第一話/紅き龍の子
乾いた風が熱砂を舞い上げる。
人々は皆、その双眸をある一点に向けていた。
砂漠の街、灰砂都市の中央に位置するのは有名なコロッセオ。
ドーナツ上の客席を埋め尽くすのは地元民だけではなく、地方や大陸、別の街から遥々訪れた人々も居る。
「数年に一度の武闘大会の決勝戦、盛り上がるねぇ!」
観客席のやや中段、屋根により辛うじて日差しから身を守れるその席で、隣に座る中年男の声にルイは短く“そうだな”と返す。
耳障りな観客の声、より一層の盛り上がりを見せるその声の理由は武闘大会公式の賭博だろう。
隣に座る中年男が手に握るのは所謂オッズ表、逆の手に握る鉛筆は手汗で湿っているのがわかる。
前に突き出た豚鼻を鳴らし、男は此方の返事を聞かずに怒声を上げた。
武闘大会の決勝戦、観客の怒声と嬌声、そして熱を帯びた視線の先にルイもまた、紫紺の瞳を向けた。
乾いた風が瞳と同じ色の髪を揺らす。
オッズ表を、鉛筆を、そして掛札を握り締める観客達が、今か今かと待ち焦がれる決勝戦が今、合図の銅鑼の音により始まった。
ーーーーー
初撃は勿論、全力を込めた一撃に決まっている。
予選会も一回戦も二回戦も、三回戦も準決勝も全てこの一撃で勝ち上がってきたのだ。
銅鑼の音が揺らす熱気を踏み潰し、踏み込む足裏が闘技場の石床を砕く。
息を吸い込み、肺一杯に取り込んだ魔素を練り上げて魔力に変換。
鮮やかな紅い髪を風に靡かせる青年、ラールは砲弾の如く飛び出した。
「うるぅああああああああ!」
独特な雄叫びは置き去りに、振り上げた左腕に大気を歪ませる程の莫大な魔力を纏わせ、ラールが狙うは白銀の騎士。
シークと言ったか、決勝まで勝ち進んできたこの相手は自身と同じく、全ての試合を一撃で終わらせて来たと聴く。
(一撃……相手の初手を盾で受け止めてからのカウンター)
重厚な銀の鎧を覆い隠すのは巨大な盾と、長く鋭い槍だ。
盾で受け止めて、槍で突く。
それだけの動作でこの決勝戦まで勝ち進んで来たとなると……滾る。
故郷を出、武者修行の旅を始めてどれくらい経ったのかはすっかり忘れてしまった。
しかし、今日この瞬間までの激闘は一つも忘れていない。
そしてこの試合も、その内の一つになるだろう。
熱気を踏み潰し、大気を切り裂き、勢いを載せて叩き付ける左腕。
その拳を、白銀の騎士は構える盾で受け止める。
轟音と衝撃、試合開始を告げた銅鑼の音の数倍以上の音が響いた。
しかし、轟音は響けど破砕音は一切聞こえず。
「どんだけ硬いんだよ!!」
ラールが放つ、全力の一撃を受け止めたシークの盾。
数多く見える、刻み込まれた傷は強者の証か。
此方の初手を防がれたのはある意味予想通り、ラールはその結果に自然と笑みを浮かべる。
初手を受け切ってからのカウンター、次に来るのは槍の一撃。
閃く銀光は鋭尖の一撃、ラールの初撃を受け止めた白銀の騎士が攻守反転。
ラールの一撃を受け止め、その反動を利用して放つ刺突は鋭く、速い。
瞬く銀閃を視界に収めつつ、ラールはサイドステップ。
僅かに遅れて迫る槍の穂先がラールの紅い髪の影を貫いた。
一般的に、槍は前後の動きに強く、左右の動きは弱いとされているが……やはりと言うか、武闘大会の決勝まで駒を進めて来た強者ともなると“その程度”である筈もない。
サイドステップで刺突を回避したラールへと、シークは槍の横薙ぎを放つ。
シークの左側へと逃げたのは悪手だったか、円弧の軌道を描く槍をラールは身を伏せて避け、四足獣の姿勢から一気に飛び出した。
飛び出す勢いのままに放つのは魔力を纏わせた両手の平による掌打だが、先程と同じく楕円の盾によって受け止められ……受けた衝撃を利用し、シークが後方へと跳躍。
バックステップにより距離を取り、重心を低く取った体勢から放たれるのは、銀槍による連続突きだった。
「コレは流石に避けられねぇ!?」
槍の最も得意とする距離を、ラールの攻撃を利用して“作り出した”騎士の攻勢はこれからが本番だろう。
ーーーーー
「隣、良いですか?」
一挙手一投足、決勝戦を戦う二人の全ての動作に歓声が上がる中、ルイへと声を掛ける者がまた一人。
静かな、しかし芯のある声の主へと紫瞳を向けるルイ。
ルイの無言を肯定の意としたのか、声の主は会釈を一つし、ルイの隣へと腰を下ろした。
ルイより少し背の高い少女は白を基調としたショートドレスを着込んでおり、長い黒髪が熱風に煽られて靡く。
年の頃は20手前だろうか。
礼装にも見えるドレスの中、浮かべる表情に子供っぽさが垣間見えた。
砂漠の街に似合わない服装からして、現地人ではないのだろう。
と言っても、ルイも同じくこの街の住民ではないのだが。
少女から目を離し、ルイもまた闘牛場へと視線を向ける。
円形の石床では紅と銀が交錯し、ぶつかり合っていた。
見るからに重い鎧を着込む白銀の騎士は見た目からは想像出来ない速度で槍の刺突を繰り出し、ラールはそれを胸元寸前まで引き付けて反転、回避。
180度水平回転の先に放つは勢いの乗った拳だが、ただの裏拳ではなく手の甲を上に向けたハンマーパンチ。
風切り音を掻き消す打撃音。
ラールの拳はシークの左頬を打ち抜き、更なる連撃。
振り抜かれる左拳とは逆、同じく握り締めた右拳での追撃をバックステップで逃れるシーク。
空を切る拳、振り下ろされた右腕はそのままに、ラールは大きく息を吸い込んだ。
大気に含まれる魔素を肺から吸収し、魔力へ変換。
吐き出す魔力を喉元で更なる変換。
言葉にならない怒声は紅に染まり、炎となって白銀の騎士へと放射される。
「……火を吹いた!?」
勢い良く炎を吐き出す紅髪の青年、ラールの火炎に観客が驚きの声を上げる。
勿論、その中の一人にはショートドレスの少女も含まれていた。
砂漠に築かれたこの街の気温は高いが、それを遥かに超える高温の赤。
火炎の吐息はシークの視界を鮮やかな赤色に染め上げる。
バックステップで取った距離を瞬く間に焼き尽くして迫る炎。
それを目前にしてシークは左の楯を掲げて防御の体勢を取るも、白銀の甲冑は一瞬にして火炎に飲み込まれ、観客達の視界から消える。
驚きの声を上げる観客達を尻目に、ルイは息の続く限り炎を吐き出すラールへと視線を注いでいた。
「あの人……何者なんだろう……」
その隣で、白い礼装の少女が呟く。
「あの炎は鋼鉄すら易々と熔解させる火力を誇る。
それを受けて尚、消し炭にならないあの騎士も只者では無い」
この様々な種族が入り混じるこの世界で、火を吹く事を可能とする存在は数多く存在する。
しかし、ルイの言葉通りラールの吐き出す火炎は只の炎ではない。
「ヤツは龍の子だ。
竜の上位種、龍の中でも更に高位なる存在……龍神の子」
自身の呟きを拾い、答えた隣席の少年へと少女は視線を向ける。
少年、ルイはその視線を受ける事なく続けた。
「ラール・グランス……紅き龍の子、それが、ヤツだ」