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ハロウィン殺人事件

作者: 瀬川弘毅

 今日は十月三十一日、ハロウィン。魔女やお化けに扮した子供たちが家々を訪ねて回り、お菓子をねだるというお祭りの日である。


 もっとも、日本のハロウィンはその限りではない。祭りの主役は子供たちではなく、いい歳をした大人たちがアニメのキャラクターのコスプレをして街へ繰り出し、馬鹿騒ぎをする。やたら露出度の高い服を着て行く女性も散見され、猥雑な雰囲気だ。


 たぶん、彼らは「楽しければ何でもいい」のだ。ただ、馬鹿騒ぎをするきっかけや口実が欲しいだけなのだろう。「今日はハロウィンだから」を免罪符にして、羽目を外したいのだ。


 これから俺が取りかかる作業も、「今日はハロウィンだから」が免罪符になるだろうか。いや、楽しければ何でもいいか。



「……さて、始めるか」


 届いたばかりの郵便物を持って、俺は洗面台へ向かった。


 この日のために、なけなしの金をはたいて仮装セットを購入したのだ。ついさっき、それが梱包された段ボール箱が届いた。


 まず身につけたのは、カラフルなマーブル模様の服。次に、赤と黄のストライプのズボン。身長一八〇センチを超える俺が着ても、どちらもゆったりしたサイズに感じられた。


 そして、仮面を装着する。白塗りの顔に赤い鼻が描かれた、いかにも「道化師」といった風のマスクだ。


 ピエロに扮するにあたっては、仮面を被らないという案もあった。実際に顔を白く塗って、赤く丸い鼻をつける。その方が安っぽくなく、よりリアルに見えるかもしれない。


 残念ながら、その案は却下だ。今夜の俺は、ギリギリまで素顔を晒すわけにはいかないからだ。


 さらに虹色の派手なウィッグを被り、鏡の前で自分の服装を念入りにチェックする。おかしな点がないことを確認してから、俺は玄関へ足を向けようとした。が、思いとどまった。


「おっと。俺としたことが、小道具を忘れていたぜ」


 いやはや、危なかった。ピエロに必要なものを忘れるところだった。


 血のように赤い風船をいくつか持って、今度こそ俺は部屋を出た。

 


 拓也の部屋のインターホンが鳴らされたのは、午後十一時を過ぎた頃であった。


(こんな時間に誰だろう?)


 大学のレポート課題を終わらせて、そろそろ寝ようかという時刻だった。訝しみながら、インターホンの受話器を耳に当てる。


「どちら様でしょうか?」

「トリック・オア・トリート」


 受話器の向こうから、ヒッヒッヒッ、と気味の悪い笑い声が聞こえてきた。


「えっ?」

「トリック・オア・トリート」


 一度目と全く同じ調子で、相手は全く同じ台詞を繰り返した。まるで、感情を持たないロボットみたいに。


(こいつ、何を言ってるんだ)


 ひょっとして不審者か、と思いかけて、拓也は苦笑した。そうだ、今日はハロウィンじゃないか。近所の子供が、仮装して訪ねて来たんだろう。


 近所の子供が?


(……いや、違う。さっきの声は、声変わりを経た大人の男性の声だった)


 ぞわり、と背筋が逆立つのを感じた。得体の知れない恐怖が拓也を襲った。


(一体、受話器の向こうにいるのは誰なんだ? どうして僕の家を訪ねてきたんだ?)



 沈黙してしまった拓也に、通話相手はなおも語りかける。会話というよりも、それは一方的な呼びかけだった。


「トリック・オア・トリート。お菓子をくれなきゃ、いたずらするよ。ヒッヒッヒッ」


 どこかで聞いた声のような気もするのだが、思い出せない。


「無視しないでくれよ。トリック・オア・トリート。お菓子をくれなきゃ、いたずらするよ。トリック・オア・トリート。お菓子をくれなきゃ……」


 受話器を置いて、無視し続けるという選択肢もあった。けれど、拓也にはできなかった。


 何度も何度も同じ台詞を繰り返す男を前に、怖くなってしまったのだ。彼の言う「いたずら」が、単なるいたずらでは終わらない予感がした。


「いたずらしちゃうよ。お菓子をくれないなら、いたずらしちゃうよ」


 インターホンを鳴らすだけでは飽き足らず、謎の男はドアを叩き始めた。ドンドンドン、と強い力でノックしている。



 このままではアパートの隣人たちも気づいてしまうだろう。「なるべく穏便に事を済ませたい」と思い、拓也は勇気を振り絞った。


「分かった、分かったよ。お菓子をあげればいいんだろう」


 一旦受話器を置き、足早にキッチンへ向かう。クッキーの入った缶を見つけたので、とりあえずそれを持って玄関を目指した。


 念のためドアチェーンをつけたまま、少しだけドアを開く。そこに立っていたのは、道化師に扮した背の高い男性だった。


 カラフルなマーブル模様の服、赤と黄のストライプのズボン。白塗りの顔に赤い鼻を描いたマスク。虹色のウィッグ。おまけに、真っ赤な靴を履いている。


 こんな派手な格好をした奴を引き止めていたら、隣人たちから奇異の目で見られかねない。お菓子を渡して、さっさと帰ってもらおう。


「ほら、これをあげるから、もう帰ってもらえないかな」


 クッキーの缶を手渡すと、ピエロは小躍りした。何だかひどく嬉しそうだった。


「アハハ、お菓子だ。アハハ」

「そうだ、お菓子だよ。僕は君にお菓子をあげたんだ。だから、もういたずらはやめて帰ってね」


 小さい子供を宥めるように言い聞かせ、拓也はそっと玄関ドアを閉めようとした。だが、ピエロが突然「待って!」と叫んだのだ。



「何だよ。まだ何か用があるのかい」

「あのう、お菓子のお礼に、風船をあげようと思って」


 見れば、道化師は右手に赤い風船をいくつも持っていた。


「いいよ、風船なんて。僕はもう子供じゃないんだし、風船なんかもらっても嬉しくないよ」

「いらないの?」


 途端にピエロの声が低くなる。仮面の裏の表情は見えないが、こちらを睨んでいるような気がしてならなかった。


「……いや、やっぱりもらおうかな」


 今一番避けるべきなのは、このピエロの機嫌を損ねることだ。拓也は愛想笑いを浮かべ、風船を受け取ろうと手を伸ばした。


 しかし、ドアにチェーンをつけたままでは、風船が通り抜けるための幅が足りなかった。上手く風船を渡せず、ピエロは困った様子である。


 やむを得ず、拓也はチェーンを外した。そして、ドアを全開にして風船の紐に手を伸ばした。そのときだった。



 ダン、と床を蹴り、ピエロが拓也の懐へ飛び込む。あまりの速さに、拓也は反応できなかった。


 ピエロの手から風船が離れ、どこかへとふわふわ飛んで行く。代わりに彼が服の袖から取り出したのは、一本のナイフだった。


「何っ⁉︎」


 拓也は慌ててドアを閉めようとした。しかし、遅すぎた。


「逃げるなよ。俺からもプレゼントをくれてやる」


 今までとはうって変わって、ドスの効いた声が響く。


 ピエロが渾身の力で突き出したナイフが、拓也の腹部へ深々と突き刺さる。ぎゃあっ、と情けない悲鳴を上げ、彼は倒れた。


「な、何をするんだ。君は一体何者なんだ」

「俺の顔を忘れたとは言わせないぞ、拓也」


 血が溢れ出している腹を押さえ、横たわる拓也。彼を見下ろして勝ち誇ったように笑い、ピエロは仮面を外した。いかつい男の顔が現れた。



「お前は……」

「ようやく思い出したようだな。人の彼女に手を出した落とし前は、きっちりつけさせてやる」


 殴り、蹴り、床に転がす。「許してくれ」と泣き叫ぶ声や、痛々しい悲鳴が響く。そうやって拓也を部屋の奥まで移動させてから、道化師はにやりと笑った。


「警戒心の強いお前に、ドアを開けさせるのには苦労したぜ。だが、こんな格好をして、小道具まで用意した甲斐があったってもんだ」


 振り上げたナイフが、光を反射してきらめいた。


「まだ夜は長いんだ。たっぷり楽しもうじゃねえか、クソ野郎」

(追記)

不幸にも、今日このハロウィンの日(2021年10月31日)に、仮装した男性が傷害事件を起こすという悲しい出来事がありました。

この短編を書いたのはハロウィンの1か月以上前で事件とは無関係ですが、内容の一部が事件と似てしまったかもしれません。

もし拙作を読んで事件を連想する方がいらっしゃったら、本当に申し訳なく思います。不幸な出来事はフィクションの中だけにして、一刻も早く平和な世界になることを願っています。

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