ラナと牛さん:前編
番外編です。
時期はノーラがラナに出会って一週間が過ぎた頃。
ノーラにとっても思い出深い、ラナの成長の物語。
巣箱から、外の柵の中へと移されてもう一週間も経つだろうか。
巣箱を心から惜しんだ俺だったが、最近はここも悪くないと少し思い始めたりしていました。
明るい陽光の下、さわやかな薫風になでられながら暮らす。これがけっこう良くってですね。
気分もどこか晴れやかになるし、エサも不思議と美味しく感じる。
やっぱドラゴンは外で生きる生き物ってことなのだろうか。非常にしっくりくるのでした。娘さんもしっかり面倒を見に来てくれるし、慣れれば快適だなってそう思っていたりするのだ。
ただ……まぁね?
俺が何故巣箱に戻りたいと思ったのか? それは別に露天がイヤだとかそんな話じゃなかったわけでして。
天候的な環境はいいのだ。問題はもっと身近な環境、新たに増えた同居人たちの存在。
一週間前に、ここに初めて来た時に覚えた不吉の予感。ズバリでしたよ、えぇ。
『ひ、ひいいいぃぃっ!!』
かける。というか、逃げる。
さして広くない柵の中を、柵に沿うようにして逃げ回る。
『あそぶっ!』
追っ手はもはや言わずもがな。赤ドラゴンさんだ。今はラナと名付けられた、俺の小さな同居人。
しかし、あれだね。
なんで娘さんはアレにラナだなんて、可愛らしい名前をつけたのだろうか? もっとガ行とか使ってさ、それっぽい名前にしてやれば良かったのに。
とにかく逃げる。四肢をフルに活用して逃げ回る。だが、相手の追い足はなかなかというか、俺をかなりのところ上回っている。俺の首筋がガジガジされるのも時間の問題だろう。
と、いうことで。
『あ、アルバっ!』
地面で丸くなっていたアルバが『ん?』と首をもたげてくる。別にアルバに助けを求めようと思っているわけではない。アルバにしてもラナの被害者だ。助けを求めたところで嫌そうな顔をされるだけである。
『ちょ、ちょっとかくまってっ!』
ちょっとである。ちょっとアルバの巨体を盾にさせていただこうとそんな考えだった。
『……べつにいいけど』
ラナは狙った獲物にしか目がいかないなかなか単細胞な頭をしている。そのことはアルバも分かっているため、色よい返事をよこしてくれた。
アルバはかなり協力的だった。四足で立ち上がって、大きな面積を作ってくれる。ありがとう、アルバ。本当に助かる。俺はアルバの体の陰にすかさず体をもぐりこませた。
これで壁が出来た。ラナはアルバの足の隙間から俺を覗きこんできているが……怖ぇ。これもうホラー映画だろ。感情のうかがえない虫の目が、ランランと光を放っている。
とりあえずのところ反復横跳びだった。俊敏に回り込んでこようとするラナに合わせて、俺もアルバの体を回り続ける。
つ、疲れる! でも、ラナもきっと疲れるはずだ。なんとかこのまま体力切れまで持っていけないものか。
だが、やっぱりこの目論見は甘すぎたようで。
『あ』
アルバの呟き。はたして何が起こったか。俺は頭上を見上げた。アルバの背中だ。そこにはアルバの背に乗っかかって俺を見下ろすラナの姿があった。
あー、ね? 気づいちゃったかー。そこに立っちゃえばね、今までの回り込み合いを無効化出来るよねー。うーん、かしこい。
で、どうなるか? 俺の視界には、あぎとを開いて俺に飛びかかってくるラナの姿が。あ、牙が伸びてる。成長?
『ぎゃ、ぎゃああああぁっ!?』
どうでもいいことを気にしている内にマウントを取られた。かまれるっ! もうかまれるっ! でもそれはいやっ!
『アルバっ! 助けてっ!』
もう嫌な顔をされるぐらいはどうでもいい。俺はとにかくかまれるのが嫌でアルバに救いを求める。
俺の救助要請に対し、アルバは『んー』と前置きして、
『ノーラ』
『な、なにっ!? 早くっ!!』
『もう、あきらめたら?』
アルバは悟ったような目つきをしていた。君、何歳だっけ? 少なくとも、そんな目をしていいような年齢じゃないはずだけど。
とにもかくにも、もうダメなのだろうか。
俺はこの柵の中の暴君に、首をちぎられるまでガジガジされるしかないのだろうか。
誰か、お願いです。
この赤ドラゴンに社会性というものを教えてやってくれませんか?
相手の心を汲んで、相手の嫌がることをひかえる。そんな思いやりという心の動きをコイツに教えてやってはくれませんか?
願いつつも、叶わぬ願いであることはよくよく分かっている。もはや、かまれるしかないのだ。俺は半ば以上あきらめて、迫り来る激痛に身を硬くしてそなえる。
しかし、痛みはやって来なかった。
は、はて? どうなった? 背中にラナの重みは感じるのだが、その重みが動いているような感じがない。噛み付いてこようとしていない? だったら、何をしてるの? へ? 今どんな状況なの、これ?
『の、ノーラ?』
疑問符な感じでアルバが俺の名前を呼んできた。なんだろう。異常を俺に伝えたがっているような、そんな感じだけど。
アルバは何故か柵の外を呆然と見上げていた。
誰か来ているのか? 娘さんか、親父さんか。俺は思わずアルバの視線の先を目で追って……目を見開いて絶句することになった。
『はい?』
何かいます。娘さんが比べものににならないほどドデカイ何か。茶褐色のたくましく大きな体躯。頭部は俺の全身よりもはるかに大きくて面長で、そこでは大きくつぶらな両目が、しっとりと濡れて光っている。
これって……見覚えがあるな。牛じゃないかな、この方。
やっぱ牛さんだよな、うん。牛さんが柵の向こうから頭を乗り出して、俺たちを見下ろしていきているのだ。
鳴き声は聞こえていたので、ここにいることは知っていた。ただ、見るのは初めてだったが……うーむ、でかい。元の世界でもデカイとは思ったが、この体ならなおさらだった。まさに怪獣。足で蹴られたらイチコロだろうなと、そう思えるスケール感。
『……あそぶ』
ラナの声に、俺はふと我に帰る。そうだ。俺は現在命の危機にあるのだ。ただ、何故かラナは現状冷温停止しているのだが……ん?
背中から重さが消える。ラナが俺の背中から下りてきた。そして、牛さんにテクテクと向かっているのだが……
『ら、ラナさん?』
貴女、一体何をしようとしておられるのですかね?
牛さんの前に進み出たラナ。じっと牛さんの顔を見上げている。牛さんは興味津々といった様子で、ラナに顔を近づけてきた。
ラナの目がギラリと光る。そんな風に俺には見えた。
『あそぶっ!』
ラナが牛さんの鼻面に飛びかかる。え、えぇ? まさか新しい遊び相手だと思ったの? ちょっとスケール感が違うでしょ。絶対俺やアルバを相手にするようにはいかないんじゃ?
結果は案の定だった。
飛びかかって、鼻面にへばりついて、そしてポーイだった。牛さんが鼻を上下にふった結果、ラナはものの見事に宙を舞っていた。その後、空中で一回転して、地面にべしゃり。
『……?』
ラナは地面で平たくなってボケーとしていた。結果に困惑していたのかもしれない。鎧袖一触というか、ここまで思い通りにいかなかったのは生まれ初めてかもしれないしね。いやまぁ、何をしようとしていたのかは正直サッパリなんだけど。
それで、ラナさん。簡単にはめげません。
再び、牛さんの前に進み出る。そして、飛びかかる。鼻面に爪を立てて、それを牛に嫌がられて。これも再びである。宙を舞う。今度は二回転だった。それでこれもまた同じくベシャリ。
『……あそぶ? ……え?』
困惑の声を上げるラナさん。思い通りにいかない現実に納得がいっていないご様子。
牛さんは俺たちを眺めるのに飽きたらしい。のしのしとどこぞへ歩き去っていった。
ラナは牛さんが去っていったのにも気づいていないようだった。完敗した現実に打ちのめされているのか、目を白黒させて呆然としている。
うーむ、ちょっと可哀想な感じがするけど、俺やアルバにとっては良いことかもね。これが良い薬になって、少しは大人しくなってくれやしないだろうか。
そんなことを俺は思ったりしたが、はてさて。
現実はいかに。




