俺と、ハルベイユ候の晩餐(8)
そして、えーと。俺はどう反応したら良いのやらですが。逆に言えば、ハルベイユ候はどんな反応を求めておられるのやら。俺の悩みに言及してきたということは、言及してきても良いよって、そういうことなのでしょうかね?
うぅーーーーーむ。
誰か答えを教えて欲しいなぁ。でも、そんな神様じみた知り合いは俺にはいませんので。仕方ない。俺自身言及したかったし。ハルベイユ候もそれを望んでいると信じて、ここは言葉を作ることにしましょう。
「食事を取られていないとお聞きしましたが」
言葉にしちゃいました。で、この判断は不正解では無かったようで。
ハルベイユ候は小さく頷きを見せられました。
「そうだな。取ってはおらん」
その声音にはうんざりした雰囲気は無くて。散々尋ねられた話題でしょうけど、不快には思われていないのかな? じゃあその、一歩踏み出しても大丈夫……かなぁ? えぇい、ままよ。俺、やっちゃいます。
「少しでも食事をされた方が、体の方にも良いのではないでしょうか?」
踏み出した提言をさせて頂きました。これはその、大丈夫なラインを踏み越えていないのかどうか。非常にドキドキしますが、だ、大丈夫そう? ハルベイユ候は「ふむ」と一言でした。そして、苦笑のような表情を浮かべられます。
「散々言われてうんざりしていたが、面白いものだな」
しわがれた声音が紡いだのは、そんなお言葉で。どうやらです。大丈夫だったのでしょうか? セーフ?
「え、えー、不快に思われたのでしたら謝りたいのですが……」
「面白いと言っただろうに。耳にタコが出来るほどに言われてきたものだったがな。お前の言葉だと思うと、不思議と腹も立たん」
どうやら不快さを感じてもらわずにはすんだらしく。しかし、はて? 俺の言葉だと腹が立たない? それはまた何故? って感じではあるようなそうでも無いような。
言葉って、口にする人によって意味だったり価値が変わるものでしょうし。俺がドラゴンであることが何かしら作用してハルベイユ候に不快さを感じさせずにすんだのでしょうねぇ。ペットがたわごとをなんて思われているかもしれないですし。なんて思っていますと、ハルベイユ候は淡々とその点について説明を始められたのでした。
「言おうか言うまいか。それを悩み通していたのは見て分かっていたからな。上っ面の気遣いでも無ければ、不快にはな。なかなかなり難いものだ」
ふーむ? どうやらです。俺がドラゴンであるという点では無く、人格面がこの結果を招いたようで? 俺の挙動不審さもたまには役に立つんですねぇ。なんか不思議な感慨を抱いてしまいますが、いやまぁ、不快にさせずにすんだことは良いとしましてですね。
問題はハルベイユ候がご飯を食べてくれるかどうかですよねぇ。それで体調が回復してもらえれれば、使者さんはもちろんカミールさんもハッピーになれますので。俺もまぁ、恩人の一人が元気になってくれたら非常に嬉しいですし。
ただ……悩ましくて黙り込んじゃうよな。不快にはせずにすんだけど、だからと言ってご飯を食べて欲しいってお願いを聞き届けてもらえるかどうかは別の話だろうし。ハルベイユ候にも食べていない理由がきっとあるでしょうし。と言いますか、えーと息子さんだっけ? 今は無い嫡男さんの存在があるようなことを使者さんは匂わされていて。
「どうした? 急に黙り込んで?」
俺は「え、えーと……」と曖昧な言葉を返すことしか出来なくて。だってね? これ、絶対にセンシティブな話題だよね? 今さらだけど、どうしよう。やっぱり俺が踏み込んでも良い話題じゃなかったかも。ハルベイユ候を怒らせるのも傷つけるのも嫌だしなぁ。やっぱり分相応に接待だけを受けさせてもらっていたら良かったかなぁ。
俺の迷いは、またまたわかりやすかったようで。
ハルベイユ候は再び「くくく」と愉快そうな笑い声をもらされたのでした。
「なんだ? また迷っているのか? 何を口にしようとして迷っている? 良いからそれを言ってみるといい」
とは言われましたが。い、言っていいのかなぁ? またまたの迷いどころでしたが、まぁ、仕方がないか。思わせぶりな態度を取った自分が悪いということで、ハルベイユ候の疑問に答えることにしました。
「あー、えー……ご嫡男の件があって、食が細っておられるとお聞きしていたもので」
素直に答えてしまいます。するとでした。ハルベイユ候はどこかほほえましげな苦笑を浮かべられました。
「そうか。なるほどな。踏み入って良い話かどうかと、それを悩んでいたわけか?」
「ご明察です」
「……ははは。お前は本当に良い性格をしているな。多いのだぞ? 息子がどんな人間だったかも知らんのに、息子が悲しむから食事をとれなどと無神経に口にしてくる連中はな。やはりお前は人間以上だな」
それが無神経かどうかは俺には分かりませんでした。ある種、テンプレートなところがありますし。故人の意思を忖度して、生者に語りかけるなんていうのはね。別に、善意に満ちた人でも、普通に行いそうな感じはあります。
ともあれ、俺はハルベイユ候の趣味には適ったようでした。ハルベイユ候はしわがれた顔を笑みの形にして言葉を続けられます。
「そうだな。その通りだ。長男を亡くしてからな、どうにも気力に欠けるようなところが出てきてな。食事になど、わざわざ時間をかけるような気にもなれん。死にかけていてもそうなのだからな。なかなか筋金入りであろう?」
長男を亡くされてから食事が細くなった。使者さんはそうおっしゃって、実際に長男を亡くされたことが現状の理由みたいですね。
ふーむ。なるほどです。これが理由となりますと、うーん、これは……
「どうした? また何か迷いごとか?」
愉快そうにハルベイユ候が尋ねてこられて。別に迷いごとでは無かったです。一つ結論を得られたと、そういうことで。
「いえ、あの、私には何も出来ることは無さそうだなと」
「ふむ?」
「閣下には出来れば元気になって頂きたかったのですが、えぇ」
そういうことでした。そして、何ででしょうかね? ハルベイユ候はまたも愉快そうな笑い声を上げられて。
「ははは。そうだな。良い気づきだ。こんなことは全て私の中の問題だからな。気づけん連中も多いものだが、お前は別だな。良い、実に良いぞ」
俺の言葉が、またしてもハルベイユ候の趣味に適ったということでしょうかね。
不意にでした。ハルベイユ候は俺を見つめながらに目を細められて。その瞳にはどこか懐かしげな切なさというのが漂っているようで。
「アイツもな、聡明なヤツであったな」
さすがにそのアイツがどなたかは察しがついたのでした。
「今は亡きご嫡男殿で?」
「そうだ。良い男だったな。聡明であれば、果断でもあってな」
ハルベイユ候は懐かしむように薄く目を閉じられて。そこに使者さんでした。今まで静かに控えておられたのですが、しみじみとして声を上げられます。
「まったくもってその通りでありまして。ハルベイユの名跡にふさわしいお方でした」
ハルベイユ候は沈黙をもって同意されたような感じでした。俺の隣では侍女さんが、沈痛な面持ちうつむいておられて。
いつしか、採光窓からの斜陽はおぼろげに霞みつつあり。燭台のろうそくの光ばかりが、頼りなく広間を照らしていました。
故人を悼む時間は、長くは続きませんでした。
ハルベイユ候が「はぁ」と深々とため息をつかれて。
「まったくな。全てあやつが悪いわ。だらしもなくも、二十もそこそこに病に倒れおってな」
口ぶりは責めているようでしたが、声音にはそんな雰囲気は欠片も無く。ただただ惜しんでいるとそんな感じでした。しかし、二十もそこそこですか。頭が良く、決断力もある青年が二十そこそこで。それはまた。
「これからだったのですね……」
「本当にな。これからだった。孫も生まれて、家督もいよいよ譲ろうかとしていた矢先だった。だというのに、呆気なく病に倒れてな。しかもだ、その上だ」
ハルベイユ候は「ふぅ」と息を吐き。その目には憂いの光ばかりが浮かんでいて。
「死の床でな。あやつは泣きおった。それまで一度も泣き顔を見せたことが無いようなヤツだったのだがな。泣きおって、死にたくないなどとすがりおって……まったく、祟られたような気分だわ。この年になってもな、アイツのあの顔が忘れたくても忘れられん。まったくな、本当にまったく……」
ただでさえ力ない様子のハルベイユ候でしたが、今は目にさえ力は無く。椅子にもたれかかる姿は、まさに人生に疲れ切った老人という風情で。
俺はよくよく理解したのでした。
これはまぁ無理だ。
ハルベイユ候の食が細くなった原因はこれなのでしょうが。俺が出来ることなんて、何も無いでしょうね。息子さんの早逝で傷ついた老人の心に届くような言葉なんてさ。少なくとも俺なんかには存在するわけが無くて。
ハルベイユ候が健康になってくれればと思って、俺に出来ることがあればなんて思ってはいたのですが。
俺はですね、完全に諦めることにしました。これは俺じゃない。俺なんかが立ち入ることの出来る問題じゃない。
ただ……なんかね。
俺は不思議な胸中にありました。なんだかね。ハルベイユ候の息子さんは非常に優秀な方だったようですが。しかも、子供もあって家庭に恵まれていたようで。そして、どう考えても周囲に愛されていたようで。ハルベイユ候にも家臣の方々にもね。
そんな息子さんが、死にたくないと死の床で口にされていたと。本当になぁ。なんかこう、ねぇ?
「……うらやましいな」
思わず呟いてしまって、『あ』でした。