俺と、ハルベイユ候の晩餐(7)
そう不安に思ったのですが、ハルベイユ候の目からはそんな光はたちまち失われまして。
「ま、先の短い者が欲を張ったところで仕方あるまいか」
安堵とばかりはいきませんでした。
使者さんがおっしゃっていましたが、ハルベイユ候は本当に自らの死を覚悟されているようで。自分に何か出来ることはないのか? 思わずそう思ってしまいましたが、これはまぁ自意識過剰ですよね。
始祖竜だなんだって呼ばれることもありますが、俺は本当ちっぽけなドラゴン一匹に過ぎなくて。自分に出来るだけのことをするとしましょう。廊下でも思いましたが、誠意をもって招待に応えると、それだけです。
ハルベイユ候は使者さんに目配せをしました。するとです。使者さんは頭を下げられて、一度広間を退出されて。
どうされたのかな? と不思議に思ったのですが、それはどうやら合図であったようでした。
次に現れた使者さんは、給仕の方を引き連れておられまして。早速晩餐ということなのでしょう。給仕の方は手にお盆と言いますかトレーを掲げておられます。そこからは何とも良い匂い……なのかどうか。鋭くも繊細さとは縁遠いドラゴンノーズですので。なんか塩っぽい匂いは確かに感じますが。
人間様たちが好きそうな塩分過多な匂いと申しますか。あとは肉の油っぽい匂いもして、こちらは食欲をそそられるようなそこまででも無いような。
そして、俺の前に琥珀色のスープの深皿が置かれまして。アルヴィル王国のフルコースの概念はちょっと知りませんが、前菜って感じですかね。なんかもう、ハルベイユ候は俺を人間並みの待遇でもてなそうとされているんですね。その点については少しばかり嬉しくもあり、それ以上に戸惑いもあり。
いや、戸惑いが八割ぐらいかな? ど、どうすれば? どう頂けば? 深皿のサイズ感は、俺のデカ口でむしゃむしゃするのにちょうどいいぐらいでして。舌で中身をすくうのには小さすぎて、だからと言って丸ごとっていうのもなぁ。さすがに陶器をグシャグシャと飲み干すのは、俺の胃には過剰な負担でしょうし。
ひたすらに戸惑っているとです。
気が付けば隣には、先ほどの侍女さんがいらっしゃいまして。俺をすみずみまで水洗いして下さった侍女さんの一人ですね。その侍女さんの手には金属のスプーンがありましたが……はて?
「失礼いたします。給仕の手伝いをするようにおおせつかっておりまして」
若い侍女さんは澄ました笑みでそうおっしゃられたのですが。へ? それはつまり、そういうことで? 何ともしようが無い俺に代わって、お料理の方を口に運んで下さるとそういうことで?
なんて言いますか、要介護度高いな、おい。生まれたてのころを思い出すような感じも。給仕って言うよりは給餌って感じですが、え、マジ? そこまであの、してもらっちゃうのですかね? さすがに気恥ずかしいのですが。
「あ、あの……ここまでしてもらうのは正直申し訳ないのですが……」
ここまで気遣って頂かなくてもということでハルベイユ候に訴えさせてもらったのですが。しかし、俺の内心を知ってから知らずか。淡々と返答をされました。
「そうは言っても、さすがにノーラには食器は扱えまい?」
俺は何も言えなくなりました。それはまったくその通りでありまして。風の魔術じゃあ間違いなく無理ですし。あとは本当に、食器ごとかみ砕くぐらいしか選択肢は無く。
強いて言えば、最初から料理なんて形じゃなくて、いつものドラゴンの餌と言いますか飼料をドーンと木桶にでも入れておいて下されば十分だったのですが。でも、もてなしに文句を言うようなことはしたく無いですし。
ここはもう……ありがたく介護を受けるしか無いかなぁ。
「すみません。お手間でしょうが、よろしくお願いします」
当初からのお役目ということもあってか、侍女さんは快く頷いてくれたのですが、やっぱり気兼ねする部分はあるよなぁ。
早速、次女さんは深皿のスープをひとすくいして俺の口まで運ばれまして。俺は口を開けて待ち受けさせて頂き、で大河の一滴みたいな量が舌の上に垂らされまして。
「どうだ? 味の方は?」
ハルベイユ候に尋ねられたのですが、うーむ。何と申せば良いのやら。繊細で無ければ、繊細である必要も無いドラゴンのお舌なので。ぶっちゃけ分かりません。塩が含まれていることは如実に分かるのですが、本当それぐらいかなぁ。
しかしまぁ、俺は接待を受ける側なのであって。その立場の礼儀っていうのが、しっかりとあるはずなので。
「とても素晴らしいお味です」
これはきっと嘘とは呼ばないでしょう。もてなして頂いているお礼も兼ねて、そう口にさせて頂きました。でも、味まで聞かれたらどうしようなぁ。その時には、前世のグルメ番組の記憶を総動員して、何とか体裁を取り繕う必要が出てきますが。
「はっはっは。そうか、それは良かったな」
でも、ハルベイユ候は満足げでございまして。接待される側としての役目は無事果たせたようでして良かった良かった。
ただ、気苦労はすごいなぁ。侍女さんに気を使ってもらって、俺も当然侍女さんに気を使って、味のしない料理を美味しそうに食べなければならなくって。
そして何より、どうやら今日の晩餐はハルベイユ候との一対一らしく。使者さんに侍女さんもいらっしゃるけどどうだろうなぁ。晩餐が終わる頃には、ドラゴンの干物が一つ出来ている可能性も少なからずありそうであって、うーむ。
なーんて思っていたんですけどね。
意外や意外。晩餐はけっこうですね、俺にとって居心地のよいものとして進んでいったのでした。
原因としてはハルベイユ候の態度でしょうかね。
広場での活躍を労うため。それがハルベイユ候が俺を招待してくれた理由だそうなのですが、本当にハルベイユ候の態度はそれに準じておりまして。
俺に良いものを食べさせてやろうと、それだけが目的なのでしょうね。俺が食事を始めてからはほとんど口を開かずに、ただ満足そうに俺の食事風景を眺めておられて。
ハルベイユ候とのやりとりに神経を使うだろうなぁ、ってそんなことを予期していた俺なのですが、見事に裏切られたわけでした。
まぁ、実際のところ、気疲れをしないわけがなくて、最悪の予想よりははるかにマシであるって感じなのですが。それでも良い意味での誤算になりましたね。この分であれば、俺はドラゴンの乾物となってこの屋敷を後にせずにすみそうで。
いやぁ、良かった。なんて、俺はステーキっぽい料理を口に運ばれながらに思ったりするのですが。うーむ、ちょっとね? 少しばかり思うところはあるのでした。相変わらず美味しさがさっぱり理解出来ないのはともかくとしてですけどね。
ハルベイユ候です。その前には、終始何も置かれていなくって。つまるところ、この晩餐でハルベイユ候は一口も食事をとっていないんですよね。
使者さんがおっしゃった通りで。本当に食事を取られていないんでしょうね。そこが心底気になってうーんだったりうーむだったりで。
お体のためにも食事を取られた方が良いのでは?
俺なんかが口にしたところで何も変わらないと、そう晩餐前に思ったはずなんですけどね。それでも口にしたくなるなぁ。使者さんの口ぶりだと、食事を取られさえすれば、ハルベイユ候も健康体になれるかもしれないわけですし。言いたいなぁ。でも、言ったところでなぁ。散々言われてきただろうし、うんざりさせちゃうだけかも知れないしなぁ。
「……くく」
無駄に悩んでいる最中でした。
ハルベイユ候が唐突に含み笑いをもらされまして。俺は思わず尋ねかけます。
「あ、あの、どうされました?」
「いやな、面白いと思っただけだ。ある種、人間以上だな」
「へ? 人間以上ですか?」
「あぁ。私が食事を取っていないことについて言及すべきかせぬべきか。諸所の事情を勘案してだろうが、悩んでいる胸中が透けて見える。人間以上に人間らしいふるまいに見えてな。そこが実に面白い」
どうやらです。俺の悩みは見抜かれていたようで。まぁ、ハルベイユ候の前なりをかなりチラチラとうかがってしまっていたので。そりゃ見抜かれますかね。