第10話:俺と、戦場の空
秋の色素の薄い空に飛び立つ。
場所は違えど空は空。山並みの景色もラウ家で見てきたものとさほど変わらない。
これだけならいつも通りの飛行だな。そう思えるのだが、やはりここは戦場。いつもとは決定的に違うものがあった。
悲鳴が聞こえる。
悲鳴に怒号、泣き叫ぶ声もどこかで聞こえるような。
ドラゴンの視力でも、眼下は紅葉した木々で覆われている。鬼気迫るような命のやりとりを目の当たりにすることは難しいが。
それでも十分に理解出来るのだった。
ここは戦場なのだと実感出来た。
ガリガリと精神が削られているのがよく分かる。やばい、怖い。心臓が徐々に冷えていくような感覚があって……か、帰りたいなぁ。マジメにそんなことを思ってしまう。
娘さんは大丈夫なのだろうか。
そう思ったが、良くも悪くも娘さんは恐怖を感じてはいないようだった。
「……月に大鎌の旗。月に大鎌の旗」
ぶつぶつと呟いているが、きっと娘さんは今、必死に目をこらしているんだろうなぁ。
本陣からの使者さんの指示はこうだった。
月に大鎌の旗の部隊へ伝令しろ。内容は、そこを動くな、だ。
滅茶苦茶色々とはしょったけど、大体こんな感じ。
そこで娘さんは目をこらすことになっているわけである。
カミールさんが率いる全軍は、大体四千の数があるとのこと。
それでハルベイユ候が率いているのは、その内の千だとか。で、その千が八つに別れ、それぞれが山中の細い道を進み、敵勢に圧力を加えているのが現状らしい。
そして、娘さんが探しているのは八つの内の一つ。どこぞの山道を行軍している一部隊だということだが……ど、どこ? いやさ、旗らしき物はいくつか見えるけど、それが目的の旗かはちょっと……
人間の目であれば、それはなおさらだろう。
娘さんの呟きには次第に焦りの色がにじんできた。
「ど、どこ? 全然分かんないんだけど? あ、アレなの? どうなの? え?」
成果を上げてやるという気負いもあってだろうか。それが余計に焦りを生んでいるような感じがあった。
フラフラと迷子のように飛び回る。それが、手頃な獲物のように相手には映ったのかもしれない。
「え?」
俺は気づいていたが、娘さんも気づいたらしい。騎竜だ。それも間違いなく味方ではない。俺と娘さんを目指して、猛烈な速さで迫ってきている。
て、敵襲っ! で、あの、どうするんですかね、これ? 相手するべき? 逃げるべき? どうしますかね、娘さん?
「え、え、え?」
だが、娘さんは戸惑うばかりで、明確な指示が来ない。これ、ヤバイんじゃ? 俺は冷や汗に溺れそうになったが、ここで救いの手が……おおっ!!
クライゼさんの駆るサーバスさんが極めて俊敏に、相手騎竜の前に出る。
そうである。俺たちには守り手としてクライゼさんがついているのだ。
クライゼさんは相手騎竜を引きつけて、その際に妙なそぶりをこちらに見せてきた。
釣り槍を虚空に向けて突き刺すようにふるったのだ。相手騎竜との駆け引きという意味だと多分まったく無駄な行動だけど……むむ?
これ、もしかして、場所を示してくれているのでは? 月に大鎌の旗の場所を教えてくれたのでは?
そして、釣り槍の先を見てみると……おお! あるじゃん! 娘さん、あちらにご所望の旗がありますよって、あれ? 娘さん、気づいておられない?
「は、早く。早く見つけないと……」
そんなことを言いながら、進路は旗とは全く別の方へ。あ、あかん。ここは仕方ないかな……あら、ちょっといたずらな風が。
「の、ノーラ!?」
風にあおられたチックな動作で、進路を強引に変更する。娘さんを驚かせてしまったが、効果はあったようだ。「あ!」と娘さんから喜びの驚きの声。どうやら見つけてくれたっぽい。
とにかく早く旗の下へ。娘さんの指示はそんな感じだった。山肌を近くして、低空で目的の旗の下へ……なんかクライゼさんの助言を思い出すけど、気のせいですかね?
結果から言えば、全然気のせいじゃありませんでした。
「……ッ!?」
腹部をかすめるようにして、強烈な熱源が行き過ぎる。うっわ、熱っ!? ど、ドラゴン? そんな風に思ったが、ちらりと見えた背後の山肌が示した事実は違った。
旗をかかげた集団。その中の一人が上空に手をかざしていた。魔術師。そういうことになるのだろうか。
クライゼさんの言葉を思い出す。魔術師は歩くドラゴンのようなもの。本当ね、恐るべき人間がいるもんなんだね。まじ怖い。
「も、もうやだ……」
娘さんから泣き言はもれたが、伝え手としての任はとりあえず果たせることになった。
無事、目的の部隊に伝言を伝えまして、帰路に至る。
元いた集落まではスイスイだった。旗と比べれば、さすがに目立つしね。その時にはクライゼさんも合流しまして、一緒に地上へと降りる。
「遅いぞっ! 何を遊んでいたかっ!」
そして、待っていたのは叱責の声でした。騎手への伝令役の男が恐ろしい顔をして娘さんに迫ってくる。
あ、あのですね、娘さんもがんばったんですよ? なんて、これが通用する世界では無いだろうなぁ。
「す、すいませんっ! 遅くなりましたっ!」
言い訳なんて通用しないだろうと、勢いよく頭を下げる娘さん。ただ、謝罪なんてのも通用しない感じだけど。
「頭を下げているヒマがあったら報告をしろっ! 伝令はしっかりと果たせたのだろうなっ!?」
「は、はい! 伝えました!」
「で、戦況はどうだ?」
「……へ?」
ポカンとする娘さんに、男は鬼のような形相を見せる。
「伝え手の仕事はただの伝言だけではないのだぞっ! 戦況の変化を伝えるのも伝え手の重要な仕事だ、違うかっ!?」
つ、伝え手ってそういう仕事でもあるんですね。敵の騎竜と直接戦わない分、色々と役割を担ってるっぽい。
しかし、あのですね。娘さんに戦況の変化に目を配るような余裕があったかと言えば……うん。
「あ、その……えーと」
顔を青くして言いよどむ娘さん。反比例するように男の顔が真っ赤に剣呑になっていくが、しかし、
「戦況にはおおむね変化なしだ」
娘さんも驚いたし、俺も驚いた。クライゼさんが娘さんに代わって口を開いていた。
「諸隊の進行は山道を進むにしては相応のものであったと思う。イェルス隊、シャウベ隊が交戦していたようだが、敵の規模も小さければ、問題があるようには見えなかった」
「ふむ。そうか」
「ただ、魔術師がどうやらいるようだ。その隊は、あるいはグワイデの隊とぶつかるかもしれん。注意を促す必要はあるかもしれんな」
多分、見えている景色が違うのかもしれない。
敵の騎竜を相手にしていたはずなんだけどな。それでもクライゼさんは戦場を冷静に観察し尽くしていたようだった。
男は満足したように頷きを見せる。
「なるほど。了解した。しかし、さすがはクライゼ殿ですな。守り手をしながらでも、これほどの観察眼を発揮出来る。一方、この素人は……」
ギロリと娘さんをにらみつけてくる。これはもうね、小さくなるしかないよね。俺の前世を思い出す感じで、娘さんは恐縮しきっていた。
「……次は……出来るようにがんばります」
「当たり前だ。では、休め。すぐに次の指示は来るからな」
男が別の騎手へと向かっていく。呆然と立ち尽くす娘さんの肩を、クライゼさんはぽんと叩いた。
「気にするな。最初に罵倒されるのは、どの騎手も通る道だからな。とにかく今は休んでおけ」
「……はい」
返事はあっても本当に上の空といった感じ。娘さんは呆然と立ち続け、
「ノーラ」
俺の名を呼んできた。は、はい。何でしょうかね、娘さん?
「……ノーラでこれだった。私……どうしよう?」
現状、一番実力が発揮できる俺への騎乗でこの成果。
そんな現実に、娘さんはただただ打ちのめされているようだった。