第12話:俺と、アレクシアさん
そして、調査は続いていきます。
その道中でした。寒空の下、俺はとある民家の敷地で、牛さんと見つめ合っております。
『……うーむ』
黒々としたつぶらな瞳と見つめ合う。牛さんとはラウ家の屋敷でも顔なじみでしたが、やはりと言いますか、何と言いますか。意思の疎通は出来ません。本当、ただただ見つめ合うのみです。
『寂しい……』
で、俺はそんな呟きを発するのでした。
調査の道中で何度も味わってきたんだけどね。マジ寂しい。いつもはラナとアルバが一緒で寂しさとは無縁でいられたし、昨日はサーバスさんと話せて楽しかったのですが。今日はと言えば、目が合うのが牛さんしかいないのです。
今はお昼休憩でした。天気さえ良ければ、娘さんが一緒にいてくれるのでしたが、今日はあいにく寒風が吹き荒れていまして。
娘さん、家の中で食事を取っておられます。なので、本当に一人ぼっち。俺も贅沢になったもんだよなぁ。寒風のせいもあるだろうけど、本当に寂しさで気が滅入っております。
こんな時ってねぇ、どうしてもネガティブな考えをしてしまいますよねぇ。
どうなるかなぁ、これから。
鬱屈としてそんなことを考えてしまいます。
ハイゼ家領の調査を終えまして、ついにドラゴンを所有している家への調査は全て終了。
それで、次には原点回帰じゃありませんけど、ドラゴンに焼かれた村に向かっているのですが……その前ですけどね、なんかね、すごかったの。
査問官の人たちである。
打ち合わせの段階で、けっこうな勢いでアレクシアさんに食ってかかっていたのだ。
まず手がかりはありませんでしたと、アレクシアさんが今までを総括した時のことです。調査が足りなかったのではないか? アレクシアさんの力が足りなかったのでは? 一体どの口がそれを言うんだよって内容を、猛然と叩きつけておられまして。
で、アレクシアさんが現地の調査に出ようと告げると、これにも非難の嵐。そんな必要があるのか? 一度王都に戻って報告すべきではないか? ここまで難航するのは予想外だったのだから、別の査問官に交代すべきではないのか?
つまるところですね、もう働きたくございません。そんな不満をアレクシアにぶつけたのである。
もう、なんかねー。
正直、ひどいなと思いました。どの口がそれを言うかって話でもあるし、調査に来たのならしっかりやってくれよって話でもあるし。
とにかくアレクシアさんが気の毒でした。しかし、そのアレクシアさん、査問官たちの不満の声に対してまったく動揺を見せることはありませんでした。
淡々と、調査の続行を決めての本日となりました。カミールさんもそうだったけど、嫌われることをまるで問題にしていない感じ。
やっぱり軍神の一門ってことなのかなぁ、と。
まぁ、先日の竜舎の前での出来事を考えると、まったく気にしていないってことは無いんだろうけど……強い人だなってそう思えました。
それはともかく、査問官たちの不満は膨らんだままで、調査は続いていくわけで。これからも色々あるんだろうなぁって、そんな予感は大きいわけで。
本当ね、良い予想は出来ないよねぇ。
悩みの種は他にもありまして。
それは娘さんについてです。娘さん、現状に対して何か出来ないかと悩んでいるようでした。
査問官の人たちに嫌悪感に近い思いを抱いたということもあるし、アレクシアさんの真摯な仕事ぶりに好感を抱いたいうこともあるようだった。
査問官の人たちを黙らせるなり、アレクシアさんの仕事を助けるなり。
そうは思っているらしかった。ただ、アレクシアさんに嫌われている自覚があって、何をしたらいいのか、そもそも何かしてもいいのか。そこに思い悩んでいるようで。
娘さんのためにも、ひいてはアレクシアさんのためにも。俺もねぇ、何かしたいけどねぇ。
『……でもねぇ、牛さん』
俺はため息をつきつつ、牛さんのつぶらな瞳に語りかける。牛さんは、ふんふん言いながら自らの鼻先を俺の鼻におしつけてくる。意図はさっぱりだけど、うーん、湿っぽい。かわいい。いや、それは置いといて、悩ましいなぁ。
昨日も思ったけど、俺に出来ることなんて限られているし。
今であれば、俺は娘さんと意思の疎通は出来るけどねー。ただ、俺に人間関係のアドバイスなんて出来ないし。困っている娘さんを、俺も同じように困りながら見守ることしか出来ない。
俺は『ふーむ』とうなるのでした。
この状況、最後まで続いちゃうのですかねぇ。
どうにかなっては欲しいんですか……むむむ。牛さん。鼻先をなめられますと、こうぬれて風が冷たく……ぬおお! 背筋が! 背筋にくる! 寒い!
ああもう、とにもかくにもですね。
この先どうなっちゃうでしょうねぇ。
「……牛」
牛さんになめられているその最中でした。
かすかな呟きでしたが、はたして誰のものか。澄んでどこか鋭い声色。これは……アレクシアさん?
ズバリでした。
牛さんから頭を引き剥がして、声の方向をうかがう。そこにいたのはアレクシアさんでした。毛皮の外套を着込んで、ちらりと覗く手にはパンのようなものが握られています。
もはや、いつもの日課と言いますか。一人で食事を取ろうとされているのでしょうが、その時間に俺を訪れてきたのはこれが初めてでした。
と言いますか、アレクシアさんと一対一で向かい合うのは、これが初めてのような。な、なんか緊張しますが、さてはて。アレクシアさん、俺に何か御用ですかね?
「……ドラゴンって、牛と遊んだりするのですね」
とりあえず俺と牛さんのやりとりは興味深いものだったらしい。しげしげと眺めてきておられています。いや、別に遊んでもらっているわけじゃないんですけどね。俺の寂しさを牛さんに慰めてもらっているのである。牛さん、マジ優しい。まぁ、牛さんにそんな気はまったくないんだろうけど。
俺が横顔をベロベロされる中、アレクシアさんは静かに俺に近づいてくる。で、俺の目の前に立つと、じっと見つめてこられました。これは、あれかな? 以前によその竜舎で見た時と同じやつ。
多分、ただのヒマつぶし。
ドラゴンに多少の興味があって、食事をしつつ、何かしらアレクシアさん好みの思索にふけっておられるのだろう。
一体何を考えておられるのですかねぇ。アレクシアさんは、とにかく俺の目をじっと見つめてこられます。
俺も思わず見つめ返しました。
その切れ長の目に、険しい色は一切なかった。あどけないとまで言えないけど、年齢相応の目つきをしているように俺には思えた。
ふーむ、こんな感じで娘さんに接してくれたらって思っちゃうけどねぇ。
何で娘さんに冷たく当たっていられたのですか?
尋ねたくなっちゃうなぁ。尋ねて、何か出来たらって思っちゃうけど……まぁ、言葉が分かることは秘密なので。それは出来ないのですが。
「……あの子は、他のドラゴンとは大分違うと言っていましたが。確かにそんな気はしますね」
不意の呟きでした。まじまじと俺の目を見つめてきておられますが、え、えぇと? なんか違います? 大分違います? もしかしたら、ちょっとまつげが短いかなと思ったことはありましたけど。
「……優しい瞳。そんな風に思えます」
ふーむ? 妙なことをおっしゃってくれました。気弱で気味悪い目とは、前世で親によく言われたものですけど。
アレクシアさんはまたまたじっと俺の目を見つめてくる。そして、にわかに手にあるパンを俺に見せてきた。
「いります?」
いや、いらんとです。
そう告げたくはあるけど、それは約束で不可能で。でもアレクシアさん、もうその気です。パンをちぎって、俺にあげる気満々です。
む、むむむ。
こうなると、俺には選択肢はないわけで。
口を開きまして、準備万端。
アレクシアさん、慣れない手つきで俺の口にパンの欠片を放り投げます。では、パクり。で、パクりにパクり。三連続。しかし、うーむ。本当に思うところがないですねー。空気を食べているような気分。
「おいしいですか?」
非常に申し訳ありませんが、いえ別に。本当、こういうご飯は人間の皆様で楽しんでいただけたらと思うのですが。なんか、せっかくのご飯を無駄にしてしまったようで罪悪感がすごいですし。
で、アレクシアさん。何を考えておられるのか、俺の目を見て不思議そうに首をかしげておられますが、え、えぇと?
「……もしかして困ったりしているのですか?」
お、おお。素晴らしい観察力で。別に態度で困っていることを示したつもりは無いけれど、やっぱり目なんだろうか? アレクシアさんは引き続き俺の目を見つめながら、あごに手をやったりしている。
「ふむ。不思議です。嫌がっているようには見えませんが、困っているようには見えます。何を困っているのかは分かりませんが……複雑な感情を持っているのでしょうか? 今までに見てきたドラゴンとは明らかに様子が違いますね。不思議です」
なんか、俺分析されちゃってます。
前にも思ったような気がするけど、アレクシアさんって学者肌なのかな? 不思議な物事があれば、それを論理立てて分析せずにはいられない。そんな性分の方なのでしょうか。
そのアレクシアさんですが、胸中で考察を深めてでもいるのか。あごをさすりながら、じっと俺を見つめてきております。一体何を考えているのですかねー。と思っていますと。
「はい」
まったくの不意打ちでした。そんなかけ声と共に、パンの欠片が宙を舞いまして。ぬ、ぬおお!? 落とすのももったいない。俺は慌ててのパクりでゴクリでした。せ、セーフ。
「……ふむ」
そしてのアレクシアさん。興味深そうな顔をして俺のことを見つめておられました。
「やはり不思議ですね。ドラゴンは命令されれば従う生き物ですし、ある程度思惑を察してくれるとのこと。しかし、これは……どうなんでしょうか? 不意打ちでしたので、察する間は無かったと思うのですが」
そう言って、アレクシアさんは軽く首をかしげられました。
「まるで人間のような反応でしたね。パンに価値を感じていて、落としたくはないとするような……ふーむ。食欲があって、そのために取りに行ったというような感じではありませんでしたし……ノーラと言いましたか。どうにも不思議なドラゴンですね」
俺、詳細に分析されちゃってます。
や、ヤダ……なんか怖い。あと一時間もあれば、俺が人間の言葉を理解すると暴かれそうな、そんな予感すらあります。
こ、これは心して相手しなければいけないですかね?
俺が身構える中で、アレクシアさんはまたパンをちぎる。そして、俺に投げるようなそぶりを見せてくる。言ってみれば、フェイント? 俺はそれに翻弄されて、ビクビクと首をさまよわせる。
で、ポイ。で、パクり。フェイントが挟まれつつ、またのポイ。パクり。え、投げるの? 投げないの? お? 投げ……ずに、やっぱ投げた! よし、とった! とってやったぞ!
そんなことが続いているのですが……な、なんでしょう、この感覚は。なんか犬、猫みたいな遊ばれ方をしているのですが、た、楽しい? いや俺は犬や猫とは違うのですが。ドラゴンであって、中身元人間ですが。それでもおもちゃで遊んでもらうペットの気分が、心の底から理解出来てしまっているような……
俺、もしかしたらけっこうなペット願望でもあったの? い、いやいや、そんなことはまさかそんな……な、無いとは思いますが、ともあれ。
これ、何ですかね?
俺の反応を探るための、何かしらの実験的な行為。今までの流れを考えると、そんな気がするのですが。
で、そんなことを思いつつ、アレクシアさんのテクニックに翻弄されてワクワクしていますと。
「……ふふ」
思わず耳を疑ってしまいました。
アレクシアさんの手が止まる。そして、その手は口元を隠すために使われているのですが……今、もれてきた声は何なのか?
アレクシアさんは笑っていた。口元は分からないが、目元が柔らかく弓なりになっていた。と言うことは、さきほどの声は笑い声ということになるのでしょうか?
「……ふふふ、はは……ご、ごめんなさいね。何となくで始めたんだけど、何だか楽しくなっちゃって。貴方も楽しんでくれていたのなら良いのだけど」
口元から手が外れる。
唇にあったのも、やはり笑みだった。なんか唖然としてしまう。この人も笑うんだ。そんなことを思ってしまったのだ。笑い顔は普段からは想像できないほどに愛らしくあどけなくて、俺はそこにも驚きを覚えるのでした。
い、いやまぁ、しかし。
アレクシアさんが楽しんでくれた。それは非常に良かったんじゃないでしょうか。
俺としてはアレクシアさんを応援したいし、娘さんもそんな気はあるっぽいし。
最近、役立たず感がすごかった俺だけど、アレクシアさんに気の休む一時を提供することが出来たのならば。それはもう、良かったの一言なのでした。
アレクシアさんは笑顔のままでじっと俺を見つめてきておりますが、さてはて。ここからはどうなるのかな? 俺との遊びがお気に召されたようですが、また再開したりはするのでしょうか。
そんなことを思いつつ、俺が見返していますと。
「……」
突然の変化だった。
笑みはそのままに、何かが変わっていった。
瞬きが増える。
一体どうしたのかと俺が見つめる中で、アレクシアさんはうつむく。そして、
「……はは。そんなつもり無いのに」
乾いた笑い声。それはわずかに震えていて……俺は思わず目を見張った。
泣いていた。
肩を震わすこともなければ、嗚咽をもらすこともなく。
泣いていた。唇をかみしめて……心の底から悔しそうに泣いていた。