第7話:俺と騎乗
良かったこと。
娘さんが帰ってきたこと。
悪かったこと。
娘さんが性格を豹変させて帰ってきたこと。
えーと、あー、うん。今日も日本晴れでございます。空は高く澄みきり、陽光まぶしく、白い雲がゆっくりとたなびくように流れていきます。
気持ちいい陽気ですね、えぇ。そんな快晴の下、俺は今日も森を焼き払った草原にいるのでした。用件はと言えば、そう。騎乗です。帰ってきた娘さんがいよいよドラゴンの背にまたがることになったのです。あぁ、めでたい、めでたい……めで……め……めぇぇ……
『キモい』
軽いデジャブ。隣で犬のように座っていたラナが容赦ない罵声を浴びせてくる。
『キモいかな、俺?』
俺はぐでりと草原に伏せながら、ラナに問いを返す。ラナは気味悪いものを見るように目を細めた。
『キモい。ボーっとしすぎてキモい。元気が無さすぎてキモい』
なるほどであった。まぁ、そうかもね。ボーっとしすぎている自覚もあるし、元気が無さすぎる自覚もあった。だってさぁ……ねぇ? 一日千秋の思いで待って、まさかこんなことになるとは思ってもみなかったじゃん?
「よし、アルバ。そのまま。そのままね、動かないで」
娘さんの声が耳に届く。目の前の光景だ。ドラゴンに乗るのにも馬のように鞍と手綱が必要らしく、娘さんは親父さんに手伝ってもらいながらアルバにそれらを取り付けているのだ。
『良いなぁ……』
思わず思いが口からもれる。再会した時から今まで、俺は娘さんに一度も声をかけてもらっていない。それを思うと、本当にアルバが憎らしいほどにうらやましくて仕方がなかった。
『良いなぁって、何がよ?』
人情を介さないデカ赤トカゲがそんなことを尋ねてくる。言ったところでコイツには分かるまい。フンと鼻息だけ返しておく。
『あぁ? なによ、噛まれたいわけ?』
『ふふふん。どうぞご自由に』
今の俺に何も怖いものは無い。かみ殺されたところでどうでもいいかっていう心境だし。生きていたところで何か良いことあるの? って心境だし。
『アンタねぇ……もうちょっとこう、元気出しなさいよ』
ラナは心配そうな目になって、珍しく労りの言葉を口にしてきた。意外な人情味の発露、じゃ無いわな。だってラナだし。
『早く元気にならないと、私が物足りないじゃないの。ね?』
だよねー。ラナが心配していたのは自分の趣味の充実度であったらしい。ここマジで畜生しかいないな。だからこそ、俺は娘さんのことを心待ちにしていたのだが……ぬわー。
「サーリャ。では、気を付けてな」
鞍と手綱をつけ終わってだった。アルバの背にまたがる娘さんに、親父さんが心配の言葉を投げかけたのだが……どうにも妙な表情。
多分俺と一緒で、娘さんの変化にいまだ戸惑っているからこその表情だろう。ただ、娘さんはそれをただの心配の表情と受け取ったらしい。安心させるように親父さんに笑みを向ける。
「大丈夫。人間とドラゴンには盟約があるから。ドラゴンは絶対に人を裏切らない」
妙な言葉を聞いたような。人間とドラゴンの盟約? 何だろう。ファンタジーちっくな用語に聞こえるが。でもまぁ、それはいっか。気になるのは親父さんの反応だった。
「うむ。それは知っとる。だが……あまり無下に扱うなよ。馬なども、人のことは良く見ている。ドラゴンであってもそこは変わりあるまい」
先日の俺への態度が念頭にあるのか、それとも俺の知らないところで何かやりとりがあったのか。親父さんのそんな心配の言葉だった。
それに対して、娘さんはまた笑った。ただ、それは前回とは少し意味合いが異なるような。これだから素人はと言いたげな、少し人を小ばかにしたような笑みに俺には見えた。
「ははは。その辺りの加減はちゃんと学んできたから。乗りこなすことは問題じゃないの。大丈夫、心配しないで」
自身満々の様子の娘さん。まぁ、ドラゴンって何故か人に従順だからなぁ。馬なんかよりも、よっぽどそこらへんは簡単なのかもしれない。その上で、俺だったらもう従順を通り越して、洗脳されているかのように動いて見せる自信があるんだけどなぁ……うがぁ……
娘さんは手綱を軽く手前に引く。
「前へっ!!」
そして、この大音量。ちょ、ちょっとビックリした。娘さんの口から出たとは思えないほどに大きく激しかったので、思わず背筋がビクリと震えた。
肝の太いアルバも若干そんな感じだった。少し背中を震わして、そして静かに歩き出す。言葉の意味はいまいち分からないが、雰囲気から察したって感じ。
娘さんは手ごたえを得たのか軽く笑みを浮かべる。そこから娘さんの指示は続いた。手綱の引き方を変えつつ、曲がらさせたり、走らさせられたり。なお、そのつど爆音の号令つき。な、なんか心臓に悪いなぁ。そんな大声出さなくてもちゃんと聞こえてると思うんですけど。
とりあえずのところ、娘さんは騎乗を終えるらしい。親父さんの元へ戻って来て、ひらりとアルバの背中から飛び降りた。
「お父さん。この子、すごくいい。覚えも良いし、力強い。王都のドラゴンにだって負けてないんじゃないかな?」
娘さんは興奮しているらしく少しばかり頬を赤らめていた。それだけアルバの出来が良かったってことなのだろうけど……うぎぎぎ。
親父さんの顔にも笑顔があった。修行に出した娘さんが、ひとまずのところドラゴンを乗りこなしてみせたのだ。そのことに対する喜びも安堵もあったことだろう。ただ、その笑顔も満面のというわけでは無いように見えるのだけど。
「それは良かったな、サーリャ。お前もよく乗りこなした。そのことを心の底から私は嬉しく思う」
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」
「そうか。だが……あれほどの声量が必要なのか? あれほどで無くてもアルバには十分に聞こえていると思うのだが」
親父さんの半端な笑顔の原因はそこらしい。娘さんの声量への疑問。俺も同感でございます。ドラゴンの耳は本当に優れている。アリの足音だって、意識すれば聞こえるほどだ。娘さんがささやき声で指示を出したところで、俺たちなら詳細に聞き取ることが出来ると思うのだが。
ここで娘さんの顔に浮かんだのは、先ほど同様の小ばかにしたような笑みだった。
「必要だよ。静かな場所だけでドラゴンに乗れるわけじゃないんだから。両手を空けなきゃならない場面もあるだろうし、その時には声だけで指示しないといけない。その時に指示が伝わらなかったら問題だから、大声は必須なの」
「うーむ。まぁ、そういうことはあるかもしれないがな」
「それに、ちゃんと教え込まないといけないの。私の方が立場が上だって」
「うむ?」
親父さんは不審そうな顔をして首をひねった。
「必要なのか? 馬や犬ならば確かに必要だろうが……ドラゴンだぞ? 私にすら一度として逆らったことがないと言うのに」
同感でございます親父様。大声の必要性についても俺からしたら首をひねらざるを得ないが、立場が上だと教えるというのも正直かなり疑問符。あのラナですら、親父さんの言うことには正直に従うしね。すでに従順なのに、上下を教え込んで何の意味があるのか。ちょっと理解が出来ない。
ただ、娘さんからしたらそれは違うようで。
「いざっていう時にはそれがものを言うの。大丈夫。ちゃんと習ってきたから」
娘さんは諭すような口調で、親父さんにそう笑顔で告げた。うーん、そうなの?
いざっていう時がどんな時か分からないけど、そもそもドラゴンって人間との間の上下関係なんて毛ほどにも気にしてなさそうだけどなぁ……むむむ?
なんかちょっと心配になってきた。娘さんの修行先だけど、本当にちゃんとした所だったのだろうか? 俺の体感したドラゴンの実像とは、かなり離れた見識をお持ちのようですけど。モグリの修行先とかじゃないよね? そこらへん大丈夫ですよね、親父さん?
「私ちょっと疲れたから。お水飲んでくるね」
そう言って、娘さんはパタパタと駆け出していった。その様子は過去の娘さんを見るようで、あぁ娘さんだなぁと思うのだが……ただ中身がと言うかなんと言うか。修行先で何かあったのかな? うーむ。
『疲れた』
アルバが戻ってくる。言葉通りかなり疲れているようで、すぐに地面で丸くなった。
『あー、うん。お疲れ』
ねぎらいの言葉をかけると、アルバは疲労に満ちた目を俺に向けてくる。
『疲れた。本当に疲れた。心の底から疲れた。うん、疲れた』
な、なんか本当につらそうだな。正直今のアルバは俺の嫉妬の対象なのだが、それでも思わず同情してしまう。
『それは本当お疲れ。やっぱり人を乗せるのって疲れるの?』
アルバからすれば、犬猫を背中に乗せてるぐらいのものだろうが、今までに経験したことが無いことなのだ。気疲れも含めて心身にくるものがあるのかもしれない。
『いや別に』
ところがアルバは意外な反応。俺は首をかしげる。
『へ? じゃあ何で疲れてんの?』
『うるさい』
『うるさい?』
『背中でいちいちうるさい。それがイライラする』
それは確かに分かるような気がした。離れて見ていた俺にすら、かなり耳にくるものがあったのだ。至近距離でそれを受けたアルバの衝撃たるやいかに。
『あ、それ分かる』
我が意を得たりとラナが口をはさんでくる。
『ここで聞いてても本当に耳ざわり。アイツ、うるさい』
アルバとラナは『だよねー』と共感し合ったりしている。うーん、なんか新鮮な光景。ドラゴンが人間の文句を言っている。これ、けっこうマズイ光景のような気がするけど……うーむ。
「ごめん。待たしちゃった」
娘さんが駆け足で戻ってくる。親父さんは何やら不安げな表情をしていたが、ここは笑顔で娘さんを迎えた。
「初めての騎乗だ。疲れるのも当然だろう。それで、どうする? 今日はまだ乗るのか?」
娘さんは笑顔でうなずく。
「うん。すぐに乗りこなせるようになりたいから」
「はは、それは結構。またアルバか? 彼は疲れているようだが」
「だよね。乗り換えることにする。じゃあ次は……」
娘さんが親父さんから目線を外した。そして、次に視線を向けたのは……お、俺? だったのだが、それも一瞬。本当ちらりって感じ。すぐにラナへと視線を移す。
「ラナにしよっか。お父さん、準備の手伝いをお願い」
ですよねー。ま、予想はしてましたけどねー。でも、すごい悲しい気分になりました。なんか学生時代の扱いを思い出しますし。娘さんにとって俺はもう、軽く無視する程度の存在でしかないのだろうか。
『え? 私なの? 私次っぽいの?』
ラナが嫌そうな声を上げる。アルバの例があるので気持ちは分からないでもない。でも、いいじゃん。選んでもらってるじゃん。評価してもらってるじゃん。半ばいないことになってる俺と比べて超高待遇じゃん。
『良いなぁ……』
『ねぇ、だからさ。何が良いのよ? ねぇ?』
もはや答える気力も湧かない。俺は伏せたままぎゅっと目をつむる。もう現実なんて見たかありませんよ、えぇ。
「ラウ様っ!!」
そんな折に聞こえてきた聞き覚えのある叫び声。これあれでしょ? いつもの髭面のおじさんでしょ? 出たな、災厄の運び手め。いや、まったくもって冤罪なんだけど、あの人が来て娘さんが豹変して帰ってきたので、何となく悪い印象を抱いてしまっている。今回はどんな報告なんでしょうかね。もうどうでもいいけど。
「どうしたっ! 今日はなんだっ?」
親父さんが尋ねかける。それに返ってきたのは、どうにも困惑したような張りの無い声だった。
「ハイゼ家の当主が来られていまして……用件は会って話すとおっしゃておられましたが」
わずかに不穏な沈黙が降りる。
「……ハイゼ家の当主だと? 何故あやつがここに来るのだ?」
今までに聞いたことの無いような親父さんの声。不安成分が多めの困惑の声といった感じだったが……
俺は思わず目を開いて親父さんを見た。きつく眉根を寄せて、今までになく険しい表情をしている。
娘さんの方も見ている。こちらも普通の表情では無い。不安そうに眉尻を下げて、親父さんを見つめている。
これは良からぬことが起こっているのではなかろうか。
何となく緊張する。その中で、視界にこちらに向かってくる複数の人影が映る。
目立ったのは先頭の男だった。立派な服装をした、ハゲ頭をした初老の男。
その男の顔にはなんとも嫌らしい不敵な笑みが浮かんでいた。