第2話:俺と遠雷(2)
親父さんがやってきた。
だが、娘さんは声をかけられるまで、それに気づいていなかったらしい。
「お、お、お父さんっ!?」
なんかもう、大慌てだった。大慌てで本を閉じて、俺に意味ありげに目配せしてくる。
はいはい、分かっております。俺はさりげなく、前足で今までに書いた文字をかき消すのだった。
言葉が分かることは他の人には内緒にしておいて欲しい。
そんなことを俺は娘さんに頼まれていたりするのだ。
理由はと言えば、またハルベイユ候のような人が出てくると困るから。
以前の俺の懸念そのままだった。俺の珍獣ぶりが知られることになると、また欲しがる人が出るんじゃないか。それを娘さんは心配しているのだ。
ただね? 親父さんにだったら知らせてもいいんじゃないかって、そう俺は思うんだけどね。何の懸念もなく、親父さんは娘さんの味方だし。娘さんを困らせるようなことを、まさかこの人が出来るわけも無いだろうし。
そんなことを、拙くも伝えてはみたのだ。
ただ、娘さんの返答はノーでした。
お父さん、酔ったらちょっと分からないし。そんな内容のノーでした。
親父さん、酔ったら変わっちゃう人なのか……
そんなことを思ったりして、ちょっと酔った姿を見たくはなりましたが……ともあれ、娘さんは親父さんに俺のことを伝えるつもりは無いとのこと。
今もまさしくそうで、とりつくろった笑顔で親父さんに慌てて向き直る。
「お、お父さん? ど、どうしたの? 竜舎に来るなんて珍しいね? ね?」
しかし、あれである。隠し事をしている雰囲気がすごい。娘さんは隠し通すつもりでも、その内きっとバレるだろうなって、そんな予感が本当すごい。
ただ、親父さんはそんな娘さんの怪しさには言及してこなかった。
「……今日も来ていたのだな」
呆れているような表情で、そんな一言。娘さんは隠し通せそうなことに喜びを見出しているようだった。笑顔で頷きを見せる。
「う、うん。そう来てたの。でも、今日もって言われるようなことは無いけどね、うん」
「……いや、今日もだろう。もっと言えば、毎日ということになるが」
あー、ですよねー。これで証言者は俺にラナ、そして親父さんとなったわけだ。で、これに対して娘さんの反応はと言えば、
「はははは。さすがにそれは無いってば。そんな毎日なんて来てないから」
笑顔で否定されていた。無自覚……なの? 無自覚で、いつもここに来て長い時間過ごしてるの? ライフワーク? なんだろう。わりと娘さんの私生活が心配になってきたかも……
で、親父さん。
この発言にどんな感情を覚えたのか。ふかーく深いため息が口からもれていました。
「はぁぁぁ……まったく。これは婿など取らなくて正解だったかもしれんな」
そして、そんなお言葉。
俺にはちょっと意図が分からなかったけど、娘さんはとにかく褒め言葉として受け取ったご様子。
「えへへへ。でしょ? 毎日来てるわけじゃないけど、こんなにドラゴンと仲良くしてる騎手は他にいないと思うよ。ちゃんと前回成果も出せたし、本当婿なんていらなかったでしょ?」
丸椅子の上で胸を張って、本当得意げだった。そんな娘さんを、親父さんはジトーっとした目で見つめている。
「あぁ。婿など取らなくて良かっただろうな。こんな娘の元に婿入りさせられても、その婿殿が気の毒だっただろうからな」
「へ? ……え、えーと?」
自分が褒められているわけではないことには気づいたらしい。戸惑いを露わにする娘さんに、親父さんは引き続き非難っぽい目を向け続ける。
「村の集会に参加することもなければ、人付き合いもまるで無い。そして日がな一日、ドラゴンの前で一人で過ごす。こんな娘の元に婿入りさせられたところで、すぐに嫌になって、出ていくことになっただろうな」
明確に非難されちゃってます。
娘さんは「え、え?」とさらに戸惑い、そして、
「べ、別にいいじゃん! 私騎手なんだからさ!」
憤然と反感の声を上げる。だが、親父さんにはその主張は通らなかったようで。
「騎手だからといって、いいわけがないだろう。領民と触れ合うのは、領主の一族にとってある種の義務のようなものだからな」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
「それに良いのか? 年頃の娘が、友達もなくドラゴンの前にいりびたっているなどと……寂しいとは思わんのか? 友達を作って、一緒に遊ぼうだとか、そういうことは思わんのか?」
う、うーむ。なんかこう色々思うところのある親父さんのお言葉ですが……娘さん、友達いないの? なんか親近感……は無くて、む、胸が痛い。本当超痛い。
正味寂しい人生を送ってきた俺にとっては、親父さんの言葉は非常に胸に突き刺さるものでございました。
娘さんにも多少図星なところはあったのか。目に見えてうろたえつつ、反感の声を上げる。
「よ、よ、余計なお世話だって! 友達なんて欲しいって思った時に作ればいいし!」
なんか、この発言も俺の胸に突き刺さるようだった。欲しい時にねー、そうねー。作れたら良かったねー。欲しいと思った時にはねー、手遅れだったりするものだけどねー。まぁ、俺の体験談に過ぎないけどさ。
娘さんは多分大丈夫だと思うけど、ともあれ親父さんの目線は冷ややかだった。娘さんは耐えきれないと言った感じで、再び声を張り上げる。
「あぁ、もう! そんな話はいいから、とにかく本題に入ってよ、本題!」
「本題?」
「そう! いつもだったらさ、お父さんがやってくる時って、たいてい問題があるときでしょ! そうでしょ!」
まぁ、確かに。
親父さんがわざわざ娘さんの元に足を運んでくる時って、一緒に問題も運んでこられたような。
はたして今回はどうなのか。
親父さんは「ふーむ」と一つ頷いた。
「本題か。確かにあるな」
「でしょ!? 無駄話はいいから、早くそっちで!」
友達がいないことを突かれたくないのか、むしろ問題を望んでいるような娘さんだった。
俺としては問題なんてしばらくゴメンなのですが……ど、どうなる?
「お前にな、話が来ている」
縁談のことを思い出すような、そんな入り。さすがに娘さんも不安を覚えたようだった。
「え、何? また縁談だとか、そういう話?」
「村でな、ご婦人方が集会を開くそうだ。いわゆる婦人会だな。お前にも是非参加して欲しいそうだからな、忘れず参加するように」
どうやら、話の流れはまったく変わってなかったっぽい。娘さんは目に見えてしかめ面になった。
「ま、まだその話なの? そういう話はもう十分なんだけど……」
「お前と同年代の娘さんたちも参加するそうだ。良かったじゃないか。良い機会になるな」
「い、イヤっ! 絶対イヤっ! 会ったってさ、何話したらいいか分かんないもん!」
「それでも行け。俺がな、どれだけお前の無味乾燥な青春を心配してると思っているんだ。良いから行って、友達の一人でも作ってきてくれ」
「あー、もう! 止めてってば! そういうの余計なお世話だから! 本当、余計なお世話!」
そうして、言い合いが始まってしまいました。
強いて婦人会に行かせようとする親父さんと、それを断固拒否する娘さん。うーん、けっこう熾烈。平行線が続きまして、親父さんもだんだんヒートアップしてきまして。
しかし、まぁね。
当人たちにとっては大問題なんだろうけど、平和だなぁって俺は思うのでした。
問題が続いてきたからね。一騎討ち、重荷を背負っての初陣ときてのコレである。友達を作るのも大変なんだろうけど、平和な問題だなって、そう思えるのだ。
こんな日々が続くと良いけどねぇ。
そう思っていると、不意にだった。娘さんと親父さんの口論がいきなり止んだ。
「へ? なに?」
娘さんの疑問の言葉。俺も思わず首を伸ばしていた。
異変というほどでも無いが、驚きだった。音がしたのだ。かなり遠くからだろうが、耳馴染みのない音が耳に届いてきた。
「珍しいな。この季節に」
親父さんは小さく首をかしげていた。
俺の耳に届いた音。それは雷鳴だった。遠雷というものだろうか。周囲は冬の晴れ空だが、雷鳴ばかりがここまで届いてきたのだ。
にわかに場は静かになったが、それもすぐに終わった。
二人共、雷鳴のことなどすぐに忘れたようだった。再び、平行線の言い争いに没頭していく。
俺も珍しいものを聞いた以上の感慨は無く、すぐに忘れることになったのですが……
それが何か関係があったのかどうか。
後日だった。
娘さんから聞いたのだ。遠雷を耳にした同日に起こったこと。
村が一つ焼かれた。
黒いドラゴンによって、一つの村が焼き尽くされたとのことだった。