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俺と、ハルベイユ候の晩餐(5)

 ハルベイユ候から晩餐の招待を受けまして。


 その早翌日の夕方前でした。


「では、こちらへ」


 笑顔の使者さんの案内を受けてです。俺はハルベイユ候の屋敷に足を踏み入れるのでした。


 いやー、展開が早い。


 カミールさんの屋敷のものと比べると素朴にも見える石塀の正門。それをくぐりながらに、俺は遠くに見える石造りのお屋敷を眺めます。


 本当、急な晩餐となりましたねー。


 使者さんの背に続きながらに、俺の頭にあるのは変わらずそんなことでした。招待を受けてから翌日の開催。若い子の遊ぶ約束ぐらいの気軽さを強いられて、俺はここに訪れることになったのですよねぇ。


 原因はと言えば、もちろんハルベイユ候の体調があるようで。


 昨日のことです。使者さんが帰られたと思ったら、ほどなくしてまた使者さんが訪れてこられまして。いつまで保つか分からないから、明日にでも来て欲しい。そう告げられまして。


 出来ればです。


 気安い仲だなんて百歩譲っても言えないハルベイユ候のご招待なので。心の準備をする時間が一週間単位で欲しかったところですが。でも、いつまで保つかって、そんなこと言われたらなぁ。今すぐにでも行きますってならざるを得なくて、今日この時間を迎えることになったわけで。


 めっさ緊張する。


 石畳の上を歩いているのですが、自分の足音よりも心臓の鼓動の方がデカく聞こえます。本当、娘さんや親父さんに付いてきて欲しかったなぁ。本当なぁ。来て欲しかったなぁ。


 そんな俺の心情は、種族の壁を超えて使者さんにも伝わっていたようで。


「なかなか気を楽にしてとは難しいでしょうが。私は常に控えさせて頂きますので、お頼り下さいませ」


 苦笑ながらに、俺を振り返ってそうおっしゃってくれて。


 非常にありがたい限りでした。俺は現在、敵地に単身乗り込むような気分にありまして。使者さんがついていて下さるというのは、俺の心の安寧にとても大きな意味合いをもってくれそうでした。と言いますか、すでにして安堵の息がもれますし。良かった。ハルベイユ候と二人きりだなんて、そんな環境にはならずにすむんだ。


 とにかく一安心でした。で、安心するとです。俺の胸中には、新たな懸念が芽生えてきまして。


 いえまぁ、懸念って言うよりは気になるところって感じなのですが。ハルベイユ候です。体調はよろしくないらしいのですが、実際のところどの程度の様子なのか。そこは非常に気になるところであり。


 対面は間近に迫っているはずでした。


 正門を抜けて、慎ましやかな庭園を歩き。そして、たどり着きました。広くもなければ、豪奢さよりも無骨さが目立つ、そんなお屋敷にです。


 あるいはハルベイユ候直々のお出迎えもあるのでは? そう思ったのですが、対面はまだ先のようで。


 玄関に人影はありましたが、それは数人の女性の方々でした。このお屋敷の侍女さんたちなのかな? この方たちがお出迎えに出向いて下さったようなのですが、はてさて。地面には水の貼られた木桶が置かれ、侍女さんの腕にはタオルのような柔らかそうな布があって。単なるお出迎えという感じでは無いようですが。


 侍女さんたちの意図の方はさっぱりですが、ともあれ俺は使者さんに連れられて玄関にまでたどり着きます。するとでした。侍女さんたちの一人が、俺の前に進み出て来られまして。


「ようこそいらっしゃいました。足の方をキレイにさせて頂きます」


 さすがはリャナス家には及ばずとも名家の侍女さんということなのでしょうか。しゃべるドラゴンを目の当たりにされるのは始めてでしょうが、澄ました笑みを浮かべられていまして。まだお若そうなのにすごいなぁって、そんな感心はひとまず置いておきまして。


 足の方を? 俺は思わず自身の足を見つめるのですが、まぁそりゃそうか。リャナス家では誰も気にしていなかったですが、俺はもちろんことドラゴンなので。馬や牛が屋敷に踏み入れるようなものですし、足をキレイにして欲しいって思われるのは自然のことで。


 じゃあキレイにしましょうかね。そう思って、タオルを受け取ろうとしたのですが。んー? 首をかしげることになりました。キレイにってどうすればいいんだ? 口でくわえて足を拭くしかないのですが、そんなキレイに出来る未来が見えなくて。


「ノーラ殿。そんな悩まれずとも、こちらでキレイにさせて頂きますから」


 使者さんは苦笑でそう告げられましたが。え? 俺の足をですかな? いやいやそんなそんな。俺の元人間としての意識はですね、自分の足を誰かになんていやいやまさか。


「だ、大丈夫です! 自分でやりますから!」


「いえそれは、傍目から見ましてもちょっと難しいように思えますが……」


「え、えーまぁ、それはその通りなのですが。しかしあの、私はそれなりにキレイ好きでして。それなりにキレイじゃないかなぁと思ってはいるのですが」


 キレイにして頂く必要はそんなに無いんじゃないですかね? 多分、人間さんの靴と同じ程度の汚れ具合だと俺は自負していたりするのですがね。


 その点について、声を大にして訴えようとしたところでした。使者さんは相変わらずの苦笑で口を開かれまして。


「どうか任せて頂けるとありがたいのですが。これもノーラ殿のためのおもてなしの一環でして」


「へ? 私のためのですか? 汚いまま上がらせたくないとかでは無く?」


「い、いえいえ、まさかそんな。延期になった式典においてもですが、ドラゴンは直前に洗い清められることになっていまして。我が主はノーラ殿を招待するならばその程度の配慮はしなければならないとしておりまして」


 う、っとなってしまいました。


 どうやらです。ハルベイユ候はかなり俺のことをもてなそうとしてくれているようで。そして、この状況は俺へのもてなしの一環であって。


 そう聞くとです。強いて断るのも失礼なような気がして……う、うーむ。


「ではあの……お願いします」


 俺は頭を深々と下げるのでした。


 そしてなのですが。俺はもうピッカピカに磨き上げられることになりまして。


 足だけかと思ったらそうでは無くて。本当ね、爪先から頭頂までにかけてピッカピカで。で、案の定でした。俺の人間としての意識は、人間さんに洗われているという状況にかなり思うところがあって。


 全てが終わりまして、俺は『はぁ』と一息でした。


 なんか、めちゃくちゃ気疲れしました。お若い侍女さんたちに囲まれて隅々までキレイにっていうのがそのねぇ? 


 借りてきた猫みたいになるしか無くて、そんな俺の様子を間近にして侍女さんたちはクスクス笑い声をこぼされたりして。和やかな雰囲気に寄与出来たのは良かったですが、ともあれ本当ともあれです。疲れたなぁ。ありがたくも二度はいいかな、うん。


「どうにも、余計な気苦労をかけてしまったような気はいたしますな」


 使者さんは申し訳なさそうに苦笑でしたが、いえいえ。俺の気苦労は、俺の小心ぶりが招いたものでしょうし。配慮して下さった方々は何も気に病まれる必要は無いわけで。


「いえ、まったくそんなわけが無く。すっきりキレイで心底爽快です」

 

 俺は使者さんに頭を下げて、ついで侍女さんたちにもです。体躯としては優れていないとは言え、サラブレッド馬を上回るぐらいには大きい俺なので。本当お手間をかけさせましたと、そんな気持ちでのふるまいでした。


 侍女さんたちは笑って頭を下げ返してくれました。どうにもあまり負担には思われていないようでして。まぁ、作業中も彼女たちは終始笑顔でしたからね。俺という珍獣の反応を楽しんで下さっていたみたいで。


 何にせよ迷惑をかけずにすんでけっこうなことでしたが、なんか一仕事を終えた感があるなぁ。でも、もちろんこれが俺の最終的な目的では無いわけで。



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