第13話:俺と、奇妙なラナ
その夜は、結局何も起こりませんでした。
煌々と炊いたかがり火が功を奏したのか、マルバスさんの見立て通り、小勢として黙殺されることになったのか。
ともあれ、何の動きも生じることなく夜明けを迎えて。
そこで俺が何をしているかと言えばです。
『……って言う感じの現状なんですよ、はい』
俺の前には、アルバにラナ、それにサーバスさんが顔を並べて、俺の言葉に耳を傾けているのですが。
説明をね、させてもらっていたんです。
現状に対する説明をです。
昨日は色々あって、俺が中庭に来る頃には、皆寝入っていましたし。
で、今日にとなりまして。
ギュネイ家とリャナス家が実力をもって政争を行っている状況にあって。色々な人が囚えられていて。その中には、クライゼさんに……娘さんの姿もあって。
説明しておくべきだと思ったのです。
サーバスさんは当然気にされるでしょうし。最近、クライゼさんとの交流を楽しんでおられるサーバスさんですので。事実、サーバスさんは何事か考え込むように目を伏せておられて。
で、アルバとラナにもです。この二体は、娘さんがどうなろうがあまり気にしないとは思うのですが。しかし、もしかしたら、この先二体には協力を願う場面があるかも……いや、まず間違いなくあるでしょうから。
事情は説明しないが協力しろっていうのも失礼な話ですしね。なので、こうして説明させてもらって。
しかし、ふむ? 内容について、あまり興味を示さないだろうと俺は思ったのですが。それは半分当たって、半分は予想外な感じで。
アルバはでした。
そこまで興味は無さそうで。終始『ふーん』といった感じでした。
『よく分からんが、連中も色々あるんだな』
得られた結論も、そんな気の無いもので。
ただ、俺を見る目は真剣そのものでした。
『で、お前はまた何か苦労するつもりか?』
そして、アルバはそんな尋ねかけをしてきたのだけど。いや、苦労ってわけじゃないけどさ。
娘さんのためなのだ。こんなの苦労の内には入らないのだけど。
『まぁ、うん。出来ることはしようと思ってるよ』
ドラゴン、ノーラに可能なことを全てやり尽くす。そのつもりではいるけどね。
アルバは『そうか』と一言置いて、
『別に、俺は小さいヤツうんぬんに関してはどうでも良いというか、正直ロクに理解はしていないがな。だが、お前が助けが必要だってならいつでも聞いてやるからな。遠慮せずに言えよ』
そんなことを言ってくれたのでした。
正直です。アルバだったらこう言ってくれると思っていましたが、だからと言って素直に喜べるかと言えば、そうでは無く。
本当、ただただアルバの優しさにつけ込んでしまっていて。そこが非常に申し訳なく思うのですが……
『……ごめんね。本当にありがとう』
ここは甘えさせてもらうことにするのでした。
いつかね、この恩を返すことの出来る機会が来たら、その時には全身全霊をもってアルバの望みに尽くす。
そう決心して、甘えさせてもらうことにするのでした。
『……私も、出来ることがあったら』
この方は、アルバとは思惑が違うことでしょう。
おそらくクライゼさんのことが念頭にあっての申し出ではないでしょうか。なんにせよ、サーバスさんの申し出は俺にとって有り難いものであり。
『ありがとうございます。その時には』
喜んで、謝意を伝えさせてもらうのでした。
さて。
これで俺の用事はほとんどすんだようなものですが……えー、あー。一応、触れておいた方が良いですかね?
我らがラナさんです。
どうせ娘さんについての話だからね。興味を示すわけも無ければ、『ふーん』以上の感慨を持つことは無いだろう。
なーんて俺は思っていたのですが。
実際のところ、めっちゃ不機嫌になっていたのでした。
それは今もです。話が進むにつれて、露骨に不機嫌になっていったのですが。もう眉間にはとんでもないシワが刻まれて、しっぽはバチンバチンと中庭の芝生を薙ぎ払っていて。
めっさ怖い。
そうとしか思えなくて、触らぬ神に祟りなしを貫きたいところですが……うん。希望的観測がなかなか難しい光景ですが、もしかしたら協力してくれるかもですし……
『え、えー、そのー、ラナさんの感想をお聞きしたく思うのですが……』
おそるおそる尋ねかけてみたのですが……お、おおう?
不機嫌と言って、これ以上ない感じのラナさんだったのですが。どうやら、まだ底では無かったらしく。
すでに谷のようになっていた眉間のシワが、さらに深く峡谷をうがちまして。
『……嘘つき』
『へ?』
『嘘つきっ!! うーそーつーきーっ!! もう本当嘘つきやがってこのがぁーっ!!』
なんかもう、すごい圧を感じるぐらいでした。
俺は思わず後ずさったわけですが、え、えーと? これはその、何? ラナは俺を、射殺しそうな目でにらみつけてきているんだけど。
『……まぁ、その、あれだ』
アルバです。
妙に達観したような声音で、そんな言葉をもらしまして。
『ノーラ。お前、これから忙しいんだよな?』
『え? ま、まぁ』
『だったら今は無視しとけ。これからが大事なんだろ? 今、気疲れしたくないんだったら、それが一番だ』
との、おおせでしたが。
でも、い、いやぁ? 正直、気になるんだけど。アルバの言う通り、これからが本当に大事で心労は出来る限り少ない方が良いのだけど。でも、嘘つきって何さ、嘘つきって。
一体、何を思っての発言だったのやらですが。その発言の主のラナですが、今は猛然とアルバに食ってかかっているのでした。
『無視しとけって何よっ!! なんでアンタにそんなこと言われなきゃなんないのよっ!!』
『お前の気持ちも分からないことはないがな。でもまぁ、仕方ないだろ。コイツ、あのウザいヤツのこと気に入ってるんだし。それで、これから忙しいみたいだし』
『気に入ってるって、そんな程度じゃ無いでしょうがっ!! そこが問題でしょうがっ!!』
『それが気に入らないわけか。あー、やっぱりお前そんな感じなんだな、うん』
アルバは何か納得してるみたいですが。
一方で、俺は本当にさっぱりで。どうやら、俺が娘さんのことを気に入っていることが気にくわないようですが……そう言えば、俺が娘さんについてどう思っているのか。その点について、ラナは先日俺に突っかかってきていたっけか?
その件が、今のラナの奇態に関係があるのかな? いや、でも嘘つきって。まったく意味が分からないのですが。
『……嘘つき』
ジトーっと。
ラナは再びそう言って、俺を恨みがましくにらみつけてきています。
ほ、ホント気になるなぁ。アルバは無視を推奨しているけど、ここはちょっとねぇ?
『ら、ラナ? 嘘つきって何の話?』
尋ねかけてしまいます。
ラナはジーっと俺をにらみつけながらにポツリと呟きました。
『……言ったのに』
『はい?』
『好きじゃないって言ったのにっ!! 何なのよ、もうっ!!』
先ほどまでは大人しくしていた尻尾が、ブンブンと振り回されていて。
俺は首を傾げて、ちょっとボーっとしてしまいました。
なんか、急に日常に引き戻されたような感覚がありまして。えーと、もしかして、アレの話ですか? ギュネイ一門が実力行使に出た、その前日。竜舎で話したアレやコレやの話で。
い、いやいやいや?
もしかしてですよ? あの時、俺は娘さんのことを、当然、それはもう当然のこととして、ドラゴンとして以上の好意は抱いてはいないと伝えたのですが。
俺が救出に奮闘する決意を見せて、もしかしてです。なんかこう、明後日の方向に思考を迷走させたりしてるんじゃ?
『ラナ。何か妙な勘違いしてない?』
問いかけると、ラナはもう猛獣めいた怒気を露わにするのでした。
『何が勘違いよっ!! まーたアイツのために頑張る気でさ。絶対そういうことでしょっ!! 大嘘だったでしょっ!!』
え、えぇ?
俺は正直戸惑うしかなくて。俺が娘さんのことを、ドラゴンとして以上に好きだから救出しようとしている。そんなアクロバティックな勘違いをしているらしく。
『いやね、ラナ? 娘さんね、命の危険にあるの』
『だから何よ?』
『命の危機だから。娘さんのことを、俺はあー……好きじゃないよ? それは間違いないから。でも、ドラゴンとしては好きで。だから、助けたいって思ってるの。それだけだよ』
本当はもうちょっと複雑な感情があるのでしたが。
この世界に生まれて、ドラゴンとしての幸せを俺に与えてくれた人。その人を失いたくないと、俺は心の底から願っているわけですが。
しかし、それは決して恋愛感情とは違うわけで。そう、そんな気持ちの悪い感情とは縁遠いわけで。ラナの勘違いは、まったくもっての邪推としか言いようが無いのですが。
まぁ、分かってくれるでしょ。
友情だとか親愛だとか。そんなもので動きたくなるタイミングがあるってことをね。なんだかんだ言って、色々と俺に協力してくれるラナである。十分に理解を示してもらえるはずでした。
ところが。
『……嘘』
ラナは目つき鋭く俺をにらみつけてくるのでした。
『絶対に嘘。分かるもん。私分かるもん。ノーラのは絶対、そういうのじゃない。私、絶対に分かるもん』
妙なことを、しかし真剣な口調で並べ立てて。
『……あはは。何だよ、その分かるもんって』
笑い飛ばしてやって。しかし、
『…………』
ラナは変わらず、真剣そのものといった目つきでにらみつけてきていて。
……え、えーと?
何ですかね、この空気。
もうこれ以上嘘をつくな。認めてみろ。
そんな言外の圧力を、ラナの目線からは感じるのですが。
いやいやいや。そんな、ねぇ?
嘘なんてついて無いですし。
娘さんは、俺にとって大切な人。ドラゴンである俺に、ドラゴンとしての幸せを与えてくれた大切な人。
だから、助けたい。
この理屈に何もおかしいことは無くて。
……ただ……まぁ。
恋心から、ギュネイ家を裏切ったアルベールさん。彼にある熱さは自分にもきっとある。そう思ったりはしましたけど。
ですが、それはそのぐらいの熱量が俺にもあるってだけの話で。決して、俺は娘さんをドラゴンとして以上に好きではない。それは間違いなく。
そう。まったくもって間違いなく……ね? だから俺は、ラナの視線に戸惑うしかないのですが。動揺じゃなくてね。本当、ただただ戸惑うしかなくて……
「ノーラっ!!」
その叫びは屋敷からのものでした。
慌ててその方向に目を向けると、そこには血相を変えた様子のアルベールさんがおられて。勢いよく手招きをされていて。
「来てくれ!! 動きがあった!!」
動き。何がどう動いたのかサッパリでしたが、アルベールさんの態度がその重要性を十分に俺に伝えていて。
「わ、分かりましたっ!」
じゃあ、仕方がない。
ラナの視線に何も答えることが出来なくても、それは仕方ない。慌てて駆け出します。
『あ、逃げるかっ!! この大嘘つきっ!!』
だから、嘘なんかついてないってば。
そう思いながら、俺は身を小さくして、アルベールさんに続いて屋敷に飛び込むのでした。