第1話:俺とクライゼさんの訓練
いつもの草原も最近は一層秋めいてきました。
草原自体の色は変わらない。いまだに青々しく夏の盛りの生命力を感じさせる。ただ、背景をかざる山並みの色合いは話が別。
緑の山並みにはマダラを敷くように黄色とオレンジの色合いが目立ち始めていた。つまるところ紅葉が進んでいるのだ。錦繍の秋はまだまだ先だが、秋の風情がじょじょに深まってきている。
いやぁ、秋っぽくなってまいりましたねぇ。俺は草原に伏せながら、初秋の光景に目を細めたりしているのだった。
景色もそうだが、風の肌触りもどこかヒヤリと涼しげになってきたような。耳に届くものも変わってきていた。夏の鳥はいつしかどこかへ行きまして、秋の鳥のにぎやかさが目立つようになってきた。ほら、今もどこかから鳥の爽やかな鳴き声が。
『ああああああっ!!』
……いるよねー。ああいう鳥いるよねー。ああああああっ! って。まぁね。違うんだけどね。どこぞのドラゴンがアホみたいに不満の声を上げてるだけなんだけどね。
『つまんないっ! 飛んでるだけでつまんないっ! なんで噛んだらいけないのよっ!』
誰の言葉かはあえて申すまい。正直どうでもいいし。頭上で繰り広げられている光景の主役は、どこぞの赤ドラゴンってわけじゃないし。
俺を空を見上げた。いわし雲が目立つようになった空では、二組の騎竜と騎手が複雑な軌道を描きながらの交錯を繰り広げている。
騎竜の名はサーバスとラナ。騎手の名はクライゼとサーリャ……我らが娘さんとなる。
鍛錬だった。
娘さんがクライゼさんに師事して早三ヶ月か。クライゼさんはたびたびラウ家の領地を訪れてきて、こうして稽古をつけてくれるのだった。
うーん、しかしすごいなぁ。
空を眺めながら俺は思わず感心するのだ。クライゼさんだ。俺は騎手の技術なんてさっぱり分からないけど、それでもすごいなと素直に思わされるのだ。
感覚としては、テレビでプロスポーツを観戦している時のものに近いのかもしれない。
全てが合理的で美しく見える。そんな感じ。俺は騎手として必要な技術や判断力なんてさっぱり分からないけど、サーバスさんの一挙手一投足からは磨き上げられた機能美のようなものを如実に感じるのだ。
空戦の軌道のとり方、ドラゴンの上での身のさばき方、はては釣り槍の構え方。
本当、全部がキレイだもんなぁ。一流って感じがばりばり伝わってくる。やっぱりクライゼさんてすごい人なんだなって、あらためて思わされる。
そして、娘さんはそんな達人に教えを受けてるんだよなぁ。
本当に上達する環境としては恵まれてるよな。その上で、娘さんはクライゼさんも認める才能の持ち主だ。向上心にも人並み外れて恵まれている。
さて、たかが三ヶ月。
だが、娘さんの才能と向上心、稀代の英雄クライゼさんの薫陶、それらの相乗効果があっての三ヶ月なのだ。
これで娘さんがどれほどの進歩を遂げたのか? それはですねー、もちろんですねー……ふふふふ。
「……ダメ。なんで? こんなの……」
ドラゴンの耳に空からの声が届く。かなり辛そうというか、しんどそうというか、そんな声だった。
まぁね。どう考えてもクライゼさんじゃないよね。じゃあ誰かといえば……そりゃ消去法だよね。
俺はラナの姿を目を追った。不満たっぷりに空をかけるラナ、その背中。娘さんは苦悶の表情をうかべながら手綱を握っていた。
俺は再び秋めく山並みに視線を移した。いやー、秋だねー。過ごしやすいねー。アルバもなんか、いつもよりぐっすりと眠りを楽しんでみたいだしねー。まだ娘さんのことはちょっと苦手そうにしてるけど、それでもいつもの調子はほとんど取り戻してるみたいだからねー。いやー、本当、良かった良かった。なははー。
……さて、現実逃避はほどほどにしようか。
俺が何で山並みなんかを目で追っていたかといえば、それはちょっと見ているのが辛かったからだ。娘さんが苦悩しながら空をかける姿を見たくなかったのだ。
と、いうわけで。
娘さん、絶賛絶不調のどん底にいます。
「……うーむ」
鍛錬が終わり、地上に下りたクライゼさん。その口からは悩ましげなうなり声がもれていた。その唸り声の行き着く先はといえば、それは我らが娘さんとなっている。
汗だくの娘さんは終始うつむいた姿勢を崩していなかった。クライゼさんと目を合わせたくない。そんな感じなのか。うつむいたままでポツリと口を開く。
「……顔、洗ってきます」
「……うむ」
クライゼさんの承諾を得て、娘さんは歩き出す。足取りにはまるで力がない。ふらふらとして幽霊のように草原を後にしていく。
「……ふーむ」
再びの悩ましげなクライゼさんの呟き。俺も内心うーんだった。娘さんなぁ。大丈夫かなぁ、本当。
『ぜぇはぁ、ぜぇはぁ』
娘さんについて物思いにふけようとしていたのだ。ただ、ここで邪魔が入った。ラナである。荒い息でしゃべられない代わりに、物言いたげな目で俺を見てきているが……あっ、そうだ。挨拶。挨拶しとかないとね、うん。
『お疲れ様でーす』
俺が挨拶したのは、ラナの隣に楚々として立つ涼しげなドラゴン……サーバスさんだ。
『……ありがとう』
言葉少なに返事があった。うーん、やっぱすごいな。息が乱れている様子が全くない。この体力は本当うらやましい限りだけどって痛っ!?
『……ぜー、ぜー』
ラナがにらんできている。いや、にらんでいるだけなら良いんだけど、しっぽでガツンとはたいてきやがりました。
何なの? そんなに言いたいことがあるの? 聞いて欲しいことがあるの? いやそれ、息が整ってからじゃダメなの?
言いたいことはあるが、それを言い出したらその分の実力行使が待っていそうだ。仕方がない。ラナとの会話にはおしなべて不吉な予感がともなっているのだが、声をかけてしまうとするか。
『ら、ラナさん? お、お疲れさまでーす』
『……あそ』
『あそ?』
『……あそ……ぶ? ……よね? ……ね?』
なんか幽鬼じみた口調だったが、そ、そこまで飢えていたのか、この子。
確かに仕方がないかもしれないが。ラナにとって、飛ぶと遊ぶはほとんど同じ意味だし。飛んでいるのに遊んでいないという矛盾がラナの精神をむしばんでいたのかもしれない。
『わ、分かった。遊ぼっか。次の放牧とかでね?』
『……うん』
ラナは素直に頷いていたりしていた。ちょっと可愛いとか思いました。これで俺に実害さえ無ければね、それで良かったんだけどね。
「……毎度思うが、お前たちは本当によくしゃべるな。ハイゼ家でも戦場でも、こんな光景は見たことがないぞ」
クライゼさんが無精ひげをさすりながら、不思議そうに俺たちを眺めてきていた。
「まったくおかしな光景だ。雰囲気に当てられたのか? サーバスすらよくしゃべるような気がする。だが、一番おかしいのはお前だな、うむ」
クライゼさんの視線の先にいるのは、どうやら俺らしい。それはまぁねぇ。前世、人間ですし。我ながらけっこうおかしいなと思う。
「おかしいヤツだ。人の目を見ながら話を聞くドラゴンなどが、まさかいるとはな。本当におかしいヤツだ。だが……今一番おかしいのは、お前たちの騎手だがな」
クライゼさんは苦悩たっぷりといった様子で、深くため息をついた。
「はぁ。さっぱり分からん。一騎討ちの時のあの名騎手ぶりはどこにいった? 未熟なところは多々あれど、流れるような決断力があり、大器の素質ありと感心させられたものだが……」
クライゼさんはどこか愚痴っぽく俺を見つめての独り言を続ける。
「本当に分からん。あの決断力はどこにいった? 終始バタバタして、後手後手だ。あれなら、ハイゼ家の若手共の方がよっぽどものの役に立つ」
かなーり手厳しいクライゼさんのお言葉。う、うーん。クライゼさんが言うのならその通りなんだろうけど、娘さんそんな状態なのか。辛いだろうなぁ。娘さんは元より、指導を引き受けたクライゼさんもこれもまた。
ここでクライゼさんはムッと顔をしかめた。ど、どうされました? クライゼさんは顔をしかめたまま、俺の顔を見つめられているのですが……
「……だが、やはり大器なのは間違いないだろうがな」
クライゼさんはフォローめいた発言を口にしていた。
んん? もしかして、娘さんを罵倒しすぎたと後悔でもされたのだろうか? 別に聞いている人なんて誰もいないのに? まさか主人の悪口を聞かせすぎたと俺たちドラゴンに気を使ったりしたのだろうか?
うーん、知ってたけどさ、この人絶対良い人だよな。子供とか動物に滅茶苦茶優しいタイプの良い人感がすごいする。
まぁ、それはともかくとして、クライゼさんは俺の目を見て発言を続ける。
「無駄な行動が無くなってきた。この行動が次にどうつながるのか。望む結果を得るにはどのような行動を積み重ねていけばいいのか。よく思案して飛んでいる。軌道の取り方も、空中での身のさばき方も格段に意味のあるものになってきた」
お世辞という感じではなかった。クライゼさんは一々感心しているように頷いている。
「まさに大器なのだ。あの思考の走らせ方は、十年騎手を務めたところで、身につかない者には最後まで身につかん。だからこそ、もったいない。何故あれほどまで決断力が鈍ったのか……うーむ」
クライゼさんは心底といった様子で悩ましげだった。娘さんを評価するからこそなおさら……そんな感じだろうか。
娘さんの決断力が鈍った理由か。
クライゼさんが分からないぐらいなのだ。俺にはさっぱり予想も出来ない……というわけでもなかった。
何となく分かるような気がした。
一応俺の方がクライゼさんより娘さんとの付き合いは長い。一騎討ちにおける娘さんの葛藤も直に目の当たりにしている。
娘さんが戻ってきた。
次は絶対上手くやってみせる。そんな心意気を示すように、娘さんの唇は一文字に引き締められ、足取りは草原を踏みならすように力強い。
きっとこういうところなんだろうなぁ。
第一に娘さんの性格。そこに一騎討ちの過程そのものが関わったりして……
娘さん、大丈夫だろうか。
俺は硬い表情の娘さんを不安の思いで見つめるのだった。