① 初めての○○
アダマが出現した原因のディメンション・ヘミスフィアが発生したのは、日本の4か所。
それぞれのDHから全く異なるアダマが現れていて、北海道からは自然の世界、大阪からは機械の世界、福岡からは光の世界の各勢力が現れ、全国規模で縄張り争いをしている。
俺の担当の東京からは、闇の世界の勢力が現れており、地元の埼玉も襲撃されたわけだ。
とりあえず、東京まで来たものの、真っ先にアキバへ来てしまった時点でお察しの通り。
とはいえ、昔の電気街の街としてもオタクの街としても、そのままの姿ではない。
アダマと人類の戦跡が色濃く残り、修繕や閉店を余儀なくされるビルや店も多かった。
それでも、復興して今も営業中の店もあり、おかげで足を運ぶ機会が失われずにいた。
早速、街中を歩いてアダマの捜索を本格的に始めるが、いきなり強いアダマを捕まえて使役させられるのかと言えば、それは難しいらしい。
強化版の新型スマートデバイスとはいえ、ある程度順序を立てないといけないらしく、使役させる為の最初の段階として、双方契約に合意することが挙げられる。
そのうえで、改良されたアプリ『ADUMA's contract』を開いてカメラを起動し、このデバイスに搭載された特別なレンズを通してアダマを撮影すると、アプリ内に保管・移動される仕組みだそうだ。
他にも、弱った状態のアダマなら、強引に契約させてしまうこともできると言っていた。
このアプリは契約の他にも、契約したアダマをその場に呼び出して使役することや、自分の付近にアダマの反応があるか調べることができる。
つまり、大きく分けて『契約』、『使役』、『探索』の3つのシステムが搭載されている。
細かい所では、契約したアダマの一覧と詳細データが見れる機能もあり、オンラインで拠点の博士と繋がれば、アプリ内に保管したアダマのデータを解析してくれるという。
アダマには、人間離れした特徴や特殊能力が備わっていると聞くので、それも開示してくれたり、人型のアダマであれば、スリーサイズまで調べてくれると冗談めかして言っていた。
試しに、探索を開いてスキャンしてみれば、近くに赤い点が一つ表示される。
このレーダーでは、アダマを発見した際、強さの目安として数値化された強さが赤い点の中に表示される仕様になっていて、今回の相手は、3と黄色く表示されている。
開発チームの主任である博士の話では、過去に出現したアダマの強さを参考にすると、おそらく10に達する相手であれば、容易に一つの街を壊滅させられるということだった。
しかし、それに比べれば低評価を受けたとはいえ、人間を同じように数値化すれば1以下に該当するらしいので、侮るなかれ。十分人間離れした身体能力を持っている可能性はある。
恐る恐る反応があった場所へ向かうと、通りの物陰に気になる人影を見つけた。
その少女は絵になる可愛さでひと際目を引く存在でもあるが、日本人離れした綺麗なプラチナブロンドの髪がさらに異質感を醸し出している。
道行く人が疎らにいるのも気にせず、意を決して近づくと、より鮮明に姿を捉えられた。
左目が隠れるほど前髪が長く、毛先が顎から肩あたりまで真っ直ぐ伸びた髪をしてる彼女は、その小さな手に使い捨てのフィルムカメラを大事そうに持って、階段に腰掛けていた。
実物を見るのは初めてだったが、親がまだ学生だった頃、スマホどころかガラケーすら普及していない時代に、修学旅行の際に渡されて撮影用に使っていたと聞いた覚えがある。
スマホの普及により、手軽に写真を取れる時代になっても、アナログな一眼レフカメラの愛好家がいるのは知っていたが、アダマでもこういったものに興味があるのかと関心を抱く。
華奢な身体の彼女は色白の肌をしていて、さらにそれを引き立たせるような濃色のワンピースを着ていた。
ここまで語る分には、少し幼めな美少女というくらいだが、瑠璃色の右目とボロボロになって穴の開いている服を着崩している姿は、ファッションにしてはかなり気合が入っている。
一歩間違えれば、スラム街で暮らしている貧しい少女のようにも思えてしまうからだ。
一見、人間にも見えなくはないが、確かに妙だと判断し、声を掛けてみることにした。
「ねぇ、キミ。カメラ好きなの?」
話しかけられたことに気づいた少女は、訝しげにこちらを向く。
俺がもう一回り歳を重ねていたら、傍から見た通行人に「もしもし、ポリスメン?」と通報されてもおかしくない事案だっただろう。
「カメラ…というより思い出を残せることが、私にとって大事なの…」
改めて見ても、整った顔立ちをした幼気な少女は、ハスキーな儚い声をしていた。
「でも、そのカメラじゃ撮ったものをすぐ確認できないでしょ?すぐに撮った写真も観れたり、動画も撮れるスマホやデジカメの方が便利じゃない?」
「まあ、プロや愛好家にいわせれば、それだと味が無いっていう人もいるけどね」
「そう…。そんなものもあるのね。私、そういうことあまり知らなくて…」
「……アダマだから、でしょ?」
その言葉に反応した彼女から、今までに無い鋭い眼差しを向けられ、希薄に思えた雰囲気が、一気に鳥肌を立たせるような禍々しいものに変わった。
「……知ってて話しかけるなんて、物好きな人ね。殺されるかもしれないのに」
「それはそうなんだけど。かわいい子になら、殺されても…まぁいいかなって」
「ふぅん…」
こちらの目をじっと見つめられ、まるで自分の心の中を探られているような気さえする。
「でも、あなたの目はそう言ってないわ。心の奥に、強くて大きな野心が垣間見えるわよ」
俺から視線を逸らさない彼女は、見透かしたように薄笑いを浮かべた。
「アダマって、そういうのもわかっちゃうのかなー?いやー、怖い怖い」
「大きな闇を持っているような感じ。むしろ、私たち闇の世界の住人に近い気さえするわ」
「…まぁ、それは褒め言葉として受け取っておこうかな」
「でも、そういう人間はこれまでそう見たことないわ。…そうね、私にも何かしらの利益があるなら、あなたのチカラになってあげてもいいわ」
「ほぅ。とりあえず、俺も先立つものがないと後々困るし、まずは――デジカメかな?」
「…ふん。ま、今はそれでいいにしてあげる」
「そんじゃ悪いけど、ひとまず報酬は後払いで…写真を一枚、頂きます」
デバイスから例のアプリを開き、契約を押せば、カメラが起動する。
そのまま、パシャリと彼女を映せば、目の前にいた少女は一瞬にして光と共に消えた。
― Contract success ―
with 追憶の悪魔リミニス
例のアプリからカメラを起動して撮ると、アダマはデバイスに吸い込まれ収容される。
そう聞いてはいたが、いざ初めてやってみると、ドキドキするものがあった。
あの拙い交渉でお互い契約に合意したのか、という不安があったのもその一因だろう。
しかし、現に先程のアダマは、もう自動で登録されており、契約者の一覧に載っている。
今はまだ名前程度しか情報が無いが、これから博士たちが解析してくれることだろう。
ともかく、すぐに『リミニス』のチカラが必要なので、早速デバイスから呼び出す。
使役の項目から、契約したアダマが一覧に表示され、それぞれ個別で『召喚』・『帰還』があり、さらにまとめて操作できるように『一括召喚』・『一括帰還』のボタンまで用意されている。
今はどちらでも一緒なので、リミニスの枠にある召喚のボタンを押した。
すると、今度は一瞬で目の前にさっきのプラチナブロンドの美少女が現れた。
さっきまで終始座っていたので分からなかったが、随分と小柄な背丈をしているわりに、服を押し上げる胸が豊かなことが印象的だ。
「随分、荒っぽい扱いなのね」
「そう拗ねない拗ねない。ちょっと強引だったのは謝るけどさ、リミニスちゃん」
「…まぁいいわ。それより、その呼び方はどうにかならないの?」
若干バカにされている気がして不快に思っているのが、表情と声色から伝わってくる。
「リミニスっていうんだろ?フルネーム呼びみたいで、嫌かな?」
「それなら…リミちゃんかミニちゃんとか、その辺りならどう?」
「そんな呼び方されたことないけど、でもそれだったら…リミが良い、かも」
他の世界では愛称で呼ぶこと自体が少ないのか、彼女は少し恥ずかしそうに照れていた。
アダマといっても、その様子は年頃の人間の少女とそう変わりないように思える。
「じゃあ、リミちゃんって呼ぶことにするよ」
「んぅ…。そうじゃなくて、リミって呼んでくれて良い」
「あ、そうなんだ…リミ」
「うん、それでいい。それで、あなたのお名前は?」
「そういえば、まだ名乗ってもいなかったね。俺は氷室将也」
「ヒムロ、ショウヤ…。ショウヤって呼べばいい…のかな?」
――その時、記念すべき初アダマからの呼ばれ方は大事だと俺の直感が告げていた。
下の名前の呼び捨ても捨てがたいが、リミの容姿的には「お兄ちゃん」とかもアリか…。
いやいや…なんかどことなく犯罪臭がするな、何かが違う。
それもいいんだが、そうじゃない。もっとしっくりくるものがあるはずだ。
今の立場、人間とアダマ、この関係性にぴったり当てはまるものが何か――ハッ!
「それでもいいんだけど、ご主人様とかマスターって呼んでくれると、なお嬉しいな」
ほんの一瞬の間、自分の欲望に忠実に考えてしまった結果がコレだった。
正直、飲んでくれれば乙の字だが、生憎彼女の表情は曇っている。
「…主従関係、か。今はまだ言えそうもないかな。それは、これからのあなた次第ってことで、今は暫定的にショウヤって呼ぶことにするわ」
「あ、はい…。えと、頑張ります」
中々うまくいかないものだと思いつつ、まだ希望はありそうなので、頑張るとしよう。
「それで…、デジカメ?だっけ。それを対価にくれるんでしょ、ショウヤ」
「その前に、大事なことを確認したい」
俺は、一転して真剣な面持ちで話を切り出した。
「大事なこと?いったい何?」
「これからやることに関する重要なことだ、嘘や誤魔化しは無しで頼むぞ」
「うん、いいけど」
「…リミって、どれくらい強いんだ?」
「……正直、弱い方から数えた方が早いくらい。一部の本当に弱い下級アダマよりは強いけど、他の小型のアダマよりも劣るかも…。それ以上の存在も、いっぱいいるからね」
彼女とわりと楽に契約できたのも、そのことが関係していたのだろうか。
「なるほど。でも、それはアダマとの比較だろ。人間と比べてみたら、どうだ?」
「そうね。その辺にいる一般人なら、最底辺のアダマ以下でしょう。それくらいなら、殺そうと思えば私でも余裕よ。フフッ…」
さっき出会ってからの短い付き合いだが、その中でも一番危険だと感じる表情を見せた。
しかし、契約し終えている今となっては、それは心強くもある。
「なら、問題なさそうだ」
「そう。チカラになれそうで良かった」
大人しくついてくる彼女は、少し楽しそうな様子に見えた。
この後のことを考えると、もう後には引けなくなる不安と、今までとは違った出来事が起こりそうな期待に胸を膨らませた俺は、彼女を引き連れて近くの某家電量販店に向かった。
何食わぬ顔でエレベーターに乗り5階までやってくると、カメラ売り場を訪れた。
スマホでも良かったのだが、こういった機械に馴染みが無い場合、下手に色んなことができて便利な分、使い方を覚えるのが大変だというのは、先駆者たちを見ていれば分かる。
なので、写真を撮って思い出を残したいというのなら、もう少し機能の限られたデジカメであった方が、分かりやすくて覚えも早いだろうと考えた結論だった。
今の時代、あまりデジカメの需要は多くないと思うのだが、それでもある程度の種類はラインナップされていて、スマホや技術の進化・進歩と同じく、様々な発展を見せていた。
「どういうのが欲しいとか、希望ある?」
「うーん、正直カメラ自体に詳しいわけじゃないから、よくわかんないわ」
遠目でこちらの様子を窺う店員の目を感じて、ふと思った。
今の俺たちは、他人の目からすると、一体どういう風に映っているのだろうか。
身長差のあるカップルか、はたまた兄妹や従妹か。まさか、親子とは思わないだろう。
そして、真実であるアダマを連れた人間だとは、夢にも思うはずもない。
「これなんかどうだ?GANONの最新機種だってさ。しかも、女の子らしさ全開のピンクもあるぞ!画素数もすごいし、バッテリーも結構長持ちするみたいだ」
「でも、そういうのって高いんでしょう?」
なぜ、そこでリミが通販番組みたいな台詞を返してきたのかは、甚だ疑問だ。
しかし、彼女の疑問は問題ではない。
「大丈夫だって。そのために、リミのチカラを借りるんだからさ」
「ん?どういうこと…?」
「まぁ、すぐにわかるよ。カメラはこれでいいかな?」
「…うん。ショウヤが勧めてくれるなら、それにする。色もピンクで良いから」
欲しい品は決まったので、あとは近くにいた店員に、新品の同じものを用意させる。
営業スマイルを浮かべた店員が、新品の箱ごと目当ての物を持ってくると一応会釈した。
「さて、これでモノは確保したし…。リミ、ちょっと耳貸して」
周りに聞こえないように、コソコソとリミに作戦の内容を明かす。
「…え?うん。私は構わないけど、ショウヤは良いの?」
「どうせ、日本全体でも似たようなことになってるし、今更だよ。それに言ったでしょ?俺としても、軍資金は多いに越したことないんだよ」
「……やっぱりあなた、闇の世界の住人に近い気がする。考え方とか、いろいろ」
「今は、その話はいいでしょ。それじゃ、荷物は持ってるから、サクッとお願いできる?」
「わかった。そんなに人数もいないみたいだし、すぐに終わるわ」
事前にフロアを見回していたが、俺たち――いや俺以外の人間は、ざっと10人程度。
どうするのかと思いきや、ほんの一瞬バッと自らのスカートの内側に手を入れたかと思ったら、次の瞬間には両手にナイフを握っていたので、いきなり驚かされる。
こちらに目配せを送り、俺が頷くのを見れば、近くの店員に斬りかかり、血潮を飛ばす。
そして、次は近くの客に…と手当たり次第、その場にいる人間を次々と死に追いやった。
だが、これは俺が殺させたといっても過言ではない。
なぜなら、この場にいる邪魔な人間をすべて殺せと、命じたのだから。
「…終わったわ」
ものの数分でフロア一帯を惨状に作り変えたリミは、事もなく報告した。
「ホントに、そこいらの人間じゃ話にならかったな」
無慈悲に転がる死体を前に、呆れてしまう。
「ご苦労さん。それじゃ、あとは俺の仕事かな。一応、周りに警戒だけしておいて」
あまり慣れない死体や大量の血を見ると、気持ち悪くなって吐き気を催す――という話もあるので少し危惧していたが、実際問題俺には大した影響はなかった。
なので、さっさと客や店員の持ち物を漁り始めると、金品を中心に次々と持ち出した。
「おー、あるある。あとは、デジカメ関連のもので必要そうなものも、っと」
近年、キャッシュレスの文化が広がりつつあったが、現金を持ち歩くものは少なくない。
特に歳の多い人間は現金主義の者が多いので、その例に漏れず、ここにいた客の中にもたんまり持ち歩いている者がいて助かった。
また、それ以外にも予備のバッテリーなど綺麗な物をいくつか見繕ってバッグに入れる。
「ふぅー。あんまり持つと邪魔になりそうだから、こんなもんかな」
背徳感に内心ちょっとドキドキしつつも、一仕事終えたことでそっと胸を撫で下ろした。
「終わったの?」
「ん?ああ、バッチリだ」
見張りをしていたリミも、フロアから唯一出入りできるエレベーターと非常口付近をうろうろするのをやめ、こちらに戻ってきた。
「でも良かったの?こんなことして。いくらアダマのチカラを味方につけたといっても…」
「大丈夫だよ、多分ね。それに、俺はこんなことで終わるつもりはない…」
彼女の言いたいことは、ある程度察している。
アダマを味方につけたとはいえ、あれだけ街に溢れていた彼らを対処した自衛隊が目を光らせているので、大っぴらに事を起こすと、すぐにこちらにも目を付けるという危惧だろう。
彼女のように理性的なアダマは、それを避けて人間に混じって潜伏していたのだから。
「フフッ…。ショウヤ、今のあなた…なかなか良い顔してる」
「それはイケメンって意味かな、お嬢さん?」
「そうやって、すぐ調子に乗るのはどうなのかしら…、なんてね。あなたについてきて、良かったかもしれない。これから面白くなりそうね…。フフフ…」
まるで悪役のような笑みを浮かべて、この血塗られたフロアの中で小さく笑い合う。
童顔ながら妖艶な笑みを浮かべる彼女は、今の俺にはとても魅力的に映った。
「さて、用も済んだし、とっとと店を出るとするか…、って、あっ!」
「ん?どうしたの?」
デジカメも軍資金も入手して踵を返そうとしていたら、今更大事なことに気がついた。
彼女は、そんな俺を見てかわいく首を傾げている。
「ぬかった。こんな初歩的なことを忘れるなんて…。まぁ、今からでも一応やっておくか」
「リミ、『アレ』見えるだろ。いくつか同じのがあるから、全部ぶっ壊しといてくれ」
そう言って俺が指さしたのは、防犯用の監視カメラ。
まだ従えるアダマが少ない今、本格的に自衛隊の輩に追い掛け回されるのは少々きつい。
あくまでも、突如現れたアダマに襲われたという体にしておきたいところだ。
無言で頷いたリミは、人間離れした跳躍力で、次々と天井の監視カメラを破壊していく。
ともすれば、ナイフの刃が欠けてしまいそうだが、意外にも簡単にバリンバリンと音を立てて壊しており、カメラを覆うプラスチックの破片やレンズが辺りに散らばった。
「あ、みえ…」
思わず口からポロリしてしまったが、短いスカートを翻して大ジャンプを繰り返してたら、普段見えないものも見えるというもの。
チラッと見えたのは、ピンク色だった気がする。やっぱ、ピンクが好きだったのかな…。
「ふぅ…、これでいい?」
俺が見惚れている間に颯爽と仕事をこなした彼女は、スタッと目の前に跳んできた。
内心、慌ててがらんどうになった天井を見回すと、彼女に向かって親指を立てる。
「グッジョブ(いろんな意味で)」
その時、改めてリミの服や身体が、赤黒く汚れてしまっていることに気が付いた。
「あっ、そうか、返り血を浴びたのか。だとすると、このまま出るわけにはいかんなぁ…」
彼女も、その姿で往来を歩くわけには行かないとわかると、少し困ったような顔をする。
「でも、私、替えの服持ってないし…」
「仕方ない。一度こっちに戻ってくれるか?」
俺は特に汚れた跡もないし、デバイスの方に収容すれば、気づかれることは無いだろう。
「あっ、そっか。そっちで、待機してればいいのね」
「そういうこと。あとは、俺がどっかでリミの服を調達してくるとしますかね」
「それが良さそうね。お願いするわ」
例のアプリを開くと、契約者の一覧からリミの枠にある帰還をタップする。
すると、それだけで目の前のリミの姿が、一瞬の光と共に眩く消えてしまった。
「これで、次に現れた時に服や身体に付いた汚れが消えていれば、もっと良いんだがな」
もう一つ淡い期待を抱いて、試しに呼び出し直しても、やはりそのままの姿だった。
惨劇の最中に、このフロアへ降りる人がいなかったのは幸いだったと思いつつ、1階まで降りると、平然を装い何食わぬ顔をして、そそくさと店を後にした。
次に、どこかのブティック――まで言わずとも、服屋に向かわなければならないのだが、アキバでそんなものを探すのなら、コスプレ用の衣装を探す方が簡単な気がしてならない。
とはいえ、そんなものを用意しても、これからそれを普段使いされては、こちらの方が困ってしまいそうなので、彼女に似合いそうな気もする傍ら、断腸の思いで諦めることにした。
こういう時、お手頃価格で男女共に着られるような服を売っているウニクロのような店があれば容易いのだが、生憎そういうものは探しているときに限って見つからなかったりする。
駅から離れるにつれて、随分店の様子も変わり、所謂オタク御用達のお店が減ってきた。
それっぽいオシャレな店も見かけたが、今度は敷居が高く感じて、ファッションに疎い男一人で入るには厳しかったので、リミには申し訳ないがさすがに勘弁してもらおう。
もう少し探し歩くと、まだ入りやすそうな店を見つけたので、意を決して入ってみる。
「いらっしゃいませー」
愛想のいい女性店員に入店の挨拶を掛けられ、適当に辺りを見渡しながら売り場を探す。
店内の雰囲気は、明るくナチュラルなテーマで彩られていて、悪くはない。
しかし、周りを見ても女性だらけなので、男である俺がいるのは場違いに思えてくる。
幸い、女物だけ扱っている店ではなく、そこまで不審な目で見られてはいないが、じっくりと吟味するわけにもいかず、適当に誤魔化して店員に見繕ってもらおうかと考え始めた。
リミの身長や体格差から、ファッションに疎いあるいはセンスが壊滅的な妹へのプレゼントとでもいえば、そこまで変に思われることも無いだろう。
あれこれ考えながら歩いていると、マネキンが着ていた服で似合いそうな物を見つけた。
一つ目星を付けると、今度はそれと似たようなものより、全く違う毛色のものを用意した方が良いだろうと考えが回り始め、ある程度絞り込まれていく。
結局、小一時間掛かって、ようやく買うものが一通り決まった。
ただ、女物は高いというし、品数もそこそこあるので、結構な額になると予想できる。
さっき盗ったお金もあるものの、いきなりパーッと使ってしまうのもどうかと思い、財布と睨めっこしていると、見慣れないカードが目についた。
それは、さっきお金と一緒に抜き取っておいたクレジットカードだった。
念の為、使うこともあるかと思って持ってきたが、盗ってきて正解だったかもしれない。
死に立てほやほやの人間のものなら、カード会社からまだ止められていないだろう。
使えば履歴が残り、アシが付いてしまいそうな恐れはあるが、背に腹は代えられない。
それに、人殺しの業を背負った以上、今更罪を重ねることに臆していても仕方ないのだ。
ようやく店員に声を掛け、マネキンが着ていた洋服一式も用意してもらって会計に移る。
女性物ばかりを買ったので、商品のバーコードを読み取る作業を見守っている間は、内心落ち着かなかったが、案外応対している女性店員は気にしていない様子に見えたのが幸いだ。
レジのお姉さんが結構な金額を告げると、何食わぬ顔でクレジットカードを差し出す。
「一括払いでよろしいですか?」
「はい」
「では、こちらに翳してください」
言われた通り、小さな機器にカードを翳せば、一瞬で支払いを終えた。
本人かどうかも確認しないまま使えてしまうとは、実に便利な世の中になったものだ。
「はい、こちらカードのお返しと御品物です。ありがとうございましたー」
購入した商品の入った紙袋を受け取ると、安堵の息を漏らしたくなったが、怪しまれないように平然とした顔を保ちながら店を後にしたのだった。
いつの間にか、日が暮れてきて赤味が差す道の中、特に当てもなく歩き続ける。
少しは金もあるし、このまま一人分の金で泊まろうかと、今日の宿のことを考えていた。
とはいえ、一泊する程度ならともかく、これから関東・中部を練り歩いて、アダマを探し続けることも考慮し始めると、自分の中に染みついた貧乏性が頭から離れない。
かといって、いちいち埼玉の拠点に帰るのも面倒に思えてならなかった。
自分の優柔不断を嘆き、未だ脳内で堂々巡りを続けている最中、妙な臭いが鼻についた。
嫌な臭いにようやく我に返って辺りを見回すと、そこは見慣れない場所だった。
しかも、すぐそばに立ち入り禁止区域まで見えている。
ここのように、3年前のアダマ襲来から、爪痕が治らないまま残されている立ち入り禁止区域が、規模は様々ながら全国各地に無数に点在しているという。
東京エリアにもいくつかあることは聞いてはいたものの、実際に見るのは初めてだった。
スマホ代わりでもあるデバイスで地図を開けば、今は小川町の辺りにいるようだが、確かにここなら東京のDHからわりと近いので、被害も大きかったことは簡単に予想できる。
東京のDHは、品川駅付近を中心とした半径3kmほどの半球体で、品川区と港区の半分近くに加え、レインボーブリッジやお台場も丸々入っており、ビッグサイトも含まれている。
また、公共交通機関にも影響があり、品川駅が使えない為、東海道新幹線であれば新横浜駅が終点になっていたり、他にもレインボーブリッジを通る航路も封鎖されている。
今なお危険な場所なのだが、好奇心もあって何気なく禁止区域の境界付近まで足を運んでしまうと、そこから見えた景色が、あまりにも悲惨なものだったので言葉を失った。
東京の街並みと思えないほど、この一帯は随分見晴らしが良くなってしまっている。
おそらく、元はビルが高く聳え立っていたであろう痕跡はあっても、アダマたちの攻撃やそれに立ち向かった自衛隊との衝突によって付けられた傷跡が、生々しく残っている有様だ。
高い建物は軒並み全壊、あるいは半壊しており、それに巻き込まれて潰れた建物も多くあって、ある意味大地震でも起きた後のような惨状だった。
しかし、遠くには綺麗に残っている低い建物も見えたので、場所によるのかもしれない。
それを見て、逆にこれを好機と考えた俺は、宿に使えそうな建物を探すことにした。
禁止区域内は瓦礫も多く散乱していて歩きづらく、派手に崩れていた建物も多かったものの、しばらく進むと比較的無事に残っている建物があったので、そこの一つに立ち入る。
そこに見えたのは、薄暗くこじんまりしたロビーだった。
裏口に繋がる別の扉の近くのスイッチを押すと、明かりがついたので望みはありそうだ。
少しは明るくなった室内の探索を続けるが、エレベーターは見当たらない。
フロントらしき場所に入れば、数字3桁が書かれた鍵がいくつも置いてあった。
とりあえず、電気以外にもライフラインが生きているか確かめたかったので、鍵をありったけ持って階段を上った。
2階に上がると、廊下に沿うようにズラーッと扉が並んでいた。
カラオケ店にしては、内装の雰囲気が随分と趣味の悪い鮮やかな色合いをしている。
まずは、手近なところにあった201と書かれた部屋に入り、明かりを点けた。
鍵はかかっていなかったので無駄になったが、中はおそらく8畳前後の部屋で、赤と黒のダイヤ柄に彩られた床に、艶やかなピンクに染められたデカデカとしたベッドが置いてある。
部屋の内装から察するに、どうやら『ラブ』な方のホテルだったらしい。
さらに、極め付けなのはベッドの脇に、近藤さん(ゴム製)がずらりと置いてあった。
こういう場所に置いてある近藤さんは、破れやすいと昔から専らの評判だが、男子校の高校へ進学し、アダマの襲来で高校生活と共に青春を奪われた俺が、その事実を知る由もない。
一応、誰かが使った後ではなく、ベッドは綺麗みたいなので、特に問題はない。
まさかのタイミングで人生初のラブホに入ってしまい、動揺が隠せなかったが、水回りが使えるかどうかを確認したかったのを思い出し、シャワールームに向かう。
意外なことに備え付けの冷蔵庫どころか、水回りまで生きていたのは僥倖だった。
冷蔵庫にあったドリンク類も、未開封のまま賞味期限も切れていなかったので尚良し。
なんとか宿を確保して安堵の息を漏らすと、仰向けになってベッドへ倒れ込む。
ボフッという音と共に、イカ臭いと感じなかったことにどこかホッとしながら脱力した。
「はぁ……。ここなら、大丈夫だろう」
デバイスを起動すると、普段連絡を取るのに使っているチャットアプリ『RINE』に、博士から新着の通知が来ていることに気付いた。
通知音を切っていたから分からなかったが、おそらく服を買っている頃に来たのだろう。
軽薄な挨拶は置いといて、内容を確認してみると、「デバイス内に保管したアダマと電話のように対話できる機能を付けたから、アップデートするように」との事だった。
「もうちょっと早く追加してくれれば、服を選ぶ時に楽だったのでは…?」
ちょっとだけ博士に愚痴を言いたくなったが、済んでしまった事を悔やんでも仕方ない。
早速見てみると、契約者一覧の中にあるリミの枠に表示されている召喚と帰還の横に、もう一つ『対話』というボタンが増えていた。
実際、どんな感じになるのか知っておきたかったのもあり、試しに押してみる。
「…もしもし、私よ。今あなたの後ろにいるの」
「こわっ!どっかで聞いたことある気がするけど、怖っ!」
思わず、反射的に後ろを振り向いてしまったが、もちろん誰もいなかった。
電話と同じように、デバイスのスピーカーから、音声が流れてきたらしい。
「ちなみに、本物は振り向いたら殺されるらしいから、今度から気を付けてね?…フフッ」
「この中に閉じ込められて放置されたままだったから、ちょっぴり仕返しも兼ねた冗談よ」
「ごめんごめん、今出すから。…もう勘弁してくれよ」
目の前に再び現れたリミは、硬くなった身体をほぐす様に少し伸びをし始めた。
「デバイスの中って、やっぱ窮屈なもんなの?」
「窮屈ではないけど、閉鎖的なところに閉じ込められているって意味ではそうかもね」
「それで、ここは…?」
彼女からすれば、突然全く景色の違う場所に出たので、不思議に思うのも無理もない。
俺は、真新しい景色の部屋を見回している彼女に、嘘は吐かずとも少々ぼかして答えた。
「禁止区域の一画の…ホテルだと思う」
「そう、そんなところまで来たのね」
「とりあえず、しばらくはここを寝床にしようと思ってる。いいかな?」
「そうね…。この辺には他にアダマもいないみたいだし、良いんじゃない?」
「んっ?そういうの、わかるの?」
「近くに強い気配があれば、嫌でも分かるわよ…」
野生に生きる動物と同じで、アダマも危機意識が外敵の気配を感じ取るのだろう。
アダマ探索用のレーダーを逆手に取れば、近くに他のアダマがいないと確認できるので、彼女を信用していないわけではないが、念の為後で見ておいた方が良さそうだ。
「それはともかく、シャワー浴びてきなよ。いい加減その血を洗い流したいでしょ?」
「えっ、あ、…うん。そうさせてもらうね」
「替えの服も買ってきたからさ、ついでに着てみて」
「ええ、わかったわ」
先にシャワールームの近くに着替えを置いておき、ついでにシャワーの使い方を教えた。
なぜか、ちょっと顔を赤らめていた気がするが、気のせいだろう。
「覗いちゃダメだからね」
リミは俺に念を押すと、シャワールームに入っていった。
俺が覗きなんてするわけないじゃないか。そんな度胸あったらとっくに――自分で言ってて虚しくなってきたので、それ以上深く考えないことにした。
ぎゅるるるるるぅ。
某家電量販店で騒動を起こしてから、緊張しっぱなしで頭も使いっぱなしだったせいで、ろくに食事も摂っていなかったことを、お腹がアラームのように教えてくれたみたいだった。
しかし、リミの服と宿のことばかり気にして、食料を買っておくのを完全に忘れていた。
今から買いに行くのも辛いし、まさかこんなところで出前を取るわけにもいくまい。
結局、こんなこともあろうかと、バッグに忍ばせておいた携帯食料でいいにした。
「さすがに、野菜ジュースは無いか。栄養バランス食品のケロリーメイトに、1日分の野菜が摂れる野菜ジュースがあれば、僕の考えた最強お手軽バランスメニューが完成するのに…」
少々パサつくケロリーメイトを口に入れ、冷蔵庫にあったお茶で喉を潤す。
腹ペコ状態が少しはマシになり、空腹感は大してなくなった。
さっきの騒動であれだけの死体をみたことで、少しは胃が委縮したのかもしれない。
そう思った矢先、シャワーの音でリミもいることをちゃっかり食べ終えてから思い出す。
まだ一応同じものが残ってはいるが、女の子は特に食にうるさいイメージがあるので、さすがに怒られそうだと嫌な予感がひしひしする。
「でも、アダマって大食いなのかな…?意外と小食?いや、そもそも何食べるんだろう?」
こうして考えると、アダマのことをまるで知らないのだと改めて実感する。
今まで、『襲う者』と『襲われる者』という存在だっただけに、知ろうともしなかった。
唯一知りたかったのは、倒す方法、抗う方法。
アダマが何を食べるか――なんて、そんなことを考えている余地なんてなかった。
急に手持ち無沙汰になると、今度はすぐ傍でシャワーを浴びている女の子がいる事を意識してしまい、妙な緊張を覚えてしまう。
一度深呼吸して、良からぬ煩悩を打ち払うと、持ってきた荷物に目を向けた。
「そういえば、買ってそのままだったな。充電…はついでに、デバイスの方もしておくとして、一応すぐに使えるようにしておこう」
初期設定をする必要があれば、機械に疎い彼女にやらせるよりも、俺が先に済ませておいた方が良いだろうと考え、彼女が出てくるのを待つ間にセッティングしておくことにした。
デジカメのセットアップは簡単に終わったので、しばらくベッドに寝転んでいた。
そのうち水音が途絶えて、衣擦れの音がしたかと思えば、着替えたリミが出てきた。
「…どう、似合う?というより、着方はこれで合ってるのかしら?」
湯上り姿の彼女は、しっとりと水気を帯びた髪が艶めいていて、自然と目を奪われる。
淡い色合いでまとまったガーリッシュな洋服に身を包んだリミは、とても可愛らしい。
「あぁ、大丈夫。でも、リミが着ると、一段と可愛く見えるくらいよく似合ってる」
「そう?…あっ、そうだ。コレ、写真撮って」
上機嫌な彼女は、意気揚々と荷物の中から使い捨てカメラを取り出して俺に渡してきた。
「それなら、さっき買ったやつを、もう使えるようにしておいたから、そっちで撮ろうか」
「へぇ、気が利くじゃない。じゃあ、お願いするわ」
「オッケー、任しときな。バッチリ可愛く撮ってやんよ」
撮影の技術・知識は共に全くなかったが、根拠のない自信を胸にシャッターを切った。
素人同然の俺のウデでも、被写体が良いから特に問題なく本当に可愛く撮れたと思う。
ついでに、調子に乗って「イイネ、イイネー」とカメラマン風にやってみれば、彼女も気を良くして次々にポーズを取ってくれた。
「それじゃ、もう一着も着てみるわね」
十数枚撮ったところで、リミがお色直しに入った。
今着ていた一式はあくまで予備の方、つまり本命はこれからだ!
思わず鼻息を荒げてしまうくらい、カメラを持つ手に力が入ってしまう。
「…じゃーんっ!」
控えめな声と共に、リミが再び姿を現した。
先ほどの服はかわいい系な感じだったが、今度はややゴシック風のものだ。
ちょうど膝丈まである紺色のワンピースに赤いフリルが付いた感じで、それにお揃いのカチューシャやチョーカーも着けている。
かわいいだけじゃなく、ちょっとダークな様がまさに俺の見立て通り(←ここ重要)。
色白の肌と、暗い紺色がベースのワンピースとのコントラストが堪らない。
「ハラショーッ!リミ、キミは最高だ!」
なので、思わずテンションが上がり過ぎてしまったのも、致し方ないと言えるだろう。
でも、大丈夫。彼女の麗しい姿は、バッチリとカメラに収めたのだから。
「うふふっ…。そんなに喜んでくれるなら、こっちにしようかな」
彼女も気に入ってくれたようなので、思わず心の中で万歳してしまう自分がいた。
しばらく撮影を続けてから、少しは落ち着きを取り戻すと、一息入れることにして、俺がベッドに座ると、それに続いてリミもベッドに腰掛け、すぐ隣にやってきた。
ついでに、今度は彼女が使えるようにカメラの使い方を教えておく。
「あ、そうだ。お腹減ってない?」
一通り使い方をレクチャーした後、飯の話を唐突に思い出した。
「人間と違ってアダマは燃費が良いから、そこまでお腹が減ってるわけじゃないわ」
「それなら良いけど、そもそもアダマって何食べるの?」
「普段は、別に人間と変わらないわ。ただ、食べているものがある意味違うわね」
「アダマが活動やチカラのエネルギー源とするのは、『マナ』と呼ばれるものよ」
「聞いたことあるような、無いような…」
ピンと来ない人間の為に、リミは淡々と丁寧に解説し始めた。
「『マナ』っていうのは、簡単にいうと生命エネルギーよ。自然界にも溢れているし、もちろん動物も保有している」
「人間だって、生きた魚とか動物を殺して、調理してから食べるでしょ?アダマも似たようなもの。だから、同じように食事することでもマナは得られるわ」
「つまり、他者が持っている生命エネルギー、『マナ』を食べることで生きているの」
「…その対象が、例え人間でも、ね?」
ゾクリ…と背筋が寒くなるような声と視線に、一瞬怯んでしまう。
「ただ、殺してから時間が経つにつれて、その身体に溜めていたマナが空気中に還ってしまうから、出来れば新鮮で生に近い方が吸収効率は良いし、美味しく感じるの」
『捕食者』としての本能が、垣間見えたとでもいうべきだろうか。
舌なめずりをするリミの姿は扇情的だったが、同時に恐怖を覚えた。
「ふふっ…、脅かしてごめんなさいね。そんなに怯えなくても、大丈夫よ。あなたを殺して、食べる気はないわ。それに…」
「あなたには、私のこと…覚えていて欲しいの……」
「闇の世界は弱肉強食。私のような弱い存在は、そう長く生きられないかもしれないから」
人間を超越するチカラを持っているアダマだとしても、さらに上には上がいる。
その中で、弱者である彼女は、いつ命を奪われるか分からない存在だ。
彼女も、人間と同じように自分の弱さに嘆き、葛藤することに共感し胸を打たれた。
「リミニス…」
思わぬ言葉を耳にして、彼女の闇の一端に触れたかと思うと、心の奥が寂しくなる。
でも、それと同時に嬉しくもあった。
「忘れるわけないじゃないか、こんなにも可愛い――リミのことを!」
「ありがとう、ショウヤ。…いいえ、マイマスター」
力強く言葉にしながら、無我夢中でリミを抱きしめると、笑顔で抱きしめ返してくれた。
――そうさ。個々のチカラは弱くとも、それが集まれば、やがて大きなチカラとなる。
だから、俺たち一人一人が弱くても、さらにアダマと契約を交わし、チカラを結集すれば、それは大きなチカラとなるだろう。
しばらくお互いに離れようとせずに抱きあっていたが、リミがそっと顔を少し離した。
「あのね、実はもう一つマナを供給する手があるの…」
頬をほんのり赤く染めているリミは、スッと俺の手をとった。しなやかで、温かい手だ。
「あなたのマナを直接…私の中に、ください…」
恥ずかしそうに言う彼女は、少し俯いてしまって、表情がハッキリと読み取れない。
マナは、生命エネルギーだという。それを直接、しかも彼女の中に…ってことは――。
「ま、まさか…。ゴクリっ…」
俺の想像が間違っていなければ、確かに男には次世代へ新たな生命を宿す為に、生命エネルギーを生産し、蓄える身体の構造が備わっている。
だが、それを放出するには、今日出会ったばかりの女の子と、一線を越える関係になるということでもあって――そう考え始めると、心拍数は如実に上がり、早鐘を打つようだった。
「あなたは人間の男で、私はアダマであっても女なの」
彼女が立ち上がって目の前に移動すると、自分の身体を魅せるようにくるっと回った。
「私たちアビスデーモンの種族は、身体のつくりがほとんど人間と大差ないの」
確かに、外見は可愛いどころか飛びっきりの美少女で、人間の女の子とそう変わらない。
「だから…、ね?」
可愛くウィンクして、俺に再び近づいてくる。
もう鼻につく血の匂いなど感じられず、香しい香りが漂った。
「あなたのマナを、私の中に…いっぱい出して」
ワンピースの肩紐をずらし、胸元をはだけながら、顔を赤らめておねだりしてきた。
女の子にそこまで言わせてしまっては、もう引き下がることもできまい。
これで俺の勘違いだったら、一生の恥ともいえそうだったが、決意を固めて頷いた。
「わかった。でも、その前に…」
リミの顔に手を伸ばし、自分の元に抱き寄せると、思い切って唇を重ねる。
「んっ、ちゅっ…」
それは、これまでのどんな経験よりも緊張して、心満たされるものだった。
「んふっ、やっとその気になってくれた?」
「あぁ…」
彼女も心底嬉しそうな面持ちで、優しい笑みを浮かべている。
俺は返事をするのもほどほどに、再びキスを重ねた。
もう夜も遅くなっていて、シャワーを浴び終えた俺たちは、なんとなくお互い服も着ないまま抱き合うようにベッドに寝転んでいた。
「なんだか、とっても満たされた気分だわ。心も身体も、ね」
「俺もさ。マナを出したはずなのに、むしろ満たされたような充実感がある」
無事にマナを供給することもでき、俺も初めての経験を経て、すっかり心は穏やかだ。
ベッドシーツに色濃く残る鮮血の跡は、染みになってしまっているだろうが、こうして営業もままならない今、それを咎める者もいないだろう。
なんとなく彼女に触れていたくて、ふと髪を撫でていると、前髪をかき上げて流した際に、隠れていた滅紫の瞳と目が合った。
瞳の中に闇を内包しているようで、吸い込まれそうになるほど惹かれてしまう。
闇は恐怖の象徴でもあるので、怯えたり畏怖を覚えるのが普通の反応な気もしたが、不思議と魅入られて心が安らいだ。
「…もう、あんまり見ないで」
「ゴメンゴメン。綺麗だったから、つい」
彼女は恥ずかしがって、前髪を下ろしてしまった。
「人間には、目の色が左右で違う人なんていないでしょ?気味悪く思ったりしないの?」
「全然。でも、稀にそういう人もいるみたいよ。オッドアイっていわれてる」
「へぇ、そうなの?不審に思われないように、わざと前髪で片目を隠していたけど…」
「確かに、大抵の人は不思議に思うだろうから、それが無難かな。俺は気にしないけどね」
「オッドアイとか中二病っぽくてカッコいいし、リミの目はどっちも綺麗だと思うよ」
瑠璃色の右目と滅紫色の左目。澄んだ青と邪悪な紫の共存は、彼女が人間ではない存在であることを示している要因の一つでもあるが、気に障るものではない。
「あら、綺麗なのは目だけなの?」
「そんなわけないだろ、ほら」
揚げ足を取るようなことを言われたので、じゃれるように彼女の身体をまさぐった。
「やぁん、もう…またそんなとこ触って…。もしかして、もう一回したくなっちゃった?」
「うーん…。それもいいけど、今はこうしていたい」
誘われるのも悪くなかったが、寄り添って穏やかに同じ時を過ごすのも捨てがたかった。
「そうね。それは、私も同感」
リミは落ち着いた声色でそう返事をすると、より身体を密着させてきた。
「どうしたの?ちょっと怖い顔してるわよ、…好きだけど。クスッ」
「いや、あんなことをした以上もう後戻りできないなって、思ってただけさ」
「あんなこと?…まぁ貴重な体験だものね、人間がアダマと交わるだなんて」
「ああ、それもそうだけど…そっちじゃなくて、デジカメを奪った店でのことさ」
「あ、そっちね。私たちにとっては日常茶飯事だけど、人間の尺度でいえばそうかもね」
「……人間の世界でも、法も秩序も無い世の中になれば、同じようになったりするのかな」
「さぁ?それは、私には分からないけど…。でも、一つだけ言えることがあるわ」
「なんだ?」
「人間とアダマが協力して、共存することは可能だってこと。あなたと私のようにね」
「そうだな」
同じベッドの上で寄り添って寝ている彼女から受けた言葉は、寝耳に水だった。
人間とアダマの共存。現在の日本の惨状を見る限り、彼女に言われるまで思いつくものではなかったが、確かに俺と彼女の関係は、その一端を表しているようにも映る。
「まあ、難しいことを話していても、しょうがないわ。今日は、もう寝ましょう」
彼女に促されて照明を消すと、部屋の中はろくに明かりもなく、しーんと静まり返った。
目が慣れず、ほぼ真っ暗な中で手を伸ばし、少女を抱き寄せてから瞼を閉じる。
「おやすみ」
「おやすみなさい…」
心地よい微睡とリミの体温や触れ合った肌、胸の感触に浸りながら眠りにつく。
今日一日で疲弊しきった身体は、早々に眠りの淵へ堕ちていった。