俺と、ハルベイユ候の晩餐(9)
しまった、でした。
絶対に口に出す必要の無いことだった。でも、時はすでに遅くて。使者さんも侍女さんも、もちろんハルベイユ候もです。不審の目で俺を見つめておられて。コイツは何を言い出したのかって言外に語られていて。
「す、すいません。あの、お気になさらずに」
慌てていいつくろったのですが、やっぱダメですよね。ハルベイユ候は首を傾げて俺を見つめていました。
「うらやましい? それは何の意図があっての発言だ?」
息子が死んだことで何がうらやましいのか? ふざけているのか? そんな形で怒られることになるかと思ったのですが、幸いにしてそうはならず。ハルベイユ候は心底不思議そうにそんなことをおっしゃったのでした。
えーと、どうしましょうか?
不快感を与えずにすんだことは良かったのですが、これは説明しなければいけない感じですよね。もらしてしまった言葉の説明をしようと思えば、俺の前世について説明をしなければならないのですが……
まぁ、いいでしょうか。
別に隠すような話でも無いですし。情けなさ過ぎる話であって、娘さんにも話していないようなことではあるのですが。そもそも信じてもらえないでしょうしねぇ。
ハルベイユ候の非常にプライベートな話をうかがったこともありますしね。内緒話ということで、ここは口にさせて頂くとしましょうか。
ただ、どう切り出せば良いものか。それは悩ましいところでしたが、まぁ、とにかく口にしましょうか。
「私は以前人間でした」
そう口にして、案の定でした。ハルベイユ候は目を丸くされて。
「人間? 以前? どういうことだ? お前は突然何を言い出した?」
「え、えーと、ですよね。不審に思われるのは当然だと思います。ただあの、何で私がうらやましいって口にしたのかって説明するためにですね、私が元々人間だったということが重要でして。えー、あー、その点については内密でお願いしたいのですが、そ、そんな感じです」
「……ふーむ」
何が何やらといった感じのハルベイユ候でしたが、アゴひげをさすった上で一つ頷かれました。
「よく分からんが、お前は以前は人間だったと? それは内密にして欲しいと。それだけだな?」
「は、はい、そうです。本当それだけです。あの、非常に信じがたいとは思いますが」
「もちろん信じがたくはあるが、ノーラの存在そのものがな……まぁ、そういうこととして話を聞くことにはするが、ともあれだ」
ハルベイユ候は使者さんと侍女さんに目配せをされました。多分、内密にということで家臣の方々にも同意を迫ったのだと思います。
使者さんも侍女さんも、困惑されながらに頷かれて。で、ハルベイユ候の視線が俺に戻りました。続きをしゃべれということでしょう。言い出しっぺの俺はもちろんこととして言葉を作ります。
「私は以前人間だったのです。そして、私は人間として死ぬことになりました」
「死んでドラゴンになったのか。不思議なことがあるものだな?」
「まったくです。ただあの、私が言いたいのはその不思議な出来事では無くってですね」
「そうなのか?」
「そうです。死んだ時の話ですが。私はそのですね、心底ほっとすることになりまして」
ハルベイユ候は再び首をかしげられました。
「ほっとした? それはまた何故だ? 残した者たちもあれば、何故ほっと出来る?」
この言葉を耳にして、俺は苦笑の心地でした。この人も、俺とはやっぱり違うんだなぁとそんな感じで。今は不幸な境遇にあっても、幸せというものを知っている人なのだろうなと。
「私にはいませんでしたので。行く先を心配したいような大事な人は」
「……ふむ」
「大事にしたい人もいなければ、大事にしてくれる人も当然いなくて。生きていて楽しい人生では無かったので。自業自得だったのかもなんて思っていますが、苦しいことばかりでそれにどう耐えるかなんて考えてばかりで。だから、ほっとしました。自ら死ぬことは出来ませんでしたから、あ、やっとこの時が訪れてくれたって、それが嬉しく安堵ばかりで」
「……そういう人生もまぁあろうかの」
「私はそうでした。だからです。私が閣下の息子さんにうらやましいと思ったのは」
俺はハルベイユ候の息子さんの人生に思いをはせるのでした。愛されて、愛する人たちもいてね。それはまったく俺の人生とは違うもので。
「死にたくないなんて最後に口に出来るのはですよね。正直、私は本当にうらやましく思えたんです。愛されて、愛して、惜しまれて……はは。幸せだったんだろうなって、私の感想はそればっかりでした」
死にたくないなんて言える人生を歩んでみたかったって。
そんなことを俺は思っていたりしたのですが、さて。
正直に思ったことを話させて頂いたのですが、俺は不安の思いでハルベイユ候の表情をうかがうことになりました。
不快にさせてしまったのでしょうか? ハルベイユ候は目を閉じられて黙り込まれて。時折、大きく息を吐かれてなどおられますが、そこにある感情は何なのか? 無神経に、息子さんが幸せだなんて口にしてしまって、それがハルベイユ候の癇に障ったのかとどうにも心配だったのですが。
実際のところはどうだったのでしょうか。
ハルベイユ候は目を開けられました。その瞳に力は無く。ただ、どこか穏やかな光がそこにはあるように思えて。
「……そうか、アイツは幸せだったか」
それだけを口にされました。そして、やおらに俺の前の皿を指さされまして。
「それをな、少し分けてはくれんか?」
俺は『へ?』となりましたが。使者さんと侍女さんの反応は劇的でした。
「の、ノーラ殿っ! その、よろしいでしょうか……いや、麦がゆをな、早々に用意を!」
使者さんが慌てて侍女さんに呼びかけられて。侍女さんは慌てて広間を去ろうとして、しかしハルベイユ候は「ふん」と鼻を鳴らされて。
「麦がゆなど望んではおらん。ノーラ、良いか? 食べたければ無理にとは言わんが」
い、いえ別にそんなことは全く無くて。使者さんと侍女さんはワタワタされていますので、ここは俺が。風の魔術でここは何とかでした。ズズーとハルベイユ候の前にまでお皿を滑らせまして。
お皿を前にしまして、ハルベイユ候は侍女さんに声を上げられます。
「おい。私に素手で食えというのか?」
この声を受けて、侍女さんがこれまたワタワタとハルベイユ候に手にしていたフォークなりを渡されるのですが……え、え? これは……そういう?
ハルベイユ候は冷めたステーキ風の肉塊にナイフを入れまして。小さく切り分けられたと思ったら、淡々と口に運ばれて。
もぐもぐもぐもぐ、と。
長いことでした。長いこと咀嚼されて、不意に嚥下されて。ハルベイユ候は何とも言えないしかめ面を見せられました。
「ほとんど絶食明けだからな。よく噛んではみたが、これはいかん。飯はな、のどごしで味わうものだと思わんか、ノーラ?」
ドラゴン的にはですね、大絶賛のご意見でしたが、それはともかくです。あのー、食べられましたよね?
「い、一体どうされました?」
食べてもらって嬉しーなんていうことよりは、やはり驚きの方が勝っていて。俺の問いかけにです。ハルベイユ候は二口目を切り分けられながらに答えられます。
「アイツは幸せだったなどと、知ったようなことを口にしてくるヤツはいくらでもいたがな……初めて心に染みた。感謝するぞ、ノーラ」
えー、んー? 何かよう分かりませんが、俺の言葉が何かしらハルベイユ候の心に響くところがあったようで。
ハルベイユ候は淡々と食事を続けられて。
感極まったような使者さん侍女さんと、それを見つめ続ける時間が続き。
いくつかのろうそくの火が、か細くゆらめき消えてもなおでした。
そんな時間はゆっくりと続いたのでした。