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紫煙  作者: ヒノキ
1/3

プロローグ

 熟れた果物を踏み潰したような水っぽい音が私の見下ろす男の胸元から響いて、その感触の気持ち悪さに眉を顰めた。

 べっとりと生ぬるい血が手を伝う。そんな自分の手を一瞥して、近くに置いてあったティッシュを掴むと、無駄と分かっていながら執拗に拭ってから一息ついた。


 月が綺麗な夜だった。

 先程までの轟音も硝煙も全部が全部忘れてしまえるような綺麗な夜だった。


 ため息混じりに伸びをしてから、ようやく私は男の顔を見た。私は、私が殺した男の顔を見た。

 私が生き残るために殺めた、なんの罪もない男……青年と少年の中間のような発展途上の容姿の彼に静かに謝罪を口にする。


「ごめんね……」


 罪悪感はある、何の関わりもない他人の人生を徐に終わらせてしまったことに対するソレは確かにあるのだ。だが、反省も後悔もない、仕方がなかった。


 彼の輪郭を指でなぞって、叩き割って入ったリビングの窓ガラスから覗く月を見ながら私は静かに呼吸する。


直後、轟音と共に閃光が迸ることも知らずに。





・・・・・・・・・・


 ニュースが流れる。

 それを何気なく一人きりの家の中で見ながら、焼きたてのトーストの最後の一口を大きな口を開けて頬張る。

 ジャムの甘ったる味を打ち消すように飲み干した、インスタントのブラックコーヒー。そのカップを水につけて口元を拭ってから誰もいない部屋を振り返る。


「行ってきます」


樹 灯火(いつき とうか)薄く笑いながら、自宅を後にした。





「うぉーい、イッちゃん」


 雑多な雑音に塗れる校舎の階段から教室に着くなり、不良娘が顔を出した。


「おぉ、なんだ朝から。なんかあったんか、リン」


 リン、そう呼ばれた少女は黒髪統一が校則のハズの学校で堂々と茶髪を指で回しながらニヤニヤと笑みを溢すばかり。


「知ってか?」


「なにが?」


「知んないの?」


「だから何がだ」


 訳知り顔で勿体ぶるリンに一瞬の苛つきはあるものの、それでもクールな大人を目指す樹は静かに、されど深く大きな息をわざと吐いて見せてから続きを促した。


「第二公園あんじゃん? あそこ、爆心地みたいになってんだってよ」


 くだらない誰や彼やの色恋沙汰だろうとタカを括っていた手前、入ってくる情報が予想外すぎて口を大きく開けて唖然とした。

 第二公園……それはこの高校からでも、さして遠くない場所に今時は珍しい大きな遊具などが数あるデカい公園で近隣住民や近くの保育園や幼稚園なんかも使っているような場所だった。当然、樹とて例外ではなく、中学時代から友人達で何度も暇を潰しに訪れた場所でもあった。


 というか「このご時世、しかも日本で爆心地ってなんだそれ」という意味合いの方が強かった。


「……爆心地って」

「マジだって、写真見る?」


 そう言ってリンの差し出した変な飾りでいっぱいのスマホケースを受け取って、液晶画面の中身をマジマジと見つめると、そこには確かに何の変哲もない爆心地があった。


「は……? まじで爆発したみたいじゃん」

「だしょ? ほら、謝って! 私を疑ったことを謝ってイッちゃん!」

「あー、はいはい悪うござんしたね」


 謝りつつも内心疑っている樹であった。

 差し出された情報を鵜呑みにしてしまうほどピュアな高校三年生では無いのだ。ぶっちゃけ内心、無駄に手先が器用なリンが夜鍋して作った画像なのではないかと疑っている。


「ま、そういう訳だからイッちゃんも夜は家から出ないようにね? なんか最近この街も物騒だし」


「そう言われてもねぇ、一人暮らしだし何かと入用でコンビニに行くんだよなぁ」


「まぁとりあえず気をつけること、私に余計な仕事増やさないでね」


「あいあいさー」



 呟いて席にすわ窓の外に目を向ける。

 隣でやかましく騒ぐ友人の声を聴きながら欠伸と共に幸福な溜息を一つだけ吐いて。緩い一日はこうして流れていく。








 同時刻、樹が緩い欠伸を零していた時、少女はボロボロの体で路地裏を駆ける。


「ちくしょう……! 本ッ気で潰しに来てやがる」


 太陽よりも煌めく金の髪が風に揺れる。

 民族衣装のような独特な装いの端正な顔立ちの少女は、その綺麗な髪を煤で汚し、美しい顔を似合わない苦痛で歪めながら走っていた。

 

 太股から瑞々しい血が白い肉体を這うようにして止めどなく流れている、掠れた喉で呼吸して、震えを押し殺すように唇を噛んで路地裏を転がる。


「甘ちゃんで削るだけ削ってから、止めどない波状攻撃でコッチを根こそぎ持ってく気かよ。考えたな結社のやつら」


 独り言にしては大きな声で毒づきながら、通り過ぎる追手を身を潜めて見送ったのを確認してゆっくりと立ち上がると服についた汚れを手で払って舌打ちを一とつ。


「はやめにどうにかしねぇと、このままじゃジリ貧だ」


 金髪の少女は踵を翻す。

 直後、微かな光が滲み出し少女は世界から音もなく消えた。



・・・・・・・・・・



 学生のエネルギー源とはお昼ご飯である。

 それは、このスカした男とて例外では無かった。


「ちくしょうどうなってやがる!? 8人居たのに一発で負けただと!?」


 みんなパーだった、樹だけグーだった。理由はそれだけ、売店までの使いっ走りに任命された樹であった。


「くそぅ……最近引くぐらい運が悪いぞぉ」


 ぐぬぬっと声にならぬ悔しさを滲ませながら売店へと向かう為に校舎棟と特別棟を繋ぐ渡り廊下へ足を踏み出した、10月初旬の独特の薄ら寒さに身体を震わせつつ、すれ違う知らない誰かの視線を何気なく逸らした。


「なんだ、あれ」


 光の方に目を凝らす。

 樹の見間違えでなければ、確かにそこには光の柱のようなものが一瞬確かに建っていたのだ。


「ちょーじょーげんしょー?」


 何ともバカっぽい声音で独りごちて、自分の使いっ走りという宿命を思い出して走り出す。超常現象だろうがなんだろうが、とりあえずは食べ物の恨みを回避するのが先決なのだ。










「ざっけんな!? お前らの上はなーに考えてやがんだ!」



 地中から突如表れた光の槍を横っ飛びで回避して、少女は叫ぶ。


「お前ら結社は『魔術は一般人ガー! 選ばれた人間ガー!』とか何とか言ってやがんだろが!?」


「仕方ねぇーでしょー? アンタがちょこまか逃げ回るから、断腸の思いでこんな術式まで引っ張り出してんすよ」


「くっっそ! 絶対嘘だ! お前嬉嬉としてふるってやがっただろうが!?」


 少女は叫びながら指を弾く。

 会話など時間稼ぎ。理由なんてどうでもいいと吐き捨てて、その端正な容姿に嫌にマッチした悪辣な顔で高らかに吠える。


「燃え尽きちまえ」


 それだけで、理から外れた現象が世界に生まれる。


「俺が……俺達、結社がいくらあんたに煮え湯を飲まされたと思ってやがる? 今回は律儀に戦うつもりなんてねぇーのさ」


 男が溜息混じりに腰のホルスターから取り出したのは銃口が異常に大きな拳銃。それを少女に向けながら、勝利宣言のように言葉を紡ぐ。


「滅びちまえよ、炎帝」


直後、市街地に想像を絶する轟音が響き渡った。











「うぉ!? なんだ、地震か!? って、やべ! おにぎり」


 校舎が大きく揺れ、両手に抱えていた食料の数々が零れ落ちる。


「イッちゃん、大丈夫?」


「おぉ、リン。ナイスタイミングだ、おにぎり拾うの手伝ってくれ」


「あいさー! それにしても大きな揺れだったねぇ」


 リンの「少し持つよ」という申し出を有難く受け取りつつ、慌てふためく周りを尻目にいつものようにくだらない会話を繰り広げる。


「あ、そういやさ」


 再び渡り廊下へ戻った時、樹は何気なく数分前に見た光の柱のようなものをリンに喋る。


「さっきここ通った時にさ、向こうの方に変な光の柱? みたいなもんを見……」


 何かが床に落ちる音を聞いて、樹は振り返る。


「どした?」


「あ、いや、なんでもないよ! あっ!? やばい、おにぎり潰れた!?」


「なっ、この阿呆! 何しがる!? 怒られんの俺だぜ!?」


「あわわ! ごめんごめん! ほんっっとごめん」


呆れつつ嫌に痛む首筋に手を添えながら、樹は最近の不運を思い起こす。


「あぁ、ちくしょう。なんか取り憑いてんじゃねぇだろうな」


「何が取り憑くの?」


「幽霊とか?」


「なんか恨まれることしたわけ?」


「この前、空き缶ポイ捨てした」


「小市民め」


「うるせぇ」


 悪友みたいな存在になりつつあるリンの頭を軽く叩いて、樹はゆっくり息を吐く。


(それにしても最近ほんとについてねぇな……気をつけないと何かに巻き込まれそうだ)


 悪夢を振り払うように首を振って、教室を目指し歩き出す。

 カチリっと何処で音がした歯車の回り出す音が。







・・・・・・・・・・・・






「イッちゃん、イッちゃん」


「なんですかね水無月しゃん」


 最寄り駅が同じな樹とリンは駅に降りたって人が捌けるまで少しだけベンチに座る習慣がある。人混みが嫌いな樹を気遣ってリンが随分と前に言い出したことだが、時がたった今でもその習慣だけは残っている。


 そんなこんなで放課後のいつもの五分でくだらない会話を繰り広げるはずだったのだが……


「前に言ってたゲーム……買っちゃいましたのよ」


「な……んだと」


 二人同時プレイができるFPSゲームの最新作、お互い今月余裕がなく暫くは買えないなぁ……などとつい先日話していたばかりだったのでその衝撃は計り知れない、爆心地のことなど頭から抜けるくらいには。


「今日は暇かね?」


「勿論だ、予定があってもサボる」


「よしきた、今日は華の金曜日! 明日は休日だし飽きるまでやるぞぉ!」


「おいおい、ちょいと待ちなさいリンさんや」


 言葉に違和感を覚え、立ち上がりガッツポーズをかますリンに問いかける。


「あの、その、勘違いなら恥ずかしいんだが」


「おん」


「その流れ……俺が泊まることになってない?」


「そうだけど」


 至極当たり前に、1+1は2でしょ? 何言ってんの?的な反応で伝説の生き物であるはずの女子高校生は純朴無垢な思春期男子にお泊まりを要求してきた。


「……お前、正気か?」


「なにが? 別によくない? 」


「いやいや、凛さんよぉ? 俺は男でお前は女だよ? しかもちみ一人暮らしだしょ? 簡単に上げていいの?」


「なーに? 変なことでもするつもりなの?」


 くるりと回ってしたり顔で微笑む。それは狡い、それは狡いぞ! と内心で叫び声と共にガッツポーズをあげつつも本能的な自分をぶん殴り落ち着かせる。


「まぁ、イッちゃんも男の子だしね。ですが、私は今日ゲームしたいの! さぁ、細けぇことは言いっこなしだ、荷物取って私の家よ」


「いやいやいや! むりむり! わかった、明日だ! 明日泊まりに行くから今日は勘弁してくれ」


「えぇー、今日がいいんだけど」


「こ、心の準備とかあるから! そんじゃな、また後で連絡くれ!」


 言うなりなんなり速攻で駅から飛び出した青春少年の後ろ姿をボーッと見つめながら、リンは呟く。


「なんにもなければいいけどね」


 運命の歯車は止まらない。

 もしここで、彼が彼女の家に泊まりにいっておけば彼の命運はまた違ったものになったかもしれない。


 リンはスマホを取り出すと氷のように底冷えする声で電話口に声を伝える。


「私です、保護に失敗しました。引き続き警戒は続けますが最悪の場合、増援をお願いします」


 物語は動き出す。

 目の眩むような金髪の少女と平々凡々な彼が出会うまで、残り数時間。


不定期ですがちまちま書きます

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