第12話:俺と、軍神の来訪
初陣から三日が経ちました。
たかが三日。されど戦場で過ごす濃密な三日。
さてはて、この三日が娘さんにどんな影響をもたらしたかと言えば。
「あー、あー、うあー」
……これ娘さんの声なんだよね。まぁ、そういうことでございます。
戦争とは言えど、もちろん戦ってる時間よりも休んでいる時間の方が長いわけです。
で、今は日中。場所は前線よりの集落、そこのいつものごとく郊外。
そして、今は休憩中でございます。騎手の人たちが集まっていて、いつでも飛べるように準備はしているのだけど、緊迫感は欠片もない。向こうから攻められるような恐れはほとんど無いのだそうだ。どことなくゆるんだ空気がこの場には流れたりしている。
で、娘さん。
娘さんもゆるんだ空気を満喫しているようでして……うめいております。伏せて座っている俺のわきだった。地面にべたりと腰を下ろし、俺のわきにもたれかかるようにしてうめいている。
「あー、あー。もう、ダメだー。全然ダメだー」
ここ両日ね、こんな感じですよ。ぼんやりとした表情で、ネガティブな呟きをずっと垂れ流したりしている。
騎手としてなかなか難しい現実に直面しておりましてね。
俺から見たら、けっこう慣れてきたんじゃなんて、そんなことを思えるのだ。不調でもさすがは娘さんと言うか、伝え手の仕事もそれなりにこなせるようになっていた。
ただ、それなりにこなせる程度では、娘さんの目的は果たせないわけで。
「ごめんねー、ノーラ。こんな騎手でごめんねー。うわー」
俺にすがりつくようにしてうめいております。
俺が取られることになるだろう現実に気を病んでおられるみたいですが……なんか、俺も気を病みそうな気分だよな。
結局、俺はまだ決断を出来てはいない。
娘さんと意思の疎通を図るか、否か。
意思の疎通を図ったところで、娘さんの心が軽くなるとは限らない。それでも今の娘さんの状態を作ってしまったのは俺なのじゃないか。そんな気分になってしまうのだ。
いつまで戦が続くのかは分からない。
そろそろ決断すべきだって分かってるんだけどね。でも……うん。
「……ふーむ」
悩ましげな、低いうなり声。
あ、そうです、そうです。当然のことだけど、この場にはクライゼさんもいました。そして、娘さんを見下ろして、うなり声通りの悩ましい表情をしている。
「……サーリャ。あまりそう気に病むな」
うめき声が止まる。娘さんにぼけっと見上げられて、クライゼさんは一つ頷きを送った。
「お前はよくやっている。俺の初陣を思えば間違いなくそうだ。最初は不安だったが、今では心配することも無くなった。お前はやはり大した騎手だ」
それはお世辞やなぐさめだけは無いと、俺にはそう思えた。ただ、娘さんはと言えば。
「……それ、本気で言ってますか?」
ひっじょーに無表情にクライゼさんに尋ねかけていた。
「本気? いやもちろん本気で言っているが……」
「本当ですか? こんなグズがとか、役立たずがとか思ってないですか?」
気を病みすぎて、ちょっと疑心暗鬼になっている娘さんでした。クライゼさんは困ったように「うーむ」とうなるしかないようだった。
「……やれやれ、どう言ったらいいのか……む?」
悩ましげに呟いて、クライゼさんはにわかに首をかしげた。
俺も気づいた。ざわめきが起こっている。集まっている騎手たちは、口々に「軍神だ」「軍神殿が来られた」とおっしゃているが、えーと、つまり?
以前の再現だった。
場所は違うが、軍神……カミールさんが、取り巻きをつれてこちらに向かって来ていた。
「クライゼ。まだ十日も経っていないような気はするが、また来たぞ」
案の定というか、クライゼさんに会いにきたらしい。クライゼさんは死に体の娘さんから視線を外して、カミールさんに向き直る。
「またお会い出来て光栄です、閣下。しかし、この短い期間に二度も。何か御用で?」
「うむ。もちろん御用だが……あの、ちっこいのはどうした? まだ元気でやっているのか?」
どうやら俺が障害になって、娘さんに気づけていなかったっぽい。
呼ばれたからといった感じだった。
娘さんはのそのそと立ち上がって、ぺこりと頭を下げる。
「お久しぶりです。くだんのちっこいヤツです。どうしようもないダメ騎手です」
「……おい、クライゼ。どうした? コイツの前回の威勢の良さはどこにいった?」
心底気味悪そうな顔をして、クライゼさんに尋ねかけるのだった。
「あー、お気になさらずに。少し、その、調子が悪いだけですので」
「そ、そうか。無視してもいいんだな?」
「もちろん」
カミールさんはまだ娘さんが気になるようだったが、振り切るようにしてクライゼさんに視線を固定する。
「あー、今日はあれだ。そろそろ戦が終わりそうでな。撤退でごたごたする前にと思って、最後にお前に会いにきたのだ」
娘さんがピクリと反応したが、俺も同様だった。そっか、もう戦は終わるのか……
クライゼさんは娘さんの様子を一瞥して、頷きをカミールさんに返す。
「左様ですか。戦はもう終わりですか」
「あぁ。もとより侵入してきた連中を追い出せば終わりの話だからな。数もたかだか二千やそこら。やれやれだ。何で俺がこんな戦に出向かなければならなかったのか」
不満たっぷりといったカミールさんの口調。それに対し、クライゼさんは「ふーむ」とつぶやき、無精ヒゲをさすったりしていた。
「私も不思議に思っていました。何故閣下がこのような戦に出向かれているのかと。閣下も乗り気ではなかったので?」
そういえば、こんな疑問をクライゼさんは語っていたような。
カミールさんはうんざりとして頷きを見せた。
「当たり前だ。こんな戦、大将が女、子供であっても何も問題はあるまい。それこそハルベイユ候にでもやらせておけば良かったものを」
なんか、さりげなくハルベイユ候がディスられておりますが、それはともかく。
クライゼさんは不思議そうに首をかしげている。
「ならば、何故閣下はこの戦に?」
「分からん。分からんが陛下より命が下ったのだ」
「何故陛下はそのような?」
「知らん。まぁ、この戦も規模のわりには重要と言えば重要だ。ゲール平原の帰属問題、そこで譲歩を引き出すための示威行動。これがカルバ王国が侵攻してきた意味の一つだ。嫌がらせを受けたくなかったら、ゲールを寄越せということだな」
「一つはと言いますと他にも?」
「王家の統率力が疑問視されて久しいからな。この侵攻で王家がバタバタとうかつな対応に出れば、いよいよ王家への信頼はガタ落ちする。あわよくばとそれを狙ったのだろう」
うーん、まったく分からないけど、色々理由があるんですかね。
クライゼさんはもちろん分かっているご様子。納得したように頷いている。
「なるほど、そのような理由はありそうですな。ただ、だから閣下が出なければいけないかと言えば、それは疑問符ですが」
「俺もそう思っている。まぁ、恐らくは嫌がらせだろう。俺は相当嫌われているからな。戦場であくせくさせてやろうなどと思って、陛下に耳打ちした連中がいるのだろうさ」
嫌われているというのは分かるような気はします。ただ、すごいメンタルだな。嫌われてることなんて、屁にも思っていないような感じがすごい。
やっぱ、すごい人ってメンタルもすごいのかねぇ。
俺はぼけーとそんなことを思っていましたが、何故かクライゼさんは目つきを妙に鋭くしていました。
「……用心された方が良いのでは?」
「む?」
「何かしら閣下を陥れる意図が潜んでいるように感じます。警戒されても損は無いような気がしますが」
謀略の匂い……って、ことなんですかね?
「……ふむ」
カミールさんは表情から皮肉の色を消して考え込んでいる。
「……そうだな。ハイゼ殿の愛弟子の言うことだ。俺は無いとは思うが、用心する価値はあるか」
「私はそう思っております」
「では、そうしよう。クライゼ、お前をハルベイユ候から借り受けることにする。お前がいれば百人力だ。よろしく頼む」
なんだか急展開。
クライゼさんがカミールさんの旗下に。しかし、あのですね……その場合、娘さんってどうなるんでしょうか?
「あぁ、心配するな。そのちっこいのもちゃんと引き取るかな。引き続き、お前が面倒を見てやればいい」
クライゼさんへの言葉だけど、俺がホッと一安心でした。良かった。娘さんはクライゼさんに守ってもらえる。クライゼさんの守りは、まさにこう鉄壁なのでして。
「ではな、すぐに俺の本陣で会おう」
カミールさんが去っていく。
クライゼさんは一つうなずき、娘さんに視線を下ろした。
「と、いうことだ。俺たちはカミール閣下の元におもむくことになったが……サーリャ? 話は聞いていたのか?」
娘さんは相変わらずの様子で、ぽけーと突っ立っていた。ただ、聞いていなかったかと言えば、それは違うようで。
「……いやだー」
「サーリャ?」
「今度はあの人の前で失敗をさらすんだ。ぎゃふんとなんてムリなんだ。ノーラはやっぱり取られるしかないんだ。うわー」
娘さんは半泣きで虚空に目を向けていた。
その様子は本当に苦しくて、辛そうで……もう決めないとね。
よし。
決めた。
言葉が分かるって伝えよう。そして、娘さんの心を軽く出来るように、何とか俺の意思を伝えよう。
もう遅きに失したのかもしれない。
今さら娘さんが重荷から解放されても、活躍することは出来ないかもしれない。
それでも伝えよう。
嫌われたってかまわない。俺の意思を伝えることが最善の結果を生むと、それを信じて。