俺と、親父さんの出世(5)
機会は結局夜になりました。
領地上げるから、代わりに武人としてがんばって? そんな提案を受けた親父さんが、今何を思っているのか。カミールさんの頼みがあって、そこを尋ねようかと思ったのですが。
現状、攻城戦の最中みたいなもので、日中はけっこう色々ありまして。落ち着いて尋ねるような機会は昼間には得られなかったのです。
松明に照らされた、軍容の一画。
どこぞの屋敷の敷地の一部なのか、雑木の茂った比較的に静かな場所がありまして。
そこに親父さんはおられました。腕組みをして一人で考え込んでおられて。
「あの……少し良いですか?」
戦時ということもあるのでしょう。親父さんは手練の早業で長剣の柄に手を伸ばしましたが、俺だと気付かれると穏やかな笑みを浮かべられました。
「なんだ、ノーラか。どうした? 私に何か用か?」
一瞬切り殺されるかと思って、背筋がゾゾゾっとなったのはともかくです。もちろん御用でして、長い首を使って頷きを見せます。
「はい。用なのですが……カミール閣下のことでお悩みで?」
まずそうでしょうねと思いつつ問いかけます。そして、もちろんと言いますか、親父さんは苦笑で頷きを見せられまして。
「そうだな。あの提案について悩んでいるのだが……ノーラの用もそれか?」
親父さんも、そうだろうなと思いつつ尋ねて下さったのだと思うのですが。ご明察です。話が早くて非常に助かります。
「その通りです。カミール閣下から、親父さんの胸中を尋ねてくれるように頼まれまして」
「ふーむ、そうか。それはそうだろうな。あの時の私は、ひどく取り乱していたからな。アイツは何を考えているのかと、閣下が不思議に思われても当然か」
あの時、一同親父さんのふるまいに驚いていましたが、実際取り乱されていたのですね。ふーむ。いつも穏やかに泰然とされている親父さんなのですけどねぇ。
いつになく取り乱すことになった親父さん、その胸中にはどんな思いがあったのか? 非常に気になるところでしたが、俺の好奇の視線を受けてでしょう。親父さんは顔にある苦笑の色を濃くされました。
「こうして人間に近い意思があると思って見ると、お前は意外に表情豊かなのだな。聞きたそうな目と言うか、顔をしている。いい年をしたおっさんの苦悩なのだがな。どうだ、聞くつもりはあるか?」
もちろんでございまして。
俺が頷くと、親父さんは自らの隣を指差されました。
「では、近くで座るといい。長話になるからな」
お言葉に甘えましてですね。俺は親父さんに近づいて、その隣によっこらせと犬座りをします。親父さんもまた地面にあぐらをかかれまして。そして語り始められました。
「正直、心惹かれているのだ」
親父さんは静かにそう切り出されましたが、案の定と言えば案の定でした。パターンとしては二パターンでしょうからねー。迷っておられるようでしたが、断りたいけど断れないパターンか、頷きたいけど頷けないパターンかって感じで。で、親父さんはどうやら後者のようで。
「そうだったのですか。心惹かれて。やはり武人としてということでしょうか?」
「そうなるな。正直、戦働きは嫌いではなくてな。いや、むしろ好きな方か。ラウ家に騎竜をという思いもあったが、それと同じぐらいには戦場で暴れまわるのも好きだった。性に合っていたのだな。そして、それは今も同じらしい。どうにも心が疼くものがある」
ハイゼさんは、親父さんは戦は好きな方だとおっしゃっていましたが。その通りのようでしたね。その上で、心惹かれた理由はそれだけでは無いらしく。
「……なぁ、ノーラ。閣下は領地を下さるとおっしゃっていたが、その詳細などは話されていたか?」
真剣な顔をされて、そんなことを尋ねてこられて。えーと、確かですね。カミールさんとは、親父さんの胸中を聞いてくれと言われた後も、少しばかりやりとりをしまして。その中で、確かにそんな話もありまして。
「されていました。確かですが、軍役に出せる百人を養える程度にはもらって欲しいと」
俺にはさっぱり実感の湧かない程度の話でしたが、そんな感じで。娘さんは「そんなにっ!?」なんて驚いておられましたが、はてさて実際はどうなのか。親父さんはわずかに見張られました。
「軍役百人……? そう閣下はおっしゃったのか?」
「はい。それで、活躍に応じて加増もしたいと」
「ふーむ。そうか、なるほど……お前はな、ウチが騎手を出さない場合の軍役の程度を知っているか?」
「へ? いや、それはもちろん知りませんが……」
「十人だ。大雑把に数だけの話だがな」
「十人? じゃあ軍役百人分の領地というのは……」
「単純に、ラウ家の所領の十倍だな。ハルベイユ候領屈指のハイゼ家も軽く超える」
俺も目を見張ることになりました。
じゅ、十倍? それは……娘さんも驚くはずだよなぁ。ハイゼ家の大きなお屋敷が頭に浮かんだのですが、そのハイゼ家よりも所領の実収が大きいとなるとねぇ。もはや想像もつかないなぁ。
親父さんも驚かれているようでしたが、そればかりじゃないのかな? 「はぁぁぁ」と、不思議なため息をもらされました。
「いわゆる百人口の領地ということだが……はぁ。やはり……良いな」
「良いですか?」
「あぁ、良い。父祖伝来のラウの領主に不満は無いし愛してもいる。だが……やはりな。数多の手勢を整えて、万軍を率いてというのは……年甲斐もないが、どうしようもなく憧れるものだ」
そして、またのため息でした。
多分ですけどね。このため息には、望んではいけないのに望んでしまうと、そんなやるせない思いが詰まっているように俺には思えるのですが。
理由がですね。あるんでしょうかね。十分な領土を得て、数多の手勢を率いて戦に望みたい。そう思う親父さんが、その思いになびくことが出来ない理由が。
「私なんかはラウ家の当主が望まれるのなら、それで良いと思うのですが……理由の方が?」
俺の問いかけに、親父さんは悩ましげに頷かれました。
「ある。もちろんある。無ければ、俺は即断でカミール閣下の問いに頷いていただろうし、俺は今でも戦場を大威張りで駆け回っていただろうな」
やはりあるそうで。ただ、俺は今でものくだりがちょっと気になりましたが。
「ハイゼさんは、当主殿が戦場で活躍されなくなったのは、いくらがんばっても騎竜が任せてもらえないからとおっしゃっていましたが。そうでは無かったので?」
確かそういう話でしたが。親父さんは首を左右に振られました。
「いや、その理由も確かにある。その理由も確かにあるのだが、大きな理由は別にあるのだ。そして、その理由があって、俺は今、カミール閣下のお誘いに頷きかねている」
「おうかがいしても?」
「あぁ。どうにもな、脳裏に妻の顔がちらついて仕方がないのだ」
まったく回答の予想は出来ていませんでしたが。それでも、この回答はちょっと予想の遠めの外側でして。
「え、えーと、妻ですか? 奥さんで? 娘さんのお母さんということで?」
「それはそうだな。今は亡い、俺の妻だ。ノーラは当然知らないだろうがな」
「えぇ、はい」
「サーリャも話せることは無いだろうしな。二歳か、三歳だったか? それまでしか、アイツは一緒にいられなかったからな」
妙にしみじみとした空気になりましたし、正直親父さんの奥さんのことは非常に気になりました。俺の大切なラウ家において、もちろん重要な存在であっただろう方ですしね。どんな性格の方だったのか、娘さんには似ておられたのかなんて、尋ねてみたくはなりましたが。
今はその時では無いですかね。今の親父さんの判断に、その奥さんがどう影響しているのか? そこが本題ですし。
「その奥様が、脳裏にちらつかれていると?」
「うむ。アイツの顔も浮かぶし、アイツの声もな。アイツに言われたことが、ずっと私に影響し続けているということだな」
どうやら悪い思い出とは正反対のもののようで。親父さんは、一度俺にほほえまれた上で口を開かれました。
「アレはいつ頃だったかな? サーリャがまだアイツの腹にいた頃だから、かなり前の頃になるが。俺はハルベイユ候の旗下として戦場に出たのだが、屋敷に怪我を負って帰ることになってな」
「怪我ですか?」
「足の方にな。それなりの深手だったが、それまでに散々暴れることが出来て俺は満足していた。上機嫌でアイツに帰ったぞと報告したのだが……すごい顔をして出迎えられてしまってな。そこで告げられたのだ」
何となく、察することが出来るような気がしました。
きっとです。娘さんのお母さんですからね。娘さん同様に素晴らしくお優しい人なのでしょうし。
娘さんのお母さんが何を口にされて、親父さんが戦場でがんばらなく……言い換えれば、無茶をされなくなったか? 何となく予想は出来るのでした。
「……怪我をするような無茶をしないで欲しいと。そんな内容でしょうか?」
まず、間違いなくこれでしょう。
俺はほとんどそう確信していたのですが、は、はて?
親父さんです。ほほえましげに笑みを浮かべておられるのですが、それは過去の細君では無く、今の俺に向けられているようで。
「ど、どうされました? 私に何か?」
「ははは。いやな、サーリャはお前に懐いているようだが、その理由がよく分かると思っただけだ」
「へ?」
「性根の優しさが良く分かる。サーリャは良くお前の元に入り浸っていたがな、お前の性格があってのことだったのだろうな」
うーむ。唐突にですが、何やら褒めて頂けているようで。実際のところ、優しいと言うよりは人に厳しくなんて思いもよらない豆腐メンタルなだけなのですがね。
しかし、どうやら違うのかな? 娘さんのお母さんは、きっと親父さんに優しい言葉をかけられたのだと思っていたのですが。それは甘ったるい想像であると、親父さんに告げられたような心地でして。
「……えー、奥方様は当主殿を心配されたのではないのですか?」
「はっはっは! 心配など、あやつが俺にするものか。アイツもな、俺と同じ田舎の国人領主の生まれだ。そんな甘ったるいことを口にするような生まれではない」
「へ、へぇ、そうなので。では、実際はあの、どういった感じで?」
「お前はアホか? そう真顔で言われたな」
「あ、アホかですか?」
「あぁ。アホかとな。まがりなりにもラウ一党の党首が、戦場覚えたてのガキのように何をはしゃぎまわっているのか? お前が死んだら、周りの連中がどれだけ困るのか分からんのか? 私とこの子が、どれだけ苦労することになるのか分かるか? それが分からんのなら、お前はどれほどのアホなのか? まぁ、そんな感じだな」
俺はにわかに空を仰いでいました。
まぶたの裏に映るのは、優しい笑顔の娘さんですが……どうにもこうにも。親父さんの奥方様は、ちょっとばっかり娘さんとは毛色が違うようで。