第47話:俺と、シドのカレイジャス
『……さて。まずは讃えさせてもらうとしようか』
身じろぎすることすら出来ず、まぶたを開くことも出来ない黒竜。
その口から弱々しくもれたのは、そんな奇妙な言葉だった。
『讃える?』
俺の上げた疑問の声に、黒竜は『ふふふ』と笑い声で応じてきた。
『そうともよ。讃えねばなるまい。まずは……ほれ。私の背に乗ってきた人間だな』
間違いなくアレクシアさんのことだろう。黒竜は楽しげに含み笑いを続ける。
『ふふふふ……あれにはな、驚いたぞ。人など庇護されるばかりの存在であるはずだったが、この世では違うらしく……その権化のようだったな。良く戦った。あれは、素晴らしかった』
死につつある。
そうとしか見えなかったが、黒竜はやはり楽しげだった。
『お前たちもな、良かったぞ。実力的には足りぬところが多いが、良き戦士だった。お前などはまさにな。張り合いがあった。我らの中でも、お前ほどの闘志の持ち主はまずいない。だが……その闘志もな、実力あってこそ生きる。せいぜい励むといい』
……コイツは、本当に何様なのだろうか。
疑問に思わざるを得なかった。まぎれも無く敵であるくせに、俺を気づかようなことを口にしてきて。一体、どんな心境でこんなことをほざいているのか。
分からないことだらけだった。全てだった。コイツの全てが良く分からなかった。コイツは本当に……一体何なのだろうか。
『アンタ、何者なんだ? 一体どこから来て、何が目的だったんだ?』
疑問をまとめてぶつけてみる。しかし、
『……良かった……本当に良かった』
聞いていないのか、もはや聞こえていないのか。
黒竜は小声で呟きを続けるのだった。
『何も成せずに死なずにすんだ……やっと戦えた。戦士として死ぬことが出来る……ははは、素晴らしい。良かった。私の人生にはきっと……意味はあったのだ』
何を思っての、この発言なのか。
俺には理解出来るところはほとんど無かったが……自分を納得させているようだとは思った。素晴らしいものだと自分に言い聞かせているように俺には思えた。
『……だが』
不意に声が暗く沈んだ。
『本当に……そうなのだろうか?』
死に体の黒竜。
そのしわがれた声には不安の色がにじんでいた。
『そうなのだろうか? 意味はあったのだろうか? 私は……戦士として正しいことをなしたのだろうか?』
早口に、震えた声音が続いていく。
『……何も出来なかった。一族のため、守るべき者たちのために、何も出来なかった。その機会すら無かった。こうしてこの世で戦いの機会を得たところで……それは何だ? 何を得た? 何を残した?』
焦燥感と悔悟の念。そんなものがひたりひたりと溢れ出している。俺にはそう思えた。
そして、黒竜は、
『私の一生に……何か意味はあったのだろうか?』
黙り込んだ。
身をわずかに震わしながらに、何も言わなくなった。
それを見て俺は……黒竜に一歩踏み出していた。
「ノーラ?」
娘さんが声をかけてこられましたが、まぁ、うん。別に大したことをするつもりはありませんよ。
どうせ、コイツはもう目も見えなければ、耳も聞こえない。
トン、と。
黒竜の鼻面に、自分の鼻面を押し当てる。黒竜の体から、にわかに震えが去った。
『……若いの、どうした?』
もう一度押し当てる。黒竜はしばしの沈黙をはさみ、
『我が人生に意味はあったと……そう言ってくれるのか?』
おー、おー。都合の良い解釈をしていらっしゃる。でもまぁ……それでいいと思うよ。
黒竜の口から、ひそやかな笑い声がもれる。
『ははは……そうか。戦士はそう言ってくれるか。そうか……』
ふぅ、と深い息が吐き出される。安堵の息だと俺には思えた。
『……そうか。意味はあったか……ノーラと言ったな? 異界の戦士よ』
返事代わりに鼻面を押し付ける。反応はすぐに返ってきた。
『忘れんぞ……お前の名は忘れん。我が名も……忘れるな。シドのカレイジャスの名を。必ずや……手柄として誇れよ。貴殿の名を高めるために使えよ。よいな?』
再び、押し付ける。黒竜は心の底から嬉しそうに笑った。
『ははは、良い。それで……良い。では……さらばだ。いずれかの世かでまた……その時は、共に……』
戦おうなんて、言いたかったのかもしれなかった。
それきりだった。
カレイジャスと名乗った黒竜は、それきり口を開くことはなかった。
……まぁね。
この黒竜はハルベイユ候領の多くの人を苦しめた。正直、同情を示せるような相手ではまったくない。
それでもまぁ、何と言いますか。餞別とでも言ったらいいのか。
よくは分からないが、自らの価値を必死で求めていたようだったけどさ。そんな老竜への、本当に価値が無かった元人間からの餞別でした。悪い意味だったけどさ、アンタは価値の無い存在じゃなかったよ。それぐらいのことは示してやってもいいような気がしたのだ。無駄だと知りつつも自分の価値を求めていた元人間として、示してやりたくなってしまったのだ。
ともあれ、これで終わりだった。
ハルベイユ候領を揺るがした大事件は、こうして終わりを迎えた。