第10話:俺と、反撃の猶予
マルバスさんはわずかに眉をひそめられます。
「ギュネイ家のお屋敷ですか。おしなべて貴族の屋敷とはそういうものですが、防備もなかなかのものでしょうな。手勢の方はいかほどでしょうか?」
「分かりかねる部分は大きいですが、せいぜい五百程度かと。式典を前にして、軍勢を呼び寄せられるような名目も無く。ひそかに呼び寄せていおいた分で、おそらくはその程度で」
「そこにギュネイ派の諸勢が加わったとして……まぁ、二千は超えないでしょうなぁ」
「おそらくは」
「対して、手勢はアルベール様の家来衆を加えても五十程度。あとは、戦うことは出来ない侍従や侍女ばかりで。一応、一門と縁戚の領主たちに使いを送ってはいますが……あのギュネイ殿ですので」
「期待は持たれない方が良いかと。縁者の方々も、おそらくは親父殿の攻勢を受けておられるだろうことは間違いなく」
「でしょうなぁ。ふーむ」
悩ましげなマルバスさんでしたが、俺としてもドラゴンながらに顔をしかめるしかない状況のようで。
少なくとも、相手の戦力は五百。
娘さんを救出するには、五十程度あまりでその防備を突破しなければならず。
「守るにも、これはいささか不利が過ぎるような気がいたしますが」
心配そうに、アレクシアさんがそう口にされました。
えーと、あー、確かに。俺の頭には、娘さんの救出のことばかりがあったのですが。その前に、俺たちはおそらく攻勢を受ける側なのであって。
「そうですね。まずは攻勢をしのがなければ」
アルベールさんも苦渋の声を上げられました。
本当に、まずはそれですね。娘さんを助ける前に、まずは自分たち。ここにはマルバスさんにアルベールさん、それに何よりアレクシアさんがいらっしゃるので。
間違いなく、娘さんが大切に思われておられるだろう方々で。さらには、ラナにアルバ、捕らえられているクライゼさんの大切なサーバスさんもいらっしゃって。
……そうですね。まずは防衛に全力を尽くすべきですよね、えぇ。
「いえ、その点の配慮は必要ありますまい」
ただでした。
マルバスさんは、静かに首を横にふられるのでした。
「必要ないのでしょうか?」
不思議そうにアレクシアさんが問いかけられましたが、俺もまた同じで。
必要ないのでしょうか? 五百以上の兵力があって、こちらは五十名しかおらず。攻め込むのに、ためらう理由などは無いような気がしますが。
アルベールさんも不思議の思いであるようで、首を傾げておられて。
「そうでしょうか? 失礼ですが、マルバス殿は少しばかりご自身を過小評価されておられるかと。親父殿は、慇懃かつ有能なマルバス殿を、リャナスの一門ではことさらに気に入っていたようでして」
「ほう。それはまた、こんな時で無ければありがたいことですが」
「敵としても大いに評価しているはずです。マルバス殿を確保するためだけでも、親父殿はここに兵を向けてくるかと思いますが」
彼我の戦力比だけでは無く、アルベールさんはギュネイ家の当主の人物評を交えられて、そう思われたようでしたが。
それでもです。
マルバスさんは、引き続き首を横に振られます。
「ギュネイ殿はそこまでウカツな人物では無いかと。五十の手勢の込もった当家の屋敷なのです。一気呵成に攻め落とそうと思えば、五百の手勢で足りるかどうかというもので」
「……あぁ、確かにですね。屋敷は空には出来ませんか」
「そういうことです。ギュネイ殿にとって大事なのは、処刑までに当主の身柄を確保し続けること。決して、私をどうにかすることではありません。無駄なスキをさらすぐらいであれば、五十の手勢など黙殺し続ける。それが出来ない、あの方ではおそらくは無く……」
ふーむ、と。
マルバスさんは悩ましげに眉をひそめられました。
「むしろ、攻め立てて頂いた方が都合が良いのですが。屋敷には五十に見せかけた、わずかばかりの手勢を残し、空になったギュネイ家の屋敷を別働隊で奇襲的に制圧する。それが狙えますので。この状況では、亀になられる方がよほど厄介ですな」
軍神の家宰殿は、やはり軍神の眷属だということでしょうか。
戦場慣れされておられるのか、そんな現状に対する見解を述べられて……娘さんの大切な人たちが、おそらく安全でいられるだろうことは良い知らせなのですが。
救出するのは非常に困難。
やはりではありますが、現状はそういった状況であるようで。
アレクシアさんもまた悩ましげな声を発せられまして。
「やはり戦力をということでしょうか。こういった時にこそ、ヒース様やハイゼ様をお頼りさせて頂きたいものですが」
そうなんですよね。
カミールさんが思わせぶりに実力者として評されていたお二人です。この場におられたら、非常に頼りになられたことでしょう。
しかし、今はそれ以前の状況であって。
「ハルベイユ候との集まりに出席されておられましたかな? ハルベイユ候の動静も判然としなければ、無事なのかどうかも分からず、とにかくお頼み申すのは難しいですな」
マルバスさんのおっしゃる通りでした。
消息不明の生死不明。
それがあのお二人に関する現実であって。
まさか、あのお二人なのです。危急に会っても、どうにかされていると思いますが……とにかく、頼ることは出来ず。
「……そうですね。ここにある戦力で事態を打開するしかない。そんな状況なのですね」
そう口にされた、アレクシアさんの口調は暗く陰ったものでした。
納得しかありませんでした。
手勢はわずかに五十。そこにドラゴンがそれなりの数がいるだけ。
カミールさんを尊敬し、娘さんのことを心から大事に思っておられるアレクシアさんです。
この恵まれているなんて欠片も言えない状況が、精神に重くのしかからないわけが無くて。
「……そうですな。この手勢で事態をどうにか打開しなければならないのですが」
マルバスさんも苦悩の表情をされていました。
当主を助けるために、知恵を絞られているようですが、リャナス家の家宰殿をしても、良い知恵は浮かばないようで。
……俺に、もっと力があれば良かったのですが。
あの黒竜です。
あの黒竜ぐらいの力があれば、俺一人でも五百程度、蹴散らすことが出来たのかもしれませんが……俺には、そんなことは夢のまた夢で。
苦悩するしかありませんでした。
どうすればいいのか、どうすれば良いのか。
皆さんと同じように、暗く思い悩むしか無く。
ただです。
アルベールさんは、不思議と快活な笑みを浮かべておられました。
「ははは。大丈夫でしょう。何とかなりますとも」
気楽な声も漏らされて。
アレクシアさんは不安そうに首を傾げられるのでした。
「そうでしょうか? アルベール殿には、何か良策でもおありなので?」
尋ねられます。
これに対して、アルベールさんはあっさりと首を横に振られます。
「いえ。今のところは。しかし、問題など無いでしょう。我々には、始祖竜の加護がついているのですから」
アルベールさんは笑みと共に俺を見つめてくるのでした。
そう言えば、竜舎の前でも似たようなことを聞いたような。
始祖竜。その言葉の意味はさっぱり分かりませんが、この若者が何故こうも陽気にふるまっているのかは分かります。
暗くなっていても仕方がない、と場を和らげようとしておられるのでしょう。
そうですね。
暗くなっていても仕方がありません。前を向いて、なんとしても……娘さんたちを救い出さなければならないのです。
だからです。
アルベールさんの言葉に、俺は大きく頷いて見せるのでした。