第48話:俺と、黒竜去りて
「結局、何も分かりませんでしたね」
ハイゼ家の竜舎でした。
久方ぶりの小春日和、その青空の下です。黒髪を煌めかせながらにアレクシアさんが立っていました。俺の竜舎の前で難しい顔をされていますが、報告のためにとここを訪れてくれたのでして。
何のための報告かと言えば、それは黒竜についてです。
黒竜を討伐してから、すでに一週間が経ちました。その間のことですが、アレクシアさんはハルベイユ候の諸士と共に、あの黒竜についての調査を進めていたのでした。
あの黒竜が何者か。一体どこから来て、目的は何だったのか。
その調査の結果をということでしたが、それは前言の通りのようで。
「そうなんだよねー。本当何も分からなかったっていうか」
しかめ面で腕組みの娘さんです。
この人も調査に協力していた一人でして。そして、アレクシアさんと一緒に俺の元を訪れてくれたのである。
しかし、何も分からなかったですか。掴みどころの無い難敵だったので、何かこう、予想通りではありますが。
《どこから きたのか も ですか?》
せめてそれぐらいは分かっても良さそうなものでした。まさか何も無いところから湧いて出てきたはずもありませんし。
ただ、アレクシアさんは首を横にふられるのでした。
「あらためて目撃者を当たってみたのですが、さっぱりです。総合すると、異界に湧いて出たと、そんな結論にしかなりませんでした」
ふーむ。で、湧いて出たはずもなければ、不明と称すしかないわけですねー。
ここで娘さんでした。いぶかしげな表情で頷きを見せます。
「本当、分かることが何一つ無いって感じでね。分かるのはアレぐらいかな? ノーラが教えてくれた、黒竜の発言ぐらい」
時間をかけてでした。
俺は拙いながらに、あの黒竜の発言を思い出せる限りお二人に伝えていました。
アレクシアさんは思慮深げに目を細められます。
「シドのカレイジャスでしたか? おそらくシドは地名であり、あの黒竜の出生地なのでしょうね。ただ、私の知るシドはただの港町です。調べてみる価値はありますが、果たして黒竜の言うシドと同じかは分かりませんね」
腕組みをされつつ、言葉を続けられます。
「他に分かることはと言えば、黒竜が戦いを欲していたことぐらいでしょうか。ノーラは自分の価値を求めての戦いと言っていましたが……まぁ、そのぐらいですね。分かるのは本当にそれぐらいです。あの黒竜が何者で、どこから来たのか。不明とするしかありません。そして……」
アレクシアさんは顔をしかめられます。その視線は、周りの竜舎に向けられていました。正確には、そこにいる傷ついたドラゴンたちへとです。
「何も分からないままに被害ばかりが残りましたね。幸い、騎手の方々に死者は出ませんでしたが、領民の被害は計り知れません」
苦しげなため息が、アレクシアさんの口からもれます。
「はぁ。本当に災害のような事件でしたね。誰もが失うばかりで、当然得るものなど何も無く。ただただ悲劇的です」
まぁ、本当にそんな事件でしたね。
災害のごとく黒竜が暴れまわって。被害ばかりがただ生まれて。黒竜もまた、自身の行いに満足しきっていたようには見えなくて。勝者もいなければ、敗者ばかりで。
ただ、俺はちょっとばかり意見は違いましたが。
ひっじょーに個人的な理由ですけどね。俺の話ってわけじゃないんだけど、得たものは確かにあるような気がするのです。
「……私はまぁ、得るものもありましたけどね」
娘さんでした。
ハルベイユ候領の惨状を思ってなのか。ひかえめではありましたが、その顔には確かに笑みがありました。
あぁ、うん。ですよね。娘さんはきっとそうですよね。
そして、それはアレクシアさんもそのはずでして。
にわかに首をかしげられましたが、そのことにすぐに思い至られたようでした。
「……そうですね。私もハルベイユ候領に来ることが出来て良かったと思っています」
やっぱり、そうですよね。アレクシアさんも同じことを思っていますよね。
本当良かったなぁって思います。私、本当ボロンボロンですけどね。それでも、その価値はあったかなって思えるのでした。
アレクシアさんは笑みを浮かべられます。
「本当良かったと思います。ノーラというかけがえのない友人を得られましたので」
うんうん、そう。そうですよね。なんかしみじみとしちゃいます。娘さんにとっては一緒の時間を楽しめる同世代の、アレクシアさんにとっては気を許すことの出来る、そんな友人が互いに出来ましたので。それはまったく、素晴らしいことだと俺には思え……ん?
……んん? 別にさ、それでもいいんだけどさ。俺は嬉しいっちゃ、嬉しいけどさ。
何かこう、流れ的におかしくないですかね?
「の、ノーラですか? それはあの、い、良いことだと思いますけど」
娘さんは拍子抜けのようで。予想していた回答と違うと、戸惑いを露わにされていました。
それに対してアレクシアさん。俺の頭に手を置きながら、頷きを見せられました。
「はい。貴女が素晴らしいドラゴンだと言った意味が分かりました。魔術を行使出来れば、人格も申し分なく。少し嘘をつかれたこともありましたが、これほど信頼出来る友人は人間であっても出来ることは無いでしょうね」
ちょっと毒が混じっていたような気はしましたが、ともあれ絶賛でした。娘さんは「え、えーと」とたじろぎながらに頷かれます。
「そ、そうですね。ノーラは素晴らしいドラゴンで……でも……えぇ?」
何かがおかしい。そんな娘さんでした。大きく首をかしげておられます。
う、うーむ。聡明なアレクシアさんのことである。まさか娘さんの戸惑いに気づいておられないはずはないでしょうが……あ、分かった。これアレですな?
俺が憧れたヤツのパート2だ。からかい合える友人というヤツである。気心の知れたって感じで、良いよね、アレ。きっとである。アレクシアさんは、そんなやりとりに挑んでいるのだろう。
しかし……大丈夫か、これ?
なんかアレクシアさんの額に冷や汗っぽいのが浮かんでいるのですが。
多分、普通だったら、である。ここで「冗談です」とか口にして、「友達は貴女のことに決まってるじゃないですか」とか、そういう流れに持っていくのだろう。で、「あははー、からかわないで下さいよ」的な、お約束なやりとりが繰り広げられるに違いない。
ただ、俺に似てコミュニケーションの経験値が足りないであろうアレクシアさんである。もしかして、「冗談です」まで持っていけないのかな?
う、うーむ。何か手助けをして上げたくはなりますが。ただ、もちろん俺はコミュニケーションスキルに縁もゆかりも無いわけで。手助けなんてねぇ? ぶっちゃけ無理。
ここでアレクシアさん、自らの不足を悟ったようで。
「……すみません。ちゃんと勉強してきます」
「へ? あ、はい。よく分からないですけど……はい」
くっそ妙な雰囲気になりました。アレクシアさんは気まずそうに頬をかきつつ、ひかえめに口に開かれます。
「……えー、そのですね? とにかく、私は貴女に会えて良かったと思っています。そういうことですから」
素直にそう伝えていれば、こんな雰囲気にならなかったですのに。
そう俺は思うのですが、娘さんは関係なく喜んでおられました。
「あ、ありがとうございます。私も……そう思っていますので」
で、そんな返答。二人は笑みを交わされまして……まぁ、うん。良かったですよね、本当。
悲惨な事件でしたけどね。こうして得られるものは確かにあって、それは素直に喜べることでした。
「アレクシアさんは、もう王都に戻られるのですか?」
娘さんはそんな問いかけを口にされました。
それは確かに気になるところで。アレクシアさんは王都住まい。いずれかは帰られる人ですが、それが一体いつになるのか。
「……はい。そうなりますね。私的に留まっていたようなものなので。そろそろ戻らなければ」
少しばかりさみしげなアレクシアさんでした。娘さんも、当然そんなご様子で。
「そうですか。仕方のないことですが……」
「まぁ、その内に会えることでしょう。あまり気にするほどのことでは無いような気はしますが」
その発言の内容ほどには、アレクシアさんの口調は気楽なものには思えませんでしたが。
まぁ、俺の世界とは違うからなぁ。
気楽に遊びに行けるような、そんな世界じゃないわけで。片道二日、三日がザラの世界ですし。王都がどれほど遠いか分からないけど、なかなか会う機会に恵まれることは無いのではないか。
娘さんも、そのことは重々承知しているでしょうが、仕方ないと諦めているらしい。
「はい。その内に会えると思います」
具体的なことには触れずに、ただ希望だけ残して。
そんな大人の返答でした。
「次に会う時にはですね、吉報を期待していますから」
そして、真面目な表情でそんな言葉を続けられましたが……むむ? 娘さん、吉報って何の話ですかね?