第20話:俺と、不幸の予感
昨夜に続いて、今夜も陰鬱な夜になりそうでした。
広大なリャナス家の庭園は、全てがオレンジ色に染まっていました。刈り込まれた樹木に芝生も、わずかに水面を揺らす湖も。
全てがオレンジに染められていて、間もなく暗闇に沈むことを予感させていて。
それを屋敷にある塔、その最上部から俺は眺めていました。そして、どうしようも無くため息を一つ。
結局、今日は何も出来ませんでした。
娘さんを助けることは出来ずに、こうして日没を迎えてしまって。
さらにはです。
今後についての展望がまったく見えなくて。だからこそ、俺はここで一人黄昏れていたりするのですが。
「あぁ。ここにいたのか」
背後から声がかかりました。振り返ると、そこにはアルベールさんがおられました。俺は外から飛んで入り込んだのですが、アルベールさんは当然階段を上がってこられたのでしょう。
俺への用事ということなのでしょうか。
もしくは……俺と同じ用事ということなのですかね。
アルベールさんはがしがしと頭をかきながらに俺の隣に並んで来られました。
「俺もさ、逃げてきたよ。あまりに空気が暗くてさ」
塔の石柵にもたれながら、アルベールさんは深々とため息をもらされて。
どうやら、俺と同じ用事だったらしいですね。俺もまた暗鬱な気持ちで黄昏の光景を眺めます。
昼間の、思わぬ方々の救出があって、その後ですが。
ハルベイユ候が色々語ってくれて、それからもずっと話し合いが続いていたのです。
これからどうするのか。
その点についての話し合いでした。
ただ、娘さんたちがどこにいるのか。そこも分からなければ、情報を得るためにどうするかとそんな話題に終始するしか無く。
かなりのところ雰囲気は暗かったです。
その情報を得るのも、ギュネイ家の監視にあって難しいらしく。そもそも、ハルベイユ候の手勢に、親父さんとハイゼさんが加わったところで戦力不足はぬぐいようが無く。
どうしても明るい雰囲気にはなりようが無くて。その雰囲気が嫌で逃げてきたというのが、俺がここにいる理由だったりするのでした。
それはアルベールさんも同じようでしたが。一人と一体で、ただただ夕闇に沈む風景を眺めるしかなくて。
思うところも一緒なのでしょうか。
同志としてです。
娘さんがどこにいらっしゃるのか。そして、どんな目に会っているのだろうか。そんなことに思いをはせたりされているのでしょうか?
アルベールさんは横顔をオレンジに染めながら、ぽつりと呟かれました。
「……申し込むべきかなぁ」
……はて?
その真剣な横顔を見つめながら、俺はわずかに首をひねりました。
同じことを考えておられるなんて勝手に思い込んでいましたが。どうにも違うのかな?
申し込む。俺の前世的な感覚ならばです。アルベールさんの年頃だったら、免許取得だとか大学受験だとか。そんな申し出だろうと思えるのですが。
しかし、この世界でこの状況で申し込む?
「あのー、申し込むって何をですか?」
尋ねかけると、アルベールさんは「ふーむ」と唸りを上げて。
「婚約をだよ。申し込むべきかってね、うーん」
……ふむ?
ちょっと驚いたと言うか、呆気に取られたと言うか。
俺は思わず声を作っていました。
「なんか色ボケされてます?」
娘さんのことが好きすぎて思いすぎて、現状とか過程とか色んなものをすっ飛ばしたぶっ飛んだ思考をされているのかと思ったのですが。
で、これはまぁ、案の定ですけど。
アルベールさんは「は?」と目を見張って、顔を真っ赤にして声を上げられました。
「い、色ボケってなんだよっ! 失敬なヤツだな、お前はっ!」
怒られました。いや、あの、でもねぇ?
「この状況で、なかなかな思考をされているなぁと正直思ったのですが」
娘さんの居場所が分からなくて、無事に助けられる見込みはまったく立っていないのです。この状況で婚約とか。なかなかになかなかな気がどうしてもねぇ?
若干、自覚は持っておられたようで。
アルベールさんは腕組みで「むぅ」とうなられました。
「それはまぁ、確かにね。でも、こういう状況だからだろ。こういうことを考えるのはさ」
はてさて、でした。
この状況が、アルベールさんのこの言動にどう影響したのか? そこは非常に分かりかねるところでありましたが。
「王国はこれから荒れるよ」
そしての、こんなお言葉でした。
俺はまたまた首をかしげることになりました。
「もう荒れているような気がしますけど」
ギュネイ家の当主のせいで、王都は事実上の内乱状態になっていて。すでにけっこうな荒れ具合のように俺には思えるのですが。
アルベールさんは首を横に振られるのでした。
「こんなの、まだ序の口だろうさ。ギュネイ派にリャナス派、どちらが勝利するにしても、武力による所領への進行は避けられないだろうしね」
「えー、どちらかが降伏しなければですよね?」
「そんなの、双方するわけが無い。と言うか、親父殿は許さないだろう。リャナス派は徹底的に討滅したいだろうし、自分が王都で敗北したところで、所領に籠って徹底的に抵抗するだろうし」
「なるほど」
「王権も地に堕ちただろうしね。王都というお膝元で、こんな実力行使を許し、その上に何の行動も起こせていないとあってはね。お隣さんのカルバもまず行動に出るだろうさ。深入りまでしては来なくても、確保出来る利益は間違いなく確保に来る」
再びの、今度は胸中でのなるほどでした。
聞いてみれば納得でした。現状はまだ序の口も良いところで。これからが混乱の本番と、確かにそんな感じはしましたが。
「だから、婚約と?」
正直、そこへのつながりは良く分かりませんでしたが。アルベールさんは当然と頷かれました。
「そりゃそうだよ。これからの時代は何が起こるか分からないんだからさ。うだうだしている間に申し込む機会を永遠に失っちゃうかもしれないわけだし」
それはまぁ、確かに。今日もわりと命の危機はあったのですが。それが、これからずっと続く可能性もあって。
「もちろん、まずはサーリャ殿の救出に全力を尽くすけどさ。その後のことも、当然考えちゃうわけ。分かるだろ?」
そしてアルベールさんは、こう言葉を続けられました。これもまぁ、確かに。娘さんたちを救出出来たからと言って、それでめでたしめでたしってわけにはいかないだろうしね。
その後も、人生は続いていくわけで。アルベールさんがその後に考えを巡らしていても、何らおかしいことは無いですかねぇ。
「ノーラもさ、考えといた方がいいよ」
そしての、この提案でしたが。
ふーむ? でした。
「あの、何をですかね?」
「君は始祖竜とは何ら関係無いんだろうけどさ。でも、世間は君を始祖竜と同一視するよ。間違いなくね。君がこうして表舞台に出てきたからには、そこから逃れることは出来ない。今後について、その覚悟はしておいた方がいい」
どうやら俺を心配して下さっているようでした。
確かに、そんな懸念はありそうですね。
俺の存在は、始祖竜さんとやらを想起させるには十分なようで。その始祖竜さんはこの国の人たちにとっては重要な存在らしく。
だから、俺もただのドラゴンではいられないはずで。そのことについて、アルベールさんは指摘されていたのですが。
ただまぁ……うーむ。
心配して下さったのはありがたかったのですが、そのことについて考えを巡らせるのは無理そうでした。
俺はもっと、別のことに思考を奪われていまして。
婚約ですか。婚約。婚約かぁ。
アルベールさんが娘さんとねぇ? ふむふむへむへむ。それはまったくなんともかんとも。
昼間で、色々と思った俺でした。
初めての白兵戦で、恐怖の中で色々と思ったりしたのですが。
娘さんについてだけどねー。
なんか、嫌な予感がしていたりするのでした。
自分が娘さんについてどう思っているのか。ラナが色々とうるさく言い続けてくれたことによって、図らずも思考を深めることになってしまって。
どうにも、こう、ねー?
気づかなくて良いことに、どうにも気づかされつつあるような気がしていまして。
うーん、マジで考えたくねぇな。
ぶっちゃけ、めちゃくちゃ気づきたくなくて。アルベールさんが婚約なんて口にされて、正直俺はうらやましいなんて思っていて。ドラゴンじゃあ一生望めないことだよなって、羨望を覚えたりしていて。
だから、考えません。
婚約については、もうノーコメントで。
前世でも、考えたくないことは考えないようにして生きてきましたが。その特性を、今世でも発揮することにしましょう。自分を不幸にしそうなことには思いを巡らさない。これがもうベストでしょうね、ベスト。
どうせね。
どうせ、その内気づかされる。
そんな気配を感じていて。それまでには気づかないことにしておく。俺はそう決めたのでした。
俺が決心を固める中でです。
アルベールさんが「はぁ」と深々とため息をつかれました。
「まぁ、その前に救出なんだけどさ。やれやれ」
その嘆息に、俺も眉根を寄せるしかありませんでした。
そこですよね。
俺の内心はともかくとして、そこが重要で。
とにもかくにも、娘さんたちを救出しなければならないのです。そうしなければ、娘さんたちはこの先の混乱の時代を生きることすら出来ないのですから。
あぁもう。頭と胃が痛くなるなぁ、本当。
現状、俺には何も出来ることが無くて。自分の無力感を味わいながら、こうして闇に沈む光景を眺めるぐらいしか出来ないのですが……ん?
俺は思わず首を伸ばしました。
アルベールさんが不思議そうに首を傾げられます。
「ノーラ?」
「すみません。静かに」
申し訳ないですが、二の句はさえぎりまして。
音がしたのです。すでに日は落ちかけて、松明の明かりが目立つようになってきたのですが。いずれかの暗がりから物音が聞こえたような気がして。
……怒声か?
怒声に続いて、昼間にも耳にした鈍い響きが。剣戟? ともあれ争いのたぐいの騒音が、俺の耳に届くのでした。