第9話:俺と親父さんの胸中
ここまでの経緯。
娘さんがドラゴンに乗って一騎討ちをするっぽい。
それで負けたらドラゴンは多分没収。俺は娘さんと離れ離れになるっぽい。
つまるところピンチである。娘さんには最近嫌われているというか、もはや無視されてしまっているが、俺には幼少期の記憶が色濃く残っている。まだまだ娘さんに対して離れがたいものを俺は感じているのだ。
娘さん以外にも俺には執着がある。この場所への愛着もある。親父さんやアルバ……百歩譲ってラナにも強い親しみを感じている。
だから、何とかしたい。何とかしなければいけない。
そこで、俺が問題の解決のために何をしているかと言えば……
『がんばれー』
応援だった。一騎討ちが決まって、娘さんはアルバを相手にして日々訓練を重ねている。今日もまた、日々厳しくなる日差しの下、いつもの草原にて激しい訓練が繰り広げられているのだ。俺はそれを誠心誠意応援しているのである。
……まぁ、そうね。他力本願だね。でも、選ばれたのはアルバでしたってことだからね。俺に出来ること何も無いからね。
本来だったら、俺たちは平等に娘さんに騎乗されるはずだったらしいのだ。親父さんと娘さんがいつぞや話をしていた。三体もいるのは替え馬的なものらしく、戦場にて一体が疲れたらもう一体、その一体も疲れたらさらに一体。そんな感じで乗り換えるために三体飼われているとのこと。
でも、一騎討ちは事情が違うようで。三体も乗り換える必要は無いらしく、だったら一番強いやつが良いよねとのことで、アルバに白羽の矢が立ったのだ。
なお、俺は娘さんの眼中に無かった模様。ですよねー。悲しくないよ? 今は非常事態だし仕方ないからね。本当だよ? 悲しくなんてないよ? 私はそう日々自分に言い聞かせております。
『がんばれー』
ともかく、だからせめての応援である。俺は座りながら、声援を空にいる娘さんに送っていた。娘さんはアルバの背に乗って、大空を自由に飛び回っていた。本当に自由である。急旋回に急降下、急上昇に急停止。
アルバを乗りこなす練習をしているという感じだった。その様子を見て、俺が思うことはといえば……結構いいんじゃないでしょうか?
比較対象が無いために何とも言えないところはあるのだけど、十二分に乗りこなしているように見えた。一騎討ちがどんなものなのかは分からないが、これならけっこう戦えたりするのじゃないだろうか。
だけど……どうもなぁ。
よく乗りこなしているようには見えた。ただ、それ以外の部分でちょっと思うところが無いわけでも無いのだった。
『あいかわらずうっさいなぁ……』
草原に伏せながらのラナの呟き。実際これが全てだった。娘さんを乗せたアルバは二十メートルから三十メートルあたりだろうか、けっこう高いところを飛び回っている。それでも娘さんの指示が耳元で怒鳴られているように俺たちには聞こえるのだ。
人間には聞こえないか、あるいは注意しないと分からないぐらいだろうが、ドラゴンでは話は別。風に邪魔されたところで、距離があっても如実に聞こえる。
まぁ、俺たちは良いんだよな。一騎打ちに向けて、娘さんはアルバとの訓練に専念することにしたらしい。だから、うるさくても遠巻きに耳にするだけですんでいる。
だが、アルバは毎日騒音にさらされているようなもののわけで……うーむ。
娘さんにはがんばって欲しい。でも、正直アルバのことはかなり心配。
親父さんも同じことを思っているのかどうか。
親父さんはじっと練習風景を見つめていたのだが、その表情はなんとも悩ましげに歪んでいた。
激しい練習とは言っても、さすがに夜にはお開きになる。
『あ、アルバ……えーと、大丈夫?』
我らが寝床たるきゅう舎的な飼育小屋にて。暗闇の中、俺は隣でとぐろを巻くアルバにおそるおそる声をかける。なんでおそるおそるかと言えば、アルバが目に見えてイラ立ちを露わにしていたからだ。
『……大丈夫に見えるか?』
俺をにらみつけながらの、そんなアルバの返答。アカン、完全にイラついてらっしゃる。
うーん、どうしたものか。かなり悩ましい。何を悩んでいるかといえば、どうすればアルバのイラ立ちを少しでも解消出来るかということ。
一騎討ちに関して、俺に出来ることは何も無い。だったらせめて、イラ立ちを募らせるアルバのメンタルケアなんて出来ないかと思ったのだが……難しいかなぁ、これ。
そもそも俺にはそんな対人スキルは無い。なんとか俺も役に立ちたいなとは思うのだが、これだと余計にイラ立たせるだけかも。
『そんなことを聞くだけなら話しかけるな。俺は寝たいんだよ』
温厚なアルバにはあるまじき辛辣な言葉だった。怖い。これは黙って寝かせて上げるのが一番なのかもね。何もしないっていうのは自分の無力さを改めて思い知らされるようで辛いけど、ここはそうするしかないような気がする。
『ごめん、悪かったよ。もう話しかけないからさ』
『そうしてくれ』
アルバは不機嫌そうに眼を閉じる。せめて良い夢を見てくれたらって、俺にはそれを願うぐらいのことしか出来ないのでした。俺本当に無力。何かさ、こう何か微力でもいいから俺に力になれることはないだろうか……って、ん?
突然だった。アルバはビクリとして固く閉じていた目を開いた。一体何事なのか。ラナは寝息を立てていて何も変化は無いけれど……そんなことを思っていると、俺の耳に小さな物音が届いた。
それはきっと足音。夜に足音といえば、数年前の娘さんとの別れを思い出すが、はてさて。この足音は娘さんでは無い。俺の良く見知った男性のものだった。
「すまんな。疲れているところを起こしてしまったか」
親父さんが申し訳なさそうな顔をして歩いてきた。
こんな夜分に一体何用だろうか。そう俺が思う一方で、アルバはビクビクしながら首を伸ばして誰が近づいてきたのかを確認していた。肝が太いと称されるアルバには不似合いの小動物的なふるまい。
『え、えーと、アルバ?』
『小さい方じゃないな? そうだよな?』
早口に尋ねかけられる。小さい方とは娘さんのことだろうか。俺は慌てて返事をする。
『う、うん。娘さんじゃない。大きい方……親父さんの方だよ』
『……そうだよな、うん』
アルバは安心したように一息をつく。そして、ゆっくりと目を閉じた。
これは一体どういうことだろうか。アルバが少しおかしくなっている。どうやらアルバは娘さんのことを怖がっているように見えるのだけど。
「……大分、神経質になっているようだな」
親父さんはそう呟き、そのままじっとアルバの寝姿を見つめていた。アルバを心配しているようなのは間違いないようで、非常に深刻な表情をしている。
しばらく親父さんはアルバを見つめていたが、ふと俺の視線に気づいたらしい。俺に顔を向けて、にこやかな笑みを浮かべた。
「お前は本当に人懐っこいドラゴンだな。私も子供の頃には良くドラゴンと接していたが、お前のようなヤツは一度として見たことが無かったぞ」
でしょうねー。俺の知るドラゴンもそんな人懐こい存在では無いので、さもありなんである。
親父さんはたわむれにといった感じで手を差し出してきた。俺と娘さんのスキンシップを思い出してのことかもしれない。なでて頂けるというのでありましたら、是非なでて頂くといたしましょうか。
頭を差し出す。すると、親父さんは笑い声を上げながら俺の喉元を両手でなでまわした。
「はっはっは。ノーラ。お前は本当に面白いヤツだな。まぁ、こういうところが我が娘のお気に召さないところかもしれんがな」
それは言わない約束ですぜ、おやっさん。あと、もう本気でかきむってやるぐらいの感じの方が気持ちいいので、出来たらなにとぞ。
親父さんはしばらく俺の喉元をなで続け……そして、ぽつりと呟いた。
「……娘の修行先なのだがな」
話しかけてきているようだけど、俺が言葉が分かるからといってそうしているわけではないだろう。多分ペットに話しかけるような、そんな感じ。
現に親父さんは俺の反応を気にすることなくポツポツと話し続けた。
「かなり環境が違ってな。ここと比べてなのだが、非常に風が強いのだ。一度私も行ったことがあるのだが、風切り音で夜も寝られないぐらいだった。そして、そんな環境で生きている人間の声もことさら大きいものだった」
なでられることを楽しんでいた俺だが、意識の行く先が喉から耳へと切り替わる。娘さんの修行先のお話。修行先がモグリなのではと疑っていた俺にとって非常に興味深い話である。
「修行先のドラゴンはそんな環境で育っているのだ。だからこそ私は思うのだが……やはり大声の指示は悪手ではないだろうか。少なくともこの静かな土地で生きてきたお前たちにとってはな」
うーむ? 俺たちにとって大声での指示がダメージが大きいのは間違いない。でも、向こうのドラゴンさんは騒音下で生きてきたからダメージが少ない。そういうことだろうか。
親父さんは申し訳なさそうな顔をして俺の頭をなでてきた。
「情けない話だがな、私はドラゴンにさして詳しくは無い。当家にドラゴンがいたのも先々代まで。私も幼少期に接した程度だ。だから、勉強してきた娘に言えることなど全く無い。だが……」
親父さんはアルバへと視線を落とした。アルバは今は安心したようにぐっすりと寝息を立てていた。だが、先ほどのアルバの様子は決して普通の様子では無かった。
親父さんはそんなアルバを心配そうに見つめている。
「育った環境が違えば、騎竜としての扱い方も違うような気はするのだがな。はは、娘には鼻で笑われてはしまったが」
親父さんは自嘲しているような雰囲気だったが……娘さんには悪いけど、俺は親父さんには賛成ですよ。なんて言ったって、アルバの様子がおかしいしね。ドラゴンとしての感覚としても、娘さんのアルバへの扱いにはちょっと違和感を覚えるし。
ふぅ、と親父さんは小さくため息をつく。
「……騎乗時の身のさばき方、武器の扱い方、ドラゴンに体力をつけるための食事法、あるいは戦場でのドラゴンの扱い方の作法、落ち着かせ方、怪我をさせた時の治療の方法。娘は多くを学んできたと言っていた。だが、これでは……それ以前のことになるかもしれん。それが私は怖いのだ」
それ以前。確かに、それ以前になってしまうかもしれない。技術、知識を活かす前に、その前提であるドラゴンが潰れてしまいかねない。
アルバは眠っている。安心しきっていると俺は思ったのだが、それは正しいのかどうか。
アルバは時折ビクリと身を震わしていた。幸せな夢を見ているのか。あるいは、自分を悩ます人間の影に夢の中でも怯えているのか。