第17話:駆け巡り、そして。
勝てるとは思っていなかった。
だが、それにしてもというのが正直な俺の思いだった。
「強い……っ!」
娘さんの呟きそのままの現実。
騎手クライゼ。ハルベイユ候領を代表するとされる騎手の精鋭。俺や娘さんとは比べ物にならない実力を持つ、真正の強敵。
空をかけめぐる。
今の現状である。字面だけなら優雅なんだけどなぁ。でも、そこにある現実はと言えば俺にとって非常に息苦しいものであって。
空をかけめぐる。ただし、獲物として。熟練の狩人に獲物として追い立てられている。
「ごめん、ノーラ! ふんばって!」
もちろんそのつもりですよ、娘さん。とにかくここは耐えなければ。
娘さんから手綱の指示を受けつつ、俺は全力で飛んでいた。休める時間なんて、ほんの一瞬もありえない。それは全くクライゼさんが許してくれない。
「来た……っ!」
ぬぬぬ。まぁたですか、ちくしょう。
娘さんの言葉通りの現実が襲ってきた。全力で飛んでいて、サーバスと比べても俺の速さは遜色ないはずなんだけど、それでも追いつかれる。
それは空中での三次元的なコース取りの上手さなのか。それとも、風を読み切り、乗り切ることの巧みさなのか。
背後に肉薄される。
「……っ!」
攻勢にさらされ続けて、さすがに娘さんも慣れたものだった。すかさず指示がくる。
俺はクライゼさんに腹を見せるようにして旋回する。これで何とか背にいる娘さんをクライゼさんから守ることが出来るわけだ。
ただ、これは急場しのぎの感がぬぐえない。クライゼさんはピタリとして、俺たちの後ろについてくる。
アカン。本当にアカン。
狩人と獲物の構図が全く動かない。何かを変えなければ。何かを変えないと、一矢報いることすらままならない。
そのことはおそらく娘さんにとっても分かりきったことだった。
「ノーラ……」
何かを決意したような娘さんの声音。
「熱いかもしれないけど我慢して」
ふむ? 熱いかもしれないけど? なるほど。了解、理解しました。
クライゼさんの攻勢をしのぎつつ飛び続ける。
その中で、唐突な背後からの熱量。
来た。ドラゴンブレス。向こうは俺たちに直接当てる気はないのだ。俺たちの進路を制限し、俺たちの行動を意のままに操る。そのためにドラゴンブレスを利用している。
だから、その思惑を逆手にとるのだ。
肌を焼き溶かす灼熱の嵐。そこに意を決して飛び込む。
熱い。もうね、声も出ませんわ。でも、娘さんは俺以上に苦しんでいるはずなわけで……ここが正念場か。
嵐を抜ける。
そこですかさずの急旋回。クライゼさんは俺たちがドラゴンブレスをさけるものとして、俺たちに土手っ腹をさらけだしていた。
狩人と獲物の立場が逆転する。
これが最後のチャンスか。その実感が、俺の体に力をみなぎらせる。
「いくよっ!」
娘さんの声にも力があった。文字通り飛びかかる。
間違いなくこの瞬間、空戦という意味でクライゼさんを上回っていた。
万全を期してクライゼさんの背中へと襲いかかる。あとは娘さんが釣り槍にものを言わせてくれれば……勝ちだ。
「やる」
そんな声が確かに聞こえた。次いで、俺の耳に入ったのは、
「あぁっ!!」
深い嘆きの声。娘さんの声だ。勝ったなんてそんな感じはまったく無い。
その瞬間、木と木が激しくぶつかったような固く鈍い音が聞こえたような気がしたのだが……え、防がれたっていうこと? 背中からの強襲を?
なんかもう達人というか、本当に化物なんだな。一瞬空戦で上回ったぐらいじゃ、勝利なんて許してはくれない。
とにもかくにも失敗。羽をかすめるようにして、クライゼさんの騎竜と行き過ぎる。で、あの……娘さん? ここから一体どうすればいいのでしょうか?
渾身の一撃すぎて、後のことに気が回っていなかったのか。指示はにわかに来なかった。
これ、また背中に回られているんじゃ? 俺は慌てて背後をうかがう。いない? 娘さんも「あれ?」などと声を出していたが、おそらく俺と同じ疑いをしての疑問の声ではないだろうか。
じゃああの、クライゼさんはどこに? 目の前にもいない。だったら上かもしくは……あ、下だ。下にいる。
クライゼさんはかなり低空を飛んでいた。かなり低空を飛んだままで、俺たちの背を追うような軌道を取っている。
俺は一安心だった。少しばかり背を取られているようなところはあるが、この高低差なのだ。速度をつけようと思えばつけられるのはこちら。背後を取り返そうと思えば、そこまで難しいことではないだろう。
まだ空戦の有利はこちらにある。まだまだ勝利の目は消えていない……って、へ? おいおいおい。嘘だろ? 何なんだよ、あれ。
思わず目を疑う光景。急上昇してきていた。重力に逆らっているとは思えない猛烈な速さで上昇してきている。
もう目一杯飛びましたよね? けっこう疲れてるはずですよね? そのはずだけど……頭おかしい速さをしてるな、マジで。
俺は思い出す。
最強と謳われたのはクライゼさんだけではない。騎竜サーバス。体格も速さも目立ったものはない。それでも最強の称号をクライゼさんと分かち合う騎竜の英傑。
その片鱗を見せられているような気がした。馬力が違う。サーバスは驚異的な速さで上昇を続けている。
そして、軌道が絶妙にいやらしかった。クライゼさんを乗せたサーバスは直線ではなく、ゆるく弧を描くようにして上昇してきているのだが……これ、娘さんには見えてないんじゃ? 俺の胴体や羽に隠れて、迫り来るクライゼさんが娘さんからは見えていないのでは?
ど、どうするよ、これ? また勝手にさけるか? でも勝手に動くと、準備が出来ていない娘さんを振り落としてしまう可能性がある。さきほどは思わず動いてしまったが、そんな簡単にして良いことじゃない。
なので騒いでみた。
ぐるるらぁっ! と叫んで、下をしきりに見る素振りもしてみたりして。
成果はあった。
「え?」
娘さんの口から驚きの声。次いで、緊急回避の指示が手綱から来る。しかしこれ、間に合うか?
遅きに失した。そんな感覚はあった。
だが、耳に届いたのは先ほどと同じ、木のぶつかる固い音だった。
「まだっ!」
娘さんが槍さばきで防いだ。そういうことなのか。
相手とすれ違う。その上で、娘さんの指示は続く。勝負はまだ終わっていない。
「もう天才っ! さすがよノーラっ!」
多分、危機を知らせたことへのお言葉だろうか。お褒めに預かり恐悦至極。なんて、そんな余裕ぶってる余裕は無いよな、うん。
また、獲物の立場に戻ってしまったのだ。
そして訪れたのは困難の時だった。
狩人に戻れるきっかけがつかめない。散々追い立てられて、負けはしないだけの獲物としての時間を強要される。
「……ごめん、ノーラ。ごめん」
娘さんの謝罪は俺の体調を気づかってのものか。
ふふふふ、大丈夫ですよ、娘さん。俺がこの程度の追いかけっこで疲れるわけがないじゃないですか。普段からあのラナと凄絶な鬼ごっこを繰り広げてきたのだ。俺がこの程度でへばるなんて、そんなわけが無い。
実際、追いかけっこもあって俺は体力には自信はあった。あるいはこの点ならば、クライゼさんとサーバスのコンビにも太刀打ち出来るのではと思っていた。でも現実はと言えば……うん。
相手本物の化物ですやん。それでそれに付き合わされている俺はと言えば……まぁ、ちょっと疲れたかもね? いや、ちょっとだけどね? ね?
とにかく俺は大丈夫ですから。ギブアップなんて、そんなものはありえない。娘さんが諦めない限り、俺はその騎竜として決して止まることなんか……い、いかん、口の端から泡がもれ始めて……あわわわわ。
「……負けたくない」
娘さんが何かつぶやいている。俺はヒューヒューいいながら、その声に耳をかたむける。
「ノーラはこんなにがんばってくれてる。負けたくない。負けさせたくなんかない」
正直、うれしい。そして俺も同じ気持ちですよ。負けたくない。娘さんを負けさせたくない。だから俺は意識がある限り、こうして飛びつづがふぐふげふ。あ、あかんですよ。肺が死んできた。ぶっちゃけ終わりが見え始めてきた。
でも、娘さんも疲れているはずだ。乗っているだけで疲れているはずなのだ。さらに風圧を浴び続けて、クライゼさんの猛攻に神経をすりへらして娘さんももう限界のはずだ。
それでも娘さんはあきらめていない。だったら、俺もあきらめるわけにはいかないのだが……って、相手どこ? 後ろに気配を感じないんだけど。
「下?」
娘さんの声で気づいた。下だ。そして前回の再現だった。
弧を描いて急上昇してきている。こ、これかぁ。娘さんからしたら、これクッソ見づらいだろうし、くっそ対応しづらいだろうな。だからこそ、この攻め方を相手は選んだんだろうけど。
だが、今回は気づくことが出来ているのだ。ならば、どうするか? 重力を利用して下に逃げるか? 勝ち目が見えてくる選択ではないが、これならまず逃げを続けることは出来るだろう。
さて娘さん。どうされますか?
「ノーラ」
耳に届く静かな娘さんの声音。そして、
「飛んで」
手綱を通して指示が来る。ふーむ? 意図は正直分からない。でも、もちろん最後まで付き合いますよ、我が最愛の騎手。
上昇だった。
俺は最後の力をふりしぼって上昇を続ける。口から泡を垂れ流して、意識を白黒とさせながら俺は飛び続ける。
かなりの角度をもって、雲を貫くような急上昇。俺はクライゼさんとサーバスを引き連れるようにして、ひたすらに高みを目指す。
その中で、娘さんは下方のクライゼさんの様子をうかがっているようだった。なるほど上昇するこの体勢なら、水平飛行をしている時よりは相手を観察しやすいのかもしれない。俺の羽も体も、娘さんの視界の邪魔にはなりにくい。ただ、観察出来て、それでどうするという話だ。娘さんに、この強襲を防ぐための何か策があるのかどうか。
ともあれ、やることは同じだ。
俺は娘さんを信じて飛び続ける。
「ノーラ」
不意の呼びかけ。何でしょうかね、我が騎手殿。
「下で待ってて」
はいよ、了解しました……って、はい?
娘さん、今なんて言いました? って、背中が? 軽い?
思わず下を見る。あ、落ちてる。娘さん落ちてらっしゃる。え、そういう意味なの? 下で待っててってそういう?
俺はにわかに納得する。ははぁ、なるほどね。これはあれだ。疲れちゃったんだな? 俺も徹夜で四連勤とかしたら、終わりには上司とハイタッチしてたし。あるある。疲れちゃうとそういうことってあるよねー。
分かってる。こんなことを考えている場合じゃないよね、うん。
『あ、あああああああぁっ!?』
中止っ! 上昇中止っ! 下降じゃ、下降っ! た、助けねばっ! 娘さんを大地とキスさせるわけには……っ!
急降下。超急降下。俺は一直線に空を落ちる娘さんの元へ……としなかったのは俺にしてはおそろしく冴えていた。一直線で行ったら、下手したら娘さんと一緒に地面に激突するしね。
娘さんをお空より高いところに行かせるわけにはいかないのだ。少々遠回りになるが、俺は弧を描くようにして娘さんの元へ。理想は娘さんを背中で拾っての上空への再浮上なのだが……これ、間に合う? 娘さんがまだ豆粒みたいなんだけど。
いや、間に合わせるっ! 羽なんて、本当もう空気抵抗的に邪魔。畳み込んで身を小さくして滑空。なんとか娘さんが近くなってきた。だが、地面も本当に近くなってきていて……
『ま、間に合えぇぇぇっ!!」
神様は絶妙なサジ加減で優しくも厳しかった。
これはもう間に合っただろっ! 俺は娘さんの下に体を滑り込ませる。ただ、地面とはもう額を突き合わせる距離で……あで、あでででで、あでででででで……あで。
草原の上を滑空することになりました。腹がっ! 腹が焼けるっ! でも生きてるっ! 俺は生きていて娘さんは……いで。
「ノーラっ! ノーラっ!」
娘さんがくっそ俺の首の裏を叩いています。よ、良かった……娘さんも生きてた。それは本当に嬉しくて、しかし娘さん? めちゃくちゃ喜んでるっぽいですけど、生の喜びを謳歌しているの? そんな感じなの?
「見てっ! ノーラ、見てっ!」
そして何か見てもらいたいものがあるご様子。一体なんなんですかね? 首を回して背中を視界に収める。
そこには満面の笑みの娘さんがいた。そして娘さんは釣り槍を俺に対して見せつけていた。穂先を無くして、今はただの棒になった釣り槍を……んん?
俺は思い出す。釣り槍は相手を傷つけることが無いように、穂先が相手に引っ掛かったら外れるようになっている。
ということは? ということはですよ、奥さん。
羽ばたきの音が聞こえる。
それはサーバスのものだった。クライゼさんを乗せたサーバスが草原に降りようとしている。
そのクライゼさんだ。仏頂面だった。仏頂面で娘さんの釣り槍の先にあったはずの穂先を手に持っていていて……
割れるような観衆の声。
そういえば、観衆なんていたっけか。
俺は間抜けにそんなことを思ったりしていた。