第50話:俺と、娘さんのお出かけ(1)
「……あははー。もうねー、わはー」
早朝の竜舎です。
俺の柵の前には、娘さんの姿がありました。で、何事か、妙な奇声を発しておられるのですが。
表情は昨日のアレクシアさんのものを思い起させます。なんかこう、ちょっと、死に体よりと言いますか、生気を失いかけていると言いますか。
再びの「あははー」でした。
そして娘さんは少しばかり泣きそうな目をされまして。
「もう、帰りたいなー。ラウに帰りたいなー。あー」
とのことでした。
いやまぁ、うん。そんな感じらしいのでした、はい。
納得出来る話でした。
ここ数日は、娘さんは騎手として鍛錬を積む以上に、社交の場にさらされ続けておられましたので。
最初は物珍しさもあってか楽しそうにされていたのですが。それが何日も続くとねぇ? 慣れない異郷での暮らしと相まって、心身共にかなり疲労が出ているようなのでした。
その結果が今のようでして。
俺たちドラゴンの世話を終えてです。俺にこうして愚痴だかなんだかをこぼされているのでした。
《お疲れ様です》
ともあれ、俺は労いの言葉を地面につづります。
言葉を尽くそうかなと思ったのですが、ボキャブラリー不足でこんなになってしまい。ちょっと淡泊と言うか、心無いねぎらいに見えるようなと、そう後悔したのですが。
「の、ノーラぁ……」
なんとも感涙されそうな勢いでした。
何故だか知りませんが、俺のねぎらいが娘さんの心に染み渡ることになったようで。
「……嬉しいなぁ。お父さんには少しは慣れろって言われるし、クライゼさんとハイゼさんも似たような感じだし、カミールさんには笑われて腹が立つし、アレクシアさんには全然会えないし……」
え、えーと、左様でしたか。
なるほど、なかなかねぎらいの言葉を受ける機会自体が無かったようで。だからこそ、俺なんかのねぎらいでも、オアシス的な作用を及ぼしているようでした。
「……やっぱり私にはノーラしかなかったんだね、うん」
そして、娘さんはそんなトチ狂ったような気付きを得られたようでした。
腕組みをして感慨深げに頷いておられまして。非常に精神の安定が気になるような、そんな様子でございました。
……しかし、妙な気分になるなぁ。
勘違いというか、弱り目につけ込んでいるような気分にならざるを得ないのですが。ともあれ娘さんは俺を必要としてくれていて。
アルベールさんと自分を比較しようなんて、もうそうする気にはなれないのですが。
でも、昨日妙なことを言われてしまいましたからね。
ラナにです。娘さんのことを、ドラゴンとして以上に好きなんじゃないかって。
それがあったからねー。今もまた、ラナに妙な視線を向けられてますし。観察するような視線を俺の横顔にじーっと向けてきていまして。どうしても、ラナに言われたことを思い出してしまうわけです。
まぁ、バカバカしいって思うだけなのですが。
娘さんに信頼を寄せられていてもね? それはドラゴンに向ける信頼であって、俺もドラゴンとしてその信頼を嬉しく思っているだけで。
……まったくもって、そのはずで。本当、まったく。
あー、とにかくです。娘さん、なかなかお辛い状況のようで。連日、何かしら社交の場に出かけているようなのですが、今日もまたそうなのでしょうか?
《今日もお出かけですか?》
娘さんはため息まじりに頷かれました。
「そうなんだよねー。またお茶会とかで。どっかの大貴族の屋敷でとかで。カミール閣下やギュネイ閣下が出られるようなお茶会らしくて」
う、うーむ。それはまた気詰まりしそうなお茶会ですね。思わず同情してしまいますが、娘さんに懸念はまだあるらしく。
「しかも……お父さんもいないし、ハイゼさんもいらっしゃらなくて。ハルベイユ候との集まりとかでさ。クライゼさんはいらっしゃるんだけど、アレクシアさんはいらっしゃらなくて。はぁ……はぁぁぁ……」
ため息で、体が縮んでしまいそうな娘さんでした。
あー、それはそれは。頼れる人が少ないとそういうことのようで。いや、クライゼさんもカミールさんもいらっしゃるようではありますが。
クライゼさんは有名人ですし。あの人はあの人で大変でしょうしね。で、カミールさんは……まぁ、いよいよって時には助けてくれるのでしょうけど。積極的に面倒を見てくれるかと言えば、少し怪しいような。
「クライゼさんも疲れてるし、カミール閣下なんて私が困っているのを笑いやがってくれるに決まってるし。なんかもう、嫌だなぁ……」
笑いやがってくれるって、なかなかの信頼の無さでしたが。しかしまぁ、そうねー。娘さんが求めるほどには助けてくれないでしょうし。
うーむ。
娘さん、肩を落として来るべきお茶会を悲観されているようで。なんとかして上げたいですよねー。ただ、俺はドラゴンですので。もちろんお茶会に参加することはもちろん、お茶会で娘さんを補助するなんて夢のまた夢なのですが。
どなたかいませんかね?
娘さんを助けてくれそうな、そんな方は……って、あ。
そう言えば、いらっしゃいましたね。娘さんと俺の王都滞在において、けっこう大きな意味を持っていらっしゃるあの方が。
では、記させてもらいましょう。
そう思ってカギ爪を上げて、しかし何故かためらってしまいまして。
えーと?
別に何も感じてはいないのですが。嫉妬だなんて、ラナは妙なことを言っていましたが。そんなのまったく無いので。俺がためらう理由なんて、まったく無いのですが。
全ては娘さんのため、娘さんの幸せのためですからね。
《アルベールさんはどうなのですか?》
ためらいなく、俺はそんな文句を地面につづるのでした。