第2話:俺と、娘さんの独白
クライゼさんがお帰りになられて、二時間も経っただろうか。
日はすでに傾き、全てが茜色に染め上げられている。そんな中を、娘さんは俺たちを連れて、とぼとぼと竜舎へ足を進めているのだった。
表情はひどく冴えなかった。汗がにじむ娘さんの顔には、物憂げな表情が浮かんでいる。
今までも練習を続けていたのだ。クライゼさんは帰る間際にいくつもの助言を娘さんに残していた。それをすぐにでも物にしようとしたのか、娘さんは額に汗しつつ、今の今まで宙を駆り続けていた。
だが、結果はかんばしくなかった。それが娘さんの表情と足取りに出ていたりするのだろう。
俺は休んだ方がいいと思うんだけどねぇ。娘さんに必要なのは練習よりも、気分転換のような気がするし。
ほどなく竜舎にたどり着く。
『疲れた……遊びたい』
疲れているのは、娘さんだけでなくドラゴンも同じだった。ラナも疲れていれば、アルバも疲れていて、俺も当然それなりの疲労感を覚えている。
ただ、気になるのは自分のことより娘さんだよな、うん。
ラナ、アルバと竜舎に入れられて、最後が俺だった。
「……はぁ」
娘さんがため息をつく。俺は竜舎の中から娘さんの顔をじっと見つめた。やっぱり辛そうだよなぁ。相当ストレスをためこんでるみたいだけど……って、はい?
ガシ、っと。
娘さんが、俺の頭を両手で包むようにつかんできた。痛くはないですが……なかなかの力強さ。娘さんはうつむいていた。うつむいたままで、そして、
「……あ」
あ? と、俺が内心首をかしげた途端だった。
「ああああああああっ!!」
背筋がね、ビーンとなりましたよ。ちょうビックリしました。それは他のドラゴンたちも同じのようで。
『な、なにっ!? なんなのよっ!?』
ラナは叫びを上げて、アルバは目を白黒とさせていた。
『だ、大丈夫! 何でもないから!』
慌てて声をかける。ラナは『お願いだから静かにしてよ』と不満顔。アルバは『そ、そうか』と言いつつも、動揺を隠せないでいる。
一騎討ちのことがあって、大きな声でドラゴンとは接しないようにしている娘さんなんだけどね。それでも出してしまったこの大声。娘さんの鬱屈とした胸中が想像出来るようである。
「……はぁ。ごめん。みんな、ごめんね。本当にごめん」
思わず出してしまった大声への罪悪感なのだろうか。反省の言葉が娘さんの口をついて出る。その言葉の調子が、本当に辛そうで苦しそうで……なんか、俺まで辛くなってくるな。
「……なんでだろう。何で、出来ないんだろう。一騎討ちでは上手くいったのに……」
大声のことを反省したためか、娘さんは俺の鼻頭に頭をよせてきた。その上で、ささやくような声で愚痴めいた言葉を続ける。
「おかしいよ。こんな予定じゃなかったのに……もっと出来なきゃいけないのに。ラウ家のためにも、お父さんのためにも、一流の騎手にならなきゃいけないのに」
すがるものが欲しい。そういう意識の現れだろうか。娘さんは俺の頭に深く体重を預けてくる。
「本当どうしたらいいの? 本当どうしたら……」
力なく切実な声色だった。
どうしたら……か。娘さんは解決策を欲しているようだった。もちろんのこと、俺なんかにそんな難しいことが分かるはずもなかった。
ただである。
何故娘さんがこんな状況に陥っているのか。それに関しては俺は答えのようなものを持っていた。
一騎討ちの件が尾を引いている。それが俺の答えだった。
娘さんは自分の都合を優先して、アルバを傷つけ、親父さんにも敵意をむき出しにした。このことへの深い後悔がおそらく娘さんにはある。
その上で、一騎討ちにおける成果があった。打ち勝ったのは偶然だとしても、クライゼさんと渡り合うことが出来たという成功体験だ。
この二つの事実が、娘さんを追い詰めていると俺は思うのだ。
傷つけたアルバや親父さんのためにも、自分はがんばらなければならない。
そして、自分はクライゼさんとあれだけ渡り合えたのだ。がんばるんだったら、少なくともあれ以上の戦いが出来るようにならなけばならない。
そんな思いに娘さんは今囚われているのではないだろうか。
それが重荷になって、騎手としての娘さんの決断力を鈍らせているのではないだろうか。
『……かわいそうに』
思わず呟く。俺だったら、絶対に娘さんみたいにならないだろうけどね。人一倍責任感の強い娘さんだからこそ、自分をここまで追い込んでしまっているのだろう。
誰か、言ってあげてくれないだろうか。
気にしないでいいよって。アルバも前のことはそこまで気にしてないし、親父さんはもちろん気にしているはずが無い。だから、気に病む必要はないって、誰か言ってあげてくれないだろうか。
クライゼさんとの一騎討ちの成果も気にするなって。あれは負けて上等の精神で挑めたからであって、参考に出来るようなものじゃないって。そもそも、騎手として一戦しかまだ経験していないわけであって、下手だとしてもそれは気にするようなことじゃないって。
こればっかりは俺にはどうしようもないのだ。
一騎討ちを終えてから、俺も自分なりの努力はしてきた。
積極的に飛び回って体力をつけるようにしてきたし、ラナやアルバには出来ないことで、騎竜としての価値を高めようとしてきた。
娘さんのためになれるよう努力はしてきた。
だが、本当こればっかりはダメなのだ。
娘さんの心の重荷を軽くして上げるようなことは俺には出来ない。それは人間にしか出来ないことであって、ドラゴンの身ではやりようのないことだ。
心の底から思う。誰か言ってくれないだろうか。娘さんの心の重荷を誰か取り除いてくれないだろうか。
「ねぇ、ノーラ」
不意の呼びかけ。娘さんは俺の目をじっと見つめてくる。
「教えてよ。私はどうすればいいの? ねぇ、ノーラ」
俺への助けの呼びかけ。うーん、俺にこんなことを言ってくれるなんて、よっぽど追い詰められてるんだろうなぁ。俺が人間であれば、あるいは何か言えたかもしれないけど……
「分かってるんでしょ? ノーラ」
ん? だった。分かってるって、あの、俺が何を分かってるって話なんでしょうか?
「私の言ってること分かってるんでしょ? ねぇ、ノーラ。そうだよね?」
……心臓が止まるかと思ったんですけど。
似たようなことは一騎討ちの後にも聞いたのだ。だが、前と比べて娘さんの真剣味が段違いでして……じょ、冗談だよね? 俺はそう思うのだが、娘さんの表情はやはり重く切実だった。
「そうだよね? 分かってるよね? だから、教えてよ、ノーラ。私はどうすればいいの? どうすれば上手くやれることが出来るの?」
『……』
「辛いの。苦しいの。だから、ノーラ。教えてよ。励ましてよ。私を助けてよ。ねぇ、ノーラ。ノーラ……」
今にも泣き出しそうな瞳が俺の目を捉えている。
どこまで本気かは分からない。だが、娘さんが俺に意思の疎通を求めてきた。そんな現実。
それを受けて俺が何を思ったかといえば……あぁ、そんな選択肢もあるのか、と。そんな新鮮な驚きだった。
そもそも俺はこの二度目の人生に人間らしさを求めてはいなかった。
人間の人生にはちょっとうんざりしていて、その上で授かることになったドラゴンとしての人生だったのだ。
だから、心の底から受け入れていた。自分がドラゴンであることを受け入れていた。当然、人間と会話しようなんて、そんなことは欠片も思っていなかった。
ドラゴンの人生を受け入れすぎていて、この生活に幸せを感じすぎていて、一度として考えたことが無かったのだ。
しかし、どうだろうか。
娘さんとコミュニケーションをとる。人とドラゴンとしてでは無い。人と人格を持つ者として。
それで娘さんが救われるのならと思った。
それで少しでも娘さんが救われるのなら、それも良いかもしれないと思った。
「ノーラ……」
娘さんがじっと俺の目を見つめてくる。ここで、一つでも頷きを返したら、きっと何かが変わる。
……だが、俺はそれを選ばなかった。
さも娘さんの言葉が分からないかのように、すました顔で見つめ返す。
何故、俺がこの選択肢を選んだのか。
理由はちょっと俺にもよく分からない。選ばなかった論理的な理由がちょっと思いつかない。だが、今の俺の胸中にあったのは……『怖い』という感情だった。
「……あはは」
不意に笑い声が響く。娘さんが辛そうにだが表情を笑みに変えていた。
「なーんてね。冗談だけどね。ノーラはドラゴンだから。言葉が分かるはずがないもんね」
俺は妙に安心した。だよね。そうだよね。娘さんが俺に人間性を求めてなんかないよね。
俺はそう納得した。だが、娘さんの作ったような笑顔を見ていると……どうにも、胸のざわつきが抑えられないのだった。