第48話:俺と、敗北感
しみじみとして、アルベールさんは頷きを見せられます。
「目的は分からなかったけど、無茶だと思ったよ。急いで助けに行くべきだとも思った。でも、結局そんな命令はどの騎手にも下らなくて。情けない思いをしながら、俺はとにかくあの人を見上げることになったんだけどさ」
正直、いきなり何を話し始められたのかと思いましたが。
しかし、どうにもこれは、アルベールさんが娘さんに見惚れた時の話のようで。これは、その……アルベールさんからしたら、相手がドラゴンだということで無防備の口にされたのでしょうから申し訳ないのですが。マジマジとして聞いちゃいますよね、はい。
アルベールさんの中では、それはもちろん美しい思い出のようで。ほほえみながらに語られるのでした。
「アレはまったく……すごかった。どうやって操っているのか、ドラゴンを単独で飛ばしていることももちろんだけどさ。でも、やっぱり本人がすごかった。技量はもちろんで、どこか華麗で、それに何より……不思議と楽しそうに見えた」
心底楽しそうに語られていました。しかし、ここでアルベールさんは不思議な苦笑を浮かべられまして。
「本当、どんな強者が乗っているかってゾクゾクしたもんだけどね。きっと歴戦の……地上からは騎手までは良く見えなかったからさ。クライゼ殿のような沈毅なる強者が乗っていらっしゃるのかと思っていたけど……はは。降り立ったのを見て、本当にビックリしたよ」
どうやら、あの時の観衆の中にアルベールさんの姿もあったようで。アルベールさんは再びの遠い視線をされるのでした。
「……騎手かもしくはドラゴンか。それを祝福する神様っていうのが確かにいて、その娘さんでも地上に降り立ったんじゃないか。俺にはそう思えたよ。ドラゴンを引き連れて地上に降りてきたあの人は、そのぐらいにキレイだった。美しかった。だから俺は……お近づきになりたいと思ったよ。そして、出来るならずっと一緒にいたいとそんなことを思って……」
不意にでした。
苦笑まじりに、アルベールさんは大きくため息をつかれました。
「はぁ……ま、あの人のお眼鏡にはかなわなかったみたいでさ。仕方ないか。半人前の騎手なんて、そんなもんさ」
正直な話です。
正直なところ、俺は何故か不思議な安堵感を覚えていました。娘さんを諦めるみたいなニュアンスを聞き取って、何故か妙な安堵感を覚えていました。
しかし、その一方で、娘さんのことを思うと、これでいいのかと強く思ってもいました。
期せずして分かってしまったのです。
腹に一物があって近づいたわけではないだろうことは察していましたが。
この大貴族の若者は、本当真摯に娘さんに惚れているようで。娘さんを、騎手として心から評価した上で、惚れ込んでいるようで。
カワイイからなんて、そんな表面上の理由だけでは無くて。なかなかね、いないんじゃないの? 表面だけで惚れる人ならいくらでもいそうだけどさ。娘さんを適切に評価した上で、娘さんに惚れ込んでくれる人なんて?
娘さんの幸せを祈り、祝う。
そうあれかしと願った俺からすると、アルベールさんが身を引きそうな現状は、決して看過してはいけない気がして。
ただ……やはり安堵感はあって。このまま見過ごした方が都合が良い。そんな妙なことを考えている自分もいて。
俺は一体どうすればいいのか。
答えなんて無いままにアルベールさんを見つめる俺にでした。彼はいきなり、ニヤリと笑みを向けてくるのでした。
「でもまぁ、諦める気なんてさらさら無いんだけどさ」
え? と首をかしげそうになった俺を前にして、アルベールさんは若々しい情熱をたぎらせながらに決意を語ってくるのでした。
「まずは騎手としてだよな。追いつく。なんとしても追いつく。それが最初だ。サーリャ殿が、俺を認めざるを得ないぐらいになる。そこからもう、何とかして、そう何とかして……サーリャ殿を俺に惚れさせてみせる」
アルベールさんはポンと俺の鼻面に笑顔で手を置いてきました。
「なんか、サーリャ殿の言っていたことが分かったよ。なんかしゃべりたくなるドラゴンだよな、お前は。とにかく、そういうことだから。お前とは長い付き合いになる予定だから。ノーラ、これからもよろしくな」
そう言い残して、アルベールさんは竜舎を去っていかれました。若々しく颯爽とした足取りで、夕闇の中に消えていかれました。
『……まさかだけどさ、アイツもあのうざいヤツと似たり寄ったりなわけ? はぁ、うっとうしい限りねぇ、もう』
アルベールさんの長話を指して、そう嘆息するラナでした。ラナはまぁそうでしょうねぇ、って。そんなことを俺は思うのでしたが、しかし言葉にすることは出来なくて。
『……ノーラ?』
ラナの不審の問いかけにも、俺はすぐには反応することが出来なくって。
敗北感。
今の俺の胸中を表現するのに、これが適切かどうかは分かりませんが……多分、これが一番近いのでしょう。
アルベールさんはやはりと言うか、俺が気を使うことがおこがましいような方でしたね。
俺がアルベールさんであれば、脈が無しと分かった時点ですぐに落ち込んで、一切合切無かったことにするのでしょうが。好きなんかじゃ無かったなんて、気持ち悪い言い訳をして逃げ出すことでしょうが。
アルベールさんはもちろん、そんなヘタレじゃなかったわけで。
脈なしと認識した上で立ち向かえる、心の強さをもった人で。もうねー。俺みたいなヘタレの雑魚とは格が違うようで。家柄に優れ、将来有望な騎手で、その上素晴らしい人格をお持ちのようで。
俺がなんで、アルベールさんと自分を比較しているのかは分かりませんが。
それでも負けた、と。いや、同じ土俵に立ってすらいなかった、と。
そんな思いが確かにあるのでした。
その上で、何故か不思議な安堵感もありました。アルベールさんが身を引かれるのではと勘違いした時の、あの気持ちの悪い安堵感とはまた別のものです。
『……良かったね』
俺の呟きに、ラナは怪訝の目つきになりました。
『良かった? 何がよ。まぁ、アンタはああいうウザいのがいても気にしないかもしれないけどさ』
娘さん二号を喜んでんの? みたいな、ラナのご意見でしたが。いやいや、そういうわけでは無くてですね。
『あの人、娘さんのことが好きみたいでさ』
アルベールさんのプライベートだけど、まぁドラゴン相手なら漏洩の心配も無いでしょうし許してもらいましょう。そう思って、俺はラナにそう伝えたのですが。
『ふーん。ま、そうだろうとは思ってたけどさ』
すでに察していた様子のラナさんでした。ふーむ、まさかラナが人間の恋愛について理解を示すとは思っていませんでしたが。まぁ、話が早くなるし、ありがたく受け取っておきましょうか。
『それが良かったなって思って。ああいう素晴らしい人が、娘さんを好きになってくれてさ』
彼の去っていった夕闇を見据えながらに思います。それが本当に、俺が安堵感を覚えていた理由でした。
あの人ならば、娘さんをきっと幸せにしてくれる。
なんて、差し出がましい感想を抱いたわけでは無いのですが。
これ以上、妙なことを思わずにすむ。そう思えたからです。
アルベールさんが娘さんを好きなっているのならです。アルベールさんが仮に娘さんと一緒になるのだったらです。
俺はこれ以上、鬱々としたり、イライラとすることも無い。そんな予感があるわけで。
だから、本当一安心でした。娘さんを好きになってくれたのがアルベールさんで。これからは本当、ただただ二人の仲をほほえましく見守るだけで済みそうでした。
『……あのウザいのと新しいヤツが、一緒になったら嬉しいってこと?』
何故か、いぶかしそうにラナでしたが……まぁ、うん、その……なんだろう。そこまでは思ってはいない。そこまで差し出がましいことは思ってはいない。ただ、
『……なっても良いなって、そう思ってるかな』
きっとそのはずでした。
そんな俺の返答にです。ラナはやはり何故か引き続きいぶかしそうにしていて。
『……本当に、そう思ってる?』
実際に、疑問の声を投げかけてきて。