剣と炎
少女が駆ける。
ただ、一心不乱に駆け抜ける。
限界を超えて悲鳴をあげるボロボロの身体を引きずって、血塗れの体を酷使しながら夜闇に身体を紛れさせてただ走る。
(くそ! くそ! くそッ! なんなんだあれ、なんなんだよアレはッ!)
少女は、非の打ち所のない神童だった。
少女は、神に祝福された才能の塊だった。
少女は、おおよそ天才と呼ばれる部類の存在だった。
(くそ! くそ! くそぉ!)
「なんなんだよ……なんなんだよちくしょう!」
全てを見渡す天才は内から湧き出るソノ感情の名を今日初めて知った。
暗くて、苦くて、辛くて、苦しくて、呼吸が乱れて、足が竦む、今にも泣き出した放り出してしまいたい。何で私がこん目に会うんだと泣き叫んでしまいたい。
少女は今日、生まれて初めてそれが恐怖だと知った。
悲痛に顔を硬らせて、目の端から弾ける雫を手の甲で拭う。
(このままじゃ……)
『死んでしまう』
突然目の前に突き付けられた死は……生まれて初めて抱いた感情は天才の心を撃ち砕くのには十分だった。
・・・・・・・・・・・・
「やってしまった……」
湯船に浸かって、今日の放課後に思いを馳せる。
もしかするともしかしたかもしれない……そんなどうでもいい青春思考回路をフル回転させて妄想を繰り返す。
彼女がどんな人間か知っていても『実は俺はアイツが好きなのでは?』なんて事を無闇矢鱈に考えてしまう。
「いや、まぁでも明日と言ったしな! うん! 今日大人しく自分を見つめ直して明日に臨む方が懸命だ」
「クールでシニカルな大人的自分を演出するのも悪くないな。フフフフ」などと馬鹿馬鹿しい事を考えながら、浴槽から上がって身体をタオルで拭く。
それにしても、なんだか肌がピリピリするこの感覚はなんなんだろう? そんなことを考えながら。
・・・・・・・・・・・
「がっ……ぁ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!」
慟哭が夜闇に響く。
甲高い少女の苦痛を体現した絶叫が、空を裂いて辺り一面に広がっていく。
その様子を薄く笑いながら傍観する集団が宙にあった、空すら舞えなくなった少女を嘲笑うように。
「そらそうだ、炎熱系を殺すための呪いをこれでもかと織り込んでんだ。痛てぇーだろうよ」
痙攣を起こしているのかブルブルと震える手で時代錯誤もいい所な矢尻に手をかけてから歯を食いしばって覚悟を決める。
「っだ……痛てぇ……燃えろ」
自分の皮膚が焼けることも厭わずに、それどころか焼いて出血を止めるついでに貫通した矢を焼いて灰に変えていく。
「……なぜ、攻撃しない」
「攻撃する必要が無いからだよ」
「テメェらの上は何を考えてやがる?」
薄く笑っていた男の顔が一気に崩れた。面白い喜劇を見ているように、手を叩いて腹を抱えて男は笑う。
「天才なんて呼ばれてたガキが! 俺達程度の思惑すら見抜けないぐらいに疲弊してんのか!」
そんな男の笑い声を聞いても少女の顔色は変わらない、怒るどころか侮蔑と嘲笑を持って思考の冷静さを取り戻していた。
隙を伺い、好機を狙う。天才の呼ばれる自分自身を奮い立たせて逃げる方法を模索する。
「いいぜ、気分がいいから教えてやるよ」
部下と思われる周りの人間の注意を振り切り、男は続ける。それが、少女への恐怖を煽ることだと知っているから。
「結社はなぁ、てめぇをとっ捕まえてひん剥くつもりだよ」
「ハッ! いよいよお前らのとこは性的異常者の集まりにでもなったのか?」
「ひん剥くって言っても服じゃねぇよ。俺達がひん剥くのはテメェが積み上げてきた全てだよ」
思考回路が凍りつき、少女の顔が強張った。
「テメェが積み上げてきた研鑽を練磨を、その全てを丸裸にして簡略化して量産する。そんでもってソレを末端まで使えるようにしちまう」
少女は落ち着きつつあった自己が崩れ去るのを自覚していた。男が少女に言ったことは、魔術士と呼ばれる存在からすれば最も屈辱的な事だった。
そして、彼女が怯えた理由はもう一つあった。
「どうなるよ? 想像してみろ天才ッッ! いくら簡略化したといえお前の術式その全てを末端にまで配ればどうなるよ? なぁ!」
わかりきっていた。
そんなことは少女が1番分かっている。
「全ての組織を殲滅し、結社一強の時代が築ける。それが上の連中の悲願を叶えるための最善手らしいぜ」
少女は天才であった。
だが、それは正しい自己の元、正しい知識と共に奮ってきたからである。
もし、彼女の圧倒的なまでの力が『知識のない』人間にまでバーゲンセールのように配られたらどうなる? 簡単なことだった、世界の勢力図が塗り変わってもおかしくないほどの暴力を生む。
「ろくなもんじゃねぇぞ……テメェら」
「今に始まったことじゃねぇし、お前も人のことは言えんはずだろ? なぁ、炎帝殿」
男はニヤリと笑って弓に鏃を添える。
禍々しい何かを纏ったその矢の先を少女の腹を目掛け放とうと準備する。
「お前に踏み躙られた友と仲間の分だよ。受け取れクソガキ、そして無力のまま死んじまえ」
突き抜けるように軽くて、それでいて水っぽい音が嫌に静かな街中に響いた。
・・・・・・・・・・・・
樹は唐突に湧いて出た眠気を抑えられずにベッドに横たわっていた。
「なんだ……急に、ねっみぃ」
くぁっと欠伸を放って、芋虫のように這って自分の匂いのする枕に顔をうずめて呟く。
「つーかなんだよこれ」
ビリビリと肌が震える、今すぐにココを遠退けと頭が危険信号のようなものを送るのだが指先一つ動きはしない。それほどに眠いのだ。
机の上のスマートフォンがガタガタ振動している、きっと誰かが電話でも掛けてきているのだろう。
「も……むり、寝る」
指先まで震える以上な眠気に堪えが効かなくなり誰にいうでもなくそう宣言して、意識の轡を完全に手放した。
「はぁ……はぁ」
水っけが混じった苦しい呼吸が続く。
胸に深く深く突き刺さった錆びた剣のような形をした弓矢は抜けそうにないし燃やせもしない。それどころか、淡い光を放ちながら胸の奥に埋まっていき身体の中で根を張るような感覚に襲われる。
追っ手は居るが、攻撃をする様子はない。
まるで馬鹿にするように空中で旋回して少女の行く末を嘲笑う、その結末を堪能している。
「ちくしょう……! ちくしょう……!」
涙が溢れ出る、その度に身体のいろいろな場所から血が滴る。
もう、今までのように世界の理を超えるような外法は使えない、胸に深く刺さったソレがあらゆる魔術を構築する前に分散させて打ち消している。
『聞こえるか。聞こえていたら左手を壁つけ』
聞き覚えのある声が脳内に響き、言われるがままに身体を支えるように左手を壁に押し当てる。
『チャンスは1度だ、この1度を逃せば組織は君を助けることが叶わなくなる』
淡々としている。同情や哀れみは孕んでいないそれどころか、血の通っていないとも思える機械音みたいな声だった。だが、少女にはその声には覚えがある、信用に足る声だと知っている。
『前に五歩、そしてそのまま倒れろ。あらかじめこの街には緊急用の術式をいくつか仕掛けてある』
「何でそんなもんがこんなとこにあんだ」
『この街には色々あるのさ』
「さいですか」
『転移させるのはこの街で1番魔力がある……まぁ、一般人の家だ。多少心苦しいが君の胸に深く刺さったソレを身代わりの術式で移せ。彼ならすでに眠らせてある』
少女が生きるために、少女が死なないために、無関係な一般人の命を炉にくべる。男はそう言っていた。
だが、躊躇いはない。今更、誰かの命一つで罪を覚えるほど少女の両手は綺麗じゃない。それに何より。
「死にたくねぇ……」
『カウント、1・2・3・4・5、今だ』
バタッと少女は身体の力を抜いて受身も取らずに倒れた。アスファルトに衝突した鈍い痛みが走ると思われたが代わりに聞こえるのはパリンっと甲高い音で、体に纏わりつく鋭い破片を手で払う。
「成功したのか……」
そこは本当に何の変哲もない生活感あふれるマンションの一室だった、自分の周りを見ればガラスが飛び散っている。
「さて……やるか」
煤まみれ、埃まみれの血塗れのシャツをそこら辺に投げ捨てる。一糸纏わぬ上半身が月夜に無防備に照らされて、月明かりに銀色の矢が反射する。
机の上に置いてあった油性のマジックペンを掴み取り、器用な手つきで胸に刺さった弓矢の周りに楕円を描く。
「私の方はこれでいい」
次はベッドに横たわる少年だ、報告の通り彼はぐっすりと眠っている。
彼の服を破き、胸の中心に自分と同じ紋様を描いていく。
「アルテミスの弓のレプリカを更に変出させてるのか」
ギリシア神話に登場する武具、女性を射抜けば苦痛を与えることなく即死という性質を持つ弓。胸に突き刺さっているというのにこの部分には痛みが余りないのはこれの性質を利用しているのだろうか。
「自己解釈は終了、術式構成は完了。代替えの魔術も構築完了」
怪しい光が彼の身体を纏っ他のを確認してから、少女は胸に突き刺さった弓矢を掴み思い切り引き抜いた。甲高い悲鳴と激痛が少女を襲うがそれも一瞬で消え去った。ただ、痛みに怯えて震え心と身体が残るだけ。
「終わった」
熟れた果物を踏み潰したような水っぽい音が少女の見下ろす男の胸元から響いた。その生々しい感触の気持ち悪さに少女は眉を顰めた。
べっとりと生ぬるい血が手を伝う。そんな自分の手を一瞥して、近くに置いてあったティッシュを掴むと、少女は無駄と分かっていながら手を執拗に拭って一息ついた。
月が綺麗な夜だった。
先程までの轟音も硝煙も全部が全部忘れてしまえるような綺麗な夜だった。
ため息混じりに伸びをしてから、ようやく少女は男の顔を見た。少女は、自分が殺した男の顔を拝む。
自分が生き残るために殺めた、なんの罪もない男……青年と少年の中間のような発展途上の容姿の男に色々な感情が混ざり合った謝罪を口にする。
「ごめんね……」
罪悪感はある、何の関わりもない他人の人生を徐に終わらせてしまったことに対するソレは確かにある。だが、反省も後悔もない、仕方がなかったと少女は自分勝手に割り切った。
男の輪郭を指でなぞって、叩き割って入ったリビングの窓ガラスから覗く月を見ながら少女は静かに呼吸する。
直後、轟音と共に閃光が迸ることも知らずに。
そして-
・・・・・・・・・・
ぶくぶくと水泡が弾ける音がする。
息苦しさを感じて、己が内側から燃え上がる炎熱に身を焦がして叫んで泣きじゃくる。
『おれは』
パリンっと何かが弾けた。そして多分、失くしちゃいけない大切だった何かが弾けた。
着物姿の少女が悲しそうな顔して微笑んでいる、目の端に涙を溜めて。
俺はソレが許せなかった、俺は彼女に……
『あぁ……俺は』
「……」
『俺は、俺は必ず君を-』
呟こうとした瞬間、肺に取り込んだ空気が爆ぜた。
そうして俺の周囲を埋め尽くしていた極彩色の何かと一緒に全ての自己が焼失した。
そして-
そして-
そして……
・・・・・・・・
「なっ!?」
驚きが素直に口から零れ落ちた。
突如轟いた爆音と閃光にではない。突如表れたとんでもない熱量を内包する無骨な剣というより鉄の塊、そして急激に失われていく……いや、奪われていく自分の魔力。
「な、なにが起こってッ!?」
天才と呼ばれる少女ですらその事象を飲み込むのに時間を要した。目の前で巻き起こる理解を超えた現象に答えを出そうと混乱する脳味噌をフル活用させて正解を導き出す。
爆炎を放ち、全てを焼き付くさんとする剣と魔力。
ソレ即ち……
「レーヴァティン? いや違う! ソレのレプリカ」
禍々しい……そう言っていいほどに歪んだ剣。
無骨だった鉄の塊は形を自在に変化させていく。刀身は淡い藍色、塚の部分は不釣り合いな黄金の装飾、切っ先は真紅。
北欧神話・ラグナロク、フレイの剣=スルトの剣、それ即ちレーヴァティン。
「奴ら……アルテミスの弓のレプリカとレーヴァティンのレプリカを無理矢理に混ぜ合わせて私に撃ち込んだのか!? 私の炎を封じて、アルテミス弓で殺すために」
理論は組み立てた、自己解釈は終わらせた。
だが、だが、だが。
「なぜ、死んでない?」
ゆらりと影が揺れる。
炎熱の向こう側で何でもないように起きあがる人影。
「……は? へ? はぁぁぁぁ!? な、なにこれ、火事!? つーか、何この剣!? って、あんた誰。何で裸!?」
運命は交差し結合する。
停滞していた物語が動き出す。
「「どうなってやがる!?」」
燃え盛る世界で派手に物語が動き出す。
これは、少女が記し少年が語る物語。