第5話:俺と戦場の空気
さみしげに澄んだ秋空に笛の音が響く。
娘さんが飛んでいる。ラナの背中にあって、その唇には木の笛がくわえられている。
そして笛が鳴っているのだ。
ピィィ……と、鋭く乾いた音が上空に響いている。
さてはて、これが何のための笛の音かといえば、ドラゴンを先導するためのものだ。
ハーメルンの笛吹き男じゃないけどね。先頭を飛ぶ娘さんとラナの後ろにはアルバ、次いで俺が一直線に並んで飛んでいる。
そのように調教されているのだ。
この笛が鳴っている時には、後ろについてくるようにとの訓練を俺たちは受けていた。
なんのための訓練かと言えば、それはドラゴンをまとめて遠くの場所へ運ぶためだ。一体ずつ目的地まで乗って運んでを繰り返してたら、騎手の労力が半端ないしね。
では、さて。
何のために俺たちをまとめて遠くへ運ぶ必要があったのか?
戦争。
娘さんが戦地へとおもむくため。そういうことになるのだった。
娘さんは緊張していた。背後からうかがえる横顔から、それはよく分かった。
それに対して俺が思うことは……このぐらいなら良いなぁということ。
緊張しているぐらいがいいと思う。いや、本当に。出発前のことを思うとね、いや本当……まぁ、いっか。このことはとりあえず。
見慣れぬ朱色の山並みを眼下にして飛び続ける。
そして見えてくる。
元の世界もこんなだったような。まるで平地の無い、一面山ばかりの光景。その中には、ちらほらと小さな集落の姿が見えるのだが、そこにはどうにも不釣合いな物が無数に立っていた。
細長く大きな旗。
戦国武将が立てているようなアレである。そこには文字やら絵やらがバリエーション豊かに描かれていたりした。
「……あった」
娘さんの声が前から流れてくる。それは少しホッとしているような声音だった。良かった、見逃さなかったみたいな、そんな感じ。
降下に転じる。
点在する集落の一つにゆるやかに降下していく。
降りた先は、周囲と比べて比較的大きな集落だった。ただ、大きいとは言え、ひなびているという感じはぬぐえない。普段はまばらに人が行き交うような、そんな農村であったのだろう。
ただ、現在はと言えば……うーむ、さわがしい。
『うわっ、うるさ』
ラナが嫌そうな声を上げる。アルバも無言だが嫌そうな顔をしているが、それはそうだろう。一騎討ちの時とはまた違った、カオスな騒音の渦がここにはあった。
活発に動き回る人の群れ。
軽装とは言え、武装した男たちが歩き回り、怒号のような声もひんぱんに飛びかかっている。
食料としてなのか、集められた家畜の叫びが耳にうるさく、炊事の煙がせわしなく立ち上り目にもうるさい。
……うーん、これが戦場ってものなのかねぇ。
地上に降り立って、俺は周囲の雑然とした活気に圧倒されていた。なんか、すごいな、これ。もちろん俺は戦争なんて経験したことがなく、だからこそ初めての光景に圧倒されるしかない。
と言うか、ぶっちゃけ怖くない?
殺気だったというか、浮かれたようなと言うか。妙な雰囲気をまとった男たちが集まって、戦争のための準備という日常離れした行動にいそしんでいる。
正直、居心地悪いです、はい。
俺もそうだけど、娘さんもそんな感じだった。不安そうな表情をして、ただただ周囲を眺めていたりする。
大丈夫かねぇ、娘さん。ハゲ頭さん……ハイゼ家の当主さんじゃないけど、心配になってくる。
娘さん、芯は強い人だけど、豪胆な性格はしていないしね。現に、「どうしよう……?」などと呟いて、居心地が悪そうにしている。
しかし、本当どうしたらいいんでしょうね?
娘さんには、この旗の場所に来いと、そんな指示しか与えられていないらしいし。出発前の親父さんとの会話の中で、そんな話があったのだ。詳しいことは現場でとそういうことらしい。
で、その詳しいことは誰に聞けばいいのかどうか。
そんな点で娘さんは困っているようだった。不安そうに視線を左右にしている。
誰か親切に声をかけてくれたらありがたいのだが、残念ながらそんな人影は見当たらない。ただ、ドラゴンを連れた少女を興味深そうに一瞥するのみ。
お、俺がどうにかするって、それは難しいしなぁ。
誰か助けてはいただけないでしょうか?
そんなことを祈っていますと。
「……ふむ。来たか」
陰気な感じのする低く暗い声音。
娘さんが表情を明るくする。俺もほっと一安心だった。
無精ヒゲを散らした、細身の男性。クライゼさんが俺たちを見つけてくれたのだ。
「まさか、中心に降り立つとは思わなかったぞ」
集落の郊外へ向けて歩きながらだ。
クライゼさんが呆れたようにそう言ってきた。娘さんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すいません。勝手が分からなくて」
「まぁ、仕方がない。最初はそんなものだろう。俺は同僚の先輩を頼れたが、お前には難しいことだからな」
歩き続けていると、だんだんと人の声が遠くなってくる。麦畑のすぐそばだった。ドラゴンだ。ドラゴンがたくさんいる。その中にはサーバスさんの姿もあって、数は二十に近かった。まばらな木々につながれて、多数のドラゴンがその威容を露わにしている。
「ドラゴンは騒音を嫌う。だからこうして、集落から離れた場所に集結地を作るのだ。次からは、ここを探して降りてくると良い」
ありがたいクライゼさんの先生ぶりだった。クライゼさんはどこにドラゴンをつなぐべきか、その点についても案内してくれた。
「ドラゴンをつなぐ場所は早いもの勝ちだからな。逆に言えば、空いている場所にはどこでも好きにつないでいい。そのドラゴンたちも、適当につないでおくがいい」
「はい。ありがとうございます」
「うむ。しかし、気の毒だったな」
娘さんが首をかしげる。俺も唐突な同情の声に内心首をかしげ……すぐに感づくことになった。
まぁ、気の毒っていったら、あの話しかないですよね。でも、クライゼさん。その話はちょっと、理由がありまして控えておいていただけるとありがたいのですが……
願いは叶わなかった。
「ノーラのことだ。ウチの当主から話は聞いている。思わぬ災難もあるものだ」
あー、あー、本当ね、この件については言及していただきたくなかったんですけどね。
だってねぇ、ほら。娘さんですよ、娘さん。やっぱりです。娘さんは目に見えて表情を硬くした。
「……はい。ハルベイユ候より、そのような話が来ました」
「あまり気落ちするなよ。ハルベイユ候に限らず、これは良くある話だ。お前にとって、ノーラが大切なのは分かるが、騎手として受け入れられなけばならないことだからな」
これに娘さんは頷きを返さない。
気負った目をしてクライゼさんを見返す。
「クライゼさんはサーバスを取られてないですよね?」
今度はクライゼさんが首をかしげる番だった。
「ふむ? それは確かにそうだが」
「一流の騎手ともなれば、騎竜は取られない。そうなりますよね?」
「名の知れた騎手の相棒を奪うのは評判に響くからな。確かに取られることはないと思うが」
「ですよね。だから、私は決めたんです」
クライゼさんはさらに深く首をかしげる。
「決めた? 何をだ?」
「今回のことは私にとって絶好の機会だと思うんです」
「ふむ。分からん。何を決めて、絶好の機会とは何のことだ?」
「……なるんです」
「ふむ?」
「なるんです! 一流の騎手に!」
拳をにぎりしめて意気込む娘さん。クライゼさんは当然のこととして、呆気にとられていたけど。
「……なるのか? 一流の騎手に」
「そうです! なるんです! 今回の戦で大活躍して、一流の騎手と認められるんです!」
「……ふーむ」
「そうしたら全部上手くいきます! ノーラは取られずにすみます! 婿なんて話も私が絶対にぶちこわしてやります!」
き、気合がほとばしっておられる。案の定の結果でありますが、これが嫌でクライゼさんにはこの話をして欲しくなかったんだよなぁ。
出発前もこんな感じだったのだ。
出発前の親父さんに、今回の戦争で絶対に活躍してみせると気合を込めて宣言していた。
もちろん親父さんは不安がっていた。
ただでさえ思いつめて、空回って、決して良い状況とは言えない娘さんなのである。
ノーラや婿入りのことはとりあえず忘れろ。初陣なのだから、無事に帰ってさえくれればそれでいい。
そう親父さんは伝えてくれたのだが、結果はまぁこの通りである。
「……一騎討ちの時のことは覚えているか?」
考え込むように黙り込んでからのクライゼさんの言葉だった。
俺にとっても思いがけない言葉だったが、娘さんにとってもそうだったのか。娘さんは不思議そうに首をかしげる。
「はい。覚えてますけど」
「あの時のお前は良かった。腕は未熟なれど、それを重荷にせず、ただ出来る限りのことをすると良い開き直りがあった。素晴らしい余裕があった。それで、今のお前だ」
クライゼさんは娘さんを指差す。娘さんの顔を指差す。
「良い顔をしているとはとても言えん。気負ってガチガチだ。俺も初陣は気負ったものだが、お前は確実に俺以上だ。だから言うぞ。何も考えるな。それがお前にとっての最善だ」
厳しくも優しい助言の言葉だった。少なくとも、俺はそうだと思った。さすがはクライゼさんだ。親父さんとは方向性が違うが、娘さんに必要なことを言ってくれた。
そして、娘さんはと言えば、
「……その通りだと私も思います」
親父さんの助言をはねつけていた頃の娘さんじゃない。そういうことか。
娘さんは素直に頷いた。ただ、その表情はと言えば、不思議ともどかしそうなものだった。
「私も分かっているんです。考えない方がいいって分かってます。一騎討ちの時と比べて本当に頭がぐちゃぐちゃしてて……本当、ダメなんです」
「ダメか」
「ダメでした。どうしても色々と考えてしまって……それにノーラのことがありますから」
「ふむ」
「絶対、イヤなんです。ノーラは絶対に取られたくない。だから私は……がんばらないといけないんです」
俺が初めて聞く、娘さんの胸の内だった。
そっか、娘さんも自分の不調の原因なんて分かってたんだね。
それでも自分では何とか出来ずに今日という日を迎えてしまって……む、娘さんいいからね! 少なくとも俺のことなんかどうでもいいからね!
もちろん娘さんから離れるのはイヤだった。ただ、ここは戦場なのだ。俺のことなんかを気にかけて、娘さんに何かある方がもっとイヤだった。
……あるいはね、これを俺が自身で伝えたら、娘さんは気持ちを軽くしてくれるだろうか?
そう思ったが、俺は頭を軽く振ってそんな考えを頭から追い出した。俺はドラゴンだ。だから、ドラゴンとして娘さんに貢献することを考える。それが一番すべきことのはずだった。
「ふーむ。そうか」
クライゼさんは悩ましげに頷いた。
「分かっているのなら俺に言えることは何もない。愛竜への思いも俺には理解出来る。だが、無理はするな。いいな?」
「はい。もちろん」
「しかし、活躍したいときたか……だったら、おあつらえ向きの人が来たかもしれんな」
クライゼさんは娘さんを見てはいなかった。娘さんの肩越しに集落の方向を見ている。
娘さんがクライゼさんの視線を追って、俺も同じ方向へと目を向ける。
クライゼさんの言う通りだった。
おあつらえ向きという言葉の意味はよく分からないが、複数の人影がこちらに向かってきている。