俺と、クライゼさんの嫁取り(終)
『ノーラ』
放牧の時間でした。
俺の名をお呼びになったサーバスさんは、放牧地の端にいらっしゃいました。屋敷寄りの端ですね。そこで、ぐっと首を伸ばしておられて。
『まだかな? まだ来ないかな?』
そうしてどなたかの到来を待ち望んでおられるのですが、誰を待っておられるのかなんてのはモチのロンの話で。
『クライゼ、まだ? どうだろう? なにか知らない?』
そりゃあまぁ、サーバスさんが待ち望まれるような方は、クライゼさんただ1人なのでした。ともあれ俺は質問の内容に、首を左右にします。
『いえ、何も。娘さんからも何も聞いていませんから』
サーバスさんは『そう』と少しばかり残念そうな気配を漂わせられて、そしてまた、屋敷の方へと首を伸ばされます。
何故、サーバスさんはクライゼさんを待ち受けておられるのか?
それはですね、結果を聞きたいってことでした。もう2日前になりますか。サーバスさんはクライゼさんの相談に応じられたのですが、クライゼさんはその時には結論は出されませんでしたので。
お嫁さんを迎えるつもりになられたのか、それとも変わらず拒絶されるのか。
サーバスさんはお嫁さんを迎えられたらと意見を述べられたのですけどね。多分、待ち望んでおられるのは、その逆の結論でしょう。サーバスさんはそわそわと屋敷の方をうかがっておられますが、多分です。今までのサーバスさんの態度から推測するに、嫁取りは止めたっていう報告を望んでおられるのではないでしょうか。
正直なところ、俺はそうでした。
クライゼさんには自らの意思を貫いて頂きたいなって思っていて。嫁取りは断って欲しいなって思っていて。
これまた正直なところです。俺はサーバスさんに非常に親近感を覚えていますから。報われて欲しい……とまで踏み込んだことは思っていないのですが、サーバスさんが幸せであって欲しいとは強く願っているのです。
ハイゼさんには悪いんですけど、それが本当俺の正直なところでした。
本当、どうなってるかなー。クライゼさん、どんな結論を得られたのかなー。一度、ここを訪れて欲しいなー。
二体をして、首を流しくして待つことになり。
その願いがどこぞのドラゴンの神様とかにでも通じたのかどうか。
『あ、来た』
サーバスさんのおっしゃる通りでした。
屋敷の方向からです。クライゼさんがスタスタとこちらに向かって来ておられました。その足取りは、先日のものを思うと軽やかであるように思えますが……何かしらの決断と結果があったって、そんな雰囲気ですかね。
果たして、その結果はサーバスさんが喜べるものなのかどうか。俺とサーバスさんを目にしたクライゼさんは、軽くほほえまれて俺たちに寄ってきて下さって。
「今日は元気そうだな、サーバス。お前はいつも通りか、ノーラ」
サーバスさんの鼻面に手を置かれながらの挨拶でしたが、その声音は非常に気楽なものでした。やはり何か結論を得られたような気配です。
『の、ノーラ』
催促の呼びかけのようでした。もちろん、俺はサーバスさんと思いを同じくしているわけで、結論を耳にすることを望んでいますので。めちゃくちゃ緊張はしますが、早速問いかけの方をさせてもらいます。
「えー、はい。私はそのいつも通りですが……お尋ねしたいことがあるんですけど、良いですか?」
「尋ねたいこと?」
「はい。先日のハイゼさんとの色々ですが、アレです。何か進展の方は?」
あぁ、とクライゼさんは頷かれます。
「まぁ、気にしていただろうとは思ったが。やはりそうだったわけか」
「もちろん、めちゃくちゃ気にしておりましす。俺もサーバスさんもですが」
「そうか。では都合が良いな。今日はその報告にと思って来たのだからな」
それはまた、俺たちにとっても都合が良い……のは間違いないのですが。問題は、その回答の中身ですよね、中身。
固唾を呑んで見守る中、クライゼさんは淡々と結果について口を開かれます。
「会って来たぞ」
「へ?」
「会ってきた。ご当主が推薦するご婦人の方々とな」
俺はしばしフリーズでした。
会ってきた? それはつまり、そういうことで? いやね、クライゼさんの選択に異論なんて無いのですが。それでも俺はがっくりと肩を落とすことになって。
「そうですか……お会いされてきましたか」
「あぁ。昨日、一昨日でな。なかなか忙しないことになったが」
「それはあの、へぇ、そうでしたので」
ちょっとおざなりな反応になっている自覚はありました。
でも、俺は正直クライゼさんへの反応どころでは無くって。これ、どうやってサーバスさんへ説明させてもらったら良いんですかね? なんかもう、気分が重いなぁ。本当、どうしよう。
「それでな、結局断ることになった」
そして、クライゼさんはそう言葉を続けられたのですが。思い悩んでいたからこそ、一瞬反応が遅れました。
俺は「はい?」とクライゼさんの顔を見つめます。
「断る……それはあの、嫁取りの方を?」
「あぁ。そうなるな」
「……え? ご婦人の方々にお会いされたということは、そのつもりがあったのではないのですか?」
俺はそうだと思って、話を聞いていたのですが。
ここでクライゼさんは何故か苦笑を浮かべられました。
「一応、そのつもりはあったのだがな。サーバスの助言を聞いて、あまり悩む姿を周囲に見せるのもどうかと思ったのだ。サーバスをあまり心配させたくもなければな」
やはりサーバスさんの助言は、クライゼさんの心にしっかりと届いていたようですが、えーと?
「でしたら、何故お断りされることに? お相手が気に入らなかったとか?」
「そういうわけでは無いな。ご当主は、俺に箔をつけてやろうとされたのだろうが、それなりの良家のご婦人を紹介して下さってな。正直、価値観の違いに辟易とした部分は大きかったが、それはまぁ折込済みのことであれば断る理由にはならん」
「それでも、お断りされることに?」
「あぁ。どうにもその気になれなくなったのだが……ノーラ。ここからはな、内密に頼むぞ。人に話せば正気を疑われかねん」
口の固さには自信がある方ですが、はて? 正気を疑われないですか。
「もちろん誰にも話しませんが、あのー……何を話されるか想像も出来ないのですが」
一体、クライゼさんはどんな発言をされるつもりなのか。クライゼさんはちらりとサーバスさんをうかがわれて、
「サーバスのことが頭に浮かんでな」
「へ?」
「何となくだぞ? 先日のサーバスのことが頭に浮かんだのだ。そしてまぁ、妙なことを思った。サーバスほどに、俺のことを思ってくれる誰かはいるのだろうかとな。俺を将来性のある騎手としか見ず、カミール閣下との関係性ばかりを気にして、出世の可能性ばかりを話題に上げる連中と比べるとな」
そして、クライゼさんは「ふっ」と含み笑いをもらされます。
「まぁ、比べるのもおかしい話だが。生活もあれば、見栄も世間体もある人間と、そんなものを考えずにすむドラゴンは同列に考えるべき存在ではないのだろうが。それでも俺にはサーバスがいれば十分だと正直に思ってしまった」
「……それで、お断りと?」
「そういうことだな。ご当主には悪いが、その気にはなれなくなってしまった」
「ではあの、もうお嫁さんを向かえるつもりの方は?」
「無い。それで良かろう。な? サーバス」
クライゼさんは笑顔でサーバスの長い鼻をなでられまして。サーバスさんは、ちょっと嬉しそうでしたが、それ以上にもはや我慢し切れなかったようで。尻尾の方でパシンと、俺の横腹を弾いてこられます。
『ノーラ? どうだった? クライゼはどうすることにしたの?』
俺はすぐに応じさせてもらいます。
『えー、クライゼさんですが、けっこんされることは止められたようです』
『……え?』
露骨に嬉しそうなサーバスさんでした。尻尾がブルンブルンしてますけど、ただ胸中は喜びばかりでは無いようで。
『何で? 私、けっこんしたらって言ったけど?』
この疑問には、俺にはちょっと迷いましたけど……うん。答えないことに決めたのでした。
『それはあの、サーバスさんが言葉を覚えられてから自分の方で。それがきっと一番ですから』
クライゼさんから直に伝えられた方がです。その方がきっと、サーバスさんにとって嬉しい瞬間になるでしょうから。
『……ふーん? 一番? よく分からないけど、分かった。そうする』
ともあれサーバスさんはクライゼさんとの時間を堪能することに決められたみたいでした。
クライゼさんに撫でられるに任せて、幸せそうに目を細められて。
ふーむ。
どうやらです。俺が望んだ状況になったみたいです。いや、それ以上かな? クライゼさんはお嫁さんを取られること無く、その上で、サーバスさんへの愛情を深められたようで。それはもちろんサーバスさんにとって喜ばしいことで。
良かったですねー。
って感じではありますが。
一方で俺は妙な感情を抱いていたりしまして。
ちょっとうらやましいかなぁ……なーんてね。
俺が見つめる中で、稀代の1人に一体は、穏やかな時間を過ごされるのでした。