント引っこ抜いて下まで持って行こうか」
キッチンのガスコンロは移動させられないが、電子レンジを使う度に2階へ上がるのも面倒なので1階に移動させて一か所にまとめてしまった方が効率的だろう。
もはや、ここに引っ越してアジトを構えるという手もあったのだが、まだ今のアジトの方が綺麗でベッドも大きいので寝床まで変えるという考えは無かった。
ラブホの方が綺麗というのもまた可笑しな話だが、実際その通りなのだから仕方ない。
その後、2階に置いてあった洗濯機も動作を確認できたところで、先程の電子レンジを持って階段へ向かった。
「重たいなら、私が持とうか?」
「いや…いいよ。これくらいなら、持てるから」
実際は少し重たかったが、小さな身長のリミに重たい荷物を持たせるのはなんだか気が引けてしまい気持ちだけ受け取って自ら運んだ。
禁止区域内を歩く時にも身軽に動いていたので、小柄であっても人間より身体能力が高いのは分かっているのだが不思議なものだ。
リミにドアを開けてもらいながら電子レンジを運び入れ、とりあえず客席の上へ無造作に置いた。
「ふぅ…」
「全く、人に掃除を押し付けてどこへ行ってたかと思えば…あら、それって電子レンジ?」
不貞腐れた様子のエルが運び込んだ荷物に目を付けると、やはり知っていたようで目ざとく反応した。
一方、リミは少し悔しいのか、面白くなさそうな顔をしている。
「ああ。エルは使ったことあるのか?」
「ええ。わたしの知っている物と少し形は違うみたいだけど、バイトの時に何度も使ったことから」
「初めて触るって話した時は店長に驚かれたけど、やっぱり将也も馴染みのある物だったのね」
「まあな。今や、どの家庭にでも一家に一台はある家電だから、無いと途端に不便を感じるもんだ」
いっそのこと、もう一台あればアジトの方まで持っていきたいくらいだったが、とりあえずはこちらにまとめて置く方針でいいだろう。
「ついでに聞くが、エルは洗濯機の方は使ったことあるのか?」
「え?ええ。こっちの世界で暮らしてる間、毎日使ってたもの」
「それなら、今度リミにも使い方を教えておいてくれ。上に使えそうなのがあったから」
「そうなの?まあ、そういうことなら先輩としてちゃんと教えといてあげるわ」
バイト根性が染みついてしまっているのはともかく、こちらの世界での経験があるエルシーは少し逞しく見えた。
そんな彼女の働きぶりを確認する為、店内の空いているコンセントを探してなるべくキッチンの近くに電子レンジを設置してから彼女の下へ近づいた。
「それで、こっちは綺麗になったか?」
「ええ、もちろん。ピッカピカよ」
自信満々な彼女の横を通って、いざ冷蔵庫を開けてみた。
「へぇ…さっきのが嘘みたいだ」
新品同様とまではいかないものの、打って変わって清潔感が戻っている。
これなら、今後も使っていくのに何も心配は無いだろう。
「どう?これなら文句ないでしょ?」
「ああ、ご苦労さん」
「いえ、任された仕事をしっかりとこなすのは当然だわ。でも、もっと労ってくれても良いのよ?」
声を掛けて労っただけでは足りず、これ以上俺にどうしろと言いたいのかも分からなかったので、構ってほしそうな姿が犬や猫のように思えたことから頭をポンポンと優しく撫でてみる。
「あっ…」
これが意外とお気に召したようで、急に大人しくなった。
こうしてみると、しおらしい彼女も可愛いものだ。
同じような年頃の人間の女子にしようものなら、せっかくセットした髪が乱れるとか子ども扱いするなとか散々な言われ様をする悪手だと聞いたこともあるので、安易な使用は危ないが今回は上手くいったらしい。
というか、思えば彼女たちの年齢は知らないが、見た目通りに受け取っていいのだろうか。
「そんなに撫でて欲しいなら、もっと下の方も撫でてやるぞ」
頭から顔の輪郭をなぞって彼女と目が合い首筋からさらに手を下ろすと、やがてクッションに当たってぽよんと跳ね返る。
「…やらしい目をしてるから、今は結構です。撫でるだけで終わりそうもないし」
「はっはっはっ、確かにそれもそうだ」
そこまでするつもりの無い冗談だったが、いざ始まってしまえば興が乗って最後までしてしまいそうな気もする。
強制的に手を下ろされたことで、彼女の温もりが消えていく。
「まだ探索を続けるんでしょう?そろそろ、他の所も見に行きましょ」
正論を振りかざして軌道修正しながら、リミは俺の手を引いて店の外へ向かう。
彼女はそのまま引っ付くように寄ってきたので、温もりが消えて寂しくなっていたところにまた別の温もりがやってきた感じになった。
「ふふっ…」
「あぁっ、ちょっと…わたしも行きますから!」
なぜか対抗するように追いかけてきたエルも反対側に引っ付いてきて、ぬくぬくと柔らかな温かみに触れることとなる。
今が夏場ではなくて良かったと思うひと時であった。
その後も建物を回って分かったことだが、設備が生きている建物ばかりではなかった。
水が出ない電気が点かないということがある中、問題なく使える建物もあるのは一体どういう事なのか。
違和感を覚えたのは他にもあって、あの店はともかくホテルを使うときもそうだったが廃墟にしては妙に埃が少ない気もする。
3年前から放置されていたなら尚更だし、比較的最近禁止区域になっていたとしてもどこか腑に落ちない。
けれども、今から場所を移すにしても、大して危険性は変わらないようにも思えた。
結局、使える施設が増えたこともあり、しばらくここにアジトを構えることにした。
散々探索を終えて日も暮れた頃にようやくホテルに戻ると、今日は朝方に二人のマナを補給し探索で疲れたこともあって、夕食もそこそこに済ませると大人しく寝ることにした。
明日はアダマを探しに行こうという話だけして、束の間の休暇を終えるのだった。