ラナと牛さん:後編
ラナが牛さんに完敗した。
で、それが何をもたらしたのかですが。
『の、ノーラっ! どうにかしてくれっ!』
アルバがラナの猛攻をしのぎながら、俺に救援の叫びを送ってくる。ごめん、アルバ。キミがどうにか出来ないのに、俺にどうにか出来るわけがないから。俺は悟った目で二体の攻防を見守るのでした。
結果ですけどね。ラナさん、特に何も変わったりはしませんでした。
まぁね、希望的観測なんて、たいがいこんな結末を見るよね。負けを知ったことで、多少遊びに慎重になってくれるんじゃないかって期待したけど、そもそもアルバにもたびたび負けてるしね。
今さら一敗したぐらいで臆するような、そんなラナさんでは無かったわけだ。本当にガッカリである。はぁ。
ただ、変化が全くないわけでは無かった。
ラナの凶暴性には何ら変わりはない。ただ、ラナの凶暴性が発揮される機会が増えたというか。良い好敵手が出来たというか……って、あ。噂をすれば。今日もまたいらしたんですね、あの人。
のしのし、と。
茶褐色の塊が柵に近づいてくる。
特徴的な大きく濡れたような瞳。牛さんである。今日もまた牛さんが俺たちの元を訪れていた。
俺たちにとってはバーサーカーとの鬼気迫るコミュニケーションであっても、牛さんにとっては小動物との心温まるふれあいになっている。そういうことなのだろうか。
初めて訪れてきたあの日から、牛さんはたびたびここを訪れるようになっていた。放牧のついでにでも立ち寄っているのだろうか。牛さんにとって、ここを訪れることはそれなりの趣味になっているらしい。
『……っ!』
ラナがびくりとして、牛さんの来訪に気づいた。アルバから目を離し、慌てて柵の間際までよっていく。
『あそぼ?』
牛さんも一応そのつもりなのだろうか。鼻を差し出してきて、ラナは勢い込んでそれに飛びかかる。後はいつも通り。飛びかかっては、飛ばされて、地面にべしゃりとへばりついて。
そんなことが繰り返されて、牛さんが去っていく。ラナは平たくなって、それを見送ることになる。
『え、えーと、ラナ? 大丈夫?』
一応尋ねておく。いや、大丈夫だとは思うんだけどね。なんかすっごい目がキラキラしてるし。
『だいじょうぶ。あそんだ』
嬉しそうな声色だった。最初は敗北感みたいなものをにじませてたんだけどね。優位に立とうとして必死に挑んだりもしていた。だが、それもいつしかさっぱり無くなっていた。牛さんとの交流の楽しさが、敗北感みたいなものを上回ったからかもしれない。
『そっか。楽しかった?』
分かりきっていることだけど、これも一応尋ねてみる。ラナはそれこそ目をキラキラさせて答えてくる。
『あそんだ。たのしかった』
そっかそっか。ラナは俺にとって天敵のような相手である。だが、こうも喜んでいる姿を見せられると、どうにも素直に頷いてあげざるを得なくなる。
『それはうん、良かったね、ラナ』
『うん』
『でもさ、ほどほどにしときなよ。ひどいことしたら、向こうが来なくなっちゃうかもしれないし』
あまりに嬉しそうなので、助言のつもりでこんなことを言ったのだが、ラナには全く伝わらなかった様子。
『……どういうこと?』
どういうこと? って、それはもちろん。
『牛さんもイヤだと思ったら、来なくなっちゃうかもしれないし。だから、ちゃんと優しくもしてあげないと』
ラナとの共存を運命づけられている俺やアルバとは違うのだ。牛さんは本当気分次第。ラナがあまり手痛いことをしてしまえば、もう二度と訪ねてきてくれないというのも十分にあり得た。
ただ、その辺りに思いをはせるのは、幼いラナには難しかったらしい。
『……わかんない』
返事はこうだった。まぁね、別に大丈夫だと思うけどね。今のラナがいくらヒドイことをしようと思っても、牛さんの文字通りの牛革には手も足も出ないだろうし。
実際その後も牛さんは訪れ続けた。
その度に、ラナは喜んで牛さんに飛びかかって、幸せな時間を満喫したりしていた。
ただ、ところがである。
何の前触れも無かった。牛さんは突如として姿を見せなくなったのだ。
『うーむ……』
曇り空のある日、俺はラナを見ながらうなっていた。牛さんが来なくなって、ラナは目に見えて元気をなくしていた。俺やアルバに飛びかかることも少なくなり、柵の向こうをじっと眺める時間が多くなった。
ちょっとばっかり可哀想だが、牛さんなぁ。一体どうしちゃったのかねぇ。
ラナにヒドイめに会わされたとか、そんな感じはなかった。じゃあ、ここに来るのに飽きたとかそんなだろうか。もしくは……牛さんだからなぁ。一番想像したくないけど、美味しくなっちゃてる可能性も否定は出来ない。
とにかく、ラナはここまで意気消沈しちゃっているのだ。生きておられるのなら是非とも一目顔をみせていただきたいものである。
『……ノーラ』
ん? だった。珍しいことだ。ラナが俺の名前を呼んでいる。
『なに? どうしたの?』
尋ねると、ラナは暗い顔をして応えてきた。
『……いやになった?』
『へ?』
『いやになった? だからこないの?』
どうやら、ラナは俺の先日の助言を覚えていたらしい。何とも驚くべきことだが、ラナは自分に非があったのではないかと悲しげに疑っているようだ。
『そ、そういうことは無いと思うけど……』
『でもこない。なんで?』
『い、いやぁ……?』
俺にしても何とも答えようがなかった。牛さんが今生きているのかどうかすら、さっぱり分からないのであるし。
この日から、ラナはさらに元気を失うことになった。
もはや俺やアルバに飛びかかってくることも無い。日がなぼんやりとして、何か物思いにふけっている。
『平和だ』
ある日のアルバの呟き。とぐろを巻きながらのその呟きは大変満足げだったが、同時にどこか陰りのようなものを感じさせた。
『やっぱ、心配?』
尋ねると、アルバは沈黙をはさんで応じてきた。
『少し。かわいそうな気もする』
まったく同感だった。
ラナは柵の向こうに目をやって、ひたすらじっと待っていた。牛さんが来るのを待っていた。ラナではある。俺の天敵と言ってもいい、暴虐の化身ではある。それでも、どうにか報われて欲しいと俺は思うのだった。
牛が来ない日はしばらく続いた。
そして、転機が訪れた。
『ら、ラナっ! ちょっとラナっ!』
よく晴れたある日だ。俺は慌ててラナに声をかける。ラナは目をつむって、じっと伏せっていた。俺の呼びかけにも大した反応を見せてこない。
『……うるさい。しずかにして』
『それどころじゃないってばっ! 来てるっ! 牛さん来てるよっ!』
ラナは背筋を震わすようにして目を開いた。そして、がばりと体を起こす。首を伸ばす。いつも牛さんが来る方向へ、ラナは両の眼を見開きこらす。
そこにいるのだ。
牛さんだ。模様から分かる。いつもの牛さんだ。牛さんが濡れたような目をして、柵の中をのぞきこんできている。
本当一安心だった。良かった。牛さん、お肉になってなかったんだ。その上で、飽きることなくここに来てくれたんだ。
ラナはバタバタとして、慌てて柵の間際まで走っていった。そして、以前のように牛さんの顔をじっと見つめる。
良かったね、ラナ。さぁ、思うがままに遊びなさいな。キミの思い描いた日がようやく来たのだから。
俺はそうほほえましく思った。だが、ラナはすぐには動かなかった。
ラナは何か考えているように動かない。牛さんの顔をじっと見つめ続けている。
だが、すぐに我慢が出来なくなったのか。ラナは牛さんの鼻面に飛びかかった。だが、それは……
『え?』
アルバだった。俺と同じように様子をうかがっていたアルバが驚きの声を上げた。俺も驚いていた。牛さんはラナを振り飛ばしはしない。それほど嫌がっていないのだ。それはつまり……
『ラナ、爪を立ててないの?』
俺の疑問の声はそのまま答えになっているだろう。だが、信じられなかった。あのラナがまさか牛さんに気づかいをしているのだろうか?
ラナはそのまま牛さんの頭を登っていく。そして、たどり着く。牛さんの頭の上。ラナは俺を見下ろした。そして、一言。
『いやじゃない……よね?』
なんか感動してしまった。成長してる。ラナが精神的に著しく成長している。
我が子の成長を見るような、そんな気分だった。牛さん、ありがとう。貴方のおかげでラナは立派なドラゴンに……って、ちょっと?
のしのし、と。牛さんがあるき出す。興味が別の何かに移ったのか、どこぞに去っていこうとされているのだが……あの、頭上ですよ? ラナさん、まだ乗ってるんですけど。
『ちょ、ちょっとっ! 牛さん、ちょっと待ってっ! いや、それよりラナっ! 降りなさいっ! 早く降りなさいってばっ!』
ラナが去りゆく牛さんの頭上から俺に振り返る。そして、俺に対して口を開いてきた。
『いや』
『へ? な、なんでだよっ!?』
『あそんでるから』
感動が再び俺の脳髄をしびれさす。な、なんて文化的な! ラナにとって遊びとは暴力だったのだが、牛さんのおかげでそこに変化が訪れたのか。うーん、なんとも感慨深い。
とか、考えてる場合か、これ?
『ら、ラナっ! ダメだってばっ! どこ行くか分からないから、危ないから! だ、誰かぁっ! ラナです! ラナが脱走してまぁすっ!』
ラナは降りてこなかった。牛の頭にゆられながら、尻尾をふりふりでドナドナドナ。これ、マジでやばいんじゃ? 俺は叫ぶぐらいが精一杯で、ラナを見送ることしか出来なかった。
結局、ラナはすぐに戻ってきた。
親父さんに小脇に抱えられて運ばれてきたのだ。まぁね。あの牛さんはラウ家の持ち物なわけで、この結末はさもありなんだった。
『……えーと、楽しかった?』
帰ってきたラナが心底楽しそうな顔をしていたので、思わずそう問いかけていた。ラナは尻尾をふりふり返事をしてくる。
『すごく、たのしかった』
それはまぁ、ようございました。ラナは楽しんだ分疲れたのか、あっという間に地面で丸くなった。幸せそうな寝息がすぐに俺の耳に届いてくる。
すごく心配したし心労がたまったけど……これじゃあ責められないよなぁ。本当、楽しくてよかったねってそんなことしか言えない。
『ふーむ』
俺はラナの寝顔を見つめる。健やかで幸せそうな寝顔。これも全部牛さんのおかげか。
本当牛さんに感謝だった。最近の見るのも苦しいラナに元気を取り戻してくれた。そして、これが一番大きいのだが……ラナに精神的な成長をもたらしてくれたかもしれないのだ。
もうね、マジ感謝である。これでラナの暴力性が少しはなりを潜めてくれれば、ありがたいことこの上ない。ラナの成長のためにも、牛さんには末永く遊びに来てもらいたいものである。
ただ、うーん。心配も正直あるよなぁ。
牛さんなのだ。俺も自分自身について怪しんではいるのだが、食肉になる可能性は俺よりははるかに高い。というか、まずそうなるであろう予感がある。
もしそうなったとして、ラナはまたふさぎこんでしまうのだろうか? その時俺は何が出来るのか?
俺は不安の思いで、ラナの幸せな寝顔を見つめるのだった。
そんなこんなで、二年が過ぎました。
一騎討ちが最高の形で終わりまして、ラウ家にもようやく平穏が戻ってきまして。
そんな中での放牧の時間。
珍しいことに、ラナは草原を駆け回るでもなく、とぐろを巻いて寝息を立てていた。その様子を見て、俺の隣に立っている娘さんは驚きの声を上げた。
「へぇ、今もあの二人組仲良しさんなんだ」
そうである。そうなのである。
牛さん、二年後の今もご健在なのだった。牛さんはラナに背中を預けるようにして、地べたに横たわって寝入っていた。
結局、牛さんは食肉にはならなかった。
ラナと仲良しだから残してもらえたとか、そういうわけではない。ただただ、乳牛だったというそんな理由。ラナに会いに来ない時期があったが、それはおそらく出産の関係でこれなかったんだろうなぁ。
ともかく、牛さんは元気だった。
今も元気でラナと仲良くしてくれている。
そんな牛さんを見て、俺は思わず口を開いていた。
『ありがとうね、牛さん』
本当、牛さんにはあらためて感謝だった。あの一連の出来事から、ラナは少しは噛みつく時に手加減するようになった。俺が今日のこの日まで生存することが出来て、ラナがほどほどの邪竜に育つことが出来たのは、間違いなく牛さんのおかげだろう。
あとはまぁね。
ラナが再びふさぎこむことなく育ってこられたのも牛さんのおかげであって。そのことについて、俺は心から感謝したいのだった。
この二人はいつまで一緒にいられるだろうか。俺はそんなことを思ったりした。
食肉とならずとも、乳牛として活躍出来なくなれば……そういう心配があった。あるいは寿命か、あるいは病気か。そういう心配もある。
まぁ、不吉なことは考えても仕方がないか。俺に出来るのは、この二人がいつまでも健やかに仲良くあれるよう祈ることだけである。
ラナと牛さんは背中合わせに寝息を立てている。
初夏の風が、そんな一体と一頭を静かになでていく。