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第4話:俺とあるいは転機

 


 そんなこんなで、私はまだ生きております。


 

 地獄の窯に投げ込まれて幾星霜(いくせいそう)……なんて言えるほどの月日は過ぎていないだろうが、俺の体感時間は非常に引き延ばされたものでございました。


 なんと言っても赤ドラゴンさん。コイツがヤバかった。黒い方はたまに俺をぺしゃんこにしてくる程度だが、コイツは違う。もうとにかくバイオレンス。噛まれた経験が無いから力加減が分からないとか、そういう話ではさらさら無かったのだ。


 生まれてついての暴力気質というか、なんかこう戦闘狂? 黒い方にも平気で噛みかかっていくしね。いつものごとく噛み殺す勢いで。もちろん俺と違って黒い方は殺り返す勢いで噛み返すし、ぺしゃんこにもしてくるのだが。でも、それでも赤い方は噛みかかっていくのを止めないんだよなぁ。うーん、怖い。


 で、俺にももちろん噛みかかってくるわけで。それがもちろん大変痛いわけで。でも、俺には噛み返して撃退というのがなかなか出来ないわけで。


 と言うことで地獄でした。そしてこれからも地獄でしょう。


 まぁ、それはともかく。


 最近特別なことがありました。俺の身の上に関わる特別なこと。さてはて、それが何かと申し上げますれば。


「ノーラ!」


 暖かな日差しの下、村娘ルックな娘さんがスカートをぱたぱたと揺らしながら近づいてくる。柵の中の俺は、急いで柵に近寄って首を伸ばすのだが……さて問題です。娘さんが発した言葉、その意味はなにでしょうか?


 正解は名前でした。俺の名前だ。ノーラ。つまりそういうことだ。俺にとっての特別なこと。娘さんが俺に名前をつけてくれたとそういう話。


 正直、違和感ははんぱないんだけどね。まだまだ俺には前世の感覚が残っている。ノーラなんていうのはニックネームだとしても、ちょっと気恥ずかしいというかなんというか。響きもなんだか可愛らしいし。

 

 もっとも、俺の前世の本名と比べたらはるかにマシだったりするのであるが。ノーラと比べてなお悪いレベルだったし。もちろんノーラなんて名前も日本の男につけるのならば少しアレだが、今の俺はドラゴンだ。不平不満なんてあろうはずが無い。娘さんがつけてくれた時点で嬉しいことこの上ない。


 と言うことで、俺はノーラという名前をもらって、ドラゴンとしての人生を歩んでいくことになったのでした。


 さて、俺に名前がついたのはそれはそれとしまして。


 名前の他に、生活自体もけっこう変わったなぁという実感があったりする。赤ドラゴンさん、黒ドラゴンさんと一緒に暮らしているということもそうだが、食事の内容もちょっと変わってきたりしているのだ。


 いつもの黄色っぽいドロドロもスプーンでもらうことはなくなり、木桶みたいなので出されるようになった。で、肉がこびりついた骨みたいなのも出るようになった。牛なのか何なのかさっぱりだが、ともかく固形物の食べ物が出るようになったのである。


 つまるところ、俺が成長しているということなのだろう。体も中型犬ぐらいには大きくなったしね。名前もそう、食事もそう。きっと、これからも色々と変化していくんだろうなぁ。自分はこれから一体どうなっていくのか。若干不安ではあった。食肉になる不安はまだまだぬぐい去れないし。


 でも、とりあえずはいっかだった。日常には危機があふれ、将来には不安があふれている。それでも俺には娘さんという存在があるのだ。


 柵の前に立つ娘さん。娘さんは少しばかり不安そうな顔をして俺を見下ろしてくる。


「ノーラ、元気だった? いじめられてない? 大丈夫?」

 

 言葉も大分分かるようになってきました。もちろん推測で確証はないのだが。それでも大体は合ってるんじゃなかろうかと俺は思っている。


 しかし、本当優しい子だなぁ。心にしみじみと染みてくる。赤ドラゴンさんにもこの半分でも優しさ成分が含まれていればいいが……まぁ、危険物に多くは望むまい。


 娘さんが俺の頭に手を伸ばしてくる。いつものスキンシップだ。俺は娘さんの手に鼻面を押し当てる。そうすると、娘さんは俺の喉元をやさしく撫でてくれるのだった。


 うーん、幸せ。本音を言えば、もっと強くかいてくれてもいいのだが、俺の幸せはそんな物質的なところにはないのだ。俺を優しく慈しんでくれている。それが感じられることに俺の幸せはあるわけで。


 こんな時間が永遠に続けばいいのに。俺はうっとりとそう願ったのだが、たいがいそう思った時には変な横槍が入るわけで。


「サーリャ!」


 大きな男性の声。聞き覚えはおおいにあった。娘さんの親父さんだ。そして、呼びかけの内容だが、これは娘さんの名前だった。サーリャ。娘さんは親父さんからそう呼ばれていたのだ。


 親父さんが娘さんを呼んでいる。つまりそういうこと。親父さんの呼びかけは何やら嬉しげに聞こえたが何か良いことでもあったのだろうか。俺にとっては、呼びかけ自体が悲劇以外の何物でもないが。


 サーリャこと娘さんは不思議そうに首をかしげた。このタイミングの親父さんからの呼びかけは娘さんにとっても予想外のものだったらしい。


「えーと、ごめんね?」


 娘さんは申し訳なさそうに俺の喉から手を離した。いえいえいえ。そんな謝ることなんてまったく無いですよ。でも、次も来てね。絶対に来てね。本当待ってるから。


 娘さんが去っていく。うーむ、名残り惜しすぎる。俺は彼女の背中を見えなくなるまで見送った。いや、見送ろうとした。背中に走った激痛が俺にそんな余裕を失わせる。


『ぎゃあっ!? だ、だからさ! 奇襲は止めろって言っただろ!?』


 犯人なんて考えるまでもなかった。


『遊ぶの。あいつ、邪魔』


 背中からの声はもちろん赤ドラゴンさんだった。要領(ようりょう)を得ないセリフだったが、娘さんがいると止められるから今まで待っていたということだろう。まったく、変な知恵をつけてきていやがるな。


『だから! 止めろって!』


 俺は思いっきりその場で体を旋回させる。俺だってやられっぱなしではないのだ。噛めなくても、対抗策はそれなりに編み出している。


 旋回する俺の遠心力はかなりのものだった。赤ドラゴンさんはそれに耐えきれず、背中から落ちてわらの上を転がっていく。よし、これで一安心……では無い。赤ドラゴンさんは体勢を立て直して、しっぽをふりふり。うーん、喜んでいらっしゃる。噛むことを諦めさせることは出来ても、戦意を削ぐ方法はさっぱり分からない。


『あのね、ラナ? お前も大きくなっただろう? そろそろこういうのは止めろって』


 無駄だと思いつつ語りかけてみる。ラナとは、これも娘さんが名付けた赤ドラゴンさんの名前だ。で、赤ドラゴンさん……ラナには案の定聞いているような気配は無かった。ぐっと姿勢を低くして、俺にとびかかる気満々である。


 痛いのは本当に嫌なんですけど。俺はこれも無駄だと知りつつも、助け舟を求めてみることにした。


『アルバ! お前も噛まれるの嫌だろ? お前からも何とか言ってくれって!』


 アルバとは黒ドラゴンさんの名前だ。アルバは柵のすみで大きな体を丸くしていた。つまり寝ている。それでも俺の声には一応反応してくれた。薄く目を開いて俺を見てくる。だが、それだけ。再び目を閉じて、すやすやと寝息を立て始めた。


 うーん、こいつは。たいがい、いつもこうだった。アルバは温厚でもあり、面倒くさがりでもありで、少なくともこういうことに積極的に関わってくれる性格ではない。


 やっぱ頼れるのは娘さんしかいないのね。で、今頼れるのは本当自分のみ。


『あぁ、くそ! こいよ、今日こそは目にもの見せてやるからな!』


 自分を奮い立たせる。こっからはラナが体力的な意味で力尽きるまでの持久戦だ。必要なのは根性。前世の上司にもよく求められたなぁ、これ。今も求められている事実にちょっと泣き出しそうだが、現実は現実。それこそ根性を入れて立ち向かわなければならない。


 そんなこんなで夜になりました。


『つ、疲れた……』


 思わず思いが呟きに出た。疲れた。本当にコレ。子供の体力って本当怖い。いや、俺も同じ子供なんだけど、好きなことをやっているラナと嫌々付き合っている俺じゃあ体力の消費の度合いがねぇ? 


 体力も精神力も芯からボロボロだ。もう寝ましょう、えぇ寝てしまいましょう。他の二体はすでに夢の世界に旅立っている。ラナなどは心の底から満足しているような顔をしてすこやかに寝息を立てているが……なんか腹立つなぁ。一つちょっかいでもかけてやりたくなるが、起こしてしまえば延長線に突入しかねない。


 ということで明日のためにも体力の回復をはかることにしましょう。では、お休み。


 と、いきたかったんだけどね。


 俺は耳をそばだてた。ドラゴンとしての俺の聴覚はなかなかに優れている。小屋の中の咳払い一つだって、俺の耳には鮮明に届く。


 今俺の耳に届いたのは人間の足音だった。それも小さく柔らかで、どうにも娘さんのもののようだった。


 こんな時間に一体なんぞや? 不思議に思っていると、その足音はこちらにだんだん向かってきている。こんな時間に娘さんが訪れてきたことは一度も無いが、はてさて。


 まぁ、なにはともあれ娘さんが来るのだ。昼間の憂さ晴らしというわけではないが、ここは楽しまない手はない。


 眠気はもちろん吹き飛んだ。俺は柵に近寄って、首を長くして娘さんを待ち受ける。月明かりの下、娘さんはすぐに姿を現した。


 よし来た。思う存分楽しんでやるぜよ。そう思って、ウキウキワクワクしながら、俺は彼女を近づいてくるのを待ったのだが……んん? なんかこう、ちょっとおかしいような気がするのだが。


 問題なのは彼女の様子だ。何かがおかしい。いつもならば、もっと弾むような足取りで近づいてくるのだが。今は大人しいと言うか、どこか元気が無さそうな足取りに見える。


 ひっそりと娘さんは柵の前までやってきた。いつもならば、ここで娘さんは満面の笑みを俺に降り注いでくれる。だが、今日はそんな気配は無い。不機嫌なのか悲しんでいるのか、それともそれらの両方か。眉根を寄せた複雑な表情を俺に向けてきている。


 えーと、あー、そのー……ど、どうしたんでしょうか?


 他人事ながらに娘さんのことなのだ。とても心配だった。一体何があって、娘さんはこんな顔をしているのだろうか。


 尋ねてみたい思いもあるが、人ならぬこのドラゴンの身だ。俺は黙って娘さんのことを見上げるしかない。


 娘さんは複雑な表情をして黙り込んでいる。そんな時間がどれだけ過ぎただろうが。変化があった。それも俺を狼狽(ろうばい)させるのに十分過ぎる変化だった。


 ぽろり、と。こぼれるものがあった。娘さんの青い目の端から、ぽろりぽろりと丸い雫がこぼれていく。


 娘さんが泣いている。


「……いきなりさ。ひどいよ」


 震え声が俺の耳に届く。俺は呆然とするしかなかった。一体何が起こっているのか。そのまま思考停止していると、娘さんが唐突に俺に手を伸ばしてきた。


 今でもたまにされることだった。脇をつかまれて、持ち上げられる。そしてそのまま抱きかかえられる。普段だったら俺にとっても大変嬉しいコミュケーションなのだが、今日はさすがに嬉しがってはいられない。


 本当に娘さんに何があったのだろうか。


「大きくなったなぁ……」


 どこか寂しげな娘さんの呟き。俺を抱く腕にぎゅっと力がこもる。


 そんな時間はすぐに終わりを告げた。俺は再び柵の中に戻される。娘さんはまだ泣いていた。だが、その泣き顔がぐしゃと不思議にゆがんだ。


「じゃあね」


 それは無理に作られた笑顔だったのかもしれない。


 そして娘さんは去っていった。一度も振り返らずに去っていった。俺は呆然(ぼうぜん)としたままでそれを見送った。


 本当に……本当に何だったんだろうか?


 俺は娘さんが去った方向を見ながら考えるのだった。情報が少なすぎるから考えても無駄だっての分かってるんだけどね。でもほかならぬ娘さんのことだ。思わず考えてしまう。


 こんな夜にわざわざ会いに来て、そして涙を流して俺を抱きしめ、最後には絞り出したような笑顔を残して去っていった。


 どれもが普段ではあり得ないことだ。娘さんはよほど辛い目に会ったのか、それともこれから辛い目が待ち受けているのか。


 んー、なんだろうか。その辛い目の内訳についてだが。若かりし俺のことを考えるならば、それはイジメということになるけど、娘さんは俺とは比べるのすら失礼なレベルだしなぁ。多分、それはないだろう。


 では、なにか。娘さんが悲しみそうなこと。なんだろう。俺と娘さんの付き合いはこの近辺のみ。俺が娘さんについて知っていることはさほど多くはない。


 だが、それでも分かることはある。それは娘が俺たちドラゴンのことをとても大切にしているということ。俺たちに何かあれば娘さんは悲しむ。その確信が俺にはあった……んん?


 なんか閃いちゃったんですけど。もしかして娘さんが泣いてたのって俺たち関係だったりします?


 いや、正確には俺関係だったりするのだろうか? 涙を見せたのも俺の前だし。他のドラゴンは眼中にない感じだったし。


 俺は思わず首をかしげる。え、俺なの? 俺になんかあんの? 思えば、お昼に娘さんは親父さんから呼び出しを受けていた。あの時に俺に関するなにか悲しい報告を受けていたのではないだろうか。そして夜になって、その悲しみを吐き出しにきたとか。


 ちょっとばっかりそれっぽい。では、その悲しい報告とは何なのか。これもすぐに閃いた。巣箱の時から俺の心を離さない一つの疑念。俺は食肉用ではないのか。そしてついてにその疑問に答えが出る日が来てしまったのではなかろうか。


 へ? 俺食肉になっちゃうの?


 俺は思わず柵の中を歩き回る。い、いやいやいや。俺は長い首を横にふる。せっかくここまで育ったんだよ? 食べるのならばもっと育った方が可食部は多そうだが、いやでも羊って子供でも食べるよなぁ。臭みが少ないとかそんな理由で。


 歩く速度が自然と増していく。い、いやいやでもね? 俺は反論を何とか用意しようと思考を巡らせる。だが……なんか状況がそれっぽいんだよな。「……いきなりさ。ひどいよ」。これ食肉にするにしたって報告がいきなりすぎるよってことにならない? もっと心の準備がしたかったよ的な。


 他に「大きくなったなぁ」ってのもね? 食べちゃう時期が来ちゃったんだなぁっていう、悲しげな感想に聞こえなくもない。


 ということで、え? マジで? マジでマジで? 俺食肉になっちゃうの? しかも早ければ明日にもすぐに?


『あ、あわわわわわ……』


 俺てんぱってます。だってさぁ? だってさぁ? ねぇ?


 俺は思わず周囲を見渡した。探したのは丸くなったドラゴンの背中。娘さんではないが、窮地に陥った俺は誰かに心の内をぶつけたくなったのだ。


 ラナの方は論外なので、頼ったのはもちろんアルバ。黒山のようなアルバの巨漢に近づく。アルバはぐーすかと気持ちよさそうに寝息を立てていたが、そこに配慮する余裕は今の俺には無かった。


『あ、あああ、アルバ。お、おお、俺。俺のことなんだけど……』


 アルバは目を薄く開いた。それに勢いを得て、俺は今の胸中をまくしたてる。


『あ、アルバ! 俺さ、俺もしかしたらさ、し、〆られる? 〆られるの? どうしたらいいの? に、逃げる? 逃げるの? でも、俺娘さんが好きで……アルバ、俺どうしたら……ぐべっ!?」


『いいから寝ろ』


 太い尾っぽで俺の頭を撃ち抜いてのお言葉でした。いやさ、確かにさ、アルバからしたらそう思う気持ちも分かるけどさ……俺はどうしたらいいの? なんかもう怖すぎて全身が震えてきたんだけど。


 その夜一睡も出来なかったのは説明する必要も無いことでございまして。


 で、翌日。


 結果から言えば、俺が食肉として〆られることはなかった。


 ただ、変化はあった。


 

 その日から、俺が娘さんの姿を目にすることは無くなった。


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