第17話:俺と、ノーラの決断
きっと、そうなるような気はしていた。
クライゼさんがダメなら、娘さん。それが自然だと何となく思っていた。
でも……娘さんなのか? この状況で? この状況で、そんな重責を娘さんが負わされるのか?
「ムリですっ!」
娘さんは完全に腰がひけていた。いや、それ以上に怯えていた。表情をふるわしながら、何度も首を横にふって見せる。
「ムリです。私には出来ません。ほ、他にいるんじゃないんですか? 私の他に、もっとまともな騎手の人が」
娘さんに尋ねかけられて、カミールさんはおどけて肩をすくめて見せるのだった。
「おらんな。いたはずなのだが、姿も見えんやつも多いし、残りは全員ケガ人だ。ははは。ほれ、お前の足元で寝転んでいるヤツみたいなもんだな」
「わ、笑い事じゃありませんっ! 上ですよ? 上を見て下さいよっ!」
俺は思わず空をあおいだ。いくつものぼんやりとした光が夜空を縦横に飛び交っている。
敵の騎竜だ。たいまつを手にして、ああやってずっと飛び回っている。
「ふむ。そうらしいな。カルバの連中も分かっているということだ。俺が連絡を成功さえさせれば、戦局が一変することにな」
カミールさんは平然と応えてきたが、対照的に娘さんは怯えの表情を色濃くする。
「だから、ムリなんですっ! あんな中を飛ぶなんて、半人前の私には出来ませんっ!」
「ははは。あんな中か。あんなもんではすむわけが無かろうに。連絡を阻止しようと、今は休んでいるカルバの騎竜もこぞって群がってくるだろうからな」
「だったら……っ!」
「あー、分かってる、分かってる。お前には難しかろうな。クライゼでもまずムリと言っていいだろう。その上で、お前は一つ大きな勘違いをしている」
え? と、困惑をあらわにする娘さん。カミールさんはどこか楽しげに口を開く。
「これはな、命令なのだ。お前の意見など、俺はさっぱり求めてはいない。分かるか?」
「え? ……え?」
「俺は忙しいのでな。とりあえず戻らせてもらうぞ。飛び立つ準備はしっかりしておけよ」
カミールさんは困惑し続ける娘さんをこれ以上相手にするつもりは無かったらしい。
あっさりと背を向けて去っていった。娘さんは唖然として、その背中を目で追い続ける。
「……信じられない。私が? なんで? 私なんかが、こんな……え? なんで? どうして?」
どうしようもなく気持ちは分かった。
重たすぎる荷物が、娘さんの両肩に無造作に背負わされてしまったのだ。
「サーリャ。気持ちは分かるが、とりあえず落ち着け」
クライゼさんがそう呼びかけてくれたが、そんなこと今の娘さんにはムリだった。
「お、落ち着けって……大任ですよね? もし私が失敗したら、クライゼさんもカミール閣下も、他にも大勢が死んじゃうような……そんなことですよね?」
娘さんは完全に血の気を失っていた。足腰に力が入らなくなったらしい。ペタリとその場にへたりこむ。
「……ムリですよ。私にはムリです。そんな大任、私には……」
苦しい胸中をつぶやき続ける娘さんに、クライゼさんは何故か笑顔で語りかけるのだった。
「サーリャ。そう身構えるな。考えてみれば、これは好機のようなものだからな」
「好機? まさか活躍するためににとか、そんな話ですか? そんなこと私は……」
「違う。生きて帰るための好機だ」
「え?」
戸惑う娘さんに、クライゼさんは笑みのままで頷く。
「逃げればいい。俺から見ても、この命令はムリだ。飛んでみて抵抗にあったらすかさず逃げろ。味方もこれで納得する。敵も目的はカミール閣下なのだ。逃げる者をわざわざ追うまい」
娘さんの命のことを考えた、クライゼさんの提案だった。でも、クライゼさん。娘さんが、そんなことを出来る人か、否か。クライゼさんもよくよく知っているのだろうけど……うん。
「そんなこと出来るわけがないじゃないですかっ!!」
案の定の、娘さんの反応だった。
「クライゼさんを置いてなんか、そんなの無いですっ! ムリです、そんなのっ!」
「サーリャ。もはや事態は最悪だ。他人のことなんか考えている状況ではない。お前がお前の命を考えたところで、俺は気にすることなど……」
「だからムリですっ! でも、私も死にたくなんか……」
娘さんは頭をかかえてうずくまった。わずかに見える目からは、涙がとどまることなくこぼれ落ちている。
「……もうやだ。帰りたい。こんなはずじゃなかった。絶対こんなはずじゃ……」
クライゼさんにはかける言葉はもう無いようだった。黙り込んで、静かに目を閉じている。
娘さんの嗚咽の声だけが、暗い森に静かに響き続ける。
気持ちは分かるような気はした。
逃げたい。だが、逃げられない。それなのに、立ち向かったところで最悪の結果からは逃れられない。
そして、きっと俺に出来ることは何もなかった。
たかが一体のドラゴンなのだ。出来ることなんて、タカが知れている。
戦況を変えるなんて夢物語でしかなく、娘さんをこの苦境から救うようなことなんて、俺には出来るはずもなかった。
まぁ、だからと言って……何もしないなんて、そんな選択肢は存在しないんだけど。
よし、だなんて、気合を入れる必要も無かった。
「……え?」
娘さんが顔を上げる。辛いだろうけど、上げざるを得なかったのだ。近づいてきた俺が腕に頭をこすりつけてきたのであって。濡れた瞳で、不思議そうに俺を見てくる。
「……ノーラ? なに? どうしたの?」
せめて伝えようと思ったのだ。
娘さんには俺がついていると。頼りにはならないかもしれないけど、俺は間違いなく最後の時まで娘さんのために力を尽くす気であると。
それを伝えたかった。でも、えー……どうすれば、それは伝えられますかね?
とりあえず、自分の胸をしっぽでドーンと叩いてみる。任せて下さい、娘さんっ! 俺がんばりますよっ! 的な。ダメだ。娘さんポカーンとしてらっしゃる。
じゃ、じゃあね。次だよ、次。
俺は今度は胸を張って立ちつくしてみた。頼ってくれてもいいんですよ? 頼りになるでしょ? 的な。ダメだね。知ってた。娘さんは「え? え?」と困惑してらっしゃる。
もしかしてこれ、ムリ?
ドラゴンの表現力に限界を感じざるを得ない。その後もね、色々とあがいてはみたけど……ダメでした。娘さんを余計困惑させただけで、成果らしい成果は出ませんでした。
気がつけば、クライゼさんも俺を不審の目で見ていた。
「あー、サーリャ? ノーラに何か、変なものでも食べさせたか?」
「いえ、そんなことは……」
いや、だから違いますって!
俺には伝えたいことがあるんですって!
変なものを食べたわけではないと、俺は首をぶんぶん横にふる。
それが功を奏したのか。
娘さんは「あ」と声を上げた。
「そういえば、昼にもこんなことが……の、ノーラ?」
半信半疑といった感じだった。娘さんはためらいがちに口を開く。
「もしかして貴方……いや、本当もしかしてたけど、こ、言葉が分かったりするの?」
そうです!
分かっていて、伝えたいことがありまして。
俺はもうちぎれるぐらいに首を縦にふるのだった。