第13話:俺と、空を埋めるモノ
「はぁ……」
娘さんの口からため息がもれる。
「もう三日か。もう終わっちゃうねぇ。はぁ」
娘さんは俺の前に座り込んで、何度もため息をついているのだ。
カミールさんの本陣に来てすでに三日が経っていたが、その間に戦は順調に進行していった。
そして、たどり着いたハーゲンビル。アルヴィル王国の西の国境地帯。
つまるところ、戦はもう終わりだということだ。
というか、すでに終戦しているようなムードだった。
追い詰めて、後は相手が帰るのを待っているだけのような状況。
このドラゴンの集結地でも、一応騎手の人たちは待機しているのだが、皆ぼんやりと思い思いの時間を過ごしている。木の陰でつくろい物にはげんでいる人もいれば、近くの川辺で釣りに興じている人すらいる。クライゼさんも、サーバスさんの近くで寝転がりながら、軽く目を閉じていたりした。
そして、我らの娘さんはと言えばこの通り。
終わりつつある戦争に嘆きの言葉が止まらないのだった。
「全然ダメだったなぁ。本当ダメだった」
娘さんは肩を落として嘆き節を続ける。
「来る前からもうダメだったもんなぁ。なんか頭がぐちゃぐちゃしてさ、アルバやラナとは全然ダメで……それで私の婿の話とか、ノーラの強奪の話とか出て……はぁ」
そうでしたね、娘さん。
娘さんは最初からそんな感じでした。それで結局、今日のこの日まで来てしまって……俺も結局、娘さんを助けて上げられずにウジウジと今日を迎えてしまって。
なんか、虚しい。
俺って結局この程度の存在なんだなって、そんな実感しか今はなかった。
「もう、ダメだね」
娘さんからもれたのは、俺が初めて聞く諦めの言葉だった。
「もう、ダメ。今さらムリ。活躍なんて出来ない。ノーラは取られる。私も婿を取らないといけないのかな。もう騎手じゃいられないのかな」
悲しむような余裕も無いということなのか。
娘さんは無表情だった。沈黙が下りる。辛く悲しい時間がただただ続く。
「……でも、あきらめないから」
娘さんは変わらず無表情だった。
だが、その瞳には少しばかり力が戻ったように見える。
「あきらめないから。なんとか騎手を続けて見せる。それで活躍してみせて……絶対にノーラを取り戻してみせるから。約束する。だから待っててね、ノーラ」
娘さんは力ない口調で、しかし力強い誓いを俺に立ててきた。
それを前にして俺は……なんだか、苦笑したくなってしまった。
やっぱり、すごいなこの子は。俺とは違う。一つのことで思い悩んで、時間を無駄にするだけの俺とは違う。
常に挑み続ける心の強さを持っている。
本当にすごいなと思う。でも、この心の強さがきっと、重荷を背負い込んじゃうことにつながっているんだろうなぁ。
だからね、せめてね。
俺は首を横にふってみせた。
「……ノーラ?」
娘さんが不思議そうに首をかしげている。
どうやら伝わっていないっぽい。だから、俺はもう一度首を横にふって見せる。
俺のことなんて気にしないでってことだった。
本当今さらだけど、最後にこの程度のことは伝えたかった。はたして娘さんは分かってくれただろうか。
「ノーラ、貴方……え?」
俺が言葉を理解している。
そのことに思いが至ったのかもしれない。
娘さんは徐々に目を見開き……
「……っ!?」
唐突に身をすくませた。
俺にもその理由は分かった。
上空だった。かなりの低空を、ドラゴンが猛烈な速さで行き過ぎたのだ。
「な、なにあれ? 味方?」
ど、どうなんでしょうか、娘さん。ここのドラゴンは一体も飛び立ってはいないはずなんだけど。ハルベイユ候のドラゴンだったりするのだろうか?
周囲では、他の騎手たちも騒然としていた。歴戦の方々が騒然としているということは、え、これって結構マズイ状況なの? 遠くからは、何か地鳴りのような響きが聞こえてくるけど……これは? 今の状況と何か関係があるのだろうか?
「サーシャ・ラウはいるかっ!!」
この三日で聞き慣れた声だった。
本陣の指示を伝える伝令役の男の声。その声は今までになく緊張しているように聞こえた。
娘さんは慌てて立ち上がり声を上げる。
「は、はい。ここにっ!!」
「今すぐ飛び立てっ! ギュネイ候の陣まで飛んで、その近辺の状況を把握し、すぐに戻って報告しろっ!」
血相を変えた指示だった。娘さんはゴクリと喉を鳴らす。
「あ、あの、何かあったのですか?」
「分からんっ! だから貴殿らに頼むのだっ! いいからさっさと行けっ!」
緊急事態。それは間違いないらしい。
「……サーリャ」
いつの間にか、クライゼさんが娘さんの隣に立っていた。
「落ち着けよ。とにかく行くぞ」
「は、はい」
娘さんは釣り槍をつかみ、俺を選んで空に飛び立った。
異常事態。
その現実を俺はすぐに実感することになる。
「なにこれ……」
娘さんが唖然とつぶやく。
本当に、なんだこれだった。
一体どれほどの数が飛んでいるのだろうか。ドラゴンだ。左右前後どこを見ても、数え切れないほどのドラゴンが宙を駆っている。
少なくとも百は超えているんじゃないか。
はたしてこんな戦だったろうか。今までは多く見た日でも、一度に十体程度だったのだ。それなのに、今になって規格外の数が地平線までの空を飛び交っている。
そして、地上だ。
ハーゲンビルは今までの道中と比べて、格段に開けた土地だった。
だからこそ分かった。間違いなく、数千という数だった。刈り取られた麦畑の平地を、数多の歩兵と騎兵が、それぞれの隊の旗を押し立てて進撃している。
向かうのは東、平地を囲むように並ぶ山々だ。
その山々の中腹には、アルヴィル王国の諸部隊が陣をしいている。そこを目がけて、カルバ王国の軍勢が猛烈な攻勢をかけているのだ。
おかしな話だった。
小さな戦だったはずだ。ただのいやがらせだった。そして、それを追い返せばいい。それだけの話だったはずなのだ。
だが現実はそれどころじゃない。
凄惨な戦が繰り広げられようとしている。
「こ、こんなの、こんなの……」
娘さんの声は震えていた。
声は震え、指示はおろそかになり……結果、狙われた。
「え?」
四体のドラゴンが向かってくる。思わず察した。この空のドラゴンは、おそらくほとんどが敵なのだ。俺たちは敵の空にむざむざと上がった獲物に違いなかった。
「に、逃げ……っ!」
指示を全う出来るような状況ではなかった。もはや逃げるしかない。だが……どこへ?
戸惑いながらの飛行は機敏さに欠けた。クライゼさんが守りに入ってくれたが、それでも一体当たり二体の計算だった。挟まれるようにして、簡単に追い立てられる。
「だ、ダメ。こんなの……」
娘さんは必死に応戦して、俺も娘さんの指示に必死で応えた。そのつもりだった。だが、お互い狼狽しての飛行で、二騎の狩人に対抗しきることが出来るはずもなく……
「あ」
娘さんの唖然とした声。
俺の視界にも映った。相手の騎手の釣り槍が、娘さんへと伸びている。それは間違いなく避けられないタイミングで……
「サーリャっ!!」
鋭い叫び声と共に、一体の騎竜が飛び込んできた。
一瞬のことでよく分からなかった。
ただ、結果として娘さんは釣り槍で空に落とされることは無かった。
だが、舞うものがあった。
鮮血が舞い散っている。
それはどこから舞ったのか?
「クライゼさんっ!!」
娘さんの悲痛な叫びが答えだった。
サーバスさんの背にあるクライゼさん。その上半身からは、鮮血がしとどに流れ散っていた。