第3話:俺とドラゴン
さてはてさてさて。
食肉加工されることも覚悟して改めて始まりました、俺のドラゴンセカンドライフ。
全てを受け入れる覚悟した俺の前にもはや苦しみは無く、娘さんの花のような笑顔に満ちた幸福な生活が俺を待ち受けている。
そんな予定だったんですけどね、えぇ。急に雲行き怪しくなったりしております。
何で俺が将来を悲観していたりするのか。
俺の目の前だった。そこでは『捕食者』の瞳がランランと光を放っているのだった……
さてはて、ここまでの経緯である。
始まりはといえば、それは娘さんの来訪だった。
「〇〇〇っ!」
時間としてはほんの十分前ぐらいだろうか。何を言っていたのかはさっぱりだが、快活な声を上げながら娘さんが俺のいる小屋にやってきたのだ。
その時の俺はといえば、この先何が待っているのかなんてさっぱり分かっていない。娘さんがやってきたとただただ大喜びして出迎えたりした。
こうね、巣箱の壁際でぴょんぴょんしたりしてね。飼い主にべたぼれしている子犬みたいに、そうぴょんぴょんと……俺の前世が何だったのか、ちょっと考えたくなくなるようなふるまいだった。
まぁね、本当べたぼれしているからね。仕方なかったのだ。幸せなエサやりの時間に、仮病で勝ち取ったマッサージの時間。その積み重ねによって、俺は心の底から娘さんになつき切っていた。
ともあれ、俺はエサやりの時間だと、そう娘さんに期待していた。
ところがぎっちょんである。
エサやりの時間とはならなかったのだ。いつものように優しくつかまれまして、次は手のひらに乗せられて、そこでエサだ。そう期待したのだが、実際はそうはならなかった。
あれ? だった。
その時の俺はかなり困惑していた。巣箱が遠ざかっていく。気がつけば、俺はつかまれたままでいずこかへ運ばれていたのだった。
俺は思ったものだった。
もしかして……アレなの? 食肉加工? これから俺、食肉に加工されたりしちゃうの?
まぁ、実際は食肉加工なんかじゃなかったんだけどね。でも、その時の俺には分からないことなわけで、本当あれは恐怖だった。
そんな恐慌状態の俺を握って、娘さんは扉の外へ。
初めての外だった。いぜんとして俺は恐怖に支配されていたのだが、その時ばかりは恐怖を忘れることになった。
なんか感動してしまったのだ。
青空がやけに広く感じた。俺の暮らしていた景色、電柱やビルが伸びた景色とは明らかに感じるものが違った。
俺は別の世界に来たんだな。そんな実感が俺の胸を満たしていた。
その上でだけど、この世界の文明水準を実感したりもしていた。娘さんの服装から予想はしていたが、俺の元々の世界であれば数百年単位でさかのぼらなければならないようなレベルではないだろうか、と。
周りには木造の建物がいくつかあったのだが、ガラスの窓なんて見かけないし、ドアノブなんてものも存在しないような感じだった。
それはともかくとしてである。
外に出た娘さんはいずこかへと向けて歩き出した。ここで俺は恐怖感を思い出したわけで、家畜の処分に使う小屋でもあるのかしらとビクビクとしたりしていた。
もちろん、俺がたどり着いたのは家畜の処分場とか、そんな場所じゃなかったのだが。
着いたのは、小さなドッグランのような場所だった。
娘さんの膝ほどの高さの木の柵で囲われた、畳十畳ほどのスペース。
そこが娘さんの目的地だった。
「〇〇〇〇っ!」
これまた意味は分からないが、笑顔の娘さんは手の中の俺にそんな言葉を投げかけてきた。
そして、俺は柵の中に下ろされたのだった。
どうやら〆られるわけではないらしい。そう思うと共に、俺はなんとなく察したりもした。
もしかして、俺は文字通り巣立つ時が来たのではないだろうか。
多くのエサやりを経て、俺は娘さんの片手には収まらないほどに成長していた。正直、巣箱もやや手狭に感じ始めていたのだ。
とにかくまだ食肉にならずにすんだらしい。俺はそう胸を撫で下ろしたものだった。だが同時に、さきほどまでとは別の不安を胸に抱いたりしていた。
この先も俺は娘さんに面倒を見てもらえるのだろうか?
エサやりはしてもらえるのだろうか? マッサージはしてもらえるのだろうか? 娘さんの笑顔を……俺は見続けることが出来るのだろうか?
答えはもちろん無かった。
あどけない笑顔を残して、娘さんは柵の前から去っていった。それを俺はいつまでも柵の中から見送った……わけでもなかった。
いや、したかったんだけどね。でも出来なかったっていうか。
『……あそぶ』
その時、なにか聞こえたような気がしたのだ。だから俺は背後に振り返って、そして……
で、今にいたるわけなんですけどね。
俺は今、ちょっとヤバそうなものと対峙しているのだった。
多分だけど、ドラゴン……なのだろうか?
見た目はマンガやアニメそのままのドラゴン。牙を生やした面長の顔つき。全身はうろこに包まれ、手足には鋭いかぎ爪。背中には小さいながらも一対の羽がぴょこりと生えている。
まぁドラゴンなのだろう。体表は俺と比べてやや赤みがかっているが、それでもおそらくは俺の同族ではなかろうか。
あぁ、仲間がいたんだ。最初見たときはそんなことを思ったりした。でも、それは本当に一瞬だった。
だってさぁ、ねぇ? 目がさ、おかしいもん、明らかに仲間を見ている目じゃないんだけど。
敵っていうか、獲物? そんなものを見ている捕食者の目をしているのですが……えぇ? これどういう状況なの? 俺はなんでこんな状況に追い込まれているの? それであの、娘さん? 貴女は何故こんな危険地帯に俺を置いていったのですか?
ともあれ、なんか殺し合いの気配がする。でも、俺はそんなことはまっぴらごめんだった。前世での俺はケンカすら一度としてしたことがなかったのだ。争えば、血祭に上げられるのは間違いなく俺の方である。
『ま、待って! 君はえぇと、何? なんでそんな目で俺を見てるわけ?』
思わず叫んで俺は驚いた。意思の疎通が図れてる? 俺の口からはグルグルという唸り声がもれているだけなのだが、意思が声に出来ている実感があった。
でも、俺の意思はちゃんと向こうに伝わっているのでしょうか?
赤っぽいドラゴンさんは姿勢を低くしてじりじりと俺に迫ってきていた。さながら獲物を前にした猫みたいな感じ。あかん。コミュニケーションが成り立っている実感が欠片も無い。そして狩人と獲物としてのコミュニケーションが成り立ちそうな予感はたっぷりある。
『ちょ、ちょっと! ちょっと待ってくれってば!」
『かむ』
『へ?』
俺の感覚はそれを女の子の声ととらえたが、問題はその声の中身だ。噛む? 俺はすぐに、その言葉の意味をそのまま味わうことになった。
がぁぶ、である。飛びかかられた。首筋だ。噛まれた。うん、噛まれてる。
『い、痛っつぁ!?』
俺は振りほどこうと暴れるのだが、女の子っぽいドラゴンさんに離れる気配はまったく無い。俺の首筋にしがみついて、がじがじと牙を立て続けているようだ。
痛いっ! マジで痛いっ! なんなの、これ? 何で俺こんな目に会ったりしてんの? 助けて、娘さんっ! ん? いやでも、この状況に俺を送りこんだのは間違いなく娘さんなわけで……
不意に、娘さんの言葉が頭に浮かんだ。「○○○〇っ!」。娘さんは俺を柵に下ろす時にそんなことを言っていた。あれは実際何を言っていたのだろか。
まさかだよ? まさかさ、「殺し合えっ!」とか、そんなことは言ってないよね?
もしかして……蠱毒? ドラゴン同士で争わせて、生き残った個体こそが最高の食肉になりうる的な? なんだよ、それ。飼育効率最悪かよ。無いとは思う。思うのだが、俺の命が危機的状況を迎えているのは確かなわけで……
『止めろって! 同族だろ! 仲間だろ!』
言っていてこれは無いわという自覚はあった。人間同士だって、味方たり得ないのにね。かつての同僚にはあることないこと上司に吹き込まれたりしたし。それはともかく、案の定だった。赤ドラゴンさんは俺の首筋をがじがじがじ味わい続けている。
本当、誰か助けて。
そんな俺の切なる願いは不思議と叶うことになった。首筋が軽くなる。一体何が起こったのか。
『かみたい……』
声が上からした。なんぞと思い見上げる。そこにはドラゴンさんが白っぽいお腹を見せて宙に浮いていた。飛んでる? いや、そうではない。ドラゴンさんの両脇は小さな両手で支えられていた。
俺はさらに上を見上げる。赤っぽいドラゴンさんを持ち上げていたのは娘さんであった。俺の様子を見に来てくれたのか、いつの間にか戻ってくれていたらしい。娘さんはドラゴンさんを見下ろして不満そうに眉根を寄せたりしている。
「○○○○っ!」
可愛らしい声だがどうやら叱っているような雰囲気だった。ふむ? 言葉は俺を柵に下ろした時と同じだった。「殺し合えっ!」とか、そんなことを言っていたわけじゃないのだろうか? 「殺し合えっ!」だったら、一方的ではあっても、そのものズバリの状況だったし。
ふ、ふぅ。だよね? そうだよね? 娘さんがさぁ、そんな鬼か悪魔かのようなことを言うはずないよね? ……良かった。本当に良かった。
でも、それじゃあ何故娘さんは俺と赤ドラゴンさんを同じ場所にいさせたりしているのか。
ふと思いついたのは、犬猫の場合。犬猫は社会性を身に着けさせるために、小さい内は親兄弟と一緒に育てるとテレビで見たことがあるような。
これもそういうことなのだろうか。だとしたら、娘さんのセリフは「仲良くしてっ!」とかになるのかどうか。
娘さんは赤ドラゴンさんを柵の中に下ろした。そしてさきほどの再現である。赤ドラゴンさんは猫のように捕食の体勢をとる。
う、うーむ。俺は娘さんが大好きだ。娘さんの期待には全身全霊で応えたいとそう思っている。でもさ、これ仲良く出来ますかね?
なんとも、はなはだ疑問だった。そもそもだけどさ、この子、俺と同族としての付き合いをしたいなんて思っているのだろうか?
子猫同士だったり子犬同士には仲間意識みたいなのがきっと少なからずあると思うのだ。だからこそ、じゃれあいなどのコミュニケーションが成り立つわけで。ただこの子の場合、俺を獲物としか見てないんじゃないかって、そんな気がするんだよなぁ。
なんか目つきがヤバイし。感情の無い爬虫類の目つきで俺の首筋に狙いを定めてきているし。キルアンドイートって感じがバリバリ出てるし。
大丈夫ですかね、これ。いささか以上に不安だが、そう言えば言葉が通じる気配があるにはあったような。俺を獲物として見ていやしないか。よし、一つ尋ねてみるとしようか。
『き、君さ、俺のこと食べようとしてるの?』
人間の時だったら、まず口にしないようなそんな質問。俺に尋ねられて、赤ドラゴンさんの瞳にわずかに意思の光が見えたような。
『ちがう』
コミュニケーション成功。しかも俺にとってありがたい回答つき。赤ドラゴンさんは俺をパクパクしたいようではないらしい。そうなると、次の質問はと言えば。
『じゃあ何? 君は何がしたいの?』
『かむ』
『……へ?』
『かむ。あそぶの。かむ。かみたい』
うーむ? 赤ドラゴンさんは遊びたくて、その手段が噛むということになるのか? 確かに、子猫やら子犬も噛み合うとじゃれ合うは近いところがあるような気はするが。
しかし、ほっと一安心である。これなら娘さんの期待にも応えられそうだ。赤ドラゴンさんはただ遊びたいだけ。だったら、俺も遊んでやればいい。
でも、遊ぶって言ったってなぁ。赤ドラゴンさんの噛むに任せていたらしまいには俺の首が落ちかねない。それは娘さんの希望とも遠いものになってしまうだろう。
ここで思い出すのはまたテレビの内容。子犬やら子猫は噛んだり噛まれたりの中で、噛む力加減というのを覚えていくらしい。きっと赤ドラゴンさんは噛まれた経験がないのだ。ここで俺が手痛く反撃してやれば、赤ドラゴンさんも適切な力加減というものが分かるに違いない。そうなってこそ、仲良くじゃれあうことでも出来るようになるだろう。娘さんもきっとニコニコである。
と言うことで、ふっふっふ。反撃の時間でございます。本当に痛かったんだからなこのヤロウ。今に目にもの見せてくれるわ。
次に噛んできたら噛み返してやる。俺は牙をむきだしにして、赤ドラゴンさんを待ち受ける。不穏な気配を感じたのか、赤ドラゴンさんはすぐには動いてこなかった。だが、我慢の限界は早々に来たらしい。
前回の再現だった。首元めがけて飛びかかってくる。さぁ、時はきた。一応教育の時間なのだ。最初はかませてやる。だが、噛みついてきたことを後悔するほどに手ひどく噛みついて……噛みついて? 噛みつく? 俺が?
ふと我に返ったような感覚に襲われつつ、首筋に激痛。か、噛まれたっ! じゃ、じゃあ、いっちょ教育してやらぁ! 目の前には赤ドラゴンさんの尻尾。これに思い切り噛みついてやればいい。やればいい。やればいいのだが……む、むむ?
なんか出来ない。心理的な問題だった。俺人間だったんだよな。もちろん誰かに噛みついたことなんて無いわけで、噛みつくことへの抵抗感がはんぱない。
そもそも人を殴ったことさえ一度とない俺だ。自分がドラゴンで相手がドラゴンだったとしても、噛みつくなんてそんなそんな。ちょっとハードルが高すぎる。でも噛みついてやらなければ、赤ドラゴンさんは力加減を学ぶことないし、下手したらこのまま殺されかねない。
ど、どうする? 噛めばいい。でも、噛めない。本当噛めない。しかしこのままじゃ……し、死んじゃう?
絶望しかけたところでまた救いの手が。娘さんの手が俺から赤ドラゴンをひっぺはがす。
た、助かった。俺は安堵したが、これは安堵していてもいいものなのだろうか? おそらくは、俺はここでコイツと暮らすことになるのだ。巣箱の例を参考にするのならば、娘さんもつきっきりで俺の面倒を見てくれるわけではない。娘さんの見ていないところで俺はどうなってしまうのか。
『かみたい……かみたい、あそびたい』
俺は声の主を見上げた。赤ドラゴンさんは物欲しそうな目をして俺を……俺の首筋を見下ろしている。これと一緒に暮らさないといけないの? 本当? こんなの暴力に愉悦を覚えるサイコパスと一緒に暮らすようなもんじゃないか。
『あそぼ?』
なんか可愛いなと思ってしまったが、いやけっこうです。そのままずっと釣り上げられていて下さい。その願いは今のところ叶えられていた。娘さんは不服そうな顔をして、手の中の赤ドラゴンさんを見下ろしている。
不意に娘さんは「あっ」と声を上げた。何か思いついたのか、娘さんはうきうきとした顔で赤ドラゴンさんを片手で抱え直した。一体何を思いついたのか。娘さんは空いた方の手を柵の中へ伸ばす。
えーと、何をしようとしているのかな? 俺は娘さんの手を目で追って……びくりと背中を震わすことになった。
何かいるんですけど。動転していた俺はよっぽど視野が狭くなっていたのか。今まで気づきはしなかったが、柵の片隅に何かいたのだ。
黒っぽい小山のような影。な、なに? よく見ればそれはうろこで覆われていて、手足があってかぎ爪があり、鼻の長い顔があって……ドラゴンなの? 俺より二倍は大きいようなするが。
その黒っぽいドラゴンさんは目を閉じていた。どうやら寝ているらしい。そこに娘さんは手を伸ばす。あ、嫌な予感。や、やめて! それ以上はやめて! 願いは届かなかった。娘さんは黒ドラゴンさんの背中を片手でゆさゆさとゆする。
赤ドラゴンさんがダメだったから、今度はこっち。こっちはきっと仲良くしてくれるはず。そんな心中が娘さんの笑みから読み取れた。正直、可愛いらしいなぁと思う。でも、本当にやめて。嫌な予感しかしないから。黒ドラゴンさんもこのまま寝てて頂いてくれればよろしいのだが……あ、ダメだ。起きた。
黒ドラゴンさんが目を開く。そして、軽く周囲を見渡した上で、俺に目を向けてきた。怖い。でかいだけでも怖いし、これからの展開を予想するとなお恐ろしい。
黒ドラゴンさんは立ち上がり、俺を見下ろしてきた。やっぱ怖え。恐れおののきつつ見上げていると、黒ドラゴンさんは不意に口を開けた。えーと、あくび? そう思っていると、ぼっ。ぼ? 音だった。それと共にオレンジ色の閃光がちろりと。まさか炎? ドラゴンブレス? ドラゴンブレス的な何かなのか、マジで?
『あそぶ?』
少年の声っぽい感じで問いかけられた。いや、本当けっこうです。でも、拒否出来るのかなぁ、これ。
『あそぼ?』
今度は赤ドラゴンさんの声が降ってくる。赤ドラゴンさんは娘さんの腕の中でじたばたしていた。
娘さんはと言えば、にこにこしながら俺のことを見下ろしている。俺がこのドラゴンたちと仲良く暮らしてくれるだろうと期待してくれているようだが、俺は人間の頃からその手の楽観論とは無縁なわけで。
『あそぶ?』
『あそぼ?』
アカン。なんか誘ってくれているみたいだけど悪魔のささやき感がはんぱない。
『かみたい』
ほら、赤い方はこんなこと言ってるし。黒い方はもしかしたら赤い方より温厚かもしれないが、こんな巨漢とじゃれあったら俺の寿命が圧縮されることは想像に難しくない。
だからうん、俺はこう思うしかなかった。
巣箱に帰りたい。
そんな俺を、娘さんはニコニコと楽しげに見守るのだった。