第25話:俺と、王女様襲来(2)
娘さんが「へ?」となるのと、俺が『ん?』となるのはほぼ同時でした。
なんと言いますか、非常に意味深でしたが。いや、正直です。宣戦布告めいた響きをもって俺の耳には届いたのですが……
ケーラさんは娘さんから俺にへと視線を移されます。そこにある笑みはまた意味深なもので。そして、にわかにです。王女様は窓際の俺の元に、優雅な足取りで近づいてこられて。
わ、割と圧を感じるなぁ。思わず後ずさりたくなりましたが、俺の背後にはそのような余裕は無く。めちゃくちゃ追い詰められたような気分で、ケーラさんを間近にすることになります。
文字通り、目と鼻の先です。ケーラさんは褐色の瞳を細めながらに、俺の目を上目遣いにのぞき込んでこられて。
「……素敵な瞳。ドラゴンのものじゃないわね。知的で、穏やかで。ふふふ。素敵ね、本当に」
その言葉には非常に蠱惑的な響きがありましたが、さ、左様ですかね? 俺の目に浮かぶ色は間違いなく一般的なドラゴンとは違うでしょうが、多分、神経質な怯えの色が浮かんでいると思うんですけど。
いや本当、怖いですし。
何を思って、この方はこんな態度に出ておられるのか。いやまぁ、それは若干推測つくのですが、こんな美人にこうグイグイ来られるというのがちょっとこう戸惑いしかないと言うか。
「ノーラ殿はどうです? 王都の市中など、すでに楽しまれましたか?」
この尋ねかけの意味はちょっと分からないのでした。この尋ねかけが一体何につながっていくのか。分からないまでも、俺は相変わらず気圧されながら返答します。
「し、市中ですか? いえ、少し通り過ぎたぐらいでして……」
「まぁ! それはもったいない。カルバはもとより、諸国の都など比べるべくもないこの王都を楽しまれておられないとは。では、こうしましょうか?」
王女様はいたずらっぽく俺の目に笑いかけてきます。
「ご案内させて頂きます。明日にでもよろしいでしょうか?」
俺は「ふぇ?」って感じでした。えーと、こう繋がるのかと納得したりもしていたのですが、それ以上に畳みかけるようにグイグイこられて、俺のキャパシティーが軽く悲鳴を上げていて。
どない反応しよう、これ。
よろしゅうござんすなんて返答も出来ず。俺はケーラさんの肩越しに娘さんを見つめます。飼い主様にご助力をお願いしたわけです。
ただ、娘さんも俺と似たような状況らしく。どないしようと、俺を頼るように見つめておられます。お互いに助けを求める悪循環。そして、お互いに悪循環に気づき、お互いに頼れる同席者たちに助けを求めようとしたのでありますが。
その前にです。
ケーラさんが余裕の笑みで娘さんを振り返られて。
「良いわよね、サーリャ殿? 市中を案内差し上げるだけなのですから」
穏やかながらに有無を言わせぬ口調でした。娘さんが混乱のままに黙り込まれて、ケーラさんはそれを是と恣意的に解釈されたようで。
「では、また明日。もちろん二人きりで。楽しみにしておりますわ」
再び、俺にほほ笑まれて、そしてでした。まったくもって不意打ちにです。ケーラさんは一歩踏み出されると、俺の首に腕を回してこられて。
俺は身を固くして受け入れることになります。既視感のある温かさ。広場の折の娘さんのように、ケーラさんは俺の首を抱擁してこられたのです。
それは長くは続きませんでした。
ほどなくして、ケーラさんは腕を外されて、一言でした。
「それでは、ご機嫌よう」
そうしてケーラさんは笑顔をふりまかれながらに去っていかれました。
共の従者さんたちと、見送りに追随されたのだろうマルバスさんを引き連れて。颯爽として去っていかれました。
で、俺は呆然と見送ることになりまして。いや、この場の全員ですかね。誰もが驚きの沈黙を長いこと続けられまして。
最初に言葉を発せられたのはアレクシアさんでした。
「……ふむ。ノーラの人気ぶりには驚くばかりですね」
抱きつかれて心臓が昇天しかけていた俺ですが、すぐさま頷きを見せるのでした。これってやっぱり、そういうことですよね?
「私……ですよね?」
「どう考えてもそうでしょう。この王都で、貴方が欲しくない者など誰もいないのですから。しかし、面白いですね。当人に直接ですか」
どこか不思議そうな口調でアレクシアさんは言葉を続けられます。
「直接貴方を引き抜くようなことをすればカミール閣下ににらまれる可能性がある。始祖竜ということもあれば、厳かで近寄りがたいものもある。だからこそ、他の方々は絡め手に訴えかけておられるのですが。これは、あの方の性格なのでしょうかね?」
勇気があるなぁと感心している風もありました。確かにです。俺に手を出すということは、暗にカミールさんに敵対する姿勢を表明している感がありますし、エセ始祖竜の言葉を話すデカトカゲとか、厳かだか不気味だかで話しかけたく無いでしょうし。
なかなか、他の方には出来ない一歩を踏み出している感はありました。特に重要なのは前者かな。カミールさんは、現状王都で敵無しらしいですし、リスキーなことに手を出しておられる感じも? そんな感じはしませんでしたが、世間知らずのお嬢様とか、そんな一面を持ち合わせておられるのでしょうかね。
「まぁ、性格と言うよりは、仲が良いからこその行いだろうな」
アルベールさんでした。腕組みで、何故か不機嫌そうに見えるアルベールですが、そんなことをおっしゃって。俺は思わず問いかけます。
「仲が良いからですか?」
「そうだ。昔からだが、あの人はカミール閣下と馬が合うようでな。前回の処刑の際も、最後まで反対を叫ばれていたそうだ」
「それは確かに、仲がよろしい感じですね。しかし、えーと? 仲良くて、でも俺に手を出されて。ちょっとあの、良く分からないのですが」
「単純な話だ。王家にしたところで、始祖竜は欲しい。だが、迂闊に動けば、本格的にカミール閣下を敵に回すことになる。ただまぁ、動かなければ、今度は王家の信奉者たちから誹りを受けることになる。ドラゴンは王家の持ち物だというのに、その弱腰は何事かとな」
「……あー、はい。少し分かってきた気がします」
「そういうことなのさ。だからこそのケーラ様だ。ケーラ様であれば、カミール閣下も敵意が無いことは分かっておられるわけだ。世間体があっての行動だろうと理解も期待出来る。対立なく、信奉者たちに働いている事実を見せられるってことだな」
なんって言いますかねー。王家の方も大変なんですね。いくら立場上偉かったとしても、実際のパワーに左右されますし、何より一人では何も出来ない人間ですから。周囲の顔色をうかがうことからは逃げ切ることは出来ないようで。
「とにかく、重く考える必要は無いだろうな。逢引に一度、二度付き合って差し上げれば、それで特に問題なく丸く収まるんじゃないか?」
「分かりました。思ったよりも、大きな出来事じゃなかったんですね?」
「あぁ、まったくな。だからこそ……なーんで今日かなぁ。いい迷惑だよ、本当」
恨み節のアルベールさんに、俺は苦笑の心地でした。なるほど。不機嫌そうな理由はこれだったようで。
ケーラさんの来訪が無ければ、娘さんが慌てふためいて応接室に飛び込んでくることなかったでしょうし。それはまぁ、恨み節が出ても仕方ないかもですね。
ともかく、驚きはしましたがなーんも問題は無いようで。俺は娘さんにへと視線を向けます。
「ということで、サーリャさん。どうやら何も問題は無いようで」
娘さん、俺について心配して下さってましたからね。これで安心して笑みを見せて下さればなぁと思って、俺は声をかけさせてもらったのですが……えーと、ん?
良かったぁ、なんて表情には見えないのでした。
娘さんは固く眉間にシワを寄せた、穏やかでは無い表情で黙り込まれていて。
「あの……サーリャさん?」
「……なによ、アレ」
「はい?」
「な、なによ、あの態度はっ! なれなれしいったらありゃしない!」
そうして、娘さんは良く分からない怒りの言葉を発せられたのでした。な、なれなれしい? ケーラさんはカミールさんと比べようがないほどに礼儀正しかったような気がするのですが。
「あー、そうですかね? 中庭の方で、そんなことがあったりで?」
「違う! 今の今じゃないの! あんな、しなだれかかるように抱きついて、はしたなくて……」
「……もしかして、私に対する態度についておっしゃってます?」
「他に何があるの! あんなはしたなくも無礼で、無分別にノーラをたらしこもうとして……アレクシアさん!」
え? とアレクシアさんでした。娘さんの怒りに呆気にとられていたようで、慌てて応じられます。