第40話:俺と、黒竜の咆哮
さーて、はてさて。
いよいよ、空戦の時間ということで。
冬の重苦しい曇天でした。頭上では雲が厚く立ち込めていて、なんとも息苦しくなるような圧迫感が満ちています。
その中を、俺は一体で飛んでいるのでした。
冷たい風に乗って、ゆるやかに滑空を続ける。待っているのだった。黒竜が俺を見つけて、空に上がってくるのを待っているのだ。
再戦を待っている。
そんなことを、以前黒竜は言っていましたので。
と言うことで、こんな作戦なのでした。
俺が単独で飛行して、黒竜を誘い出す。で、敵は俺一人だと油断する黒竜の心のスキを突いて、娘さんやクライゼさんたちが強襲をかけていく。
しかし、あれだね。俺がどんなドラゴンなのか。それを知らない人たちは、この作戦を聞かされてポカーンだったなぁ。
ノーラが飛んでいたら、黒竜がやってくる? ……ほわい? みたいな感じでしたからね。本当、そりゃそうだろうって感じですけど。
娘さんにクライゼさん、それにアレクシアさんが、そういうもんだって押し通してくれはしましたが。地上にいる他の騎手さんたちは、今でも首をひねっているだろうなぁ。本当にくるのか? って、怪しんでいるだろうなぁ。
俺もね、ちょっと怪しんでたりするんだけどね。
黒竜は前にはあんなことを言ってたけど、今は気分が変わっているのかもしれないし。『おおー、飛んどる、飛んどる』なんて、興味もほどほどに地上から俺を見上げてる可能性はある。
でも、来るような気はするんだけどなぁ。
それこそ、言われた時のことを思い出すとですが。
切望って感じだったし。
理由はさっぱりだけど、俺に限らず何て言うかな、強敵? それを心の底から求めているような感じだった。
だから、来る。
そう思って、滑空を続け……案の定だった。
来た。
何の威圧感も無ければするりとして、黒竜が異界の森から空に身を躍らせてきた。
『……やれやれ。少し遅いのではないか?』
そのしわがれた声には、非難の響きが多分に含まれているようだった。
言葉通り、俺の再戦が遅かったことに不満を持っているようで。まぁ、もちろん、俺はごめんなさいなどと返すつもりは無く。
『やりすぎじゃないか?』
俺だって、黒竜には非難の思いしかないのだ。再戦を前にして、その思いをちょっとばかりぶつけさせてもらうことにした。黒竜は『はて?』などと不思議そうな呟きを発してきた。
『やりすぎ? なんのことだ? 私はまだ、さした働きをしたつもりも無いが。せいぜい、トカゲを数体落としたぐらいで……あぁ、お前は別だぞ。お前を落としたことは、私にとっても名誉なことだからな』
何か自分本位に勘違いしているようだけど、もちろん俺はそんな話をしたいわけじゃなかった。
『違う。村のことだよ。貴方のせいで、どれだけの人々が苦しめられていると思ってるんだよ』
異界までの道中でも、俺はそんな光景を目にしてきていた。
村を焼かれ、友人、親類を焼かれ。身に馴染んだ生活から焼け出された人々が、ただただ呆然とするその光景。
娘さんたちは、直接非難はしてやれないからね。だから、俺ぐらいは非難してやろうってそう思ってたけど。
少しは響くところがあったのだろうか。
俺と円を描くようにして滑空する黒竜。その口からもれたのは『ふーむ』という悩ましげなうなり声だった。
『まぁ、そうだろうな。苦しむ者も多かろうな』
同情は示しているようだった。だが、それ以上のことは無いということなのか。
『罪悪感とかさ、そういうのは覚えてないの?』
『気の毒には思っている。だが、私にも目的があるのでな。仕方ないものと諦めてもらうしかない』
そんな傲岸な口ぶり。そして、言葉ほどには村民のことは気にしていないらしい。赤い瞳が、俺の背へと向けられる。
『今日は一体か? 先日は背に人間を乗せていたと思ったが。ふむ、これがお前の本気ということか?』
来たるべき戦いのことにしか頭がいっていないらしい。本当、腹の立つ態度だった。だが、コイツは……きっと、怒ってみたところで何も感じやしないんだろうな。
『……貴方は、ただ戦いを望んでいるのか?』
これまでの黒竜の発言からだった。
怒りは置いといて、思いついた疑問をぶつけてみた。
その疑問に、黒竜は目に見えて笑っていた。
『そうとも。それこそが我が望みだ』
何故? と、次の疑問が浮かんだ。だが、現状聞くべきことは、
『もう村を焼かずに、どこかに立ち去ってくれる。そんなことは?』
『ないな。お前のような戦士を呼び出すために、ああして村を焼いていたのだからな。もし、お前が村の被害を気にするのならばな。全力で、私を討ち果たしに来ることを勧めさせてもらうぞ』
なるほどだった。
理由は分からずとも、コイツは心底戦いを望んでいる。だったらもう、選択肢は無い。
『……背中に娘さん……アンタの言う人間はいないけど、それが俺の本気ってわけじゃ全然無いよ』
告げた言葉に、黒竜は不審の声を上げてくる。
『本気では無い? ならば、すぐに乗せに戻るがいい。本気を出さずして相手が出来る私では無いだろうに』
黒竜は妙な気遣いを見せてきたが、それには全く及ばないわけで。
頃合いと見たようだった。
当然、異形の森からだ。数多の騎竜が勢いよく空に駆け上がってくる。
『ほう……』
なるほどと言いたげな黒竜だった。
その赤い眼で、上昇してくる騎竜たちをぐるりと見渡している。
『数で挑んできたわけか。お前に乗っていた人間の姿もあるが……ふむ。お前が本気を出せずとも、そちらの方が戦力は上になると、そういうことか? ま、良くは分からんが』
よく分からないらしいが、その通りだった。俺一人で挑むよりは、こちらの方がはるかに戦力としては上だ。娘さんの乗ったアルバは、間違いなく俺と娘さんのコンビよりも、その実力は上だし。
とにかく、単体の黒竜を、その十倍以上の数で攻めにかかっているのだ。
だが、黒竜は平然としていた。
平然として、旋回を続けている。
『数はあるようだが……どうだか。問題はそこに、どれだけの戦士がいるかだ。誰ぞいるかっ!! 名乗りあげる気概のある者はっ!!』
ドラゴンの舞う空に、呼びかけの叫びがこだまする。
それに応える声は確かにあった。
『なにさっ!! えっらそうに名乗れってさっ!!』
俺の軌道に従ってくる、赤の飛影。
ラナだった。
憤然として大翼をはばたせながら、黒竜に罵倒を投げつける。
『ふん。どんな相手かと思ったら、痩せこけたジジイじゃないの。ノーラへのケガへの礼はたっぷりしてやるからねっ!! 覚悟しなさいよっ!!』
黒竜はにわかに目を丸くしていたようだった。
だが、それも一瞬。喜色をにじませながらにアギトを開く。
『……ほぅ。こちらにも、良い跳ねっ返りがいるじゃないか。悪くない、悪くないぞ』
きっと、これも黒竜を喜ばせるものになるだろう。
名乗れという声かけに、次の返事がやってくる。
『あー、アルバだ。で、そこの赤いのはラナだが、ともかくだな。ノーラを傷つけてくれたらしいからな。覚悟はしておくといいぞ』
娘さんを乗せたアルバが、上昇しながらにそんな返答を返す。
そして、
『……サーバスだけど……何か話した方がいい?』
場の空気がイマイチ分からないといったサーバスさんでした。持ち前の馬力を活かして上昇しながらに、一応といった感じで言葉を返していた。
ともあれ、俺を含めて四体のドラゴンが黒竜に応じることになった。
それを受けての呼びかけの主だが。
『……良かった』
そんな呟きだった。
『本当に……良かった。これで私の生涯も……ははは、多少はな。受け入れられるものになるやもしれん』
安堵……なのだろうか。
黒竜は目を細めて、そんな独白を寒空にこぼしていた。そこにある感情は、俺には安堵に似た何かに思えたが……そんな感情の気配は一瞬で消えはてた。
『はははっ!! 良い、良いぞっ!!』
歓喜の叫び。
黒竜は赤い瞳を見開いて、周囲を睥睨する。
『私も名乗ろう、若竜共よっ!! 我が名はシドのカレイジャスっ!! 我が首をもってして、武功を上げてみせろっ!! さぁ、来いっ!! 』
その咆哮の中身を理解出来たはずもない。
だが、応じたのは娘さんだった。
今回も、やはり先制をということらしい。
アルバのドラゴンブレスが曇天を焦がす。
そして、雷撃が閃き……
空戦が始まった。