第21話:俺と、雷竜の空
俺も娘さんも、それなりに空戦の経験は積んできたはずだった。
始まりは、クライゼさんという抜群の騎手との一騎討ちだった。そして、先日の戦では、多数対一の窮地も経験したし、俺とアルバに乗った娘さんで、奇妙な空戦を繰り広げたりした。
だが、こんな空戦はもちろん初めてだった。
雷雨の中を、ひたすらに追いすがる。
『ほう。やるではないか? まだ攻め手であり続けることが出来るとはな』
その発言の主が、この空戦の相手だった。
黒竜。
雷を操る、明らかに異常なドラゴン。
「……」
娘さんは無言でした。
降雷にさらされて、息つく間もなく、必死に手綱を操っている。そんな状況だった。
しかし、俺と娘さんはまだ無事だった。
雷雨の中、視覚と視力を潰されながらに、黒の背中を必死に追いかける。それがまだ出来ていた。雷などという、格別の脅威にさらされながらだ。
必死に駆けながらにも、そこが不思議だった。雷なんて、そうそう避けきれるものではないと思うのだが。
ドラゴンブレスとは違うのだ。弾速を目で追えるような代物ではないはずだが、現状何とか回避し続けることが出来ている。
本物の雷とは、どうにも違うのだろうか。
魔術を行使するのに、如実に想像出来ることが大事。アレクシアさんはそんなことをおっしゃってはいたが。
逆説的に言えば、魔術とは想像できる範囲にしかならない。そういうことなのかもしれなかった。
光速や音速なんてものが、視覚的に想像出来ないのと同じか。この雷の速さも、人間が想像出来る恐ろしく速い程度のものでしか無いのかもしれない。
その点が勝機と言えるだろうか。
避けることは出来る。そして、ポジションとして背後は取っている。あとは雷雨の間隙を突いて、ドラゴンブレスを当てることが出来れば、俺たちの勝利が見えてくる。
だが。
「……あー、くそ! 上手いな!」
娘さんがそうイラ立ちを叫ぶ。
そうなのだった。
視界にある黒竜には、速さも機敏さも無い。だが、妙な上手さがあった。
軌道の取り方が抜群だった。
黒竜は常に俺たちの視界から外れるような軌道を取っている。そして、娘さんはその先を読んで、視界に余裕をもって収められるように指示を出しているのだが……ことごとく、その裏をかかれてしまっていた。
追う側の心情や傾向、それを熟知している感じだった。
とかく予想を外される。そのせいでドラゴンブレスを放つタイミングがまるで無い。こちらの方が速さも機敏さも上なのだ。本来ならば、余裕をもってドラゴンブレスを放つタイミングをつかめるはずなのだが……
なんだろうな。
まるでクライゼさんの操るサーバスさんを相手にしているような感覚すらあった。
強敵。
雷を操ることを差し引いても、相手は間違いなくの強敵であるようだった。
『ははは、良いぞ! しかし、その指示は背中の者が行っているのか? ふーむ、ならば人間というものも、あながち捨てたものではないのかもしれんな』
そして、黒竜は余裕しゃくしゃくだった。
空を駆け回りながらに、そんな感想をもらしてくる。
あー、もう! そうだよ! 娘さんはすごい人だよ!
必死の中で、思わず同意する。だが、そんな娘さんをしても、打開策を見いだせてはいないようだった。
降雷の嵐の中を、ただただ黒竜の背中を追い続ける。
『……よしよし』
その中で、黒竜は楽しげな呟きを発した。
『よく分かった。まだまだ手ぬるいところはあるが、十分な実力者だ。では……』
瞬間だった。
白光が眼前で爆発する。
何が起きたのか。何となく察することは出来た。俺と娘さんもよくやることだった。ドラゴンブレスを相手の軌道を制限するために使う。それが雷に置き換わった。そんな感じであろうか。
視界が潰れて、しかし娘さんはためらいを見せることなく。
瞬時に回避の指示が来る。
左に旋回する。それはおそらく、相手の軌道を予期してのものだったが……今回も外されてしまった。視界に相手はいない。そして、しわがれた声が背後から聞こえてくる。
『追われる側としては、どれほどのものか! 私が試してやろう!』
攻守が反転する。
雷蛇の群れが、背後から襲い来る。
明らかに雷の精度が上がっていた。
俺たちを視界に収めているというのが、魔術として有利に働いているのかもしれなかった。
これは……マズイ。
俺は冷や汗を浮かべつつ、娘さんの指示に全力でしたがい続ける。避け続けられるとはとても思えなかった。このままではいずれ必ず雷のキバにかかる。その予感がひしひしとあった。
「……くそ。あーもう!」
焦りとイラ立ちのにじんだ叫びが、娘さんの口を突いて出る。
焦りはと言えば、もちろんこの窮地に対するものだろう。
そして、イラ立ちはおそらく娘さん自身の状態へのものに違いなかった。
明らかに、娘さんからの指示は精彩を欠いてきていた。
娘さんは、今、鞍もあぶみも無く俺にまたがっている。おそらくその影響が出てきたのだ。俺の背中を両足ではさんで、何とか体勢を維持してきたのだが、その疲れが出てきたのだろう。
踏ん張りがきかなくなって、思い切った軌道を取るのが難しくなってきた。振り落とされない程度の軌道しか取れなくなってきた。おそらく、そういうことだった。
そして、その影響は……すぐに現れることになった。
今までに一度として体験したことの無い、脳髄を震わせるような激痛。
「ノーラっ!!」
俺が羽ばたきを一瞬止めたことから、そのことは娘さんにも伝わったらしい。
悲痛な心配の叫びでしたが……まぁ、気にしないで下されば。
当たったのは右足の付け根の辺りか。火傷に似ていた。皮膚にはひきつるような激痛がある。正直、今すぐ地上に降りて、治療なりなんなりを期待したいところだったが、それはもちろん出来ない相談で。
速度を落として地上に向かったりなんかしたら、その時こそ雷撃の格好の的になるだろう。
今は幸運にも当たったのが俺だったが、これが娘さんにでも当たったらねぇ。
だから今、止まるのは選択肢にないのでした。
娘さんは地上に降りたそうな気配を見せてきましたが……俺は変わらず羽ばたくことで意思を表明してみせます。
「……ごめん」
意思は十分に伝わったようでした。
謝罪の言葉ながらに、降下を促すような指示は無し。変わって、手綱の指示に精彩が戻る。
俺の意思に応えようというのか、娘さんは根性を入れて疲労と戦うことにしてくれたらしい。ふーむ、さすがは娘さん。メンタリティーがね、本当俺とは違うよねぇ。たくましい。本当に強い人だ。
だが、この状況は……
反攻の機会が見えない。うかつな行動をとれば、その時には雷撃の餌食になる。そんな予感しかない。
『あははは! やるではないか! 撃たれれば堕ちたトカゲ共とは違う! 戦士の魂を感じる! なんだ、いたではないか! 戦士がいたぞ! あはははは!』
そして、黒竜には余裕しかなかった。
妙なことをほざきながら、歓喜の笑い声を上げている。
発言の内容はどうでも良かった。だが、この余裕が気になった。このドラゴンは本気を出しているのだろうか? そんな疑問が湧いて出てくるのだ。
俺と娘さんは、現状必死に勝ち筋を探して逃げ回っている。だが、黒竜がまだ実力を出し切っていないのならば……
『しかし、これまでか?』
素朴な口ぶりの、そんな疑問の声だった。
『逃げるしか出来んのか? この状況で対抗する力をもたんのか? ふーむ、いかんな。それは修練不足もはなはだしいが……ならば、これ以上試す必要も無しか』
不吉と言って、これ以上の言葉は無かった。
「の、ノーラっ!?」
娘さんの叫びも当然だった。俺は娘さんの指示を無視していた。とにかく黒竜から娘さんの姿を隠すように身をひるがえす。
懸念はまったくもって図に当たっていた。
その雷撃は、明らかに量と密度が違っていた。それを避けきることなど夢物語で……直撃する。
『……っああ!?』
叫びを上げられたことが驚きだった。
全身が燃えるようだった。これはもう、ダメだった。
地上に堕ちる。意識は明滅しているようだった。それでも何とかはばたいて、森のすき間を見つけて……着地する。
衝撃はかなりのところ殺せなかった。腹から潰れるようにしての着地となる。これでまた激痛が走るが、そんなことは問題ではない。
娘さんが無事か、どうか。これに勝る問題なんて存在しない。
「ノーラっ!? え、ちょっとっ!?」
悲鳴と共に、背中が軽くなる。
娘さんの動きは俊敏であって、俺は一安心だった。娘さんが目の前に来て、さらに安心が深まる。涙目で俺を見つめてきているが、ケガらしいケガは見当たらない。
だが、安心してばかりではいられない。
俺は震える前足で文字をつづる。
《にげて》
上空には黒竜がいるのだ。ボーッと俺の心配している時間は、娘さんには無いはずだった。
だが、
「ば、バカっ!! そんなこと出来るわけないでしょっ!!」
その叫びは、嬉しくももどかしかった。
俺のために娘さんが犠牲になるなんて、そんなことになったら俺は死んでも死にきれない。俺のためを思って、娘さんにはこの場を離れて欲しかった。
だが、娘さんは俺を置いて逃げられるような人では無いし、俺はもう指先を動かすのも難しくて……
『悪くはなかったぞ』
上空から声が降ってくる。
その声音は、間違いなく黒竜のものだった。目だけで上空をうかがうと、黒竜は頭上で旋回しているようだった。なんなのか。アイツは、俺たちを襲ってくるつもりはないのだろうか?
『悪くはない。だが、足りるものでも無かった。しかし、期待はある。修練を積むなり、数を集めるなりだな。ふむ。楽しみにしておるぞ、若造』
そして、だった。
黒竜は去っていった。
疑問だけを残して、いずこかへ飛び去っていった。
あの黒竜は本当に何だったのか。
そのことが頭にはあるのだが……今はね。
助かった。娘さんが俺の目の前に無事に立っている。
そのことに俺は安堵を覚えるのだった。