俺と、クライゼさんの嫁取り(1)
ノーラがヒースから頼みを受ける、その少し前のお話。
その昔、ラナに先んじて人の言葉を学ばんとしたドラゴンがいた。
みたいな気分になるぐらいに色々とあったなぁ。アレっていつだっけ? 冬だよね? まだ百日も経ってないかな? うーん、前世3回分ぐらいの時間経った気がしますが、あらためて俺の前世の薄さがひどいな。悲しい。
まぁ、はい。俺のほのかに塩味のする真水みたいな人生はともかくです。
晴れの昼間です。俺はカミールさんの竜舎に収まっていまして。そして、なんとです。なんと俺は先生をやっているのでした。
人間の言葉についての先生です。で、その生徒さん役ですが、いきなりしゃべりたいとわけ分からんことを言い出したラナ……も、その一体なのですが、今は違います。日々の勉強に疲れたのか、アルバと一緒に午睡に励んだりしています。
俺が主に向かい合っているのは、白い体躯をした優美なドラゴンさんでした。クライゼさんが誇る、スタミナお化けの騎竜の白眉さんです。
もちろんサーバスさんでした。
一対一で、三十分ほど勉強を続けているのですが。サーバスさんはやや疲れのあるご様子で、悩ましげに首をひねられます。
『……難しい。挨拶かぁ』
そう呟かれて、次いで言葉を紡がれて。
「おはよう。こんにちわ。こんばんわ。さようなら」
アレクシアさんに助けてもらったのですが、ドラゴンの例に漏れず、魔術的な側面はバッチリで。言葉を作ることへの苦労も無くて。どこか可愛らしい細い涼しげな声で、人間の言葉をそらんじられます。
発音もバッチリで十分に話せている感はありました。
ただ、今まで人間の言葉を気にかけて来られなかったらしいサーバスさんなので。単純にね、外国語を覚えるのって大変だよねって話で。
『……いっぱいある。朝の時、昼の時、夜の時、分かれる時。うーん、頭から出てく。覚えられない』
脳から湯気が出ていそうなサーバスさんでした。俺は思わず苦笑の心地で一言です。
『サーバスさん、ゆっくりで良いと思いますよ。こういうのは、時間かけてやっていくものですから』
『ん……でも、ラナはすぐ出来るようになったし。がんばる』
前から人間に興味があって言葉も少しばかり理解していたっぽいラナと、人間の言葉にはさっぱり興味を向けておられなかったサーバスさん。比較は出来ない気がするけど、ご当人はやる気のようで。
努力を続けられます。何度も繰り返し言葉を紡がれて、感覚として脳に叩き込んでおられる感じで。
さてはて。
そもそもですが、何故サーバスさんが言葉を覚える努力をされているのか? それはもちろん、クライゼさんと交流がしたいからなのですが、人間の言葉に興味を持たれたのはです。王都における騒動での俺の人間との関わりを目の当たりにされたからのようでした。
あの騒動の中で、俺は人間と直接的に言葉で交流するようになって。それを目の当たりにされて、サーバスさんには思うところがあったようで。
これ、いいんじゃね? 的な。
文字に関しては全然覚えられなかったそうなので。こっちの方が簡単そうって、俺に教えてくれと催促されて。
そしての今でした。
クライゼさんにもお知らせした上で、サーバスさんは言葉を学んでおられるのです。
しかし、これは喜ばれるでしょうねぇ。
俺は何となくそんなことを思うのでした。喜ばれるのは、もちろんクライゼさんです。サーバスさんが貴方と話したがっていますって伝えた時にですが、それはもう嬉しそうにされていて。表情が薄めの人なのですが、分かりやすくほほ笑まれていて。
この光景を目の当たりされたら、クライゼさんは喜ばれることでしょう。それはもう間違いなく。娘さんの師匠でもあるクライゼさんは俺にとっても大事な人なので。あの人が喜んでくれそうだっていうのは、俺にとっても非常に喜ばしいことでした。
ただ、サーバスさん的には話せるようにならないと嬉しくないでしょうし。
サーバスさんも俺にとっては大事な人……いや、ドラゴンであって。尊敬すべき騎竜さんでもあり、友人的な方であって。ここは、全身全霊で協力させて頂かないとですねぇ。
そう思って、何かアドバイスが出来ないかと頭をひねっているとです。
サーバスさんは、不意に頭をもたげて耳をそばだてられまして。
『……クライゼ?』
俺も耳をそばだてることになりました。
確かにです。足音がしました。俺は首を伸ばして、足音のする屋敷の方向へと顔を向けます。
サーバスさんのおっしゃる通りでした。
クライゼさんがですね、どうやらこちらに向かってきておられます。しかし……ふーむ? 元から陽気とは縁遠い方なのですがね。今はもう、非常に足取りが重そうで、何とも疲れておられる感じでした。無精ひげにまみれた顔色も、どこか冴えないような気が。
そして、クライゼさんは竜舎にたどり着かれまして。
「どうだ、ノーラ? サーバスの調子は?」
早速の第一声がそれでした。来訪された用件は、サーバスさんの様子を見に来られたってことなのでしょうか?
ともあれ、お疲れのご様子ですし、そうね。俺はサーバスさんをうかがって、そして一言。
『サーバスさん。早速だけど、挨拶とかどうですかね?』
いつも通り、黙ってクライゼさんを迎えられたサーバスさんですが、何のために言葉を学んでいるかを思い出されたようで。
『あぁ、挨拶。えーと……太陽が高いから、昼。昼に使うヤツ。だから……』
サーバスさんは、苦労しながらに言葉を紡がれます。
「こ……こん……こんにちわ」
どうせなら、俺が進捗状況を説明するよりも、サーバスさんが行動を持って説明された方がと思いまして。その方が、クライゼさんは喜ばれるかな、と。
幸い、狙い通りにいってくれたようでした。疲れた顔をされていたクライゼさんですが、嬉しそうにほほ笑まれます。
「順調と思ってもいいのだろうかな」
クライゼさんは喜びを滲ませてそんなことをおっしゃられましたが、サーバスさんはまだまだ人間の言葉に慣れておられませんので。発言の意味は分からなかったようで、とりあえずといった感じで「こんにちわ」と再び言葉にされます。
クライゼさんは苦笑で俺を見つめて来られました。