第一話「葬送」
通りを外れた草原を進んだ先に依頼主の家はあった。玄関の戸を叩きしばらくしてドアが開くと中からはひどくやつれた老婆が出てきた。老婆は一度凝視したがすぐに薄い皮を引っ張って笑顔を作って見せた。彫刻のような笑顔だった。
「葬送人の方ですか。どうぞ中へ」
「ああ」
レインが中へ入ると明かりのない薄暗い家の中でひどい刺激臭が漂っていた。糞尿と濃い鉄のさびたような強い匂い。やがて目が慣れてくると老婆は向こうの寝室のドアの前でこちらを見ていた。薄暗い家の向こう側からわずかに白い光が漏れている。
「こちらです」
寝室を開けると真っ黒に変色した人間が横たわっていた。腐臭の原因は間違いなくこの人間から発せられている。
「うちの主人です」
彼女の声に反応したのか、その人間はグググと体を震わせた。おそらく体が硬直してしまっているのだろう。ベッドの横には真っ黒になった桶とタオルが。そしてその人間のシーツは赤黒いシミと皮膚の欠片が痛々しく残っている。
「動くな。さらに痛むぞ」
レインは彼の体を抑えようとする。
それでも人間は体を起こすのをやめない。気のいい性格なのだろう。しかしもう彼には来客をもてなすほどの力は残っていない。気持ちだけで精一杯だった。
「……主人の名は?」
「テッド……です。テッド・ベロー」
「テッド。返事は必要ない。奥さんと話をしていたと思う。私が葬送人のレインだ」
黒焦げ同然の肉体のどこに口があるのか、耳があるのかわからない。目で訴えることもかなわない。それでも彼が発した呻きか関節音かわからないような声をレインは信じるしかなかった。レインは左手の手袋を取った。
その手に施された“紫陽花“の入れ墨は、傷を隠すには十分だった。
「それでは“葬送”を始める」
「あ、あの」
老婆はレインを引き止めた。
左手を触られそうになり、レインは素早く手を払った。
「……主人が、まだ話せる時に言っていたんです。ここへ来た“葬送人”と名乗る者へ伝えてほしいって」
『“あの戦争に救いはなかった”』
「“敵味方関係なく撃ち合いが始まって、ぐちゃぐちゃに殺し合っていた。自分はなんでこんなことしているんだろう。紅茶の匂いを思い出そうとしても、血の鉄っぽい匂いで鼻が利かなくなってしまっていた”」
「“そしたら戦場の真ん中に“ひどく白い光”が見えて辺り一面を包んでいった。静寂だった。爆弾とも違った。まるで太陽が落ちた、爆風は一切起きなかった。何も。それがあまりにも不気味だった。それからはもう、塹壕に隠れていた。生きたくてしょうがなくて、気がついたら周りの人間は皆んな死んでいた “」
「……だったら、なんだ」
レインは老婆とは目を合わせず、ただ黙っていた。
気がつくと自分の拳が震えていた。
「“でも、おかげで私と妻は出会えた。あなたが 戦争を終わらせてくれたのだから”」
「“ありがとう”と、主人が」
老婆は皮付きの身体だったが、背筋はピンと張っていた。
真っ直ぐと見据えられたレインは、この目をしばらく捉えていた。
──人は、終わりのある戦争をもっとも嫌う。
終わりを求めている人が、ほとんどであるのに。
露わになったレインの左手が“青い靄“に包まれていく。
入れ墨の下の、痣のような傷から現れる燐光だった。
レインはテッドの手首をつかむ。するとテッドにまとわりついた青い光はやがて全体を包んでいくように、行き届いた。
『 葬送 』
しばらくして青い光が消えると、レインはすぐに手袋をはめた。
ベッドの上に横たわっていた男はやがて煙のようにぼんやりと、そして最後には空のベッドだけが残った。
老婆は背筋を伸ばして、その後ろ姿を見届けた。
「それでは」
レインがゆっくりと立ち上がった。
老婆はレインを引き止めたりはしなかった。
「また、この街に来て、その時はきっと私の番が来るでしょう。それまで私は、主人を想いながら、待っています」
「……ああ」
レインは家を後にした。
その扉から、ベッドの横に立つ老婆が気になって振り向いた。
痩せ細ったトカゲのような背中は、わずかに部屋を広くしていた。
▽
△
街へ歩いていくと、雨がふり始めた。
老婆の話は、今も語られる「世界戦争とファウストの光臨」の話だった。
「ファウスト」という男が戦争を終わらせた。
彼はその後、彼の守護である「レヴァナント」たちへ、その意志を継がせた。
彼らは「ファウスト」によく似ていた。
──残虐だった。
私は必ずこの手で、「ファウスト」を倒す。
彼の「レヴァナント」として。