第1話:俺と、帰還
祝、帰還。
みたいな気分にめちゃくちゃなったのでした。
本当、色々あって大変な王都滞在だったけどなんとか式典までを終えることが出来て、無事ラウ家に戻ってこられて。
すっかり夏の気配が濃くなった我らがラウ家のお屋敷を目の当たりにしてね。やれやれ、これでゆっくり出来るなんて息を吐いたものだったなぁ。これで、いつも通りの日常が戻ってくるなんて。
まぁ、うん。
ただ、ノーラとかいう愚竜が式典当日に色々やらかしましたのでね。
元通りの幸せな日常なんてなかなか遠いんだけどねぇ、わははははあー本当どうしよう。マジでどうしよう。
ひっっっじょーに悩ましいところでした。
ただ我が故郷にて、幸せに近い時間は確かに存在したりして。
「ノーラっ!!」
ラウ家の屋敷を眼下にして、向かうは夏の雲の盛り上がった蒼穹の空。
背には娘さんがいらっしゃるのですが、その声に応えて俺は必死に大翼をはばたかせます。夏らしい上昇気流を捉えつつ、上空の横風に乗ってぐんぐんと加速して。
王都における話ですけどね。式典を前にして娘さんもけっこう忙しくて、なかなか騎手としての鍛錬を積む時間が無かったわけで。
だからこその今だったりしました。その遅れを取りもどさんとばかりに、屋敷に戻ってからの娘さんは鍛錬に励んでおられるのです。鍛錬の形は模擬戦でした。で、模擬戦となると、そのお相手はもちろんあのお方となります。
俺と娘さんの追撃を受けて、全力でしかし優美に翼をはためかせる白のドラゴン。それはもちろんサーバスさんであって、その背にあるのはこれまたもちろんで我らが師匠、クライゼさんに他なりません。
クライゼさんも腕がなまって困るなんておっしゃっていましたが、だからこそ快くって感じでした。師弟仲良くの空戦が繰り広げておられるのです。
いやぁ、しかしね。
良いですよね、これは良い。
俺もまた、身体がだるんだるんに鈍っていたからこの鍛錬に辛いところはあるんだけど。この暑気もあって、頭がゆだりそうでもあるし。でも、この時間は本当良いよなぁ。この時間だけは、今まで通りの俺と娘さんでいられるようで、そのことに何とも言えない幸せがあって。ただ、この時間にも問題と言うか、課題のようなものはあるのだけど。
「ノーラっ! 魔術っ!」
ともあれ、ご指示がありまして、ではでは早速。
王都でのあれこれを経て、俺は魔術を実践的に使うようになったんだよね。で、空戦における効能なのかも実感してきました。
正直さ、チートだよね、チート。
そんな気分になったっけなぁ。俺は風を操ったり出来るのだけど、それなりに速くて不可視で、敵の騎竜の体勢を崩すにはめちゃくちゃ有用で。
これがアレばね、ふふふん。
娘さんの腕もあれば、クライゼさんも敵じゃないんじゃないかな? かな?
みたいなことを思った時期が、俺にもあったような無かったような。なにぶん相手があのクライゼさんですし。簡単にいくビジョンはなかなか浮かばなかったけど、それで現実の方はと言えば、うん。
魔術を行使する。
横薙ぎに突風を吹かせます。それは見事にクライゼさん主従の体勢を崩すことに成功……しないなぁ。
しょせんは風ってことなのかどうか。一瞬体勢を崩せたような感じはあるのだけど、上手いこと乗られてしまっている感じだった。体勢を崩した上ですかさずの迫撃って、それが理想なんだけどね。
本当、うーむ。ネタが割れてしまうとって感じの一発芸になっている感が否めないような。達人からすると、分かってしまえば対処は容易って感じのような。
それでも相手には体勢を整える無駄を強いることが出来るわけで、距離を詰めることは出来れば完全に無意味ってことは無く。その一点をもって魔術を活かそうとされているのでしょうかね。娘さんは再び号令の声を上げられました。
「ノーラっ! もう一度……って、わっ!?」
ただ、俺が魔術を行使することは無く……と言うか出来ず。
娘さんは驚きの声と共に、慌てて手綱越しの指示を飛ばしてこられたのでした。クライゼさんが不意に急激に速度を落とされたのが原因なんですけどね。戦法としては見慣れたものかな。思い返せば、一騎討ちの時からの付き合いだし。
対処するのは簡単とは言えなくても、そこまで難しいものでは無いはずだった。ただ、娘さんも俺も魔術の行使に意識を奪われていたわけで。娘さんの指示も遅れれば、俺の反応も遅れて。
その結果はと言えば、はい。
クライゼさんがサーバスさんを優雅に操りながらに、するりと娘さんの利き手の逆側を選んで身を寄せてこられまして。
つまるところ、釣り槍を持つ手の逆側だよね。で、サクッと。クライゼさんの釣り槍が軽く振るわれて、娘さんのため息が響いて。
「……はぁ。また負けた」
俺は首だけで思わず振り返ります。そこでは肩口に釣り槍の穂先を残された娘さんが、嘆かわしげに顔をしかめておられました。
「まぁ、難しかろうな」
で、地上に降り立ってです。
地面に足を着けられたクライゼさんがそうおっしゃりました。娘さんは俺の背中から降りながらに「うーん」と小さく唸られます。
「ですね。なかなか、空戦に魔術を絡めるのは何とも」
これが模擬戦の課題であったりするのでした。クライゼさんは頷きを見せられます。
「もともと騎手の仕事は簡単では無い。いや、非常に難しく忙しい。敵の騎竜の位置を把握した上で、追撃なり逃走なりの最適な軌道を導き出し、騎竜の手綱と釣り槍の操作に意識を使わなければならないからな」
「はい。そこに魔術って新しい仕事が増えるとどうにも……」
「作業が一つ増えたという簡単な話ではあるまい?」
「正直、二倍も三倍も精神的な疲労が増えたようで……なんとか活かしたいと思っているんですけどねぇ」
そうして娘さんは疲労をにじませてのため息でしたが、その点が何とも大変なようなのでした。
俺が魔術を使えることで、娘さんはいよいよ最強のドラゴンライダーへ。とか思ったんですがね。現実は若干一歩後退気味と言いますか。魔術を織り込んだ戦術というものが、娘さんの大きな負担になっているようで。
多分、そこらの騎手相手であれば問題なく圧倒出来るんだけどね。でも、クライゼさんクラスの相手となると、まったく歯が立たない結果になってしまっていて。
ぶっちゃけ魔術は使わない方が良いような気はするような。使う必要が無いとも言えるかな。娘さんが苦戦を強いられるような相手なんて、クライゼさんかいつぞやの黒竜かって話でもあるし。
ただ、上達意欲に溢れた娘さんですので。何とかモノにしようと苦労されているんですよねー、はい。
「うーん。慣れですかね? 慣れてけばなんとかなるかなぁ」
腕組みでうなられる娘さんでした。確かに慣れは重要な要素な気はするけど、どうですかねー。クライゼさんもまた悩ましげに首をかしげられます。
「かもしれんが、難しいかもしれん。なにぶん歴史上のどの騎手も直面したことの無い状況だからな。魔術を扱える騎竜の手綱を握るなどは。先がまったく見通せん」
「ですよねー。何か、良い鍛錬法だったりがあれば良いんですけど」
「それはお前が先駆者として練らなければならないものだろうな。しかし、うむ。一つ良い方法があるように俺には思えるが」
え? と娘さんは目を見張られましたが、俺も『おぉっ!』って感じでした。さすがはクライゼさん。この国において最強の騎手様は、さすがの練達の発想力をお持ちのようで。
「な、なんですか? その良い方法とは?」
娘さんが前のめりに尋ねられて、俺も期待の眼差しを向けさせてもらいます。クライゼさんはいつも通り、淡々と答えられました。
「ノーラに任せてやればいい。魔術の行使に関しては全てな」
それはなるほどと頷ける意見ではありました。
娘さんはタスクの多さに困っておられますので。俺がその魔術分を肩代わりすればいいんじゃないかって話ですよね。確かにそれなら問題の多くは解決するかな。娘さんの最高の手足であろうとしてきた俺だったら、娘さんの望む形の魔術の行使を娘さんが望む前に実現させることが出来るかもですし。
ただ……ぬ、ぬおおお。クライゼさん、その話はちょっとです。ちょっと嫌な予感しかしません。二足歩行が出来れば、自由な両腕で大きくペケマークを作りたくなるような感じでして。
式典以来、俺と娘さんの仲は妙に、相当妙なことになっているのでして。クライゼさんのそのアドバイスは、その妙な感じを娘さんから引き出すのに十分な感じの予感が十二分で。
「……ははは。面白いことをおっしゃいます、クライゼさん。ノーラはただの騎竜ですよ?」
そしてです。娘さんは能面的な笑みを浮かべられるのでした。