俺と、親父さんの出世(9)
親父さんの表情が少しばかり気になったのです。疲ればかりがそこにあるわけではないようで。アゴをさすりながら、思慮深げに目を細めておられますが。
「……どうかされましたか?」
思わず問いかけます。親父さんは苦笑を俺に向けられました。
「ん? あぁ、いやな。カミール閣下のお誘いについて考えていてな」
俺はなるほどでした。
武人としての活躍を望まれて、期せずしてその働きを全うされたわけで。
「何か思われるところがありましたか?」
きっとそうであろうと思って問いかけさせて頂いて。親父さんは苦笑のままで頷かれました。
「あぁ、あったな。やはりな、閣下からのお誘いであるがお断りしようと思う」
何となく察せられるところはありました。思いがけない命の危機でしたからねー。
「娘さんを見守るためでしょうか?」
「そうだな。戦場というのは、やはりこんなもんだ。思わぬ窮地などいくらでも転がっている。アイツを見守り続けようと思えばな、戦場に近づかぬのが一番だ」
そう結論付けられたようでした。
戦場で多くの手勢を率いてバリバリ活躍される親父さんを見たかったような気もしますがねー。
親父さんの意向が何より一番大事なわけで。娘さんを心配される父親さんの気持ちも十々理解出来ますし。
「それが一番であると、私も思います」
親父さんが選ばれたのならですよね。親父さんは選択に迷いは無いらしく、笑みで頷きを返されました。どうやらですね、カミールさんの一件はこれで決着となったようですね。めでたし、めでたし。
そんなタイミングにでした。
「あ、ここにいたんだ」
軽やかな声音が響いて、親父さんは目を見張られました。
「さ、サーリャ? お前、何故ここにいる?」
驚きの言葉通りです。軍容の人混みを縫うようにして現れたのは、ラナを連れた娘さんでした。
俺には驚きはありませんでした。いや、だって分かっていましたので。先ほど窮地を救ってくれた騎手の騎竜ですが、その騎竜が間違いなくラナだったですから。
「お疲れ様です。おかげで助かりました」
寝そべりながらにですが、頭を下げさせて頂きます。娘さんはにこりとほほえみを浮かべられました。
「なんか無茶してたみたいだけどさ。役に立てたみたいで良かったよ」
「本当に窮地を救われまして。眠られていたのでは?」
「うん。寝てたけど、騒がしかったから慌てて起きて着替えてって感じかな?」
「それはまた大変な感じで」
「ははは。別に私は良いよ。一応騎手だし、戦場での心得はあるし。でも……この子には申し訳なかったかなぁ」
娘さんが苦笑で見つめるのはラナでした。め、めちゃくちゃ不機嫌そうですね。ブスっとして、俺のことをにらみつけてきています。
『え、えー、ラナさん? お助け頂いたようで俺としては感謝ばかりの思いですが。いやぁ、さすがは勇猛かつ俊敏なラナ先生でありまして、えぇ』
怖いので、ちょっとばかりご機嫌取りに走ったりしたのですが。効果は皆無で。ラナは人を殺しそうな目をして、娘さんをじろりとにらみつけます。
『……一度ぐらいさ、コイツのこと噛み殺してもいいわよね?』
その一度は文字通り致命的なのですが。ま、まぁね? 眠いところ叩き起こされて不機嫌なのは分かります。分かりますが、うん。
『えー、朝になったら遊びますか?』
『遊ぶ。けど、寝たい。寝させろ』
目をシパシパさせて、心底眠そうなラナでした。ちょっとかわいそうだけど、もう敵勢は鎮圧されてこれ以上の活躍の場は無さそうですし。すぐに惰眠をむさぼってもらって、機嫌を直して頂けることを願うばかりでした。
えーと、ラナはともかくでした。親父さんは「そうだったか」と頷きを見せられまして。
「それはなんとも、良い働きだったな。ハイゼ殿などは気の利いた騎手だと褒め称えておられたが」
「え、本当? あはは、それは嬉しいな。だけど……大丈夫? 怪我とか無いの?」
どうやらですね、娘さんは親父さんを心配されてここに尋ねてこられたらしく。親父さんは嬉しそうにほほえまれました。
「そうか。私を心配してくれたか」
「そりゃそうだよ。お父さんはそこまで若くも無いし、ノーラみたいにウロコで覆われてるわけでも無いんだから。なんかすごい人みたいに言われてるけど、それでも心配はするって」
「ははは。そうだな……うむ」
親父さんはどこか満足げに頷かれました。何となく胸中を察することは出来ました。先ほどの決断でしょうね。選択は間違っていなかったと。娘さんを心配させるような選択をせずに良かったと、そう満足されているように俺には思えました。そして、
「ついでだから聞いてくれるか? 昼間の話だがな。カミール閣下からの提案に対する、私の判断についてだが」
早速娘さんにお伝えするようでした。娘さんは少しばかり目を見張られました。
「へぇ、もう決断されたんですか。なんか、すごく迷っていたみたいだけど」
「迷っていたがな。決めた。閣下には申し訳ないが、私はお断りすることにした」
昼には、当主の判断に任せるとおっしゃっていましたので。娘さんは、「分かりました」と笑みと共に頷かれることでしょう。
そう俺は幻視していました。で、結果はと言えば、その光景は俺の脳裏だけのものになってしまったようで。
「…………え?」
娘さんはです。真顔で、キレイにまっさらな真顔で疑問の声を上げられたのでした。
ただ、それも一瞬で。
取り繕ったような笑みを浮かべられて、一つ大きく頷きを見せられました。
「そうですか。分かりました。当主の判断とあれば、もちろん異論はございませんとも、えぇ」
これを本音だと受け取るには、現実を百八十度曲解出来る認識力が必要となるでしょう。
「ま、まてまてまて! それで私が納得出来ると思うか? 異論があれば言ってくれ。気になって仕方ないぞ」
当然、親父さんは本音だとは受け取られなかったようでした。これまた当然、問いただしもされまして。
それではって感じでした。
娘さんも言いたいことはやはりあったらしく。頷いて口を開かれました。
「では、失礼しまして……私は閣下のお頼みどおり、領地を受け取るべきかと思いますが」
先程の態度から察するに、まぁそうでしょうねっていう内容でしたが。ただ、問題はその理由ですよね。
「その理由は? お前は何故そう思う?」
親父さんが問いかけられて、娘さんはすかさず答えられます。
「それはですね。失礼かもしれませんが、当主殿が心配だからです」
「心配? 私がか?」
「はい。当主殿がお強いのは分かりました。空からですが、実際にうかがって分かりましたとも。ただ、ハイゼさんもおっしゃっていましたが、どうにも蛮勇気味かなぁと。今回も、ノーラと一人に一体で、百に近い軍勢に突っ込まれたようですし」
「別に、やりたくてやったわけでは無いのだが……」
「普通の人はですね、やりませんから。手遅れになるかもしれないと思っても、まず数をそろえようとしますから」
「うーむ。まぁ、そうかもしれんが」
「それで思ったのですが、当主殿が突撃される方ならばです。だったら領地を頂いて、それでちゃんと人を集められた方が良いのではと。戦える人々を集めて、普段から家臣として引き連れていればですね、こういった時にも無謀な突撃をしなくてすみますし。ちゃんとした戦の時にも、隣なり背なりを守ってもらえるでしょうし。どうでしょうか?」
娘さんは心配と呆れのないまぜになったような表情をされていました。
えーと、娘さんがおっしゃることはですね、んーと? 親父さんは突撃される方だとしまして。で、どうせ突撃するのならば、戦える家臣を普段から置いておけということかな? そうすれば、死ぬ危険も少ないだろうと。
領地をもらえば、それが出来るということで。まぁ、確かに。今日も、あと五人でも人がいれば、もっと楽に戦いを進められたでしょうしねぇ。
ただ……うーむ。俺は首をかしげるのでした。
いやまぁ、王都では色々あって親父さんは戦うことになっておりまして。それで危険な目にもあったりされて。でも、普段は戦わずにすんでいるわけなんですよね。
親父さんは苦笑で応じられるのでした。
「お前は俺が無闇に突撃することを心配しているようだがな、だったらなおさら領地を頂く必要は無いだろうに」
「そうでしょうか?」
「この王都で私も剣を振るうことになっているが、普段は騎手を一人出せば軍役としては終わりなのだ。だが、領地を頂けば、そうもいかなくなる。私も全力でな、お前の言う無謀な突撃をする必要が出てくる。俺の身を案じてくれるのならば、結論は領地は断るということになるのではないか?」
そういうことですよねぇ。親父さんの身を案じられるならばです。親父さんが戦場に出なくてすむように領地を断る。それが根本的な解決のような気がするのですが。
しかし……あの? 娘さんです。娘さんの表情がですがね?