第6話:俺と彼女の帰還
現状を一言で表せと言われればこうなる。
しあわせ。
いやだってさぁ、それ以外ないじゃん? それ以外あり得ないじゃない?
ついにこの時が来たのだ。
娘さんだ。娘さんがついに帰ってくるのだ。
『きもい』
そんな俺への辛辣なコメントだった。発言者はもちろんラナ。今はいつもの放牧の時間である。その最中、突然そんな言葉を投げかけられたのだが……まぁ、浮かれていたのは認めよう。いやでも、きもいってちょっとヒドイでしょ。
なんかこうゴミでも見るような目で俺を見てきてるけど、そんな目で見られるような覚えはさすがに無いのであって。
たしかに、初夏の日差しの下、思わずルンルン気分で駆け回っていたことは事実だ。グルグルと喉を鳴らして、地面に背中をこすりつけながらぐるんぐるんしていたこともまぁ事実と相違ない。いきなり吠え出して、その後含み笑いを『ぬっふっふ』ともらし続けていたことも間違いない。
ほらね? 事実を並べてみれば分かるのだ。うっわ、俺きもっ。テンション上がりすぎて奇行に走っていやがる。
『ごめん。ちょっと落ち着く』
地面の上に腹ばいになって、いわゆる伏せのポーズ。あー、地面が冷たくて気持ちがいい。心なしか加熱気味の頭も少しばかりクールダウンしてきたような。
でも、やっぱり興奮はおさまらないのでした。だって娘さんだよ? 娘さんが帰ってくるんだよ? 一日千秋とはまさにこのこと。待ち望んだ日がようやく訪れてくれるのだ。
うれしくてうれしくて、正直落ち着きようがない。しかしまぁ、ラナは違うのだろうか。娘さんが帰ってくると伝えてあるはずなのだが。
『ラナは嬉しくないの? 娘さんがやっと帰ってくるんだけど』
俺の問いかけに、ラナはいぶかしげに首をかしげる。
『そもそも娘さんって誰よ?』
あら? であった。誰よって、えぇ? 分からないはずは無いと思うけど、あるいは分からないふりでもしてるのか?
『何言ってるんだよ。娘さんだよ? 小さい時にお世話になったろ?』
『知らない』
『覚えてないってこと?』
『さぁ? とにかく知らない』
分からないふりっていうことでも無いらしい。淡々とした声色で、事実を事実のままに言っているとそういう感じ。
娘さんを忘れるなんてありえないだろ。そう思う一方で、なんだか分かるような気も。こいつもアルバも人間に興味がある感じがあまりしないからなぁ。
犬だったら飼い主が誰かは当然分かっているし、愛情の念を抱いたりもするのだろう。ただ、このドラゴン連中にそんな感じはまるでない。
親父さんだろうが誰だろうが態度はまるで変わらない。いつも非常にそっけない。愛情を感じているわけでも無ければ、抱いている感じも無い。世話したいならすれば? ぐらいの感じで人間に接している。
でも、その割には人間には忠実なんだよなぁ。主人と思っているわけでも愛情を感じているわけでも無いくせに、人間の命令に逆らうことはまず無い。その辺りは不思議と言えば不思議である。
ともあれ、ラナもアルバも人間に興味はほとんど無い。娘さんのことを覚えていないのも仕方ないことなのかねぇ。
『アルバはどう? 娘さんのことって覚えてる?』
とぐろを巻いてうつらうつらとしているアルバに尋ねかける。アルバは眠そうに『んー』とまず反応して、
『知らん』
『子供の時に俺たちの世話してくれたじゃん』
『知らん。覚えてない』
結局そんな回答だった。
ドラゴンってそんなもんなのかもなぁ。ただやはり、薄情だよなと思わざるを得ない。俺が一番目をかけてもらったと思うが、それでもラナもアルバも熱心に育ててもらったっていうのに。
『……あ。でも、なんかちょっと覚えてるかも』
ここでラナのうれしいお言葉。なんだ。やっぱり覚えてるじゃん。それはそうだ。娘さんはあれだけの愛情を持って俺たちに接してくれたのだ。それが報われないなんてことはあり得ない。俺は嬉しくなって、思わず何度も頷く。
『だよね、うん、そうだよね。娘さんって本当に良い子だったよね』
『私が遊ぼうと思うといつも良いところで邪魔してきた。ウザイやつだった』
『……そう。へー』
まぁね? ラナからしたら、もしかしたらそうかもね? でも、マジで人情味の欠片もねぇな、コイツ。いや、ドラゴンだから仕方ないかもしれないけど。
俺を青空を眺めて、その下のいずこかにいるだろう娘さんを思う。娘さん、超気の毒。でも、安心して下さい。俺だけは、そう俺だけは。貴女の理解者ですから。貴女の愛情に必ず報いてみせますから。
で、娘さんはいつ帰って来てくれるのだろうか。本当の本当に待ち遠しい。じれったくて、思わずかけ回りたくなるほどだが、これ以上ラナにキモいと言われるのも心情的にキツイ。なんか前世の記憶がありありとよみがえってくるし。
なので俺は伏せだった。忠犬よろしく、娘さんが帰ってくるのを待ち続けるのだ。
そして、その時は唐突に訪れたのだろうか。
「ラウ様っ!」
聞き覚えのある喜色にあふれた声。
俺はぱっと首を伸ばす。以前の例にならえば、これは吉報を知らせる声なのだ。いた。以前の髭面のおじさんだ。喜色満面でこちらに向かってきている。
吉報の予感はこの人も同じだったらしい。のんびりと俺たちを眺めていた親父さんはにわかに笑みを浮かべて声を張り上げる。
「どうしたっ! 何か良い知らせでもあったかっ!」
親父さんの声かけに、髭面さんのおじさんは妙な反応を見せた。笑みを見せたまま、自らの背後を指差す。はてさてはて? 吉報を期待して俺は耳をそばだてていたのだが、そのジェスチャーは一体?
ともあれ、つられて指の方へと目を向ける。そしてドラゴンの優れた視力がとらえたのは……とらえたのは? へ?
吉報どころでは無かったのかもしれない。
人影が一つこちらに向かってきている。一見すると、それは親父さんのところに出入りしている若い男のようだった。
動きやすそうな格好。紺地のズボンは皮ひもで留められ、靴はまた丈夫そうな革靴。外で働いている若い男と言った、そんな雰囲気。
だが、シルエットは妙に柔らかい。男らしい肩幅もなければ、手足もスラリとして伸びている。
それはそうだろう。人影は男では無いのだ。背中で編み込まれた金色の髪が、紺碧の空を背景にして静かに揺れている。少女の面影を残しつつもやや大人びた顔にはやわらかい笑みが浮かんでいる。
「サーリャ! 帰ったか!」
親父さんの歓喜の叫び。だよな、そうだよな。俺が今見てる通りだよな。
帰ってきたのだ。娘さんがついに帰ってきた。
「ただいま。お父さん」
親父さんを前にして、娘さんがそう挨拶した。声色も昔と比べて落ち着いたものになっているような。ただ、浮かんでいる笑みはと言えば非常にあどけなくて、娘さんは娘さんだなぁなんてそんな気分にさせられる。
「よく帰った、サーリャ。どうだ? 良い修行になったか?」
満面の笑みの親父さんが娘さんに問いかける。娘さんも笑顔のまま頷く。
「なった。学んだことはしっかり役立てられると思う」
「はっはっは。それは良かった。見ろ、あれがお前のドラゴンたちだ。ノーラもほら、そこにいるぞ」
親父さんが俺のことを指さしてくる。これはチャンスか? 今の今まで、俺は二人のやりとりを遠巻きに眺めていた。それが何故かと言えば……恥ずかしいと言うか、どうしたらいいか分からなかったと言うか。
前世からして、俺は積極的な方じゃない。いや、むしろ根暗か。喜びで頭が爆発しそうで、本当もうクラクラしているぐらいなのだが、その喜びをどう表現していいのかさっぱり分からない。
親父さんが指さしてくれたのだ。これをきっかけにして、近づいても大丈夫なのかどうか。いいのかな? いいんだよな? 多分。
「ノーラ?」
娘さんも俺に視線を向けてきた。夢にまで見た青く無垢な瞳に、俺の姿がありありと映っている。あ、ダメだ。もうこんなの、行かないなんて選択肢があり得るはずがない。
キモく無い程度に早足で近づく。娘さんは無言で俺が近づくのを待っていた。一体どんな気持ちなのだろうか。成長した俺を見て、何か思うところはあるのだろうか。俺と会えて、喜んでくれているのだろうか。
俺は本当に嬉しかった。そして、それを態度で示したかった。だから、俺が選んだ行動は、
『……』
黙って頭を差し出す。分かれる前の再現。スキンシップの要求。俺は今も変わらず娘さんのことを慕っている。そのことを示したかったのだ。
「……」
娘さんは相変わらず黙り込んでいた。俺のこの行動に対して、一体何を思ったのだろうか。思ってくれたのだろうか。喜んでもらえるのだろうか。
数秒置いて、娘さんは口を開いた。
「……この子はダメ」
ははぁ、そっか。なるほど。娘さんは俺に対してこんなことを思ってくれたんだな。うーん、なるほど。なるほど? へ? どういうこと?
「サーリャ? いきなりどうした?」
親父さんは困惑したような口調で娘さんに問いかけた。いや、本当にそうですよ。ダメって、あの、え? え?
俺は娘さんの表情をうかがう。娘さんはいつもあどけなく柔らかな表情を浮かべていた。だが、今の娘さんの顔にあるのは……今までに一度も見たことの無い表情だった。
「ダメって言ったの、お父さん」
氷のように冷たい表情で、娘さんはそう言い切った。
「だ、ダメって、どういう意味だそれは?」
俺と同じく困惑を深める親父さん。娘さんは冷たい目をして問いに答える。
「人間に媚びて覇気が無い。こういうのが実戦で一番役に立たないの」
「お、お前……どうした? ノーラだぞ? お前が一番可愛がっていたドラゴンじゃないか?」
戸惑う親父さんに娘さんは冷笑で答える。
「そういうの関係ないから。使えるか使えないか。それが一番大事」
え? なんか娘さんが俺の前世の上司みたいなこと言い出したんですけど……あれ? 何これ? これ現実?
娘さんは俺から無感動に視線を外した。そして微笑む。
「ラナとアルバは良く育ったかな。特にアルバは良いかも。体格が立派だし、肝も太そう。あの子は大丈夫。きっと使える」
ラナとアルバを見ての感想らしかったが、親父さんは何も答えなかった。多分、俺と同じ心境だと思う。きっと同じことを思って、呆然としてしまっているのだろう。
その思っていることと言えば、まぁこうなるんじゃなかろうか。
この子、本当に娘さんなのでしょうか? ……ニセモノとかじゃないよね? え?