第13話:俺と俺の選択
驚きだった。
俺は驚きで何も考えられないような状況だった。
娘さんなのだ。
あの娘さんが怒っている。怒声を放ち、顔を紅潮させ、本気で怒り猛っている。
親父さんにとっても初めてのことなのかもしれない。親父さんからは娘さんの背中しか見えないはずだが、それでも十分に伝わったのだろう。怒声を耳にし、震える肩を見て、親父さんは目を見開いて絶句していた。
だが、それも数秒の話。親父さんは顔をうつむかせたまま苦笑した。
「……私の責任じゃなかったと、お前はそう言ってくれるのか?」
自嘲気味な呟き。それに対して娘さんは、
「違うっ! そうじゃないっ!」
大きな怒声を響かせる。
あれ? だった。心優しい娘さんのことだ。親父さんが一人全ての責任を負おうとしていることに優しい怒りを覚えたのかと思ったのだが……それは違うのだろうか。
娘さんは間髪入れず、怒声を上げ続ける。
「何でそんなこと言うのっ! 全部失敗だったみたいに、全部無駄だったみたいにっ! 違うっ! 無駄じゃなかったっ! 私は違うっ! 私のやってきたことは無駄なんかじゃない!」
鬼気迫る、そんな娘さんの怒号だった。
気持ちは分かるような気がした。
俺たちの面倒を毎日見続けて、一人修行に出て学び続けて。その挙げ句、全ては失敗だったみたいなことを言われたのだ。責任は無いと言われたとしても怒りを覚えるのは仕方がないだろう。
だから、気持ちは分かる。でも、少し気になるところがあった。
私は違う。
親父さんのやってきたことは無駄かもしれないが、自分はそうではない。
そう聞こえたのだ。そこに娘さんらしくない攻撃性が見え隠れしたような気がした。
親父さんも自分への敵意のようなものには気づいているようだった。だが、全ては自分の責任だとしている親父さんである。敵意も甘んじ受け入れるらしい。
「……そうだな。私の行ってきたことが無駄だとしても、お前がしたことは決して無駄ではないだろう」
親父さんの物悲しげな同意の言葉。それに対して、娘さんは気づかいを示すをことはなかった。
「だから証明するの! 私がしてきたことは全部無駄なんかじゃない! アルバは失敗したけど、今度はラナだから。次は絶対に失敗しない!」
顔を真っ赤にして娘さんはそう意気込んでいた。
その意気込み自体は俺も応援してあげたいと思った。
自分のやってきたことが無駄ではなかったことを証明する。一緒にがんばってきたはずの親父さんが眼中にないことは気になったが、それでも娘さんの気持ちを肯定したいと俺は思ったのだ。
ただ、である。
何かしらの予感があるのか、ラナはすでに嫌そうな顔をして小屋の奥の方に後ずさっている。
ラナはアルバよりもはるかに気が短い。
娘さんにどれだけやる気があったとしても、次がどうなるのか。正直、良い想像は出来なかった。
娘さんの決意をどんな思いで聞いていたのだろうか。親父さんは悩ましげな表情で頷きを見せた。
「……お前はしっかり努力してきた。ラナなら失敗しない。きっとそうなるだろう」
「でも練習しないと。次の一騎討ちまでどれだけの時間があるのか分からないから」
「そうか。練習も必要だろうな。ただ……少しあらためるところがあるのではないか?」
娘さんが眉間にしわを寄せる。
「ないよ、そんなの。とにかくお父さんは戻ってよ。ちょっと気が散るから」
邪険に扱われたが親父さんはその点を気にすることは無かった。静かに本題へと切り込む。
「アルバが飛べなかったことだがな、あれは声の大きさによるものだと私は思っている。ラナを相手にする時は少し声量を抑えた方が良いのではないか?」
当初からの意見を親父さんはあらためて口にした。それに対して、娘さんの口からもれたものは舌打ちだった。
「……そんな理由じゃないから。お父さんはもう黙っててよ」
「お前も知っているだろう? ここと向こうでは環境が違う。ここのドラゴンには大声は心労にしかならないような気がするのだが……」
「違うから。ドラゴンは大声で扱うことで、命令をよく聞くことが出来るし、ちゃんと服従するようになるの。アルバも今日までは上手くいってたし、向こうじゃそれが当たり前だった。私はちゃんと学んできたの。本当どっか行っててよ」
もはや娘さんに親父さんを相手にする気はないようだった。淡々としてラナの小屋を開けようとしている。しかしである。親父さんは硬い顔をして引き下がらなかった。
「お前の努力を否定するつもりは無い。ただ……大声で扱えばこその利益という話だが、それは……修行先には申し訳ないが、向こうの勘違いではないのか?」
娘さんの手が止まる。
「……やっぱりお父さん、私のしてきたことが無駄だって言いたいんだ」
「そうでは無い! 無駄では無かったと証明するために出来ることがあるのではという話をしているんだ」
「でも否定してるじゃない」
「そうだ。確かにそれはその通りだ。環境的に向こうのドラゴンは騒音に強い。だからこそ、向こうのドラゴンは大声でも平気だった。それだけの話であって、実際は大声である必要性はなかったのではないんじゃないか?」
娘さんは再び能面のような表情に戻っていた。しかし、感情のたかぶりはそのままのようで、痛烈な舌打ちが娘さんの口をついてでる。
「……またその話? だから、うるさいってば。向こうに行ったこともないクセに」
「それもその通りだ。だが、私もノーラたちをここで世話してきた。ドラゴンについてある程度は知っているつもりだ。ドラゴンは耳が良く、人の言うことをよく聞く。あるいは向こうのドラゴンは違うのかもしれないが……とにかく、当家のドラゴンはそうなのだ。当家のドラゴンにあったやり方があると私は思うのだが」
「……素人のクセに。ドラゴンにも一度だって乗ったこと無いクセに……」
「サーリャ。何を意地になっている? 私たちは失敗したのだ。だったら、新たな方法を試す、それだけのことだろうに。なぁ、サーリャ?」
親父さんはどこか悲痛だった。分かるような気がした。きっと俺と同じ思いなのだろう。娘さんにあのような失敗はして欲しくない。あんなみじめな思いをして欲しくない。そんな感じではないだろうか。
娘さんにもその思いはきっと伝わったはずだ。
そう俺は思ったのだが。
「……分かってない」
「サーリャ?」
「分かってないっ! お父さんは全然分かってないっ!」
娘さんの怒りに再び火がついた。それは間違いない。
ただ、少し違ったのだ。親父さんは困惑を深めるばかりでまだ気づいていないようだが、娘さんの正面にいる俺からは歴然だった。
娘さんは目の端に涙を浮かべていた。
「……嫌だったのに」
「サーリャ?」
「嫌だったのっ! 修行になんて行きたくなかったのっ!」
涙がこぼれ落ちる。頬を伝ったそれは、震える唇を濡らして静かに地に落ちる。
「ドラゴンが来て、一緒に生活するのが楽しくて……でも、お父さんが嬉しそうに修行先が決まったなんて言うからっ!」
「サーリャ……」
「あっちでの生活も嫌だったっ! 誰も優しくなくて厳しくて、一人ぼっちで話しかけてくれる人もいなくて……それでもがんばったのっ! お父さんが騎手になれって言ったから、そのためにがんばったっ! 私がんばったのっ!」
娘さんはぐっと手の甲をぬぐいとった。残ったのは強い決意を秘めた瞳。それは小屋の奥のラナへと向けられている。
「絶対無駄じゃない。失敗じゃない。あんなに辛い目にあったのに、あんなにがんばったのに。全部正しいの。そうじゃなきゃ絶対おかしいのっ!」
だから、ラナを使ってそれを証明する。そういうことなのだろうか。
なんか分かった。
親父さんへの敵意の正体も分かった。
娘さんが修行先で学んだことに固執する理由も分かった。
娘さんは動き出す。ラナを小屋から出そうとする。親父さんはもう何も言わなかった。そこにあるのは罪悪感だろうか。娘さんを追い込んでいるのは自分なのだと、もう娘さんに口出しは出来ないと。そんな心中なのだろうか。目元を押さえ沈痛な面持ちでうなだれている。
親父さんが何も言えない気持ちも俺には分かるような気がした。
だから、きっとこれは俺の役割なのだろう。
「え?」
娘さんが戸惑いの声を上げる。ラナの小屋の柵を開けようとしていた手をビクリとして胸元に引き寄せる。
「の、ノーラ?」
なんか再会ぶりかも。久しぶりに名前呼んでもらえたなぁ。でも、こんな形で呼ばれたくは無かったなって、それは強く思います。
俺は嚇威していた。
牙をむき出しにして、喉からうなり声を出して、ラナへ近づこうとする娘さんを強くけん制していた。
だってさ、仕方ないじゃん。
娘さんの気持ちは分かる。自分の辛かった日々を無駄で終わらせたくなくて、次の一騎討ちで挽回しようというのは心情として理解出来る。
でも、今のままで一騎討ちに挑んだところで結果は変わらないだろう。
ラナはきっと飛ばない。娘さんの気持ちを汲んでなんてくれない。
娘さんはきっと失敗する。そして、再び今日のみじめな気持ちを味わうことになる。
だから、止めるのだ。俺は「ぐるる……」とうなりつつ、娘さんの顔を強くにらみつける。
娘さんは呆然と立ちつくしていた。まぁ、驚いただろうなぁ。クラスの陰キャがいきなりイキりだしたようなもんだし。いや、違うか? でも、娘さんにとってショックだったのは間違いないらしい。
「……っ!」
それは言葉にならない悲鳴に似た何かだった。
娘さんは俺に背を向けてかけだしていた。すぐにその背中は見えなくなった。
「……ノーラ」
心底疲れ切ったような声。親父さんが力ない笑顔を浮かべて俺に近づいてくる。
「お前は本当におかしなドラゴンだな。もしや私の思いを汲み取ってくれたのか?」
やっぱり親父さんも同じ気持ちでしたか。そりゃ、一騎討ちの時の娘さんを見ていたらねぇ。
親父さんは苦笑しながらポンと俺の頭に手を置いてきた。
「まさか、そんなことは無いだろうがな。ただサーリャのことを嫌っただけか。いや、ラナですらまだ娘のことを威嚇していないのだ。ノーラ、実際のところどうなのだ? ん?」
そりゃもちろん貴方と同じですよ、旦那。
嫌いになんかなれるわけが無い。
親父さんは少しの間、苦笑を浮かべたままで俺の頭をなで続けた。そして、不意に親父さんの顔から苦笑が消える。
「……しかし、迷っているのだ」
親父さんのなでる手が止まった。
「ハイゼ家の申し出によってもう一度一騎討ちすることになったがな。あらためて申し入れて一騎討ちから辞退するべきなのか、それともサーリャの思うがままに任せるか……例え、一層みじめな結果が待っているとしてもな」
親父さんの顔に笑みが戻る。ただ、それはひどく自嘲的なものに見えた。
「私には分からないのだよ。間違いなく我が家は騎竜の任を返上することになる。お前たちもハルベイユ候に同じく返上することになるだろう。その上で、何が一番良いのだろうな? 娘にとって何が一番良いことなのか……なぁ、ノーラ?」
切実な問いかけだった。
それに対する答えなんて……俺なんかにあるはずも無かった。
間の抜けた鳥の声ばかりがやけに耳に響いて聞こえる。