第31話:俺と、ちょっとガチ
娘さんは笑顔で声を上げられます。
「では、よろしくお願いします」
一方ででした。声を向けられた青年は、緊張によるものか固い表情で頷かれます。
「はい。こちらこそ、どうぞよろしく」
もちろんのこと、その青年はギュネイ家の四男殿なのですが。
手合わせの時間が来たということでした。
後は飛び立つだけという状況でして。お互いすでに騎竜の上となっています。
「では、始めるがいい。あくまで余興程度のものだがな。新進気鋭の騎手同士、せいぜいその片鱗ぐらいは見せてくれよ」
カミールさんが皮肉な笑みでそうおっしゃって。いよいよということでした。
「よし。じゃあ、お願いね」
娘さんが陽気に俺に声をかけてくれて。
……えぇ、分かっています。せっかく選んで下さったので。それだけの働きはしたいと思いますが……
貴族たちの観衆、それに親父さんたちの視線を受けながらにでした。
作法は、一騎討ちと同じようで。
ギュネイ家の騎手殿がゆっくりと騎竜を歩かせ始めまして。
娘さんの一騎討ち用の釣り槍が、俺の脇腹にトンと押し当てられます。これを合図にして、俺もまた歩みを始めます。
円を描くように、お互いの背を追うのでした。空戦の前段階です。飛び立つタイミングも、駆け引きの内なので。すでにして手合わせは始まったと、そう言っても良いのではないでしょうか。
俺もまたね。いつ飛び立つ指示が来ても良いように、神経を鋭くして待つのですが……ダメだな。
全然集中出来ないのです。
さきほど受けた衝撃が全く抜けきっていないのです。
俺は本当に何を考えていんですかね?
歩みを進めつつ、俺は思わず手合わせの相手に目を向けます。立派なドラゴンの背にあって、緊張の面持ちで手綱を引く、貴族のボンボ……いえ、アルベールさんですね、アルベールさんです。
俺はドラゴンで、彼は人間ですのに。
何で俺は自分とアルベールさんを比べようなんてしていたのか。本当、なんでそんな意味の分からないことをしようとしていたのか。
俺が多少信頼を受けていたとして、それはドラゴンとしてのものに過ぎませんのに。大事にしてもらっているかといって、それもまたドラゴンだからこそであって。
そもそもです。
なんで俺はこんなにアルベールさんに敵意を抱いていたのか。遊んでいるに違いないなんて、あの人についてまるで知らないくせに想像でものを言って。
それに、娘さんにふさわしくないとかなんとか。
そんなの、なんで俺が差し出がましくも判断しようとしていたのか。
口を出して良いのなんて、それこそ親父さんぐらいでしょうに。ドラゴンに過ぎない俺がとやかく言えることでもなければ、娘さんの判断を見守るのが一番でしょうに。
俺は本当に……どうしていたのか。
どんな感情の下に、なんでこんなに思考を暴走させていたのか。
分かりません。ですが、幸いなことに、この思考の暴走で誰かに迷惑をかけたというわけではなさそうなので。
今は考えるのは止めておきましょう。ドラゴンとして、あくまでドラゴンとして、娘さんに貢献することだけを考えておきましょう。
クライゼさんとの一騎討ちでは、果断をもって先制をしかけた娘さんではありますが。
今回はアルベールさんに主導権をゆだねられるようでした。まぁ、手合わせということでしたしね。そこまで積極的にいくつもりは無いようでした。
ただ、勝利は確かに狙われているようで。
背後をちらりとうかがえば、娘さんは目つき鋭くアルベールさんの様子を観察していて。
アルベールさんをぼっこぼこにする。
そんなことはもう考えません。娘さんとラウ家の名誉のため。恥をかかせるようなことは出来ませんので。集中して俺は、その時を待ちます。
そして、その時は来ました。
「来た……っ!」
娘さんが鋭く呟きますが、その通りの現実がありまして。アルベールさんが、逞しい巨竜を猛然と加速させていました。
間髪入れずにでした。
俺にもまた助走の指示が下ります。よし、任せて下さい。全身の筋肉を震わして、俺は即座に助走に入ります。
上等な芝生を踏み散らすのは忍びないですが、芝生を気にする余裕も無ければ、そのつもりも無く。
四肢に全力を命じて、青い芝生を宙に撒き散らし。加速も十分であれば、アドレナリンも十分。そのタイミングででした。娘さんから、手綱を通した指示が来ました。
「行くよっ!!」
えぇ、はい。行きましょう。勝ちに。
翼を広げれば、高揚感と共に上昇の衝撃が訪れて。あっという間に、俺と娘さんはカミールさんの屋敷を眼下にするのですが……問題はここからですよね。
手合わせということなので。
ドラゴンブレスもおそらくは無し。とにもかくにも、血が流れるようなことは避けた方が良いでしょう。
クライゼさんを相手にするような、ギリギリの攻防が許されることはありえなくて
一体、どんな空戦を繰り広げれば良いのやらでありますが。手を抜いた空戦なんて俺は初めてのわけで。それは当然、娘さんも同じなわけで、さぞかし迷いがあるでしょうね……って、はい?
早速でした。
おそらく娘さんに実力を認めて欲しいであろうアルベールさんなので。こちらこそ勝ちを狙って、俺たちの背後をとってきたのですが。
背後をうかがって、その視界に入ってきたのでした。
オレンジの閃光。あ、これ、アレじゃん、アレ。
「な、ななぁっ!?」
驚きの声と共に回避の指示。
距離があることもあって、悠々と回避することは出来たのですが、閃熱が横手を飛び去っていきまして……
「ドラゴンブレスじゃんっ!! ノーラ、ガチできてるじゃんっ!!」
娘さんから追求の声が飛んでくるのでした。えー、はい。そうみたいですね。ガチっぽいですね。いやー、これは予想外だったなぁ。ぬはははは。
「どうすればいいのっ!? これ、私もガチでいっていいのっ!?」
続いて、幾筋ものドラゴンブレスが襲い来る中ででした。華麗に回避しながらにですが、娘さんの疑問の叫びが耳に届いてきまして。
い、いやぁ。しかし、アルベールさん。本気ですね。ガチですね。あくまで余興であるっていう事実を、まったく意に介されておられないようで。
良いところを見せるために、本気の本気で来ているみたいです。いやぁ、若いなぁ。俺には無かった若さで、それがちょっぴり羨ましくも思えますが、それはともかく。
娘さんがガチっていうのは止めた方が良いような。
空戦の最中ですが。俺は首を左右に振って見せます。
アルベールさんが娘さんに怪我をさせることと、娘さんがアルベールさんに怪我をさせること。これにはもちろん、天地の差があるのでして。
身分が違いますからねぇ。娘さんが怪我をさせられても、カミールさんが苦言を呈された上で、親父さんが仕方ないとしつつも不満を露わにされるぐらいでしょうが。
ギュネイさんを娘さんが怪我させたらねぇ。田舎の小娘がなんてことをって話ですよ。ギュネイさん当人はともかくとして、ギュネイさんの一門は黙っていないかもですし。あるいは王都の貴族社会を敵に回しちゃうかもですし。
それはきっと娘さんに限らず、ラウ家一門に波及する問題でして。ガチってドラゴンブレスで応戦するようなことはちょっとマズイような気はしますが。
俺の耳には、「むぅ」と悩ましげな呟きが届いてくるのでした。