表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

泉 鏡花「みさごの鮨」現代語勝手訳 三

 三


「そうか――先刻(さっき)、買い物に寄った時、その芸妓(げいしゃ)は泣いていたよ」

「あれ、小春さんが坊主の店に居ただかね。好いても嫌うても、気立ての優しいお()だから、内緒で逢いに行っただろさ。――ほんに、もうお十夜(じゅうや)(*1)だ。――気難しい治兵衛の(ばば)も、やかましい芸妓屋(げいしゃや)の親方たちも、ここ一日(いちんち)二日(ふつか)講中(こうじゅう)(*2)で出入りもがやがやしておるで、その(ひま)(そっ)と会いに行ったでしょ」

「お安くない間柄なんだな」

「何、(いと)しゅうて泣いているだか、しつこくされて泣かされるだか、知れたものではないのだよ」

「同じ泣くなら……愛しい方にしておくがいい」

 と、客はしめやかに言った。

「厭なことだ」

「大層嫌うな。……その執拗(しつこ)い、嫉妬深いのに口説(くど)かれたら、お前さんはどうする」

「横びんた()りこくるだ」

「これは驚いた」

「北国一だ。山代の(ともえ)(*3)、(はん)(がく)(*4)だよ。四斗八升の米俵、両手で二俵提げるだよ」

「偉い!……その勢いで、小春の味方をしておやり」

「ああ、すべいよ。旦那さんが言わっしゃるなら。……」

「お世辞だろうけど、うれしいね。……これ、ほんの少しだけれど、ご祝儀だ」

 肩を振って、()ねたように、

()らねぇよ。――(うち)こんなもの。……旦那さん。――旅行(たび)さきで無駄な銭を(つか)わねぇがいいだ。そして……」

 と顔を向け直すと、ちょっと上まぶたで客を見て、

「旦那さん、いつ帰るかね」

「いや、親切は有り難いが、今来たばかりの者に、いつ出立(たつ)かは少し(ひど)かろう」

「それでも、先刻(さっき)来た時に、一晩(ひとばん)(どまり)だと言ったでねぇかね」

「その通りだ、明日は山中へ行くつもりだ。忙しい観光団さ」

「ゆっくり居なされば()いに――では、またじきに来なさいよ」

 と、真顔で言った。

 客はその(ことば)に感じたように、

「もちろん来ようが、その時、(ねえ)さんは居なかろう」

「あれ、何でぇ?……」

「お嫁に行くから」

 したたか(かぶり)を振って、

「ううむ、行かねぇ」

「治兵衛坊主が、たって欲しいと言うそうだ」

「馬鹿を言うもんでねぇ。――治兵衛だろうが、忠兵衛(*5)だろうが、……一生嫁に行かねぇで待ってるだよ」

「じゃぁ、いっそどこにも行かないで、いつまでもここに居ようか。私をお婿さんにしてくれるのなら。……」

「するともさ」

「私は働きがないのだから、婿と言っても養子と同じだ。お前さん養ってくれるかい」

「ああ、養うよ。朝から晩まで好きな時に湯に入れて、御飯(おまんま)を食べさして、遊ばしておけば、それでよかろうがね」

「もったいないくらい、結構だな」

「そのくらいなら……私が働く給金でして進ぜるだ」

「ほんとかい」

「それだがね、旦那さん」

「ご覧、それ、すぐに心変わりだ」

「ううむ、本当だ、が、こんな上段の()ではやりきれねぇだ。――裏座敷の四畳半か六畳で我慢してくださんせ。お膳のご馳走も、こんなにはつかねぇが、私が内緒で、どうともするだよ」

 客は赤黒く、口の(とが)った、にきびで肥った顔を見ながら、

(ねえ)さん、名前は何と言う」

 と、笑って訊いた。

「ふ、ふ、ふ」と、首を振っている。

「何と言うよ」

()きなさい、そんなこと」

 と、耳朶(みみたぼ)まで真っ赤にした。

「よ、ほんとに何と言うよ」

「お(みつ)だ」

 と、飯櫃(めしびつ)に太い両手を突っ張って、ぴょいと尻を(もっ)()てる。()げる(がま)えでいるのである。

「お光さんか、歳は」

「知らない」

「まぁ、幾歳(いくつ)だい」

「顔だ」

「何?」

「私の顔だよ、猿だてば」

「すると、幾歳(いくつ)だっけな」

「桃栗三年、三歳(みっつ)だよ、ははは」

 と、笑いながら駈け出した。この顔が――くどいようだが――楊貴妃の上へ押し並んで、振り向いて、

二十(はたち)だ……(いたち)だ……べべべべ、べい――」


 *1 お十夜……陰暦十月六日から十五日の十日間、浄土宗寺院で行われる念仏行事。


 *2 講中(こうじゅう)……(こう)を作って神仏に詣でる信仰者の集まり。


 *3 (ともえ)……(ともえ)御前(ごぜん)。平安後期~鎌倉時代の女武者。


 *4 (はん)(がく)……(はん)(がく)御前(ごぜん)。平安後期~鎌倉時代の女武者。弓矢を得意とする。


 *5 忠兵衛……近松門左衛門の浄瑠璃「冥途の飛脚」での主人公。作品は遊女梅川との情話を描いた物語。


つづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ