第2話:俺とエサやり
そんなこんなで始まりました俺のドラゴンセカンドライフ。
って、ことになるのかな。熱にうなされて俺はあえなく孤独死。そして俺は多分地球上じゃないどこかで、ドラゴンとして新たな生を受けました。そんな感じだと思う、多分。
それで、ドラゴンとして生きることになった今の俺の心境だけど。
まぁ、いっか。で、あったりした。
ちょっとは思ったりはしたのだ。えぇ、トカゲなの? みたいな。どうせ生まれ変わるのなら、爬虫類チックな生物よりは哺乳類、もっと言えば人間だったらなぁ、的な。
でも、そんなことは本当ちょっとしか思わなかった。
人間に生まれたところで幸せになれないのは俺自身が証明してるしね。人間に生まれて、またあんな人生は送りたくないなって、すぐに思い返すことになった。
その上でだけど、ドラゴンとしての人生も悪くないかなって、そう思えることがあったのだ。
「〇〇〇!」
鈴が鳴るような可愛らしい声が降ってくる。娘さんだった。俺を手のひらに乗せていたあの娘さんだ。深い青色の瞳を弓なりにして、俺を楽しげに見下ろしている。
この子だった。それに、この子の親父さん。この二人が、俺がドラゴンの人生も悪くないと思えた一番の要因だった。
何故かと言えば、それは……おおっと。
娘さんが手を伸ばしてきた。俺からすれば巨人の手そのものだが、今は恐怖はまったく感じない。それどころか、なんかちょっと嬉しいというか。
俺は今、どこかの小屋でわらの敷かれた木製の巣箱に入れられて育てられている。娘さんは優しい手つきで俺を巣箱から出し、そっと自分の手のひらに乗せた。
娘さんの顔が近くなる。娘さんはほほえんでいた。優しく、そして嬉しそうに俺に笑みを向けている。
……これなんだよなぁ、うん。
これが理由だった。きっと俺は祝福されて生まれたのだろう。そう思えたからだ。
前世はと言えば、本当にもう、アレだったしね。十代で妊娠した親にいやいや産み落とされて、適当にDQNネームつけられて、適当に育てられるっていう、そんなアレ。
それと比べればマシなんてものじゃなかった。
人間としてでは無く、ペットとして愛されているとしても、だ。幸せだって、そうためらいなく断言出来た。
まぁ、理由はこれだけじゃないんだけどね。精神的な理由としてはコレだけど、もっと即物的な理由が俺にはあったりする。
「〇〇。〇〇〇」
娘さんが何事か口にした。何を言っているのかはさっぱりだが、もう何度も同じ言葉を耳にしていた。だから、その言葉の意味を俺はあいまいにだが理解していた。
エサの時間だよって、多分そんな意味。そして、このエサの時間というのが、俺がドラゴンも悪くないと思うに至ったもう一つの大きな理由だった。
娘さんは片手に木の細いスプーンを持っていた。それを俺の口に近づけてくる。ぬ、ぬおお。やってきましたか。今日もこの時がやってきましたか。
もう我慢が出来ません。早く、どうか早くどうぞ。願いは叶った。娘さんはスプーンの先を俺の口に押し当てて、スプーン上にあったエサを俺に流し込んできた。
これがですね、たまらんのですよ、はい。
人間の感性からしたら、決して良いと思えるものではないのだ。黄色がかったドロドロとした得体の知れない液体を、喉の奥に無理やり注ぎこまれる。端的に言えば、俺はこんな目に会わされているのであった。
でもね、そのね……本当すごいんだよね。
初めてエサやりを受けたときの衝撃は今でも覚えている。その時は娘さんの親父さんによるものだったが、なんかもう感動だった。味だとか、そんな話じゃなかった。エサが喉を抜けていくと共に突き抜ける圧倒的な多幸感。
生物として根源的な快感を直接脳髄に叩きこまれたような、そんな感覚だった。これを味わってしまうと、ね? 誰だってドラゴンの人生も悪くないっていうか、むしろ最高っていうか、そう思えるんじゃないでしょうか。
「〇〇〇〇。〇〇〇」
残念ながら、今日のエサの時間は終わりらしい。娘さんの口からいつもの終わり際の言葉がついて出た。
うーん、残念。でも、エサやりは今日中にも何度もあるわけで。名残惜しいが、ここは我慢である、我慢。
娘さんは満足げな笑みをして、俺を巣箱に戻すのだった。俺がしっかりエサを食べたことへの満足だろうけど、本当に良いんだろうかなぁ、これ。
ちょっと幸せすぎない? 祝福されて生まれて、幸せなご飯の時間があって。
ペットだろうがかまいはしない。願わくば、この生活が末永く続きますように。そう思って、俺は幸せな心地で巣箱のわらの上で丸くなるのだった。
けど、まぁね。
分かってはいたのだ。
そうなるような気はしていたのだ。
幸せというのは永くは続かないのである。
「〇〇〇〇?」
後日である。娘さんが巣箱をのぞき込んできていた。その表情は暗く冴えない。何やら不安げな表情をしていて、発した言葉もおそらくは心配を伝えるものだろう。
はたして俺に何が起こったのか? 起こったってわけじゃ特に無かったりする。何かをしているというのが正解であって、では俺は一体何をしていたりするのか。
その答えはこれである。娘さんが手を差し入れてくる。俺を手のひらに乗せてエサを与えようとしているのだが、俺は慌てて娘さんの手のひらをよけた。
娘さんはすかさず捕まえようとしてくるが、俺はそれも息を切らしてよける。
つまりはこうだった。エサの拒否。絶食行動に俺はいそしんでいたりするのだった。
……辛い。何で、こんなことになってんだろうね?
きっかけはこうだった。
ペットとしての人生も悪くないなと、巣箱で丸くなっていたある日。
ふと思ったのだ。俺は自分のことをペットみたいに思っていたが、実際のところそれはどうなのだろう、と。
最初は竜騎士だとか、そんなものかと思ったのだ。ファンタジーとかだと、それが定番だし。竜騎士として活躍する未来とかあるのかなぁ、とのほほんと考えたりしていたのである。
そして、後日。
まどろみの午後。エサをもらって、幸せに午睡していたある時。
耳に届いたのは悲鳴だった。おそらくは動物の悲鳴。睡魔に支配されていた俺はその時は気にも留めなかったのだが、次のエサの時間だ。
訪れてきた娘さん。その笑顔の下、服のそで。そこにはわずかに血の赤がにじんでいた。
家畜を始末していたのではないか。俺はすぐにそうピンときた。牛か豚だかの声はよく耳にしていた。そして、娘さんや親父さんの服装をかんがみるに、この世界は中世的な文化水準のようなのだ。
俺のいた世界のように、家畜は世話も始末も業者がやって、後はスーパーで買うだけとはいかないはずだ。だったら、家畜は家で始末するというのは簡単に想像出来ることであった。
それでまぁね、あらためて思ってしまったんだよね。
俺って、何のために飼われてるんだろうって。
ペット? 竜騎士? 本当にそうなのだろうか?
娘さんが俺によく声をかけてくれたけど、実際は何を言っていたんだろうか? 笑顔で何を語りかけてきていたのだろうか?
大きく育ってね、とか? もしかしたら……美味しく育ってね、とか?
俺は本当のところ、実際は……食肉として育てられているのではないのだろうか?
はい、そういうことです。
自分が食肉として育てられているのではないか。そう思ってしまうと、どうにもエサが食べたくなくなりまして。育ったら食べられるんじゃないかって、それがただただ恐ろしくて。
分かってはいるんだけどね。食肉として育てられているんだったら、もうどうしようも無いって。
だったら、ちゃんと食べて、今の幸せを謳歌した方がいいって。そっちの方が多分建設的。俺は〆られるまでとはいえ、しっかりと幸せを味わえ、娘さんに暗い顔をさせることも無い。
でもさ、ねぇ? 怖いじゃん? 自分がいつか〆られて、美味しく頂かれると思うと恐ろしいじゃん? だから、俺は逃げるのです。娘さんには悪いとは思っているんだけどね。
それで、娘さんは俺にエサを食べさせようとしているんだけど。
俺の必死の抵抗に会い、娘さんは仕方なくといった様子で手を引っ込めた。表情はいぜんとして暗く、どこか戸惑っているようにも見えた。俺を心配そうに見下ろしながら、何度も首をかしげたりを繰り返している。
まぁ、そりゃあね。娘さんからしたらきっとわけが分からないだろうし。俺が食肉であるかもしれない未来に悲観してノイローゼになっているなんて、まさか予想は出来ないだろう。
ごめんよ、娘さん。俺だって本能はエサを求めているんだけどね。これで絶食も二日目になるか。短い期間のようで、生まれたての俺の体はしきりに栄養を求めているのだ。
人間の時の感覚ならば、もう一週間も食事をとっていないような感じだった。
正直、体調はすこぶる悪い。頭もクラクラしてきて、栄養を取れと体は常に危険信号を訴えてきている。
それでも、食べれない。食べたくない。だから、娘さん。どうか立ち去ってくれないだろうか。娘さんの悲しい顔を見るのは、なんとも申し訳ない気持ちになるし、本当辛いことだから。
娘さんは「はぁ」とため息をついた。これがいつもの合図だった。諦めの合図だ。これで娘さんは立ち去ってくれる。これで一安心だと、俺はほっと一息をつくのだった。
しかし、安堵には少し早すぎたようで。
娘さんは立ち去らなかった。その表情はどこか険しく、瞳にはなにかを決意したような強い光が宿っている。
あ、あのー、娘さん、どうされたんですかね? その力強い表情は一体?
そんなことを悠長に思っていたのが悪かったのか。一瞬だった。娘さんの手があっという間に俺に伸びてきた。
ぐ、ぐぇ。つかまれた。いつもの優しさからはほど遠く、力強く無理やりな感じでにぎられる。
な、何ごと? 一体何が起きてるの? そう混乱している間に、俺はつかまれたままに巣箱の外へ。
俺は仰向けにされて両手でにぎられていた。目の前に、娘さんの顔がある。やはり娘さんの表情は力強く険しいけど……あの、これ何なんですかね? 何だか握りつぶされそうてちょっと怖いんですが……って、ん?
もしかして、これはそういうことだろうか?
なんともなしに自分の現状が頭に浮かぶ。エサを拒否する俺ことドラゴン。成長の見込みは無し。育てる価値の無い、飼育上の不良債権。これが一体どうなるのか?
つまりですけどね、えぇ。
俺、このまま〆られるんじゃないだろうか。
い、いやだっ! 死にたくない、死にたくないっ!
一度幸せというもの味わってしまったからだろうか? 本当死というものが怖くて仕方がなかった。
残りわずかな体力を総動員して必死に抵抗する。あ、ダメだ。これ、やっぱり無理だ。娘さんの手の中、わずかに身じろぎすることしか出来ない。
襲い来る絶望感。い、いやいやいや。まだ絶望するには早い。〆られるかもしれないなんて、これは俺の妄想に過ぎない。予想もつかないが、娘さんは何か他のことをしようとしている可能性が……って、にわかに上昇する圧迫感。
娘さんの指に力が込められている。やっぱ、ダメかもしれない。握りつぶされるか、それとも絞め殺されるか。そんな未来しか思い浮かばない。
死にたくないんですけど……ダメでしょうかね?
出来る限り目線で訴えてみたのですが、娘さんは何かを決意した人の目をして、俺を見下ろすのみ。
これは万事休すですかね。どうやら覚悟を決めるしかないらしい。けど、怖いんですけど。死にたくないんですけど、マジで。
でも、どうしようも無かった。
俺は喉をからからに干上がらせながら、その瞬間に怯えた。怯えた。怯え、怯えて……えー、あれ? 何かちょっと予想とは違うような気がするぞ、これ。
なでられてる。なでりなでりと、娘さんの指が俺のお腹をはっている。これ、なんぞ? あれだろうか。もしかしたらマッサージ的な何か? 内臓を刺激することで食欲を回復する的な?
娘さんは俺の絶食を体調不良によるものと思っていたのかもしれない。
娘さんは真剣な顔をしてマッサージらしきものを続けていた。その顔から俺は目を離せなかった。なんか本当、俺のことを大事に思ってくれてるんだなぁって。
いや、食用として大事にされてるだけかもしれないけどさ。それでも、それでもこんなことをされるとなんかこう……思うところはあるよね、正直ね。
しかしまぁ、あれです。これ、気持ちよ過ぎない? あ、ダメだ、これ。エサをもらうよりも幸せかもしんない。お腹をなでられるたびに体の中から温かくなるような感覚があって、快感と安心感と幸福感がごった煮になっているようなそんな感じ。
そんなハピネスタイムが終了いたしまして。訪れたのはエサやりの時間だった。娘さんが不安そうな顔をして木のスプーンを差し出してくる。
さて、どうしましょうか。口を開くか開かないか、それが問題。まぁね。答えなんてもう決まってるんだけどね。
口を開く。破顔一笑とはこのこと。娘さんは笑顔の花を咲かせて、俺にエサを注ぎ込んできた。
だってさ、仕方ないじゃん。祝福されて生まれて、愛されて育てられている。食肉として〆られることへの恐怖はある。でも、この子のためにもさ、ちゃんと食ってちゃんと育とうって、そんな思いになるしかないじゃん。
でも、マッサージは捨てがたい。どうにかして再びマッサージを受けたいなと思いました、まる。