第20話:俺と、黒竜
空にあって、娘さんが叫びかけてくる。
「ごめん、ノーラ! 悪いけど、気をつかって!」
無論承知である。
俺は今、裸馬ならぬ裸竜。手綱はあっても、鞍もあぶみも備えていない。娘さんは踏ん張ることが出来なければ、落下のリスクは当然ある。
それでも娘さんならば、短時間であればいつもの実力が発揮出来る。そんな信頼を俺は娘さんに抱いておりますが、それはともかく。
寒々しい、色彩の薄い冬の空。
そこでは、三体のドラゴンが羽音を響かせて複雑な軌跡を描いていた。
注目すべきは、当然黒のドラゴンか。
二体の騎竜に追われて、空を駆ける黒竜。その背中だ。何度見直しても変わらなかった。やはりいない。
「騎手が……」
娘さんの呟き。そう騎手がいないのだ。騎手無くして、空戦を繰り広げている。
それは先の戦、俺とラナの戦いを思い出させるようであって……
はたして、あのドラゴンの素性は何なのか。そこは気にならざるを得ませんでした。
「とにかく、捕まえるよ!」
そう言って、娘さんは俺を黒のドラゴンの元に急がせる。
幸いにして、今は味方が二人いる。あのドラゴンを逃がすわけにもいかなければ、この機に乗じない理由が無い。
……しかし、あのドラゴン。
大翼にものを言わせながらに、俺は思うのだった。何なのだろうか、あの表情は。あの目つきは。心底退屈しているように俺には見えるのだが……
『……くだらん』
ドラゴンの聴覚が捉えたのは、老人のようなしわがれた声音による、そんな呟きだった。
白光が走った。
一体何が起こったのか。そう思った時には、俺の全身を轟音が震わしていた。
瞬時に来る旋回の指示。
当然、従う。耳が痛いし、視界は明滅している。それでも俺に理解出来たのは……空を舞う影が、四つから二つに減ったということだ。
悲鳴の声に、弱々しいはばたきの音。
落ちていく。
何事かの異変にみまわれたと見えて、異形の森に弱々しく落ちていく。特段の外傷は見受けられないのだが、彼らを襲った異変とは何なのか。
「……雷?」
黒竜を警戒しての、旋回の最中の呟きでした。
ですよね、娘さん。おそらくだが、あの白光はそういうことなのだろう。次いで響いた轟音も、雷鳴のものに酷似していた。
ドラゴンが雷を操っている。
それは非常に衝撃的な事実だった。だが、驚いてばかりもいられなかった。俺と娘さんの目の前には、もっと緊急性の高い事実が突きつけられているのだ。
騎竜二体をまたたく間に落とす、雷を操るドラゴン。
その化け物と同じ空にいる。そんな事実であり、現実。
そして、俺と娘さんはその黒竜をつかまえなければならないのだが……はたしてどうすればいいのか。勇み足で突撃したところで、なかなか良い結果が出ることはなさそうだが。
そんな迷いは娘さんにもあったらしい。
指示は引き続きの旋回だった。黒竜を遠巻きにして、大きく旋回を続ける。
目的の黒竜も、森の上空を旋回していた。騎竜の落ちた先を見下ろしながら、何ごとか不満の言葉を口にしている。
『……ふん。トカゲと遊びにきたのでは無いのだぞ。根は同じはずなのだが……堕落しすぎだ。まったく、情けない』
そして、だった。
思わず背筋がビクリとする。黒竜の赤の瞳が、俺を鋭く射抜いてきた。
『新手だな。少しは知恵のあるところを見せてもらいたいところだが。名を名乗れっ! 若造っ!』
なんだ、コイツは。
正直、戸惑いしかなかった。強烈な異質感。こんなドラゴンは初めてだった。名を尋ねてくるドラゴンに会ったのが、そもそも初めてだったが……その、何と言うべきか。
知性の光がある。
そんな感じだろうか。ラナとアルバも賢いが、それとはまた違ったものを感じる。ドラゴンの皮をかぶった人間。そんなものと対面させられている気分だった。
ともあれ、尋ねられた。
無視する理由も思い当たらなかった。俺は旋回を続けつつ、黒竜に声を上げる。
『の、ノーラだっ! え、えーと、ラウ家で騎竜をしているっ!』
名乗り上げなんて初めてだった。どうにもおぼつかなかったが、とにかくそう伝えた。
黒竜からは不思議な反応が返ってくることになった。
名前を尋ねてきたのは向こうだったくせに、さも意外そうに目を丸くしてきたのだ。
そのすぐ後だった。
しわがれた声で、愉快そうな笑い声を空に響かせてきた。
『はっはっはっ! そうか! こちらでは竜種は家畜にでも堕ちたものと思っていたが……そうか! しっかりとおったか!』
それは心底楽しげで、しかし俺に理解出来るものとは思えなくて。
ただ、会話は出来ている。
その事実があって、俺は思わず尋ねかけていた。
『近くで村が焼かれていたっ! それは貴方によるものかっ!』
この尋ねかけに、黒竜は楽しげに応じる。
『いかにも。だが、村を放火し略奪するは、戦の基本。わざわざ尋ねかけるほどのものではなかろうに』
そんな、一端の軍人のようなことを口にしてきた。しかし、戦。このドラゴンの飼い主は、そんなつもりで村を焼き払ってきたのか? もしかしてこの国の人間じゃないのだろうか?
『貴方の飼い主はこの国の人間じゃないのかっ? 何故、貴方に村を焼かせたりしたのかっ!』
早速、疑問をぶつける。
これに対して、黒竜は何故か憐れむような口調で答えてきた。
『そうか。ここでは、竜種は飼われるものに成り下がっているのか。不憫なものよ』
『は?』
『ともあれ、まともそうな竜種に出会うことは出来た……さぁ、始めようではないか』
空気が変わった。
『娘さんっ!』
伝わらずとも、思わず叫んでいた。
来る。そんな予感から危機を叫んでいた。しかし、さすがの娘さんだった。俺が叫んだ頃には、すでに手綱から指示が来ていた。
ドラゴンブレス。
娘さんが選んだのは先制だった。ドラゴンブレスを二発、三発と俺に吐かせながら、同時に速度を上げる指示が来る。狙いはすぐに分かった。この先制で相手の軌道を乱して、そのすきに背後を取ろうというのである。
未知の敵を相手にして、まず背後を取っておく。
有利なポジションを確保しておく。
そんな娘さんの英断であった。
『果断であるな。ははは! 良いぞ!』
歓喜の叫びが耳に届く。
コイツは何を喜んでいるのか?
それは、さっぱり分からないが、とにかく撃ち落とすのが先決だった。話は無力化した後で、ゆっくりと聞き出せばいいのだ。
ドラゴンブレスを避けつつ、逃げに入る黒竜。娘さんの手綱さばきを受けて、俺は見事に黒竜の背後を取ることに成功する。
よし!
これで有利は取れた。その上で、今の娘さんから逃げ切るのは容易では無い。クライゼさんにサーバスさんであっても、それはかなりの難事となるだろう。
見たところ、黒竜にはそこまでの速さも機敏さも無い。振り切られる心配は無さそうだった。
空を駆けながらに俺は思う。
このままなら負けない。負ける要素は無い。ほどなくドラゴンブレスを直撃させて、この空戦に幕を下ろすことになる。
そう思えた。
だが、相手は尋常のドラゴンでは無いはずであり……
『ははははっ!』
その笑い声に、窮状を感じさせるものはなかった。
『良い飛行だっ! 相当の実力者とみたが……はは、甘いっ! 一流の竜種が、背後を取られてそれで終わると思うかっ!』
瞬間だった。
白光が走る。
「……っ!」
悲鳴を噛み殺したような娘さんの叫びだった。
俺も思わず悲鳴を上げかけていた。皮膚が総毛立つような感覚。雷に違いなかった。雷をもってして、背後を取る俺たちを迎撃しにかかってきたのだ。
あーくそっ! こうなるとは思っていたけどさっ!
直撃はしなかったが、それも時間の問題か。
次々と稲光が舞い踊る。
さながら白雷の迷宮だった。俺と娘さんは、その中を駆け抜けるような追撃を余儀なくされる。
『ははははっ! いいぞっ! 追いすがれ! 誇り高き竜種の末裔! その意地を見せてみろ!』
そして、黒竜は笑っていた。
楽しそうに快哉を叫んでいた。